2022年8月29日月曜日

梨と葡萄とバイオリン


「行きたい!9日行ける」と書き込んでくれた小籠包と、梨とブドウを刈りに岡さんの家に遊びに行った。


北方駅を降りて、3丁目の団地群を背にしながら、二つの大きな屋敷が並ぶ通りをまっすぐすすむと、北方交番の横道につながっている。この交番は通学路の分岐点のようだ。夕方になると、高校生が交番の前でいつも立ち話をしている。自転車に跨り、片方の足を地面に着けて、すこし体を傾けている彼らに向かって、若い警官が面倒そうに、早く帰るように呼びかける。生徒たちが名残惜しそうに散り散りになった後、体育館の窓から漏れる光だけが、きくっこ通りの交差点をいつも照らしている。

交番からきくっこ通りを一直線に進み、交差点を抜けてさらに進むと、左前方に池が見える。この池に沿って歩を進め、木の茂みが歩道の日除けとなってくれる場所まで行けば、若園小学校が目の前に現れる。しかし、今回はこの茂みまで行かずに、別の道から向かうことにした。道を変えて、行ってみたい場所があった。


「ああ、あるよ。バイオリンを作ってる工房。ときどきうちに買いに来てくれるよ」

以前、中村さんから聞いていたバイオリン工房に向かった。聞くところによると、工房の主の息子がバイオリニストのようだ。その父親である工房の主は、はじめは趣味で小さなバイオリンのオブジェを作っていたが、いつの間にか本当に音楽が奏でられるバイオリンを作るようになったらしい。道路に面した花壇の柵に、「バイオリン作ってます」という文言が書かれた小さな看板を掲げた一軒家。もし今もあるなら、梨狩りの後に行きたい。そう思いながら向かった先に、看板は見当たらなかった。


普段通ることのない蜷田若園の小道は、ちょっと楽しい。幻から覚めた後、シマヤさんのお店を左手に、急な坂道を下った。細く、うねった道を歩くと蜷田公園が見える。遊ぶ人の姿は見えない。振り返れば、湯川小学校が遠くに見える。屋上の、あの丸い鳥籠のようなものは何だろう?踏切が近づいてくる。タイミングよく電車がやってきた。年季の入った車体が熱風を巻き上げ、周りの音を奪い去り、聴覚を独り占めする。近くの家の、空の車庫には三輪車が並んでいる。玄関で動き回る子供たちに、親が日焼け止めを念入りに塗っていた。


踏切を越えたすぐそこに、岡さんは住んでいる。久しぶりに行った岡さんの家は、以前より格段に緑が増していた。道具を借り、収穫の手順を一通り習う。

「これ、手袋とハサミ。虫除け持ってくるねー」


果物や野菜が、僕らを出迎える


庭の入り口から見て、手前の梨と奥の梨は種類が違うらしい


紙袋に包まれた梨


葡萄は触った感じから、実が大きそうなものを選び、
包んでいる袋の端を切って実の色を確認する


紫色よりも、濃い青色を選ぶ


これがいいかな?と思った葡萄の色が、海底から引っ張りあげたような深い青を極め、もはや暗黒と言えるものだったときは、とても嬉しかった。気分は宝石の採掘。場所があまりよくなかったのか、小籠包は苦戦していた。葡萄と比べると梨刈りは簡単だった。ちょっと小ぶりな梨の姿が、かわいそうで、かわいい。


弾けそうな夜の塊


雑多な感じが好き

作業のあと、岡さんの家で軽い昼食をとって休憩した。漬けたスモモのジュースを炭酸と焼酎で割ったものがおいしい。みずみずしく光る梨と、カチカチのアイス。甘みで満たされた頭の中を、強い炭酸で洗い流したときの爽快感は忘れられない。最高だ。






2022年8月25日木曜日

平和を学ぶツアー

 2022年8月23日

今年オープンしたばかりの平和のまちミュージアムの館長の重信さんと平和学習ツアー。

参加したのは、こはむ、おかわり、ポール、がじ、だだ、きぞく。途中からとめが合流。

本当は、重信さんと一緒に歩いたり公共交通機関に乗ったりして、移動中もおしゃべりしながら見学したかったのだけど、だだの膝の不調があり、車を1台出したけど、全員は乗れず・・・という感じで、移動はバラバラに。

平和のまちミュージアムは、基本的に大人を対象には解説などはせずに、自由に見て感じてもらう方針とのこと。

バーチャル顔ハメとかあって、近代の小倉の繁栄を楽しく学んでいるうちに、戦時色が強まっていく。8月8日の八幡の空襲では、200機の飛行機でやってきて、焼夷弾を落としていったのだという。その頃の北九州の人たちは、金属も人手も食料もいろいろ足りなくて、女学生が紙にコンニャクノリを塗って風船爆弾を作っていたのだという。

たぶん、西南女学院の学生もこれが国のためと思って、手が荒れるのも我慢して、風船爆弾を作っていたのだろう。大学の歴史も勉強してみなければと思った。


次は若松にある平和資料館。

こちらはなんと、ほとんどの資料を手で触れる!

