2018年8月27日月曜日

25キロのクエが棲む海

台風で前半しか潜ることができなかったが、この島はどこで潜っても魚がいそうな雰囲気だった。地元の方によると、昔はもっと海藻が茂っていて魚も多かったそうだ。

観光地になっていない適当そうな浜辺で潜ってみる。潜ると小さなクエがそこここで顔を出している。
最低でも食事する分だけは獲ろうと思い、1日目はタカノハダイをどんどん突く。
2日目は、目をつけていた大きな岩場の近くから潜る。岩場に行くと、狙い通り石鯛が数匹まわっていた。今年はなかなか石鯛のいいサイズのものが獲れていなかったが・・・まわっていた石鯛の中で一番大きいサイズを突くことができた。クチグロ!

クチグロは刺身に、アコウとクエは汁に、残りの魚は全て魚カードにした。二日間で獲った魚は調査の最終日まで食べることができた。

2018年8月20日月曜日

モンチといきなり海に行く

モンチといきなり海に行った。
ほんとうに久しぶりのおばあさんの浜。おばあさんはもうなくなったのだろうか、娘さんはおぼえていてくれた


もんちは手づくりの銛。昔に比べてすこし銛突きもうまくなっていた。海は良い感じ。少し濁っていたけれど魚影は濃い。カワハギがたくさんいた。


おばあさんの浜は、浅いしアプローチもしやすいので初心者向きだと思う。8時半に海に入り11時半にあがる。獲物もたくさん獲れたので早々と午前中に切り上げた。


にいなの大将がフグよりうまいと言うカワハギを、薄く刺身にひいた。よくばりすぎて、皿の上がさしみで二重になった。

ちくわ君、師匠さんとのデートを楽しむ。Ⅱ

 こんにちくわ君です。Ⅰの投稿から数日たってしまいました。確か、門司のパゴダに行くというとこまで話しましたね。では、どうぞ。
 
 平家の塚を見て満足した我々は、ナビゲーションシステムと師匠さんの記憶に案内してもらいながら、パゴダに到着。

↑人がいる気配のない事務所。寂れてる…?

↑大きい

↑階段のわきには日本式の灯篭が。日本とミャンマーのコラボ。

↑入口。両脇に狛犬みたいなのがいる。これもコラボ?

↑中。日本とミャンマーがごちゃ混ぜだ。

↑たくさんの墓標。手を合わせてきた。
 私が、うへへうへへと散策し写真を撮りまくっている間、師匠さんは掃除していたおじさんと喋っていた。関西弁のそのおじさんは、ここの管理人らしかった。少し前、鳥取からお参りに来た人たちがいたそうで、私が鳥取出身だと聞いて、何か思うことがあったのだろうか、案内してくれた。
↑この人。(うわぁブレッブレだ)

↑ここで修行したり、一般の人も講話を聴いたりできる。
定期的に開講してるそうだ。
 ↑僧の食堂

↑寮みたいなとこ。たくさん部屋があるけど、今はクモの巣だらけ。

↑僧院の中にある礼拝所。雨漏りしてる。

↑托鉢用の器。最近は托鉢する僧はいないとのこと。

 と、各施設を案内していただいた。師匠さんはひたすら雨漏りの改善方法を語っていた。時間は三時ごろ。とても暑い。気を配っていただき、少しお茶をよばれることに。食堂に案内してもらった。師匠さんは、渋っていた。が、私はごり押した。なぜなら、本物のビルマ僧に会えると聞いたからだ。
↑左がビルマ僧。右が私。

 ここのビルマ僧は、三年で交代らしく、写真の彼は、二年目。日本語ほとんどしゃべれない。スマホ越しの通訳を介して喋ったが、なかなか伝わらない。紅茶がおいしかった。ミャンマーから、送られてきたモノホンの紅茶らしい。(おそらくインスタントだが)
↑師匠さんは高評価。

