2017年6月25日日曜日

ゆふいん文化記録映画祭

 
読み直して思った、ネタバレなので気を付けて。

駅の特設コーナー。映画祭のキロク


到着して1作目は松川賞受賞作品『葛根廟事件の証言』。
終戦の前日、満州で起こったソ連軍による襲撃の被害者を追う。
1時間のうちに10名のインタビューが、切り貼り切り貼り流れる。
監督がネット配信のニュースをつくるテレビ関係者であると、事前に聞いてしまったこともあってか、以前あるぱかが野犬にあげていた、youtubeの日本紹介動画を思い出した。(あの、登場人物が、職業名前年齢を宣言してから語り始めるやつ。)
インタビュー最中の監督の声をなるべく入れまいとしているところや、しっかり固定されたカメラで撮影されたぶれない映像を多用しているあたりに、なんだか綺麗な、映画として最初に決めたプロットを解体せずにそんだのではという印象をうけた(もちろん描いているのは決して綺麗な事件ではない。し、ぶれぶれだったら良いというのもおかしいけど)。
また、同じ日に同じ殺害の場に居合わせた10人であるが、彼ら同士の横のつながり・現在の様子が特に描かれない。そんなところをもって、これは筆記の証言集の録画だなと納得した。




このポスター・・・。それって雷じゃん

『雲と気流』 『富士山 雲の動き』
資産と時間にまかせ、雲の研究にかけた伯爵・阿部正直が記録した雲の映像。
『雲と気流』は音声による説明交じりの映像教材。
2作目は、時期的には先に撮られたもので、サイレント。
雲の型と名称が画面上にあらわれたあと、富士山にかかる雲の映像が流れ、それが何十パターンとつづく。
モノクロだからこそ、雲が生物・無生物のようにも見え、あたかも這って進む何かなのか、山火事でも起こっているのか、想像しながらぼんやり眺めた。

きのこみたい。さすが菌類
『真正粘菌の生活史 ~進化の謎・変形体を探る』
粘菌について詳しくなれる。
好評を受け、再々度のアンコール上映らしい。
なぜ粘菌はそれほど好かれるのか。


『無音の叫び』
山形の百姓、木村廸夫の生き様を描く。
社会・国家・とりわけ反戦への思い。日本の農業に対する警鐘。東北方言!

雪深く山。1年の半分にわたる関東地方への出稼ぎ。能登を思った。

ゆふいん文化記録映画祭

6月24日(土)半日だけですが、映画祭に行きました。
参加者は、モコ、テラス、きぞく。

映画を観ていて、ふと、テレビっぽいなと感じる。
感じるのだけれど、なんの要素からテレビっぽいと感じるのかよくわからない。

ナレーションの入り方か。
カメラが妙にきちんと人物を枠に入れて撮っているからか。
言葉による説明が多いからか。
撮られている人との関係の深みみたいなのが分からないからか。

テレビっぽいのが悪いのかどうかも分からないけれど、何がドキュメンタリー映画なのか、ということに関わっているのかなとも思うので、ちゃんと考えたい。

それとは、別に、撮った人の思い入れみたいなのが伝わってくる作品は好きだなと思う。
今回見た中では、雲の映画はとてもよかった。
ただし、事前に撮影した阿部正直さんのことを聴いていたからこそ、楽しめたと思う。
ほとんどの人が富士山に雲がかかるとガッカリする中、彼だけは、ワクワクしてそれを最新の機器で撮影していたかと思うとおもしろい。

最後の作品は、終わった後のトークでは、撮られる側との距離が取れていてよかったというコメントがあったけれど、トークで出てきたような人柄が映画からはよくわからないのは残念な気がした。撮られる人の魅力と監督が伝えたいテーマといろいろ要素がありすぎると、それをまとめるのは難しいので、何かをそぎ落とさないといけないのだろうけれど。撮られる人の魅力をそぎ落としてしまうのは、残念な気がする。


2017年6月22日木曜日

むびら

ひとくわ農場での田植えを終え、車で一時間かけて秘密儀礼の会場に向った。

私たちがつく頃には用意終わってるかなと思ったけど、ドームはまだ立っていない。
棟梁たちが一本ずつフレームを持って、さしていく。これが一発で成功したらとてもかっこいいと思うけど、あまりうまくいかず・・・。

