2020年3月31日火曜日

スモーキーな香り




服がいつまでたっても燻されている。
そうそう、焚き火をしたからね。
薪はたくさん必要で。石も探すの大変で。うちわはとっても大切だ。
しんどい気持ちは火がつくまでさ。頑張れ頑張れ
火がついたらふわああああっと嬉しい。
たのしい宴。


生きている。可愛い妖精ポココポコ。
ここは150年の蔵。蔵の主の力を借りて、美味しい醤油がつくられる。
樽に入る1ばんのりは塩水だって。次に豆。それから麹。
樽と樽の隙間は細い。落ちないようにそーっとそーっと。
大きい樽を作れる職人、なんとびっくり!日本でここだけヤマロク醤油。



いただきまーす。パッションそうめん。
そうめん職人・西山さん(そうめん会館)の情熱を知って食べるそうめん。心アツアツ口プリプリ。
そうめん2分でたっぷり湯。秘密の魔法。

天気のいい日はばえばえの船。


そうじゃない日は博物館。




これにて終了。1000kmの旅。

2020年3月30日月曜日

小豆島四国ツアー

2020年3月25日から28日
参加者はこおもて、はつめ、ちくわ、はでぴ、とめ、きぞく

初日は、移動日。9時半集合で出発!
という予定でしたが、きぞくは私用のため途中でひろってもらうことにしたり、こおもてが寝坊して本隊が出発できなかったりして、小倉を離れたのは10時。そしていきなり小倉南インターで間違えて福岡方面へ。いったん八幡まで行ってUターン。
出発はモタモタしましたが、その後は順調に移動。移動。移動。
ときどきサービスエリアによったりしながら、岡山へ。ドライバーも2人いるので2、3時間ごとに交代できます。

迷路の街の中にある建物自体がアート作品の家

新岡山港から小豆島に行くフェリーはチャギントン仕様。いたるところにチャギントンのキャラクターが出てきます。2階キッズコーナーは木製のおもちゃをそろえていて、3階は木製のブランコ、4階はチャギントンのミニトレイン(オフシーズンで動いてない)と木製の舵があって船長気分も楽しめます。さらに4階から3階への滑り台もあります。
ていうか、チャギントンってなに?と思いましたが、イギリスの人気アニメだとか。知らなかった。

オシャレカフェの2階のオシャレ雑貨屋


乗客も少なく、遊んでいる子どもはいなくて、外に出ているのは私たちくらい。こおもてがせっせとかもめにかっぱえびせんを振る舞うので、船のまわりにかもめが集まってきました。ブランコに揺られながらかもめを眺めて、海旅気分が盛り上がります。
でも、ピューピューの風は冷たくで、ほどほどで船内へ。
お寺の山門から垂れているヒモを引くと

日も暮れかける小豆島で、泊まる場所を探して海岸の道の駅にいると、駐車場の隣の家の窓からおばあちゃんが両手に何かを持って振っていました。近づいてみると布で作られたネズミの置物。布で何かを作るのが趣味で、たくさん作ってはいろんな人に配っているのだとか。

鐘がゴーンと鳴る

この日は結局、おばあちゃんと出会ったところとは違う海岸で宿泊。お天気が良くて星がきれいでした。そしてこんな日は当然のように、日が暮れるとギュンギュン冷えていきます。

ポンプ井戸の隣にアートなリアカー

2日目
小豆島手延べそうめん館へ。
そうめんを作っている工房でもあり、そうめんを食べれるお店でもあるのですが、西山さんという男性が一人でそうめんを作っているのだそうです。この日は、団体さんの予約が入っていて、そうめん作りはお休みしているのだとか。
西山さんの説明は、知識の行間に情熱がにじみ出ている感じで、そうめんを「おそうめん」と呼んでいました。これはぜひ食べてみなければ。団体さんの予約時間を避けて、出直しました。



伸ばす前のそうめん

できて間がない乾麺を出すのが西山さんのこだわりです。
プリッとした歯ごたえとコシがあります。なるほど、いつも家で食べる頼りない感じのそうめんとは何か違います。つゆは塩味が強めのマルキン醤油のつゆでした。小豆島の多くの家庭にあるおなじみのつゆだとか。
食後に麺を延ばすところをデモンストレーションしてくださいました。

ヒューッと伸びるそうめん


トメとハデピとちくわは学会へ。
こおもてとハツメットときぞくは迷路の街へ。
迷路と妖怪の街でやや迷子になりながら散策しました。
瀬戸内芸術祭関連らしい妖怪がいろんなところにいました。お店や商品はいかにもデザイナーが入っている感じで、オシャレ感がムンムンでした。
前に野研の人たちと小豆島に来たのは、2012年か13年ころだと思うのですが、雰囲気が違っている気がします。