 師匠さんが、雨漏り改善話の無限ループに入ってしまったので、帰り時かと思い、グイっと紅茶を飲み干し、パシャパシャッと記念撮影して、そそくさとドロン。車に戻り、小倉へ。このまま帰る感じかと思いきや、、、。
 
 知った道だと師匠さんの案内だけで小倉に戻る。案内のままローソンに車を停める。なぜだろうか。実はそのローソンの隣に小さな小さな横穴式石室があるそう。寄ってみた。
↑これがそれ。めちゃくちゃ街中にある。おどろき。
    
 だいぶん西日が強くなってきた。暑い。そうだアイスを食べよう。ということで、ローソンで爽をおごってもらい。クーラーのきいた車内で食べる。頭キンキン、体ブルブル。師匠さんは暑がりなのだろうか。そんなことを考えていると、隣から「もっと大きい古墳は見たくないか」と聞こえる。ここから一時間くらいのとこにあるのだという。時間は17時手前。朝8時30分から運転しっぱなしで疲れてるし、小倉に20時までに返さなければならない。体力時間ともにギリギリだ。断ろうかと思ったが、ニコニコしながら話す師匠さんを見ると、申し訳なくなり行くことに。
 
 師匠さんの案内で、田川市まで行く。北九州市とは雰囲気が違う。道中故郷が恋しくなった。本当に1時間弱運転すると、着いた。小学校に。古墳が小学校の横にあるなんて考えもしなかった。近くに車を停めフェンスを抜けると。

↑これが入り口。とてもでかい。

↑国指定の遺跡だ。

↑橘塚古墳というそうだ。

↑古墳内から見る師匠さん。おそらくどや顔でこちらを見ている。
  
 こんな大きな岩をどうやって運んで積んだのだろう。小学校の教科書でイースター島のモアイ像についての話を読んだ時を超える感動と震え。大きなものを見ると、畏怖の念を覚え体がぶるぶる震える。でかいのすっげ―、かっけー。
 
 時間も遅くなり、見たいものは見れたので、帰ることに。その途中、スーパーでお寿司をおごってもらう。晩御飯だ。ありがたや。師匠さんを北九大に送り、私はレンタカー屋さんに19時30分ごろ車を返却。そして、そのままアルバイトとしてレンタカー業務を手伝うちくわ君なのであった。(ちゃんとタイムカードは切りました)

 以上が、私の夏の思い出でした。今度は行橋の廃寺群を見に行こうと誘われてます。しかし、それは二人ではなく、三人となる予定です。おそらくまた私の運転ですので、話し相手が、分散するのはありがたい。(運転に集中できるという意味で) 

 では、また。

2018年8月19日日曜日

対馬米蜂旅

対馬組は2日目の調査を終えました。
国道沿いに走るだけで次々と蜂堂が目に入ってきて、初日から濃い蜂飼い達に会っています。
衝撃の一言は「蜂を増やすのは簡単だが、減らすのは難しい。ミツバチを愛するならミツバチを殺せなければならない。」
詳しくは帰ってから追記します。写真も後日。
2日目の今日は、日本最古の水田を復活させようとする、川口さんに会いました。もともとアイナメの研究者だったそうです。魚部もあってみたらいいかも。

おしゃべり憲法バー 学問の自由


こんにちは、メンバーのとめです。

今月の16日に「おしゃべり憲法バー 学問の自由」を開催しました!
ご参加くださったみなさま、誠にありがとうございました。
予想を超えた盛り上がりを見せ、とても充実した時間を過ごしたと思います。

しかし実行にかまけて、写真をぜんぜん撮っておらず、ショックです。
参加した皆さまからの報告もおまちしております( ´ ▽ ` ;)

始まるまでかなり不安もあったのですが、学生さんも一般参加の方も、気さくな弁護士さんたちと大いにおしゃべりしていました。
こういう景色が増えていくことが、「学問の自由」を開催した理由なんだなあ、としみじみ思いました。
ここでは主催である朝隈朱絵弁護士に、代表して感謝申し上げたいと思います。サンキュー!