ムビラの話は聞いたことあるけれど、演奏はCDもふくめて聴いたことなかった。
トランス状態になるとか、儀式だとかいろいろ聞いてなんだか怪しい。

シンボッティ氏の登場は、なんだかオーラが溢れていた。
でもびわをあげたら普通によろこんでくれたので、すこし安心。

夕暮れの海で、焚き火とスタードームのもとで聴くムビラは間違いなく最高のセッティングだと思う。

トランス状態なのか、眠っていたのか、夢をみていたのか分からないけれど、どこか遠いところにいってしまうような感覚だった。同じ日に田植えしてたからなのかは分からないけれど、演奏を聴いていたらずっと田んぼの風景が頭から離れなかった。

演奏が終わった後の食事も楽しかった。築城でたくさん食べてきたはずなのに、またモリモリ食べてしまった。満腹になって、いろいろおしゃべりして、スタードームに泊まる。
とても盛りだくさんで大満足の一日だった。

旅と音楽


チョコリンガーズが大學堂にやってきたのは、かれこれ・・何年前だろう?当時、あゆむくんと修平さんは京都からヒッチハイクで来た。ジンバブエでムビラという親指ピアノの楽器の修行をして、ヒッチハイクで演奏の旅をしているという二人は、大學堂をやっている大学生とほぼ変わらない年のころの若者だった。

そのときにきいたボロ屋の市場にひびくムビラの音は、やさしい雨の音と混ざって、地下世界にどんどん染み入っていくみたいであった。実際には雨は降っていなかったかもしれない。しかし、たしかに梅雨のモワモワとした濡れた空気の感じがあったことと、ピーコとユーケーのイカしたデザインのフライヤーの絵が、ムビラの音をきくと今もはっきりと思い出される。

こんな素敵なチョコリンガーズには、またすぐに大學堂に来てもらおう!と、みんな意気込んでいたけれども、北九州での再会にはこんなに時間がたつことになるとは。


最初、大介からシンボッティ・ツアーを呼ぶと聞いて、会場は大學堂を想像していた。ほどなくして、ムビラにふさわしい野外を予定していると聞き、それは最高のセッティングになるだろうと思った。

いい場所を探して、野営をすることができる。そして翌日には跡形もなく立ち去るのだ。これぞスタードーム・ノマドの醍醐味だ。目の前には海(もうちょっと魚のいる海だったらもっと最高だったけど・・)、スタードーム、そして焚火。離合集散と秘密儀礼。

民族としては、一言でこの違和感は言えないけれども、昨今「ぼっちのすすめ」の本が売れたり、「観光客の哲学」が注目されたりと、汲めども尽きない消費の欲望を軸にした自由は、莫大なエネルギーを食ってなお空虚なのではないかと思えてくるのだ。

「共感」の感情は人類に根源的だからといって、そのセッティングはカンタンではないのだ。だから文化的多様性が星の数ほどある。作法において、共通するエッセンスを抜いて分析することはできるけど、環境と技術、歴史と文化の文脈が合わさると組み合わせは無数になる。そしてその多くは言語などと同じく、今日もどこかで絶滅に瀕しているのだろう。

人類学ゼミよ、ありがとう。
これまでの最先端の民族の研究があますことなく表現された場に参加することができたよ。


ところで、私は今年3月に生態人類学会に参加したときに、大阪であった修平さんのムビラライブに足を運んだのだ。そのとき、修平さんはシンボッティの音の凄さについて興奮気味にこう語った。野球で例えるなら、シンボッティがプロ野球のすごい選手だとしたら、僕は野球がまだできない幼稚園の子どもくらいのもの、いやそれもまだ違う、僕をよく言い過ぎだ、うーんと、地面に落ちている砂粒の、その砂についている小さな微生物ぐらいのもの、それが僕・・・そのくらいシンボッティと僕とのあいだには差がある!

えっ、そんなに!!

