2018年9月29日土曜日

ヒメドロムシを知っていますか?

2018年9月29日(土)台風接近中
いのたびに魚部のヒメドロムシサミットを見に行きました。
野研からは、いぼりとモコときぞく。ねらいはセマルヒメドロムシがデザインされたエコバック。
日本でヒメドロムシについて研究している人がほぼ全員集合して壇上に上がるという超豪華企画!と言われても・・・。
ヒメドロムシは、小さいムシで、以前にゲッチョ先生が小倉に来たときにジョウたちと取りに行ったけど、そして、ビギナーズラックと動物との相性の良さでつる子がいきなり捕まえたけど、それは、指先の点にしか見えない、油断すると手に着いたゴミだと思って払ってしまいそうな虫でした。
それでも、日本の第一人者たちのお話しを聞くとわくわくしたりして、ヒメドロムシ好きになってしまうかもしれないことを期待して参加しました。

ちなみに、このときつる子が捕まえたのがセマルヒメドロムシ。演者の中島さん(ドジョウ博士じゃなかったのか!?)の一押しヒメドロムシだそうな。

史上初のヒメドロムシの話しかしない4時間
ヒメドロムシは、小さい(最小だと0.6mm、世界最大でも8.5mmだそう)ので野外での観察データを収集するのが難しく、わかっていないことが多いらしい。しかも、けっこう種類がたくさんいるし、南極大陸以外の世界中に分布していて、北極圏にも棲息している可能性があるらしい。だから、新発見の可能性が多いらしい。

実際に登壇者の一人、上毛さんは昨年奄美でアマミヨコミゾドロムシという新種を発見したそうです。

3時間半のプログラムだったはずが、演者のヒメドロムシへの愛があふれすぎて、結局15分オーバー。でも博物館の閉館時間が迫ってなければ、もっと延びてたかもしれない雰囲気でした。

私自身は、面白さとかのポイントがあんまりわかってない感じは否めません。ヒメドロムシの写真を見ながらそのかっこよさを語られても、どの辺から“かっこいい”を感じ取ったら良いかわからないところもありました。
あと、スライドでヒメドロムシの同定の役に立つ情報が示されると、フロアの人達は熱心にスライドを写真に収めていましたが、私にはその情熱がわきません。
それに、ヒメドロムシが水槽に展示してありましたが、水草に着いている点々が「これかな?」というくらいで、ヒメドロムシを観て楽しむというところまで至りませんでした。

ともあれ、今まで聞いたことないような話をその道のプロの方から聞くというのは、やはりおもしろい体験です。ほぼ4時間、ヒメドロムシの話しかしていないのに、演者も楽しそうですし、聞いてて飽きることもなかったです。しかも、入場無料。エコバックとクリアファイルのお土産付き。お値打ちです。

魚部のヨシザキくんが作ったツヤドロムシの模型

2018年9月25日火曜日

死の海

23日に海へ行った。
だんだん肌寒くなって、秋も近づいてきたので、おそらく今年最後の海ではないだろうか。

どこに行こうか迷いながら下道を走って、たどり着いたのは死の海。
秋になったしそろそろ魚もいるのではないか、ということで今回はここで潜ることに。

銛を今回こそは持っていこうと思っていたが、作るのに間に合わなかった。なのでダダに頼んで、銛を貸して貰った。
銛を使うのは慣れていないので、壊さないように慎重に使う。

1年生のときから海にはいっているが、耳抜きがうまくできたことがない。なのでずっと耳が痛いのを我慢しながら潜っていた。
でも、今回はなぜかコツをつかみ、耳抜きができるように!潜ってすぐつばを飲み込むと、ほとんど耳が痛くならないということを発見した。
よって今回の海は、ものすごく快適に過ごせたのである。

ぼーっとしている、カワハギやタナゴを銛で狙うけれど、なかなか刺さらない。何度も逃げられてしまった。
一応あたるのだけど、ゴムのひきが甘く勢いが足りない。カスって逃げられることが多い。

午前中は何もとれず、ダダのとったお昼ご飯をたべ、午後はテトラポッドの周辺で再チャレンジ。
このあたりは、まあまあ魚もいたが悪いクラゲも多いので撤退し、沖合の岩場でしばらくアタックしていた。
ここでも銛をうまく突き刺すことが出来ず、逃げられてしまった。
今回もぼうずかなと思っていたところ、海の底で瀕死の魚を発見!これはもしかしたら、さっき私が突いた魚かもしれない、と思っていたらダダがとどめを刺し、回収してくれた。