そんな中、おばあちゃんが毎日フリーマーケットをしているお店がありました。
家にある不要品とか、おばあちゃんが編んだ靴下などが売られていました。
話し好きの明るい感じのおばあちゃんがいました。
ほとんど毎日開けていて、病院に行くとか用事があるときだけ閉めるのだとか。

うん?このつゆは・・・

学会を早々に抜けたちくわと合流して西山さんおすすめの作兵衛というそうめん屋さんへ。でもこの日の食事は終了。販売はしているということで、半生麺を一つ購入しました。

150年くらい前からある木樽


ハデピとトメも学会を抜けたので合流して、ヤマロク醤油へ。
創業150年、蔵も築150年、一番古い木桶も150年という醤油屋さんです。
蔵の中にはずらりと木桶が並んでいます。一つの桶に5500ℓの醤油が入るのだそう。蔵全体に麹の良い香りがします。木桶に付いているいろいろな菌が醤油を育ててくれます。

木樽にたくさん菌が付いている


案内してくれた若い男性は、いろんな質問にテキパキと答えてくれます。ハツメットが樽の中に落ちたらどうなるかというのをしつこく質問しても、ちゃんと答えてくれました。
ヤマロクのメインの商品は丹波の黒大豆で仕込んだ菊醤と再仕込みの鶴醤です。再仕込みみというのは、醤油で醤油を仕込むという製法です。2年熟成させた醤油を使って仕込んで、また2年熟成するのです。そうすることで深い味になります。
隠れたオススメ商品は、ポン酢。お醤油の味がしっかりしているし中に柑橘の香りが立っています。お料理にちょっと入れると味が決まる感じです。
醤油はお酒ほど繊細に温度管理をしたりする必要はないのだとか。桶の中を混ぜるのも月に1回くらい。搾るのも1年中搾れるのだそうです。

熟成の進み方によって色が違う


夜は場所を移動して宿泊。曇り空なので初日ほどは冷えないし、美味しいポン酢を手に入れたので、お鍋などを食べながら楽しくすごしました。
そろそろ寝ようかというころにポツポツと雨が降り出しました。



3日目
まずは、醤油の大手メーカーらしいマルキン醤油の資料館へ。
昨日のヤマロク醤油と違い、木桶はきれいになって資料館に展示されています。

酒蔵とよく似ている

生麺が食べられるなかぶ庵へ。
生麺は、箸で延ばしたら乾燥させずに切るのだそうです。
麺はモチモチしてコシは強くなく、やや太めです。つゆはオリジナルで出汁の味が前に出ている甘めのつゆでした。枯れ節を使っているそうです。

生麺は艶があってモチモチ

そして、昨日食べそびれた作兵衛へ。
乾麺を使っていて、プリッとしていて「標準的な美味しいそうめん」という印象。オリジナルつゆも醤油と出汁がどちらも主張しすぎてないバランスの良いつゆでした。安心して食べられる感じです。

なかぶ庵の製麺風景
看板が気になっていた「たこのまくら」というカフェへ行ってみたところ、今日は仕込みをするのでイートインはやっていないとのこと。お店はオーナーさんが仲間と改装したとのことで、漆喰塗りに瓶が塗り込めてあったりしました。



フェリーの時間まで中途半端になってしまったので、フェリー乗り場でブラブラしてから、トメと分かれて高松へ。

高松では、ハデピが見つけてくれた安いゲストハウスへ。
どんなところかとドキドキして向かったら、まるでワンルームマンションのような部屋でした。
ちょっと楽しくなってしまって、安いワインを買ってきて飲んで楽しくすごしました。

佃煮屋さんの佃煮ソフトにはキラキラひかるコンブの星


4日目
祖谷渓はあきらめて、スケジュールを短縮して北九州へ帰ることにしました。
つまり、この日は移動日。愛媛県民のハツメットのオススメのじゃこ天とやらを食べるために松山を経由して八幡浜に行ってフェリーに乗るという四国横断の日。
そんな日に主席ドライバーのちくわが二日酔いでダウン。

コシノジュンコのドレスとこおもて

二日酔いちくわの案内で、まずはうどん屋をハシゴします。
1軒目は、街の中。2軒目はちょっと離れたところ。どちらもゆでで水でしめた麺を自分で温める讃岐スタイル。生姜をたくさん入れて食べました。
2軒目のほうがモチモチしていて好きだったかな。でも、どちらもお店の名前を忘れてしまいました。