螺旋階段を一定ペースで下るように落ちていきながらその言葉を反芻したが、私にはわからないのであった。すぐに反芻する言葉は別のものになって、いろいろが粒のように想起されては消えていった。座っている砂のひとつひとつはかつて生きていた海の生物の死骸の粒粒で、粒粒をパズルのように綴ったムビラの音にどんどんうまく合わさっていくようで、とても気持ちよかった。


おまけ
かつて「恋人たちの聖地」になる前のはまゆう公園では、鼻笛おじさんが鼻笛をぷーぷー吹いていた。

てくすと

昨晩はMovie Night

作品は「ちいさな哲学者たち」

パリ郊外の幼稚園のあるクラスで2年間行われた哲学の授業をおったドキュメンタリー。

映画の中ではちいさな哲学者たちが真摯に難題に向き合う。

「愛」とは「大人」とは…2年間を通じて、まさに知を愛する過程が描かれている。

大きくなると、なかなかどうしてこういう難題に素直に向き合えなくなったりする。

さまざまな刺激的なものがすぐに手に入ってしまう世の中で、私たちは消費の達人になっていく。

消費は簡単で、楽しい。

映画の中で、ある園児が親に物乞いをする人になぜなにも与えないのかと聞いたとき、言った。「どうでもいい、遅れてしまう」

消費は簡単で、楽しい。そして時々、時間が足りなくなる。

与えられ、受け入れ、与えられ…

有限な私たちの時間が誰かわからない人たちによって与えられたもので消費されていく。

そういえば、今日、会議のとき消費と創造の話がでた。

どんなにへたっぴでも、消費するより創造する人間であること。

それが野研の真髄であり、私たちの原動力らしい。

まだまだぺーぺーな私はその真髄に小指でさえ届いているのだろうか。

そういえば、文章を書くっていうのも創造だ。

誰から与えられるわけでもなく、自ら欲して、こうしてテクストを織る。


うん、消費の達人より創造の達人の方がずっと楽しそうだ。






想起させること

 魚のいない海には、こんなにも魚がいないのか。
これまで魚のいる海にばかり潜っていたことが、よくわかった。3人がフル装備で潜ってメバル1匹。恋人達の聖地の先に広がるのは、死の海だった。
 変化のない浜を泳ぎ続けて、体に塩と疲れが残され、さらに予定外の食糧難となる。いつか来た国民宿舎で塩と疲れをとり、いつか行ったちゃんぽん屋を目指す途中、謎の地鶏屋へと吸い込まれた。1000円で一時間地鶏食べ放題という見たことのない料金体系の店だった。注文後45分ほどして最初の肉が来た。一時間を無視して東雲さんとどんどん鶏肉を注文し、予想外に満腹となった。そして、浜に戻るとさらに大量のビワが・・・。儀礼を前に胃には食べ物がたまっていったのであった。

 到着してすぐ、シンボッティは海をみていた。60代になって初めてみる(?)海はどんなものなのだろう。一人で海をみているシンボッティにビワを渡しに行くと、「初めて食べる果物だ」と喜んでくれた。
 きのこや大介がするムビラの話を何度も聞いていた。「チョコリンガーズは面白い人たちで、ヒッチハイクで小倉にきた」「ムビラは大學堂のシャッターに共鳴して、トリップ感を生み出した。不思議な音楽だった。」話やCDでしかきけなかったその音を、ようやくきくことができる。それも、いきなり彼らの師匠の音を。海とスタードームと焚き火のもとで。
 ちいさな無数の貝殻の上でスタードームに包まれ、ムビラの音はからだ中に充満していった。ムビラの機能は「Remind(想起させること)」。なんどもなんども同じ旋律を繰り返すようなのに、一度として同じ瞬間がない。儀礼をすすめるにつれ、螺旋階段を登るような降りるような不思議な感覚になった。ニューギニアで歩き回ってヘトヘトになった一日の最後に、ショーティの話を半分眠りながらきいていた時のことを思い出した。ショーティの話は、きいているその話の中へと溶けていくようだった。想起とは経験の中へと溶けていくような体験なのかもしれない。
 儀礼が終わって、シンボッティと話した。僕のジンバブエのイメージはハイパーインフレぐらいしかなかったけれど、シンボッティの話すジンバブエはどこでも焚き火ができる、トウモロコシ畑の広がる大地だった。