これが私の初獲物である、カゴガキダイ。とても小さいけど、きっと美味しいはず。
今度、美味しく料理していただこう。

本当に私がついたといえるのか、微妙なラインではあるが、初獲物には違いない。
来年は、さらに大物を狙うつもりだ。
まずは銛を完成させなければ。



彼岸の海

その浜はいのちの影がうすく死の海と呼びならわれていた。その浜より先にある、いのちにあふれる浜は柵で道を塞がれている。
「柵の向こうで泳ぐと、見回りの来うが」
怖ろしいのは、見回りの若衆ではなく彼岸の海そのものという分別もなくためらっていた。
「死の海も秋やけん、魚がもどっとるかんしれん」
ダイスケは運転手を不安にさせないためか新しい銛を早く使いたいためか死の海に加勢をした。

夏日というほどに気温の上がらぬ死の海で、真夏と同じ装備では厚い皮下脂肪もさほどは役に立たない。群れて泳ぐ碧いスズメダイや水中に水玉模様を描くクラゲを観て紛らすが寒さは緊張と不安を連れてくる。みなが岸に引き返すときまで一人岩の上で待つことにする。雲を透かした日のぬくみにあたりながらうとうとと待っていた。

死の海は秋になってもいのちの気配が濃くなってはいなかった。ただ人を刺すクラゲだけはむやみとその姿を現して、イカテツの顔に証しを残していった。

死の海で初めて魚を突いたいぼりは、手応えのなさに首をかしげつつ獲物を持ち帰り、私は運転のお礼にとボラを分けてもらい家に帰った。

実家で待つ姪たちは、食べ慣れぬものは好まぬ人たちではあるが、ボラのココナツミルク煮を食べさせようと田舎では買えぬ缶詰を携えて家に向かう。
案の定「ココナツミルクは食べきらん」と顔をしかめる。
「それより刺身が良か。ばあちゃん刺身にして」
「ぞうたんのごつ。だがこげな夜中に魚ば触ろうか」
上の姪は譲らず刺身、刺身とぎゅうらしい。
「しゃっちが夜中に食べんでよかろうが」
と応じる母もぎゅうらしい。
「そげん言うなら自分でせんね、しきろうもん」
私は母にも聞こえるぐらいの小声で姪をちょうくらかす。
「ばってん、ばあちゃんにおごらるっもん」
「さっとしてぴしゃっと片付けたら、おごらっさんくさい」
姪は母をちろりと見やり、家庭科の成績は5ばいなどとあごをたたきながらボラをまな板の上にのせる。見慣れぬことをはじめた姉の隣にすり寄った下の姪が不意に「かわいか」と声を上げる。
何やかと一息戸惑った後に、ボラのくるりとした目が思い浮かぶ。
娘たちの騒ぎを聞いた兄に下の姪が「ねえちゃんはかわいか魚にブサッち包丁ば刺さしたっばい」ととすける。
「ボラか。ボラはむぞかけんじょうられんもんね。おいばみよっばい、ちてから」
「ばってん、そいはもうじょおってあるけん」
と笑い、兄にビールをほとめかれていると姪が初めてひいた刺身が運ばれてくる。
ボラはまな板の上でもたんもたんされるうちにしょっちゃりしていたが、彼岸の海からいただいたいのちには違いなかった。

2018年9月24日月曜日

死海

先々月、開拓した海が死海だった事は記憶に新しいが、種子島で泳ぐ機会がなかなか得られなかった事もあり、とにかく早く泳ぎたいという気持ちから前回の海を選んだ。近いし、車も停められるし、川もある。

ここ数日ですっかり秋も深まってきたころだから、きっと遠方に出ていた魚たちも戻ってきている、そうに違いないという期待を胸に、というかそう思いこませて潜水。

海が死んでいる。Dead Sea。

もはやここは海ではない。塩分濃度の高い水と岩の集まったプールである。


今回も銛は持たずに潜水。とにかく大介の捕り方を横目に、隠れている魚を探してアプローチすることを繰り返し練習してみた。

潜水距離、時間、見つけてから潜るまでの時間、少しずつ早くなっている気がする。
銛を突くタイミングも何となくイメージ出来たので次こそは挑もうと思う。

帰りに大ちゃんにメジナをもらったので早速三枚におろす。
こちらも少しずつ練習していくつもり。

最期に。

アンドンクラゲ超痛い。

海の蟷螂

波にもまれながらも、繰り返し繰り返し海に向かう蟷螂。古人ならば、屹然としたそのいさぎよさに心うたれ、その死をきっとなにかにたとえるだろう。


しかし私たちは知っている。ハリガネムシに寄生され、脳を冒されたカマキリが、入水することを。ハリガネムシが自分の卵を産ませるために、カマキリを水辺に向かわせることを。


しかも、そこは淡水ではない。海に放たれたハリガネムシの卵は、決して生き残れないだろう。


死を讃える美徳の正体は、このような狂気である。脳を冒された国の行く末が、破滅であることも、すでに私たちは歴史から知っている。

今年最後の夏日

今年最後の夏日の予報が出ていたので、居ても立っても入られず、おかずとりに海に行った。おかずとりなので、突けるのであればどんな魚も突く。そして獲った魚は、分配して全部食べてしまうのである。


