2025年8月31日日曜日

2025上黒丸

 2025年8月17日から26日まで能登の上黒丸に行ってきました。

といっても、17日と26日は移動日なので、実際の滞在は、18日から25日まで8日間。

いつもよりすごく短い。


旅のはじまりは京都での禊ぎから

今回やることは、五右衛門風呂作りと水源探しと上黒丸の方言を記録することの3つ。

もともと上黒丸でつくっていた五右衛門風呂は、2021年の芸術祭の片付けにいったときに、北九州に引き上げてきたので、今回は、どこかに落ちている五右衛門風呂探しから。


2017年の芸術祭から交流のある宝湯さんへ。


大宴会をした本館も、近隣の建物もすっかりなくなっていて、開けた空間にゲストハウスと貸し切り風呂を運営されている現在の宝湯さんが建っています。

現在の宝湯


2021年のに訪ねた宝湯の大広間

2021年の芸術祭では、野研の作品が展示されていた上黒丸小学校の校庭には、住宅が建っていて、被災した人たちが住んでいます。中瀬さんの作品が展示されていた体育館は、被災者用住宅に住んでいる人たちの集会所になっていて、毎朝9時からラジオ体操がおこなわれます。

体育館の黒板にはいろんな予定が書き込まれている



ラジオ体操の第1と第2をやると、けっこうな運動になって、汗をかいてしまうので、終わったら冷たいお茶とおしゃべりなど。

体育館におかれたキリコ



手すさびに刺し子が始まります。

「この地域の伝統的な手仕事なんですか?」

「いや、ぜんぜん、こんなのしたことないわぁ」

「こんなの、わたしならぁ、ミシンでジャーッと縫いたくなるなぁ」

なんていうおしゃべりをしながら、刺し子をしているうちに、11時半で、それぞれお昼ごはんを食べに帰ります。

おばあちゃんたちは、しばらく黙って刺し子をしながら、ふとおしゃべりを始めます。なんの話しかな?と思いながら聞いていると、なんとなくこんな話しだろうな、というのはわかります。特別な方言があるかどうか、わかるほどにヒアリングするには、私の耳は育っていません。

この日は、きのこが送ってくれたパイナップルをみんなで食べた


上黒丸は、もともと湧き水が豊富な地域で、それぞれの集落が複数の水源を管理していたそうです。それが、地震で地形と地下水の流れが変わり、水が確保できない集落があるとか。地元の人たちは、地図上で、水源の場所に見当をつけていたのですが、道が壊れたり藪に阻止されたりしています。野研の水源探検隊は、果敢に藪の中に突っ込んでいきます。

地図で水源の候補地を確認

藪に分け入る野研


宝湯さんでの露天五右衛門風呂。スター☆ドームで目隠ししてるから、安心して入浴できます。

五右衛門風呂からみえる風景

風呂を焚く男

湯加減をみる女


今回、小倉-京都-上黒丸-瀬戸-京都-小倉という行程で、グーグルマップでたどってみると2100kmくらいです。上黒丸の中でも800kmくらい移動してたので、全部で3000kmくらい運転したらしい。そんなに大変ではなくって、なんとなく日頃の運転の延長上でできました。まあ、やればできるな、と思いました。

私は、大きな川が流れる平野で育ったので、身近な災害は大雨による浸水でした。浸水は、まさに水が人の生活を侵していくようなイメージでした。
去年、能登に来たときに、断層や土砂崩れがあちこちにあって、もう地面全体がガタッて動いてしまったようで、これは地球の自然な動きであって、その上に人の生活がたまたまのっかっていたときに災害と言うのだろうかと思いました。そのくらい、地面が動いた規模の大きさに圧倒されました。
今年は、三方から一斉に土砂崩れが起こったという集落の近くで、ああ、こんな大きな自然の動きの前で、人は何をすることができるのかと思ったりしました。そして、土砂に埋まった道のそばの崖を削って造られている道を見て、人の業のようなものを感じました。
私たちは、生活するために、壊れた道をなおし、残った崖に新しい道を通し、隆起した海岸の外側の海の上にも道を通し、少しでも安全なように丈夫なように設計し、またいつ動くかもしれない自然の表面を借りて生活していくのだなと思うのです。大自然の前で、か弱いはずの人がもつ、その生きていく力にも圧倒されます。
私が育った土地では、人は大きな川の気まぐれなうねりに、何度も飲み込まれ、それでも何度も堰や堤を造り直して、川の流れを変えてしまって、川を制御した気持ちになって、自分が主人のような顔をしているだけなのかもしれません。またいつグネグネとうねるかもわからない川の隣を借りて生活しているだけなのに。