2017年6月21日水曜日

mbira

揚々用意

茂み繁り吹き

儀礼まえ、儀礼

地平な儀礼

私的に儀礼

夏のはま鳴るムビラ





熱い太陽が容赦なく照りつける海辺にスタードームを建てる。

スタードームを建てるとスタードームが出来上がる。

スタードームが出来上がると演奏者も聴衆も集まり、儀式を始める準備が整った。

儀式が始まる準備が整ったら演奏者のシンボッティ師匠とシュウヘイ弟子によるアフリカのジンバブエに伝統的に残る楽器「ムビラ」の演奏が始まった。

「ムビラ」の演奏が始まったら聞こえてくるのはムビラの言葉では表現できない不可思議な音と波の音だけが響き、スタードームの中は独特な雰囲気に包まれる。

包まれるというよりこちらからムビラの音の中に入り込んでいくという感覚。

感覚は研ぎすまされ、周囲の音も気にならないほど聴覚はムビラの音だけに集中する。

音だけに集中すると次第に意識が現実の世界を離れるような気がして、気づいたら曲が終わっている。

曲が終わっている・・・・、いつの間に。

いつの間にか夕日も沈み、火の灯りだけが見えるようになった頃、演奏も終わり、現実の世界に一気に引き戻された。

引き戻されたらいよいよ演奏者と聴衆が一同に宴を始め、美味しい食材に満足しました。



自ら入り込んでいってしまうような音楽、素晴らしかった。

MBIRA NIGHT

秘密の入り江で秘密の儀式

太陽信仰か、音楽信仰か

夜も更け、空間と溶けていく人々

 儀式は一晩中続く
  
下界でも秘密の儀式をしていた
供儀を用いて繁栄を得るのだ

ドームを作って準備してくれた野犬のみなさま、お誘いくださった竹川大介先生、ありがとうございました。とても貴重な経験でした。
車で送ってくれたうぃらぽんさん、ありがとうございました。

さようなら西洋の音楽よ

民族音楽はとても好きだ。

西洋音楽には見受けられない、土着の独特で至極複雑なリズム、心地よく或いはどこか未知の空間に飛んでいってしまいそうなチューニング、どれをとっても非常に非凡な、そしてその場その瞬間でしか生まれない、味わえない空間に自分が取り込まれていくあの感覚がとても気持ちいいからだ。

とりわけアフリカのリズムはとても心地よいのに、理論的に聞くととても複雑で、そして正確なものであるため、とても勉強になる。

その感覚に陥ることを夢見て今回参加したわけだが、シンボッティの音が振動として伝わるや否や、僕のその考えはとても浅薄なものだと気づいた。




「これはライブではなく、儀式である」

と頑なに言い張るシンボッティ。

これまでほとんど娯楽として音楽を楽しんでいた僕にはあまりに新しい感覚である。

なに。儀式って。

なんだか難しい心持ちで1曲目を迎えたわけだが、次第にわかってきた。

“なにかと一つになっている”

それは自分自身でもあるし、シンボッティと、ムビラと、或いは地球そのものと。


気が付けば身体が揺れていた。
音の振幅に、それとも後ろの波の振動に、なのかはハッキリとわかる術は無いが、とにかく揺れているというより、揺らされている様な、そんな感覚。


うーん。ヨカホエ。


シンボッティヨカホエ。



ひとくわ農場の田植え(築城)

今月は田植え強化月間。
ムビラの直前にモコといぼりと築城にあるひとくわ農場の田植えに行ってきた。

GWの時にもぐさんの豊の会が主催した野草を食べる会でひとくわ農場のご夫婦、イッキさんとトミさんに出会った。お二人は鶏の平飼いをされている。自分たちで野菜や果物を育て、水は井戸水を使い、お風呂のお湯は日光で温め、自然と調和した、自給自足の生活をしている。野草の会の時に野研が今年田んぼをつくる話をしたところ、今回の田植えに誘われた。今回の最近なんだかこういう話に会うことが多いなあ、と思いつつ、北方シネマで次上映する「人生フルーツ」の話をした。お二人は東田シネマでスタートラインを鑑賞しており、「抗い」を見るのを楽しみにしていたというが、残念ながら見に行けなかったらしい。人生フルーツはお二人の暮らしみたいな話かも、というと「どっちかというと桃源郷でしょう、ハッハッハ」と高らかに笑われた。桃源郷は自分たちを思い出してしまうから、見に行かなかったそうだ。

さて、ひとくわの田植えは。
棚田になっているところに、3畝の田んぼが3つ。本当は5段の田んぼがあったそうだが、現在まで稲を育てているのはそのうち3つだ。


17日土曜日は、苗床に育てられた稲を抜き、ひとつかみのサイズにしばっていくこと。ビールケースに座ってみんなでおしゃべりしながら作業をする。全然進んでいる気がしないのに、12時のチャイムがなり時間の速さに驚く。田んぼよりも格段に多く、多種多様なクモがいて出会うたびにプチパニックになり、手に持った稲を泥に投げ捨てちゃったりしてその度にモコに冷たい目で見られる。