学問の自由を開催するにあたって、いろいろなことに悩みましたが、いろんな人に協力していただきました。
まず、学問の自由という題名がとてもよかったと思います。考えてくれたデザイナー・DADAに感謝しております。
センスあるなあ。毒気を抜いて、遊び心、そしてポジティブ。

言いたいことはいろいろいろいろあるのですが、とりあえず、次に繋がりそうなことを書いておこうと思います。
↓↓↓↓


今回改めて考えたのは、弁護士とは頼れる法の専門家であるということだ。

弁護士さんたちは、当たり前だが普通の人間で、しかも今回大學堂に来たのは若手の方たち。こんなにたくさんの弁護士さんたちを一同に目にするのは久しぶりだけど、歳も近くて共感が持てる。独特の雰囲気が醸成されることさえも当然と思えるし、彼らは普通の人たちが集まった独特の職業集団なんだ、という実感を持つ。

「何で悪い人を弁護するのかって聞かれるけど、加害者っていうのは本当に普通の人」
「冤罪事件にはなかなか当たらない」
「でも私はあった、もうすこし私ができればなんとかなったのではないかと思った」
「自分はもう仕事としてやってるってだけですよ」

盛り上げかたがうまい人や、スライド発表がまずい人、口ぶりから想起できる事務仕事のリアリティと個人の生活。憲法の知識だけでなく、そういうものを感じるのも、参加者たちの収穫だと思う。弁護士さんたちがひとりひとりの人間であるということを知った上で初めて、自分と変わらない目の前の等身大の人間が、膨大で集中的な学びを経て身につけた専門知識への尊敬、日々の実務への慮りが生まれる。


同時にわかるのは、弁護士はヒーローではないという当たり前のことである。


どこから駆けつけてくれたのだろうか、1杯だけ頼んだおじいさんが質問をしてくれた。
長い質問だった。質問を要約すると、弁護士全体として、どういう社会貢献をして行くのか、何かやるつもりのことがあったら教えて欲しい、ということだった。加害者が虐待をされて心がボロボロになっているという実態、つまり社会構造に関わる犯罪など、そのような状況をどう打破して行くのか。話を聞いていて、おじいさん、犯罪についてよく興味持たれて、勉強されてるんだなあ、と思った。

でも私はあまり驚かなかった。大學堂をやってきてわかったことのひとつは、まちを歩く何気ない人々は、皆何かのテーマにとても詳しいということだ。誰もがそれぞれなんらかのテーマに興味を持った専門家であり、語るべきものを持っている。

おじいさんがこう質問したい理由はよくわかった。犯罪理由というのは複雑だ。弁護をして刑が決まれば満足というものではない。弁護士さんたちは、悪い人だって弁護をする、それが権利だし、保障だし、社会にとって必要なことだから。これは弁護士が社会で果たす役割のうち、最もスタンダードな貢献である。しかしながら、そもそもは彼らを生み出す社会に対して、包括的な対策や処方の必要性を感じている人は少なくないと思う。

これに対して弁護士さんたちからは、ダルクの取り組みが説明されたが、おじいさんが質問で強調したのは「弁護士全体」で取り組んでいること。
「弁護士さんたち、何かしないの?」という漠然とした、だけど切迫した質問であるように感じた。

おじいさんは多分、今の社会の閉鎖的・限界的な雰囲気を感じ取っていて、弁護士たちが「何か」やってくれるのではないか、と期待しているのだ。この期待は間違いでもなんでもない。学歴の高い人々は社会を動かす役職につく傾向があるし、同じ専門家として医者に社会変革を託すよりはずっと弁護士たちの方が希望がある。きっと男女平等も、より浸透しているはずだ。