ガラスケースに入っているものがなくて、こんなものまで触っていいんだろうか?とこちらが心配になるくらい。確かに、手榴弾の重さや、軍服の質感など、触るからこそわかることもある。本や冊子は、ページをめくって好きなところを読むことができる。

閉館になることが新聞やテレビで取り上げられていたからか、会議室1室くらいのスペースの資料館に、どんどん見学の人が来ていた。

海軍も陸軍も戦意高揚のための画集を出していて、有名な画家が戦闘場面の絵を描いていた。

海軍の1ページ目は藤田嗣治。1920年代のパリで、歌舞いたファッションと乳白色の肌の女性を描いて時代の寵児ともてはやされた人。

最後に自衛隊の敷地内にある資料館を見学に行く予定だったけど、感染の影響で入れかなった。


戦争は、平和だと思っている日常の中にあってその日常を壊してしまう。旦過の火事だって、このまま平和に続くと思っていた日常が急に壊れてしまった体験なのだけど、その周囲では日常は続いていて、焼け跡のすぐ隣にかき氷に行列する人たちがいる。破壊された日常だって、私がいる限りは、破壊された状態で続いている。

日常生活は、ある側面から枠組みをはめて説明すると、分かったような気がするけど、やはりそれでは一面的で、生活全体を解ったとは言い難い。だから、人類学者は自分自身をその日常生活の中に投じて生活をもっと多重構造のものとして体験するのではないかと思う。

過去のものとなった日常について知りたいと思う時に、その時を生きている人の日常をバーチャルに体験しながら知るというアプローチもあれば、その時代を今生きている人がどう体験しているかを知るというアプローチもあるのかなと思った。


いずれにしても、知るための行動をして、体験をするのは自分自身なのだから、機会を逃さずに体験していこうと思った。


最後に大学に戻ってきて、祖父のレコードを重信さんとまなべさんにみてもらった。

まなべさんは古いレコードを再生できるらしい。

祖父は戦争に行った人なのだけど、あまりその話を聞く機会はなかった。祖父が残しているものもあまり多くはないのだけど、もう少し祖父を知るための行動をしてもいいのかなと思った。

2022年8月24日水曜日

アイツ・コイツ・ソイツ・ドイツ



美味☆探求
ドイツ、ミュンヘンへ

トビタテのヨーロッパ集会があって、初のドイツに行くことに。
スタートダッシュはプレッツェル!


ドイツは、いまだに電車やバスのなかではマスクを義務付けられています。



初日は山登り!
デンマークには山がないのでひさしぶりですごく楽しかった。
土砂降りだったけど。。

でもじつは、本当の目的は山登りじゃなくて、、



この、シンデレラ城のモチーフともいわれている「ノイシュバンシュタイン城」でした。
本来ミーハーじゃないんだけど、確かに綺麗だし、山登りもできて出出し好調。


白ソーセージと幸。


2日目の午前中は、以上の通りです。

ソーセージが有名なドイツですが、なかでも白ソーセージというのがあって、
これは、午前中にしか食べられないらしく、なぜかというと



見た目に似合わず、非常に繊細な食べ物で、時間が経つと傷んでしまうので、伝統的には新鮮な材料を用いて毎朝作られ、正午までに食べるというのが作法でした。
https://gotrip.jp/2016/01/26165/

とのこと。



今回行ったレストランは、現在も慣習にのっとって午前中までしか出していないお店でした。
この白ソーセージ、美味しいのはもちろん、はんぺんのような食感でした。
皮を剥いで、中身をとりだして食べます。



教会、装飾が美しい。

2日目午後は教会巡り。
教会が多くて、目に付く教会に入りまくり、神事?にも参加していたら、
なんか本格的なものに参加していたようで、しまったと思いながら歌ったり、立ったり座ったりしていたら
前の人から順番に蛇のように連なって司祭さまにご挨拶に行く流れに。

みんなは司祭さまにビスケットのようなもの(本来は千切ったパン?)を手渡されていたので、そのながれで司祭さまの前で会釈だけして受け取ろうとしたら、
「だめ。アーメンっていうんだよ。」
とほほえみのご教示いただき、やば、モグリがバレたと思いながら
席に戻り、最後のアーメンをして、さて出ようと席を立ったら、

「私たちの会に参加してくれて本当に、本当に、ありがとうね」と
後ろの方に座っていたおばあちゃんがわざわざ言いにきてくれた。

そんな!!お礼なんて!!こちらこそだよ!
と思いながら返事をして、ああ、素敵な気持ちだ。と帰りの人たちに紛れようとしたら、
そこにいたふくよかな別のおばあちゃんが「ありがとうねぇ」と
Big hugをしてくれました。