1日じゅうその作業をし、5時で仕事を終え晩御飯の準備。
いちにち太陽の下で働き、夕方家に帰りごはんのしたく。7時には食べ始め、ゆるやかにおいしいものとお酒、会話をたのしむ。この上なく心に贅沢な暮らし。



にわとりの燻製、平飼い有精卵卵を使ったニラ玉。玄米ごはん、トマトときゅうりのサラダ、天然酵母パン、薬草茶、手作りジャム(甘夏、野いちご、ブルーベリー)、カレー、ぬか漬け、アスパラと人参、チキンソーセージ、手作りビール、どぶろく、40度と60度のいも焼酎。


鶏のはなし。
前はトリにトウモロコシ飼料をやっていたけどちょっと前から発酵カスと飼料米、おがくずなどをまぜたものをやるようにしたらしい。大きなかくはん機で1週間分をかき混ぜる。触ると発酵していてあたたかい、というよりもむしろ熱い。50度くらいあるらしい。部屋はバナナのような香り。最近鶏があまり卵を生まないようになってしまったのは、おがくずを木材チップに変えたことで木が消化できないからかとイッキさんは気を揉んでいた。


田植えいざゆかん。
私たちが泊まったのは写真右半分に見える手作りログハウスの2階。


田植えいざゆかん2。いい写真じゃない?


子供相当飽きっぽい。
ぶーぶー文句言いながらなんだかんだ頑張った縄文人よりも早く飽きた。田植えよりも泥で遊びたかったのだろう。「もうしないし」「こんなん永遠地獄やし」「まじイジメや〜イボリとてらすにいじめられてる」とか言いつつ、励まし騙しでのせると、なんと3畝の田んぼを子供と私たちで1時間かからず終了した。早かった。



先祖に思いを馳せる

ムビラは、一時期大學堂の1階に置いてあったので手にしたことがある楽器だ。カヌーで日本1周をしていた海旅一座の鈴木カツさんが、「また来た時に持ち帰るから」と大學堂に預けて行ったものだ。それは両手で持てるほどの大きさで、銀色の細い鍵盤が表面についていた。秘密儀礼で目にしたのは、ふとももにのせて胸の高さほどもある大きなものだった。しかも、楽器の背面や側面に小さなシンバルのようなものがついており、演奏するとそれがシャラシャラ音をたてる。音の高低も、シンバルのベースもあってか、大學堂で遊んでいたムビラとは違う音が奏でられた。

心地よい音、それはムビラ自体の音もそうだし、時々挟まるシンボッティのつぶやきのようなこえもだ。最初はそれが彼の口から発せられているとは気づかなかったが、聞きなれると時々挟まるその音がまた心地よい。多くは自分の手元を見ていたシンボッティだったが、時々私たちを見回す。私たちをみていたのか、そうではないものをみていたのだろうか。

演奏途中、心地よすぎたのか多くの人が眠りに落ちているように見えた。いや、きっとあれは先祖との交信だ。後方にはガクガク揺れながら何かと静かに対話している人もいたのだし。

一番聴いていて心が盛り上がったのは3曲目のこどもの曲。子供が間違った道へ行かせないように、いい子に育っているか、悪い子に育っているか、を聞く曲。はじめの雨乞いや、2曲目に比べると明るい曲だったように思う。4曲目、狩りの演奏の時は、自然とまぶたが落ちてきて、寝ているわけでもないけど起きていて現実にいるわけでもないような流れの中に身を任せていた。激しい曲に乗せられてトランスするのとはまた別の気持ちよさがあった。

わたしは演奏を聴きながら、先祖との交信というよりはシンボッティさんの自分の国、自分の村での暮らしはどんなものなのかといったことや、なぜだかサラワクの村で今生活をしている最後の世代の人たちのことを思い出していた。まだ伝統的な儀礼が忠実に信じられているところと、信じていた人を見ていながらも、それとは違うものも受け入れたひと、そしてその暮らし。今おじいちゃんに向かっている人達がこれから先祖になっていくことなどに思いを馳せた。

シンちゃんは魚よりも肉が好きで、アルコールはワインでもサケでもなくビールが一番だと言っていた。演奏後、飲み食いする人々には加わらずドームの中の椅子で過ごすシンちゃんを見て、まだ儀礼の心が残っているからだろうかとか考えたが、後半シンちゃんの話を聞く人の輪に加わると、これから冬になるというジンバブエは「So Cold!」だと連発していて面白かった。