つまり一般的には、「弁護士さんたちは、社会を何らかの方法でよくしてくれるはずだ」という期待がある。


一方で弁護士さんたちは、特に若手の彼らの実際は、毎日実務に追われる法の専門家だ。六法を紐解き、条文の細かい解釈を追いかけ、書類を作り、ある程度決まった弁論をする。もちろん個人差はあるし、志もある。だけど少なくとも、弁護士という資格を得るためにやってきた勉強は日本の法解釈学なのであり、社会構造や福祉、政治の勉強をしてきたわけではないのだ。


ある専門家ということは、別の分野では素人だということだ。


貧困問題や福祉制度、そして社会構造の知識がない弁護士さんだっていて当然だ。そして貧困、福祉、社会といった各テーマもまた専門化しており、そちらにはそちらの専門家たちがいる。
弁護士は法律の専門家ではあるが、法律を作る(立法)のは政治や官僚の仕事である。

しかしあのおじいさんの期待みたいなものは、決して的外れなわけではない。弁護士たちは社会システムの専門家でありながら、市井の当事者たちと密接に関わる数少ない業種なのだ。

ではあのおじいさんの質問に、どういう方向性で答えるのが良かったのだろうか。
急にDVや貧困の問題を「おまかせ」されても、若手の弁護士さんたちは驚くだろう。それらをどうにかするための勉強をしてきたわけではないのだから。

だけど、犯罪加害者を生み出している社会についての知識や視座は、必ず弁護士業にとって有益なものだ。現に弁護士さんたちひとりひとりも、今の社会状況のままでいいと考えている人は少なかったが、どうしていいのかわからない、という状況のようである。

ここは、おじいさんの質問にある「弁護士全体」のことはよくわからない、と正直にいったうえで、あの弁護士さんたちひとりひとりが、社会のために何をするつもりかを語ってもらったらよかったかもしれない。人生ずっと学びである。司法試験は終わったのだから、次は実際の社会のテーマについて学んでいただければ幸いだ。

そういう知識の積み重ねによって、将来、福祉専門の弁護士になったり、政治家になったりする弁護士が現れるかもしれない。そのための必要な専門知識を持つ人なら大學堂から紹介できるかもしれないし、知の交差点としてどんどん活用してもらってほしい。

道ゆく人々も、弁護士たちに「おまかせ」するのではなく、彼らの専門性を尊重しつつ、自分の専門知を提供する姿勢が大事だ。みんなのまちにいる将来有望な専門家に、大きな期待を寄せる人はたくさんいる。だから、その期待を実行に移して、知識を交換して贈与して、自分も学んじゃう。



つまり、まちの専門家を、まちの人々が育てるのである。


個人的な意見としては、ぜひ弁護士さんたちに人類学について知ってほしいな。私たちが従い、破っている法とは何か、それを作り出す人間とはどういう生き物なのかに疑問をもち、一緒に考えていきたいという弁護士さん、いませんか?

さて、学問の自由の第2弾は、「まちに育てられちゃいたい!」という弁護士さんを集めて、まちの人たちがレクチャーしたり、お芝居したりする企画はどうだろう?学生さんたちも、弁護士さんたちに向けて自分の興味を披露することで、いろんなことを問い直す機会になる気がする。それが誰のために何が実現するのかわからないけど、きっと盛り上がるのではないかなあ。

2018年8月18日土曜日

おしゃべり憲法バー・学問の自由

昨晩大學堂でおこなわれたイベント「おしゃべり憲法バー・学問の自由」主催が若手弁護士たちのためか、「みさなさん知ってますか?」みたいな感じで、多分に教条主義的なのがやや気になる。いつもこんなかんじなのかな?高校の授業みたい。


ちょっと立ち見をしていたが、いろいろと疲れていたので後半の議論に入る前に帰った。その後の議論はどうなったかな?


