2026年7月18日土曜日

旅する野研のおもてなし*

 学期末で講義も大詰めのうえに、夏の3大プロジェクトの準備もなかなか進んでいない。そんなこの頃、連日たくさんのお客さんが北九州を訪ねてくれて、うれしいけどほんと大わらわ。伊藤詩織さんのあとは、能楽師観世流緑泉会代表の津村 禮次郎さん、ムビラ奏者の実近修平さん、台湾から謝旻儕さん、今週はほぼ毎日、門司港や下関や海を案内してまわっている。でも、それぞれとても楽しかった、ありがとう。そして今日はフランスから東桂とタクミくるらしい。これまた大変だ。でも、これが旅人生、お互い様のおもてなし。

 でも8月になったらこんどは私たちがお客さんになって京都や沖縄や奥能登を回ります。皆さんよろしくお願いします。














2026年4月27日月曜日

はたらく森のこびとたち

昨日は牧野親子とマテ掘りにいき、今日はローカル線の旅へ。
防府のマテ貝は美味しい

しとしと降る春雨のなか向かったのは、行橋の「ギャラリー稲童」。館長の植田義浩さんは朝日新聞の元社員で、赤村の檜が手に入ったことをきっかけに、小倉高校美術部の同窓だった原田脩さんの作品を展示するためにギャラリーを作ったそうだ。このギャラリーの開館式がきっかけとなり、映画「キセキの第九」が生まれたという。 

新田原から徒歩20分

住宅街を抜けたしずかな山の麓にあるギャラリーは、満開のつつじや牡丹が映える白壁に、方流れの屋根のスタイリッシュな造りになっている。当初は九産大の建築学科の学生らが図面を引いてコンペをしたようだが、八幡のお屋敷から巨石を譲り受けたことで計画が変わり、結局は門司港の洋設計事務所に格安で請け負ってもらったらしい。その辺の経緯については上田さんの奥様である幸子さんが著した『原田脩記念ギャラリー稲童建立記』に詳しい。 

すべてDIY

地元のアーティストの彫刻や書で溢れたギャラリーを案内されているうちに、次々におじさんたちが軽トラで乗りつけてくる。「いらっしゃい!」と陽気に歓迎してくれる人もいれば、恥ずかしそうにこちらの様子を伺う人や寡黙に振る舞う人もいる。それぞれのおもてなしなのか、敷地の草を刈り、蜂について説明し、あるいはチャパティを揚げていく。植田さんの兄貴然とした態度や彼らの仕事っぷりに、てっきり雇われの従業員なのかと思ったが各自勝手にギャラリーに集まってきた人々らしい。彼らは毎週末ここにきて、敷地に小屋を立てたり、焙煎機を自作したりしているよう。「ここにいる人たちはみんな変わり者。私だけがまとも」とみんな言っていた。 

渾然としたキッチン

まるで7人のこびとのようなおじさんたちと話しているうちにお昼になった。手際よく庭にテーブルが並べられ、インドの修行僧件シェフが作ったカレーやヨーグルトが並ぶ。蜜蜂が飛びかう春の庭で即席のガーデン・パーティがはじまった。縁もたけなわのなか、またも突然乗りつけてきた車から、なんと北九大の山﨑先生がゆっくりと降りてくる。彼もこのギャラリーの常連らしい。 

手前は上田さん、奥はシェフの廣中さん


「いつでも遊びに来て」と言ってくれたので、またぜひみんなでキャンプしにいきたいな。


ギャラリーのテラスから

このあとは行橋から平成筑豊鉄道で源じいの森へ。直方から筑豊直方駅に行き、筑豊電気鉄道に乗り換え。住宅街の中を走って黒崎で鹿児島本線に乗り換え。春のエクスカージョンでした。


ちくまる


意外に近代的

黒崎に到着



小籠包


2026年1月24日土曜日

MoGA庭ワークショップ

 2026年1月、MoGA庭イベントに参加する。庭づくりをおこなう角谷緑さんをお招きした庭づくり講座だった。 論文の合間行けないかなと思ったけど、やっぱり行ってよかった
帰国して1年ぶりのMOGA
久々に来て、やはり素敵な雰囲気だなと思う アトリエになっていた
MoGAに素敵なコースターがあった。
台湾から帰ってきてから、こういうものが気になってしまう どうやって作るんだろう、こんなふうに籐巻きするのか、、ふむふむと思う お昼はダダとぽしぇっとに食べにいく。門司港マダム2人と相席することになり、そこの会話がまた面白い、門司港マダム、パワフル、、、と思った。 そんなこんなしているとあっという間に時間になって緑さんのワークショップが始まる
素敵な庭作りをされている。緑さんの自宅のお庭も素敵である。昔小さい頃にみた草花に囲まれるような庭づくりをしているそう。 緑さんの庭づくりのこだわりはゴミを出さないこと。できる限りそこにあるものを利用して、ゴミを出さない、セメントも使わないという。
皆で庭に出て、どんな植物があるかを観察する。 草木で茂った場所ををかき分けてどんどん進む。斜面もどんどんどんどん進む。
いつもとちょっと見え方が変わってきた。何ていう植物だったかな。
部屋に戻って皆で見た植物や、どんなことができるかを話し合う。
雑草に覆われている印象だった庭は、意外にも豊かな植生を持っていた。 ワークショップを通して、庭づくりのイメージが少しずつ皆の中で共有されていく。 春までに桜の周りをきれいにして、春には桜を見たいねと話す。 ワークショップの後、景色はさっきまでと変わらないはずなのに、頭の中には既に桜がきれいに咲いている様子が見えてきた。
皆、庭の桜を眺めている。まるで桜が咲いているのが見えるように。
ワークショップの後は皆でグリシェンへいく
お決まりの衣装チェンジ
皆楽しそうで、私もハッピー。
あっという間にこんな夜になってしまった。 今日はとっても濃くて、たっぷり満足な1日であった。 なかたね