私たちが準備した会場は他の会場とはまったく違う演出だっただろうけど、楽しんでくれただろうか。(てらす)


H29-6-18
浜辺でムビラを聴く音楽会
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竹川先生のお骨折りで、不思議な音楽を経験しました。ジンバフエ人の「師匠」と日本人の「弟子たち」が、民族楽器のムビラを合奏し私たちは神秘的な高揚感を味わいました。
少年の頃アパルトヘイトで有名だった南ローデシアも、今ではジンバフエという国名になっているそうです。生まれて初めて見たジンバフエ人は、日常的に英語を話す人たちのようです。「師匠」はジンバフエ北東部に暮らすショナ族の出身で、ムビラはショナ族が先祖の霊や精霊と魂を通わす神聖な楽器だそうです。「師匠」は演奏曲をごく普通の生活事例から説明しましたが、聖書に基づく話(ソドムとゴモラやサムソンとデリラ)が多かったのでクリスチャンかもしれません。それでも「師匠」の語った幸福観(幸福は天国からでなく自身のハンティングで掴むべき)には、遊牧民由来を感じさせられました。

 四分割スタードームが音楽堂になり、天井と海側のシートは開放されています。演奏者の「師匠」と「弟子」は崖側に座り、私たちは演奏者と向き合って車座になりました。ムビラの外側は大きなカボチャの半分をくりぬいた形で、反響容器を兼ねているはずです。ムビラの内側は見えませんが、長さの異なる金属弦を指で弾く小型ピアノを想像させます。「師匠」のムビラと「弟子」のムビラは、ギターのベースとリードの関係であるように感じます。ムビラの音楽は美しく涼やかで心地よい一方、「師匠」の右側(私たちの左側)から不思議なノイズが感じられ、このノイズが私たちを熱くさせ心を高揚させました。数曲の楽曲のうちファイナルの曲が最高でした。単純なリズムの繰り返しですが、ノイズの他に二つのムビラがハーモナイズして、生涯忘れられない感動となりました。
 同行者の都合に合わせて音楽堂に直行直帰したため、「弟子たち」とムビラの出会いについての語りを聴くことができませんでした(どのように心を捉えられ、どのような修行をしたのでしょうか)。約二時間演奏し続けた「師匠」のエネルギーにも感動しました。


                   

ムビラと海とナントカと。



6月18日・日曜日は父の日、ということで秘密の儀式において父祖などなどに思いを馳せてきました。
アフリカから来たムビラ奏者シンボッティ師匠は、コンサートではなく儀式のつもりで演奏するのだという。儀式で演奏する人はジンバブエではなんと呼ばれるのだろうか。
シンボッティ師匠とそのお弟子の方々が使うのは、洗面器くらいの大きさで、周りにタンバリンの小さなシンバルみたいなものがついたムビラ。いわゆる親指ピアノの部分だけではない、大きめサイズのムビラだった。わたしは両手に収まるサイズのムビラのイメージしかなかったので驚いた。

儀式は師匠と、お弟子さんの二人で行われた。お弟子さんのお話をすくい上げるように師匠は演奏をはじめる。
繰り返され、波のように訪れては去っていくリズムと取りどりの音たち。
ミニマルミュージックはこんな音楽に影響を受けて生まれたのか、西洋の音楽家たちがやることなくなって元の形を思い出したのか。
わたしは思ったよりも上の空状態になれなくて、たぶん踊ったり自分が演奏したりするほうがもっと強烈にどうにかなれちゃうのにな、と思った。

シンボッティ師匠は、生き残るという表現をよく使うとお弟子さんはいう。
生き残ったみんながいてくれてうれしいなって考えています。

秘密儀礼でふわふわ

夕日の沈む海岸で、お星さまのテントに集まって、不思議な楽器を使ったら、心がふわふわ秘密の儀礼。


写真を撮るのも忘れて、耳を傾けていると、ご先祖様の声がする??

最初は海から出ていたお日様が、気づいた時には海で寝る準備をしていた。
時間の感覚も、意識もふわふわになる、そんな不思議な儀礼。

トランス状態にまではならなかったけど、気持ちよくて何かが見えそうだった。
CDでも聞くとふわふわになるので、どんどんふわふわして、シャボン玉になりたい。

私のお気に入りは雨乞いの儀礼。ムビラの独特の音で、ほんとに雨が降るかとひやひや。
昨日からようやくふりだした雨は、まさか…??