なにはともあれ、こうやって学生や若い人たちが集まって、当たり前の話として、政治や国家について語る機会があるというのはよいことだと思う。ただ、もっと面白ければ良いのにな。いつもいろいろなアーティストのパフォーマンスをみている私たちには、ものたりないかんじ?


せっかく太地の出張中につくったポスターとメニューだけど、事前に配られていたわけではなくて、弁護士の人たちも当日まで知らなかったみたいで、さらに画期的なこのドリンクメニューもあまり生かされていなくて、そこはデザイナーとしてちょっと残念。良くも悪くも、真面目な人たちなのだな?


大學堂のおとめはんは、よく頑張っていたけど・・・。風邪をひいているらしくしんどそう。もう少し役割を割り振りして、自分は全体の交通整理に徹したらよかったかも?

で、結局、肝心の議論はどうなったのかな、気になる。勤労と納税は国民の義務。会議と報告は野研の義務。

2018年8月16日木曜日

海のこと

7月15日、16日
7人で海に行きました。

野研での最初の活動でした。


初日は、夕方に先陣と合流し火を囲んで魚を食べました。



まず、魚がとれまくりにびっくり。そしてその魚のうまいことうまいこと!
特にバジルソースは焼き魚に最高に合うということが分かりました。



「海ってこんなに凄い所なんだ!!」というのが率直な感想で、
次の日がわくわくどきどきでいっぱいでした。

 
 
 
 
 
テントで目が覚めた二日目は、朝日がとてもきれいで天気の良い朝でした。
 
 
 
 
先にカヌーを組み立てた後、冷たい海につかりに行きました。
 
 
また、一通り泳いだりカヌーに乗ったりした後、潜り方を教わりました。
 
全く泳げない私は、海の水を摂取しながらも借りたシュノーケル、フィンとともに近くの岩場まで連れて行ってもらいました。
 
道中、間近で魚をつくところを見せてくれて感動しました。
 
 
 
 
帰り道は温泉につかり、アイスを食べました。

 
 
泳げないからと敬遠していた海がこんなに楽しいとは、、
次海に行く時くらいにはばっちり装備して今回より深くとおくまで潜りたいです。
 

 
 
 

2018年8月15日水曜日

ちくわ君、師匠さんとドライヴデートを楽しむ。Ⅰ

ちくわです。帰省中のまったりした気分で、夏の思い出を一つお話ししましょう。

 大學堂で働いていると一人のおじさんに出会った。野研のみんなから“師匠”と呼ばれているその人は、自身の広い知識と経験からいつも面白い話をきかせてくれる。毎週のように大學堂に来る彼とおしゃべりしていると、山口県に骨董市があるので一緒に行くことに。ついでに瑠璃光寺や朝田墳墓群を見に行くことになった。あ、門司のパゴダにも。
 
 そして8/5、デート当日。レンタカーを借りて、師匠さんとのドライヴデートが始まった。山口県まではカーナビゲーションシステムの力を借りて、すいすい。10時過ぎにパークロードに到着。が、骨董市が開かれているようには見えない。近くの施設に入り、骨董市について聞くとちょうど休みだったらしい。肩を落とす師匠さん。とっても楽しみにしていたらしい。骨董市はあきらめて瑠璃光寺へ。
 
 十分ほどハンドルを握り、瑠璃光寺に到着。傍に、幕末の建物が保存されていたり、資料が展示されている公園がある。まず、そこを散策。

↑ここは、一階が資料館のようになっている。
↑沈流亭の二階。教科書でしか見たことなかった書院造!