それから徳島側に足を伸ばして、昔ながらの手作りで和三盆を作っている三谷製糖へ。
売店に並んでいる型抜きの和三盆は、ほんとにきれいでテンションが上がります。試食の和三盆を口に入れると、ふんわりと溶けてやさしい甘さに驚きました。これまでに食べたことのある和三盆とは違います。

小豆島の妖怪とこおもて1


そこから松山方面に移動。途中で、西条市の民芸館によってみることに。
西条市に行く前に石鎚山SAのハイウェイオアシスへ。そこは、モンベルの大きなショップでした。テントやカヌーも実物がたくさんおいてありました。テントとか寝袋とかザックとかをついつい真面目に検討してみたりして、思わぬタイムロス。

民芸館は有料で、季節柄お雛様しか展示していないみたいだったので、パスして隣の無料の資料館へ。西条市は、鉱物がとれる場所のようで松平某さんが治めていた土地らしく、その後もお金持ちの人たちがいた街のようで、そういう人たちが集めたらしいいろんな物が資料館に展示されていました。
西条市といえば、大きくて豪華な山車が集まるお祭りが有名ですが、四国の片田舎でなぜそんな豪勢なお祭りが?と思っていました。経済的に豊かな地域だったのですね。失敬、失敬。

小豆島の妖怪とこおもて2


そこから下道で松山のじゃこ天屋さんへ向かいます。松山に近づくとけっこう渋滞していて、ナビの到着予想時間がどんどん延びていきます。フェリーに間に合うかどうかギリギリで、だんだんと、こんなにがんばってじゃこ天を食べないといけないのかどうか分からなくなってきました。その上、オススメしているハツメットも食べたことないお店だとか、松山の人がいつもじゃこ天食べてるわけではないとかいうことが、あとになって分かって、さらに良くわからない感じに。でも、おなかが空いているのでじゃこ天は美味しかったです。

小豆島の妖怪とこおもて3

フェリーの乗船手続きをしている間に、隣の道の駅で晩ごはんの買い物をしてもらってギリギリ17時25分発の船に乗れました。ごはんを食べたら、畳敷きの空間が50cmくらいの高さの仕切りで区切られている二等船室で休憩。1時間ちょっと寝ていたら別府に到着しました。
今回、3つめのフェリーです。航路も会社も違うので、それぞれ雰囲気も値段も違っていました。
岡山から小豆島のフェリーは豪華で観光客向けの雰囲気。小豆島から松山のフェリーは日常の足という感じの中に、観光客もまざってる雰囲気。八幡浜から別府は、庶民の移動手段という雰囲気ですがお値段は高め。



ここでちくわが復活。夜の別府を鉄輪温泉に向かって進みます。熱の湯という熱い熱い温泉につかってから、高速で北九州へ。


気がつけば、長い報告になってしまいました。
しかも、特にヤマもなければオチもない。
みんな最後まで読んでくれていると良いのだけど。

2020年3月22日日曜日

辻嘉一の「御飯と味噌汁」

小山の大将から勧められた、辻嘉一の「御飯と味噌汁」。さっそく手に入れて、読みはじめた。とても面白い。お腹がぐうぐうなる。


昔よく読んだ半村良の「産霊山(むすびのやま)秘録」を思い浮かべる「おむすび」の記述。
「湿潤で熱気のある処から生命が生まれでることは、動植物の生殖の営みにもはっきり認められます。「ひ」が霊妙な力をあらわす語だというのは、 勿論、太陽についての古代の人たち畏敬の念から生まれたものといえましょう。
握り飯という無味乾燥なことばではとうてい量り得ないものが、おむすびの中には、こめられていたのだと思います。握るというとき、私たちは片手でする動作を思います。ところがむすぶというときはどうしても片手ではなく、両方の掌を用いなくてはならないでしょう。 こうしたところにも握り飯では満足できないものが残ります。」


辻嘉一のこの本の刊行が1969年。半村良の産霊山(むすびのやま)秘録の連載が1972年。半村良は、絶対この記述にインスパイアされていると思う。

2020年3月19日木曜日

小倉:すし屋「小山」

基本、取材お断りのすし屋「小山」の取材をした。メインは青ヶ島のひんぎゃの塩を使っているシーンの写真撮影だが、9時半から12時半まで、みっちり3時間、大将の話をうかがった。
味と料理と旬の話。小山の料理の、あのたしかな味覚が、どういう思想から生まれるのか、とてもよくわかった。共感することばかりである。
そして魚の味を引き出すための塩の打ち方から、その後の扱い方まで、じっくり目の前で見ることができた。さらに酢のしめ方も教えてもらう。自分で押し寿司をつくるのが大好きな私にとっては、たまらないひとときであった。