ふわふわの音と、ふわふわのシャボン玉。たくさんのふわふわで幸せ

2017年6月20日火曜日

秘密の儀礼

2017618()
秘密儀礼
精霊との交信

日暮れ前、儀式が始まる


音楽を奏で、火をたいて精霊を迎える


ここが入り口


日が暮れる


ここが入り口


ようこそ
ここは地球
地球へようこそ


儀式は終わり人々は帰っていった



ムビラによる秘密儀礼


2017年6月9日金曜日

代掻きアンド田植え、そしてその後


先日ちょう!きつい代掻き・田植えをしました。

「田んぼで走って遊ぶだけやろ」
「あの狭さならすぐ終わるわ」
1ミリもそんなことなかった!!!
なめてました、農耕民。すっごい!きつかった。
筋肉痛と日焼けがひどい。とくに、太もも・首から背中の日焼けは沸騰したお鍋の蓋を開けて火傷した時よりもひどいという具合です、イテテ。

それでも、とっても楽しかった代掻きと田植えでした。
代掻きでは、わたしはテラス・サブマリンと少し遅れて参戦。
すでにトヨトヨの田んぼでは、エキサイティングなゲームが行われており、すでに泥もぐれのラガーマンたちが。

試合では、容赦無くお互いをボールから引き剥がしあい、ルール
ほぼ無用のブレイクダウンでした。腰にタックルされたら絶対倒される、イボリのタックルは力強いものでした。テラスのくすぐりも効いた。


1日あけて、今度は田植え。
代掻きはきつかった、だけど田植えのほうがきつかったです。
どんごろすを華麗に着こなしたイボリ女王・なんばん・てらす。
そして南の島からの貢物の数々とドレイたち。
なんだか風格のあるテラスの写真が撮れたよ。



田植え前半では、田んぼの縦の1列全体をやろうとしていたけど、それでは一人一人が田んぼの中で移動しなければならない。でも縦1列を半分にして、それぞれが手の届く範囲だけ植え・後ろに下がる、というのを繰り返せばとっても楽になりました。
やはり、おしゃべりする近さ・余裕があればとっても楽しい!大きな声を出して、田んぼミュージカルとなりました。節をつけると、なんだか愉快な気持ちに。どうしてそうなるのだろう。

きのうお久しぶりなキノコとアルパカが話していたけど、長期的な目標に向かって単調な作業をするってなかなか大変。きっと、その場での成果を感じられないものには、そのものを楽しむ工夫をしなければ続かない。そういうふうに初めから割り切れるほど頭良かったらよかったのにな、と人生の反省をしています。

2017年6月8日木曜日

豊葦原の瑞穂の国の神田「豐とよ(トヨトヨ)」

豊前のこのあたりには、京都郡苅田町神田町や行橋市神田町などの神田の地名が数多く残っています。野研の2年生イボリは、独自の研究により豊葦原の瑞穂の国がここにあったことを確信し、古代米の稲穂を復活させる決心をしました。

その神田の名は「豐とよ(トヨトヨ)」。稲作経験ゼロ。弱冠19歳。多くの人から、縄文人に稲作は無理だ、しかも古代米とは、といわれる中、ついに神代からの稲籾を手に入れ、苗代までつくりました。


「古代米の稲穂がこう! 一面にバアーッと」とイボリは夢を語ります。

参考文献:「ぼおるぺん古事記」「夏子の酒」

これが縄文流、田起こしだ

いよいよ今週末は田植え。
その前に田起こしと代掻きをします。
田起こしとは水と土を混ぜふかふかにする作業です。

弥生人から稲作を習ったばかりの縄文人も、
こんなふうに田起こしをしてたのかな?


さあ始めよう


なにかがフィールドに投げ込まれました


みなでおいかけます





かなりはげしく田が起こされていきます




ここでハーフタイム




田起こし後半です


なにかのスポーツによく似ていますが、



玉せせりといって



今年の豊作を占う神聖な伝統儀礼とのことです




ここでノーサイド



10対9で東組が勝ったので今年は豊作です


田起こしの後は代掻きです


神聖なるフィールドに豊穣への祈りを込めて



こうして田起こしと代掻きが終わりました



いよいよ今週末は田植えです


みんなきてね