 そして、本丸の五重塔。師匠さん曰く日本三大五重塔で最も美しいという。
 ↑とても大きい
↑室町時代に建てられたのだという
 ↑美しい桧皮葺きの屋根。芸術的だ。
 
 山の麓につくられているためか、涼しい。とはいえ、季節は真夏。屋根のあるところで一休み。瑠璃光寺の本殿へ。
↑仏様にお願いすれば、心もボケも治してくれるらしい。
↑神社にある鈴と似たような用途の数珠。初めて見た。

 見るものは見たので、次の目的地の朝田古墳群へレッツゴー。朝田墳墓群は師匠さんが、以前から気になっていたそう。車中ウキウキムード。
 
 さて、迷いながら道を訊きながらなんとか着いた。師匠さんはさくさく、私はにじにじ、2~3分山道を登っていくとその先に見えた。古墳群はコンクリートで覆われ、保存されている。思ったのとは違ったが、古墳と初エンカウント。
 ↑国指定の遺跡。
↑一番大きな古墳。中には入れない…。残念
 ↑棺。ほかにも石製、壺があった。
↑上から見た朝田墳墓群。
 
師匠さんは、「来た甲斐があった」と満足気。よかったよかった。

 さあ、時刻は12時。歩いて疲れたし、「腹が、減った」(「孤独のグルメ」風)。次の目的地は、門司なのでそこまでの道中で探そうと話がついた。きょろきょろしながら運転。するとちくわ君のうどんセンサーが左前に何かを察知。うどん屋だ。しかも手打ち。無視できるはずがない。師匠さんも見つけていたらしくすんなり昼ごはんが決まる。
 小さな店舗の大きなガラス窓を覗くとそこにはなんとっ…。

 高速で均一に麺を切れる業務用の麺切台がっ!欲しい。自動でないところが好感を持てる。とても楽しみ。
         ↑こんな鍋があれば、大量の麺がゆでられるのか。
 
 私はざるうどん、師匠さんはぶっかけ。コシのある麺と、濃い甘めのつけつゆ。おいしかった。つゆも自分で作っているらしかった。燃えるぜ。
 さて、食欲も饂飩欲も満たしたので次の目的地武家屋敷へ…行こうとハンドルをコントロールしていたはずなのだが、着いたのはゆめマート。そして目の前には「かき氷」の文字が。
↑かき氷をこぼさず食べる技術を伝授してもらう。

 熱中症対策はこれでばっちり。頭キンキンの状態で武家屋敷到着。
↑とてもきれいな通り。
また今度ゆっくり散策しようと約束。(次回のデートのお誘い?ドキッ!)。テンションの上がった師匠さんは、「近くにあるから!」と平家の塚に案内してくれた。
 ↑竹藪の中に突如現れる看板。
↑夫婦かな

 さて今度こそ、門司のパゴダへ行こう。下道で、カーナビゲーションシステムの案内を無視して、若干迷いながら、パゴダについた。
 
 ・・・といい続けたいところだが、長くなるので、ひとまずここで切る。続きは、Ⅱで。

2018年8月12日日曜日

イカと神とのマリアージュ

8月8日(水)おいしいイカとおいしいお酒をいただく会
参加者はモコ、るるぶ、ハデピ、いぼり、きぞく

ただの飲み会と言うなかれ。

イカは能登の先端、小木漁港から直送された船凍イカやホタルイカの丸干し、塩辛などなど。
お酒は北海道の上川大雪酒造の神川。

どちらも、北九州からしてみたら、いったいそれはどこなのか、地図の上で指を指すのも難しいような場所。そこで美味しいものが生産されていることを知らないまま過ごしていても不思議ではない場所。
野研のネットワークがあればこその出会いです。

どちらも、真面目に食材と向き合って、余計なものを加えずに作られているので、イカはイカの味、お酒は米と水の味がします。それでいて、それはただの素材の味ではなくて、それぞれが持つ味がバランス良く引き出されていて、全く嫌みのない素直な味にまとまっているのです。

写真が下手で申し訳ない。バエてない。おいしさが伝わらないな。
今回参加しそびれた人は、次の機会には自分で体験してください。


ホタルイカやモミイカは、コンロであぶりながら食べる。

イカのキモでゲソを炒める。自分で自分をおいしくする健気さ。
キモソースをバケットにつけて食べてもおいしい。