勝手に参加したと思ってたけどこんなに「受け入れられてる!!」と感じることはあまりない、貴重な体験でした。


2日目の夜ご飯は、ホテルに併設したレストランで。

つよぽん(草彅剛)に似た置物と、ドイツ料理のシュニツェル

シュニッツェルは、ほぼとんかつだけど、小麦粉のつなぎがあまく、
衣と豚肉の料理という感じでした。

ビールは、相変わらず美味しい。


3日目はトビタテで一日中話して、打ち上げで参加者50人弱とビアガーデン。
4日目は仲良くなったトビタテのメンバーと一緒に70年代におこなわれたミュンヘン五輪の競技場をみて、BMWの本社に行って、ヒトラーが演説をしたとされる公園の跡地に建設された最大級のビアガーデンにて午前中の疲れを休め、無事に帰国!!

フライ・オットーさんがつくった建築。
建築分野のトビタテ生はとても興味深そうだった。

ドイツ人はたまに日本語喋っているように聞こえるし、顔もアジアン寄りな人も多いし、親近感がすごく湧く国でした。
デンマーク人より外交的で、物価も安いしビールは美味しいしで、また行きたい国の一つです。

次は、オクトーバーフェストかな、、、(^○^)
オクトーバーだけど、開催はセプテンバーかららしい。

オクトーバーフェストサイズの1Lビール


旅のシメにMikkeller bar in Copenhagen







デンマークの料理記録①コペンハーゲン編

Hej, alle sammen. Hvordan har du det?
(みなさんこんにちは、お元気ですか?)


外食は高いので、だいたい自炊をしていました。
日本のご飯が食べたいと思うことがすごくおおいけど、
こちらの食材に慣れてコツを掴めばこちらも負けずにうまい。


白身魚のムニエルのようなもの
パンに乗せて食べます。

北欧は「黒パン」とよばれるライ麦でできたパンが主流です。
最初に食べた時は、酸っぱくて、ぼそぼそしてて、ほそぼそのそれぞれが硬くて、
失敗したと思ったけど
加熱したら柔らかく、酸味が抑えられることに気づき
わざわざ買って食べようとは思わないけど、出されたら食べるかな、くらいにはなりました。


スパニッシュオムレツをのせた黒パン

このようにパンの上に具材をのせるだけの料理(?)をデンマークでは
「オープンサンドイッチ」と呼びます。
オープンサンドイッチはデンマークの伝統料理で、ちゃんとしたお店で食べると、
サーモンやハム、カレイのフライなどをもりもりのせて、ナイフとフォークでいただきます。


これはスーパーのオープンサンドイッチ。700円しないくらい。高い。


オープンサンドイッチの定義があるのかはわからないけど、
ノルウェーが近いデンマークでもサーモンは相当高いので
私は自己流のオープンサンドにして、食べていました。

(たぶん黒パン2枚は酸っぱいと思う。)



半額で生き抜く私。でもお菓子は買う。

滞在2ヶ月過ぎた頃、さすがにデンマークのスーパーが庭のようになってきたので
思い切って2キロ超えの塊豚肉を買ってみました。
この肉で、とんかつ、チャーシュー、ルーローハンを作りました。
大体3~4日分の食事。


デンマーク国産肉のチャーシューと、ジンジャービール


相変わらず、こういう料理を作るのが好き。

デンマークの豚肉には、ほんとうに感動しました。

日本で食べる肉より上質な脂で、
舌触りも歯切れもよく、
このジンジャービールの
しょうが生搾り感と相まって

完成した深夜にひとりで「あと一枚、、、」
を何回も繰り返して半分食べてしまいました。

ああ、思い出しただけでも美味しい、、


どこの肉でも現地で食べれば全部美味しいものなのだろうかと確かめたくなりました。



ひき肉が半額になっていたので餃子をつくろうとして、できた、
皮は餃子用、見た目は肉まんという中途半端なものです。

野研で餃子パーティーとかやったなぁと思い出して生地から作ってみたけど、
一人で餃子の形に形成するのが急に面倒になり、荒技で終わらせました。

おいしかったけど、次に同じものを作れと言われたらもっと美味しく作る自信はあります。



パスタが楽というのはわかっているけど、料理好きとしてなんとなく、パスタで済ますのは負けた気がしていて、あまり作ってこなかった。

普段食べるような細長いパスタも、トータルの期間で500g全て使い切らなかったし、
くるくるのパスタも、小さい袋の300gくらいのものを最後の方でばたばた使い切ったくらい。