最後に、大将の指導の下で、おむすびを握った。辻 義一直伝の古式むすび。塩の味が1番よくわかるのは米。ご飯がすべての料理の基本である。
とてもうれしいことに、小山の大将は、「野研」の食に対する考え方をとても気に入ってくれていて、このごろは旦過市場に買い出しに行くときに大學堂に立ちより食材をわけてくれる。
若い人が正しい味を覚えないとダメだ。正しい味は正しい食材からはじまる。野研メンバーはぜひそれを学んでほしい。
大将は、究極的には格式張った部屋の中でだす料理よりも、屋外でつくる料理がよいという。つまり野点である。ここも野研の思想につながる。
しかも、なんと奥能登の湯宿さか本の坂本新一郎さんとお知り合い。いろいろな偶然に驚く。今年の芸術祭や山形にもぜひ誘いたい。
暖かくなったら小倉の近くの海や山で料理会をする約束をして、お店を出た。

2020年3月7日土曜日

なれ寿司

 少しのことにも先達はあらまほしきことなりと申しますが、食事のマナーなんていうのも難しいものでして、行きつけない店へ食事に行くときなんかは、のれんのくぐり方から箸の上げ下げ、亭主との会話まで、どう振る舞ったらいいのかわからないことだらけですから、キョロキョロしながら慣れていそうな人の振る舞いをじっと見たりなんかして、それをまねして乗り切ろうなんてことを考えたりするもんですね。

 村の庄屋の結婚式で、一の膳から三の膳まである本膳を振る舞ってもらえることになった村人たちが、さあ困った、礼儀作法がわからないということで村はずれの手習いの師匠のところへ行き、付け焼き刃で作法を教えてもらおうとしますが、宴席は明日、とても一晩でまにあわないということで、当日はみんなでそろって、師匠のまねをすることにいたします。村人は、見たこともないような本塗りのお膳を前に緊張して息を詰めて師匠を見つめておりますと、師匠も日頃と勝手が違ったのか不覚にも箸から芋を取りこぼし、膳の上にコロリとやります。あれを真似るんだなと村人たちも次々と芋を皿から膳に落としてコロコロ転がしてから口に運んで、なるほど礼法とはややこしいもんだと感心するなんて馬鹿な話もございます。

 最近では少なくなりましたが、まだまだ頑固親父がカウンターの中にいる寿司屋なんていう絶滅危惧の保護地区もございまして、そんなところに、行くときなんかもまわりをキョロキョロしながら案内してくれる人の動きを真似たりするもんでございます。
 先だっても、普段は行きつけないような一行で頑固親父の寿司屋に行くことがありました。案内人は、前々日に頑固親父に叱られたばかりですが、叱られたおかげで身についた礼法をしたり顔で教示するにわか師匠でございます。
「いいかい、のれんの向こうは聖域だからね、外套はその手前で脱ぐんだよ」
「外で脱ぐんかいな?こんなに寒いのに」
みんなでいそいそと外套を脱いでのれんをくぐりますってと、大将が待ち構えております。
 カウンターのイスに並んで座ったはいいが、カウンターの上には下駄と呼ばれる分厚い板とその隣におしぼり、手前に四角いお盆、お盆の上にちょこんと箸が置いてあります。メニューは全てお任せというやつで、大将が客の頃合いをみながら料理を差し出します。

 大将がお盆の外にチョンとお椀を置きますので、どうしたものかとにわか師匠を見つめていますと、お椀を両手で押し頂いて、お盆の上に置き直しましたら、蓋をスッとあけまして、箸をパチーンと割ってお椀の中のジャガイモを口に運んでパクリとやります。
「さすが師匠、散々怒られただけはあるね。堂に入ってるや」
なんて余計な関心をしながら、それをまねして、お椀を両手で押し頂いて、お盆の上に置き直しましたら、蓋をスッとあけまして、箸をパチーンと割って、お椀の中のジャガイモをパクリとやります。
 料理の準備で、ときどき大将が店の奥に引っ込みますので、フーッと大きく息をつきまして、お互いに目を合わせてホッとしておりますと、また大将が料理を持って出てきますので、ピッと背筋を伸ばしてチラチラと師匠の動きを見て真似るのくり返しでございます。
 料理はどれもきれいに盛り付けられて香りも味も絶品でございますし、酒もたしなんではおりますが、酒を注ぐ手もぎこちなく、どうもいつものようには進みません。