2025年8月31日日曜日

2025上黒丸

 2025年8月17日から26日まで能登の上黒丸に行ってきました。

といっても、17日と26日は移動日なので、実際の滞在は、18日から25日まで8日間。

いつもよりすごく短い。


旅のはじまりは京都での禊ぎから

今回やることは、五右衛門風呂作りと水源探しと上黒丸の方言を記録することの3つ。

もともと上黒丸でつくっていた五右衛門風呂は、2021年の芸術祭の片付けにいったときに、北九州に引き上げてきたので、今回は、どこかに落ちている五右衛門風呂探しから。


2017年の芸術祭から交流のある宝湯さんへ。


大宴会をした本館も、近隣の建物もすっかりなくなっていて、開けた空間にゲストハウスと貸し切り風呂を運営されている現在の宝湯さんが建っています。

現在の宝湯


2021年のに訪ねた宝湯の大広間

2021年の芸術祭では、野研の作品が展示されていた上黒丸小学校の校庭には、住宅が建っていて、被災した人たちが住んでいます。中瀬さんの作品が展示されていた体育館は、被災者用住宅に住んでいる人たちの集会所になっていて、毎朝9時からラジオ体操がおこなわれます。

体育館の黒板にはいろんな予定が書き込まれている



ラジオ体操の第1と第2をやると、けっこうな運動になって、汗をかいてしまうので、終わったら冷たいお茶とおしゃべりなど。

体育館におかれたキリコ



手すさびに刺し子が始まります。

「この地域の伝統的な手仕事なんですか?」

「いや、ぜんぜん、こんなのしたことないわぁ」

「こんなの、わたしならぁ、ミシンでジャーッと縫いたくなるなぁ」

なんていうおしゃべりをしながら、刺し子をしているうちに、11時半で、それぞれお昼ごはんを食べに帰ります。

おばあちゃんたちは、しばらく黙って刺し子をしながら、ふとおしゃべりを始めます。なんの話しかな?と思いながら聞いていると、なんとなくこんな話しだろうな、というのはわかります。特別な方言があるかどうか、わかるほどにヒアリングするには、私の耳は育っていません。

この日は、きのこが送ってくれたパイナップルをみんなで食べた


上黒丸は、もともと湧き水が豊富な地域で、それぞれの集落が複数の水源を管理していたそうです。それが、地震で地形と地下水の流れが変わり、水が確保できない集落があるとか。地元の人たちは、地図上で、水源の場所に見当をつけていたのですが、道が壊れたり藪に阻止されたりしています。野研の水源探検隊は、果敢に藪の中に突っ込んでいきます。

地図で水源の候補地を確認

藪に分け入る野研


宝湯さんでの露天五右衛門風呂。スター☆ドームで目隠ししてるから、安心して入浴できます。

五右衛門風呂からみえる風景

風呂を焚く男

湯加減をみる女


今回、小倉-京都-上黒丸-瀬戸-京都-小倉という行程で、グーグルマップでたどってみると2100kmくらいです。上黒丸の中でも800kmくらい移動してたので、全部で3000kmくらい運転したらしい。そんなに大変ではなくって、なんとなく日頃の運転の延長上でできました。まあ、やればできるな、と思いました。

私は、大きな川が流れる平野で育ったので、身近な災害は大雨による浸水でした。浸水は、まさに水が人の生活を侵していくようなイメージでした。
去年、能登に来たときに、断層や土砂崩れがあちこちにあって、もう地面全体がガタッて動いてしまったようで、これは地球の自然な動きであって、その上に人の生活がたまたまのっかっていたときに災害と言うのだろうかと思いました。そのくらい、地面が動いた規模の大きさに圧倒されました。
今年は、三方から一斉に土砂崩れが起こったという集落の近くで、ああ、こんな大きな自然の動きの前で、人は何をすることができるのかと思ったりしました。そして、土砂に埋まった道のそばの崖を削って造られている道を見て、人の業のようなものを感じました。
私たちは、生活するために、壊れた道をなおし、残った崖に新しい道を通し、隆起した海岸の外側の海の上にも道を通し、少しでも安全なように丈夫なように設計し、またいつ動くかもしれない自然の表面を借りて生活していくのだなと思うのです。大自然の前で、か弱いはずの人がもつ、その生きていく力にも圧倒されます。
私が育った土地では、人は大きな川の気まぐれなうねりに、何度も飲み込まれ、それでも何度も堰や堤を造り直して、川の流れを変えてしまって、川を制御した気持ちになって、自分が主人のような顔をしているだけなのかもしれません。またいつグネグネとうねるかもわからない川の隣を借りて生活しているだけなのに。