パスタ、一番安いものを買ったのですが、さすがというか、しっかりもちもちで香りもあっておいしかったです。



とんかつ入り八宝菜

あの塊肉を冷凍保存していたら、ぼちぼち冷蔵庫整理をしないといけないタイミングになってきたので大量消費ができるメニューを考えた結果、とんかつ×八宝菜というなぞの組み合わせに。おいしいけどね。食べたい人がいたらつくるよ。




パンをつくったときの写真。

デンマークでパンをつくれて個人的には満足だけど、
自分のおうちで自己流のパンを作っているおばあちゃんとかがいたら、教えてもらいたいなとおもった。

第2の目標

でも、教わるなら黒パン以外がいいな。笑

Vi ses alle!
(みんなまたね)






Egmont Højskolen

 

Hej, alle sammen
(みなさんこんにちは)

デンマーク留学の2箇所目はOdder市にある
「Egmont Højskolen」というデンマークの成人学校です。



デンマークでは「Folkehøjskole(フォルケホイスコーレ)」という全寮制の成人学校が国内に64校あります。これは、高校を卒業して大学に入る前、親元を離れて自分を見つめ直し、将来の方向性を決めるためのものであり、モラトリアム期間を過ごす環境としてメジャーとなっています。

毎朝の朝礼のようす

私の通う学校は、例年でいうと全校で大体200人くらいおり、4~8人の日本人学生以外は全員デンマーク人です。そのうちの90人ほどが障害を持っています。

ホイスコーレにはそれぞれ強みがあり、アートや農業、建築、デザインなど、種類はさまざまです。海岸沿いにある地域なので海でのアクティビティ(ヨット、セーリング、シュノーケリングetc)や、サイクリングの授業などのアウトドア。そのほか、学校内では体育や陶芸、ガラス細工、ギター(music)、料理、ディベートなどたくさんの科目があり、その中からいくつかの授業を選択することができます。

私が在学中のEgmontはかつて、日本でいう特別支援学校のようなかたちで運営されていた民間の学校だったことから障害者福祉に特化しています。
といっても、上述の通り福祉系の授業が充実しているというわけではなく、授業に障害をもつ人たちが参加する前提で内容が決められ、おこなわれています。

例えば、足が弱く車椅子で普段から生活をしている人が「自転車の科目を受講したい」と言った時、Egmontには手で漕げる自転車があるので、自転車の種類がちがうだけで問題なく参加することができます。ほかにも、デンマークでは日常的に子どもを乗せたり、大人を乗せたりできるカーゴバイクという自転車があります。運転手の前にカーゴがついているので、誰かが漕ぎさえすれば障害が参加を妨げる要素にはなりません。

カーゴバイク、大人でもOK


Egmontに在籍している健常の学生2~4人で1人の障害者を担当しており、その人のヘルパーを交代で行いながら寮生活を送っています。

デンマークの制度では障害の重さによってヘルパーをつけられる数が決まっているので、決められた範囲内であればヘルパーの人件費はすべて国からの給付金で賄うことができます。


今回の秋タームの日本人は、下の写真の左奥から
ゆうや
ちえ
はるき
しょうた
たくみ
なごみ
ゆうな

2022年秋タームの日本人8名


たくみだけ、3セメスター目(連続3セメまで)
しょうたは3年前にいちど入学していたそう。
しょうたがまた来たのは、日本に飽きたらしい。

むかしのしょうたをみせてくれた


女子3人はなごみ、男子3人はしょうたのヘルパーとして学校生活を送ります。
もちろん、授業などでしょうたやなごみが取りたい授業とほかの日本人が被らない可能性があるので、その場合はデンマーク人がヘルパーとしてついてくれます。

私たちも、デンマーク語よりは英語の方がわかるので、ヘルプティーチャーが即時翻訳をしてくれ、授業に参加できるようになっています。

秋タームは、8月3日から12月20日までです。
この留学の最長の滞在先。

いくつか報告ができることがありそう。


Vi ses en dag.
(またね)







2022年8月8日月曜日

屋久島

前に屋久島にいったときの写真 


1985年だと思う


約40年前ということになる
とんでもねえぞ


そんなに昔には思えないのだ

ここと同じ場所にもう一度たってみたい

2022年8月5日金曜日

夏の茶摘み1

煎茶は春に茶摘みをするけど、紅茶は暑い夏がいいので、猛暑の中で茶摘みをしました。



放置された昔の茶園の名残のここの茶葉の新芽は、なぜか紅いのです。 タンニンが多くてよい紅茶ができます。

今日の作業は茶摘みから、茎取り・選別・萎凋まで。


よく洗って、丁寧に茎やいたんだ葉を取り除きます。
堅い葉も取り除きます。
野菜の水切り器で水を飛ばしました。


キッチンペーパーを敷いたバットに広げてよく乾かします。


一晩おいてしんなりとさせます。