 また大将が奥に引っ込みましたので、フーッと息をつきましたら、弾みで手でもあたったのか、一等年かさの客人の箸が一本コロリと床に転がります。慌てて、ひろった年かさの客は、箸先をシュシュシュッと3回手で拭きますと、サッともとの場所に戻したところで、大将が戻って参りますので、何食わぬ顔で食事を続けます。
 客はみんな背筋を伸ばして箸を進めますので、滞りなく料理が運ばれ皿が片付けられていきます。馬鹿話や料理の生半可な知識は大将に叱られるということで、にわか師匠が選んだ話題を恐る恐る進めていきますので、自ずと穏やかな語り口になります。

 いよいよ握りが出てきます。大将が一つのネタを一人一貫ずつ下駄の上におきますので、にわか師匠は手でつまんでそのまま口の中に放り込みます。「ああ、これならいつものやり方だ」ということで、一等年若の客人がホッと気を抜きますと、大将が下駄の上においた寿司の隣にもう一つ寿司をおきます。大慌てであたりを見回しても、他の客の下駄には一貫ずつおかれていきます。客がそろって息を詰めてみておりますと、最後の客の番になったところで、寿司が一貫足りなくなった大将は、落ち着いたもので年若の客の下駄から何食わぬ顔で寿司を一貫取り上げますと最後の客の下駄にサッとおきまして、何はともかく一同ホーッと息を吐きます。

 こんな風にして、2時間の食事が済みまして、払いなれない額の勘定を済ませてのれんをくぐって外へ出ますと、フーッと大きく息をついた客が一斉にしゃべり出します。
「どの料理もうまかったなぁ」
「真ん中あたりに出てきた握りが一番美味しかった。口の中で溶けたね」
「いやそれよりも最初の椀ものが美味しかった」
なんて口々に言い合っておりますと、年若の客がポツリと「この話、どうやって終わるの?」
すると年かさの客が「落ちないフリをしたからね」

2020年3月4日水曜日

ニュート・スキャマンダーと刀削麺

 先週の木曜日の出来事。
 高校時代の友人の葵一が遊びに来るという。ちょうど誰もいなかったのでゼミ室に呼んで一緒に石垣島のアイスを食べていると、やってきたアルパカから盛青で青ヶ島のアリサさんたちとご飯を食べるという話を聞いた。部屋で男二人で飯を食ってもつまらんので、葵一も盛青に誘った。突然だったので少し戸惑っていたが、嬉しそうだった。

 盛青へは歩いていった。普段歩かない道を選んだので、少し街並みが新鮮だった。アリサさんたちが到着するまで少し時間があったので、ファミレスでドリンクバーを注文してのんびりしていた。福岡方面や関東に進学した他の友人たちの近況や、互いの今の生活について少し話をしていると、メールが届いたのでファミレスを後にした。

 盛青では主に大澤監督やアキバさんと話をしながらご飯を食べた。アキバさんの学校(武蔵野美術大学だったっけ)に友人が進学していたこともあって、なんやかんやで縁があるんだなあと感じながら、葵一と辛い辛いと言いながら食べた。大澤監督とは、「死ぬ前に食べたいものはなにか」という話になった。私は生姜焼きが食べたい。

 紹興酒というお酒と梅酎というお酒も少し飲んだ。なぜか葵一は少し遠慮がちだった(じつはアダンサミットの前日に私は葵一の部屋に泊まっており、そのときはかなり度数の強いお酒をガンガン飲んでいたので、この日は不思議だった)。

 葵一は細身なので、アキバさんから「ニュート」とあだ名をつけられた。つけられた本人はなんとなく嬉しそうであった(ニュートが知的なキャラクターというのもあるのだろう)。

 皆それぞれ楽しそうに会話をし、時間も遅くなったので、互いにさよならを告げて帰路につく。

 部屋にもどると軽い服装に着替え、机を部屋の真ん中に設置し、葵一が買ってきたお酒を並べ、少しずつ飲みながらいろいろな話をした。途中からシマヅも加わり、キーボードを弾いたり聞いたりして遊んだ。私は少し酔った状態で覚えている限りの曲を弾き、遊んだ。

 窓の色が淡い水色になってきたのを見たところで、眠りに落ちた。

 起きると、葵一は机の下で丸まっており、部屋の隅にはキーボードのコードだけが絡まって落ちていた。