写真は新作の、4.5メートルのオールカーボンの4連結のナガイーグン。チョキまですべて手づくりで、総経費約8千円。1週間くらいかけてつくった。


もう一つの写真は、この日、生まれて初めて魚を突いた(気絶させた)イボリンの獲物カゴカキダイ。大きく見せるにも無理がある




この新作銛のためしうちと新人の特訓もかねて海に行ったが、選んだ浜が悪かった。練習だからといって近場を選んでしまった。魚がまったくいない。せっかくの海日なのだから良い浜を選べば良かった、深く反省。

2018年9月23日日曜日

石垣島日記①


9月23日

もうすぐ石垣島に来て2週間になろうとしている
時間の速さを感じつつも、毎日がいろんなことに溢れていて
まだ2週間たっていないのかとも思う。

今までは野研メンバーと一緒にフィールドワークをしていた。ついていけば
面白いことにすぐ出会えていた。
けれど、ここでは自分の行動次第で人と出会えたり
面白いことを発見したり
考える場面に出会えたりする


そして、ある人が教えてくれた
「石垣島は日本の縮図だよ。」
私は、日本の政治についてどれだけ無知だったのかと思うと、とても恥ずかしい
ここ、石垣では自衛隊配置や基地問題で政府と戦っている。
どこか、画面の中の時事問題であったことが目の前で起きる毎日。




この2週間で学んだことは、「対話する」という
当たり前のこと。
だけれど、いざ知らないわからないというときに
この対話を怠ってしまうように感じる
話して、話して、時間を共有する
普段の生活では当たり前かもしれないけれど
ここにきてとてもその大切さを学ぶ。
反対しあう人間関係がすぐ隣の家の人とあるという距離感だからこそ
対話していくことが重要なのだろう。


と、考えるこのごろ。

さてさて、昨日は年に一度の「とぅばらーま大会」八重山民謡の祭典である。
福岡を発つ前からとても楽しみにしていた
また、会場に着くと人にあふれていてこの大会の知名度を感じた
この大会は予選・本選があり、予選で選ばれた人達が本選に進み
その審査がこの会場で行われる。



本選に進んだ一人に、80歳という
今大会最高齢のおじいがいた。その歌声は素晴らしい
このおじいに会ってみたいと思い
大会が終わると玄関で出待ちをした。最後まで残ったけれど
会うことは出来ない・・

配られたプログラムには名前と住んでいる市のみ書かれていた
これは探すしかないと思い、人に尋ね歩き
さすが島だ
家にまでたどり着くことが出来た
けれど不在・・・

フィールドワークノートを破り置手紙を書き
玄関の隙間に滑り入れる
仲良くなった畳屋に寄って帰ろうとしていたところ
電話がかかってきた。おじいから「今からきてほしいと」
もう登野城まで帰ってきていたがまた新川までテクテクとんぼ返り

おじいは八重山の民謡に興味を持ってくれたことがすごく
うれしいと。わたしもうれしい。
これから毎日習うことになった
「私のすべてを教えてあげる」
これは頑張らねば・・とても楽しみだ
早速おじいが大会で歌った歌を一緒に歌う


12月に開催されるアダンサミットも
着着とすすみ始めている
節子さんを始め、島の人たちで作りあげられている最中
私は本当に微力だけれど、すこしでも力になれればと




なんだか流れのない文章になってしまった

  はでぴ 














2018年9月18日火曜日

ナガッシマスターちくわ

大學堂がいつもと違う。
竹とぬかだきの香り、水の音と、からくりが動きだしそうなあのBGM。
何が起こっているというのだ。

”ソーメンナガッシ”

…それは、ただのそうめん流しではない。大學堂の二階から「ナガッシ!」という掛け声とともに勢いよく流れてくる素麺をぬかだきのつけつゆで食べるそうめん流しである。
それが行われていたのだ。



いか、モコ、いぼりが準備をしている。
そこにちくわと呼ばれる男が、一人友人を連れてきた。驚くことにそのちくわのお友達は、ソーメンナガッシをするといって、5000円を出してきた。一回500円である。彼はこの一日フリーソーメンパスを手に入れた。

少し驚いた様子のちくわ君だが、二階に上がりナガッシを始める。下ではいか君がQを出す。いかの「ながっし!」に呼応してちくわも「ながっし!」とソーメンを落とす。
威勢がいい。
ソーメンフリーパスの彼が、デモンストレーション的な役割をしてくれたためか、誘われた人がソーメンを食べにくる。


祝日で、市場のほとんどの店は閉まっており、人通りが少ない中、家族づれが入ってきた。これはナガッシが忙しくなるぞ。大丈夫かちくわ君。それは杞憂だった。「わざわざ流さんでもええ。」らしく、ざるのまま食べていた。
この家族連れには三人の子供があり、彼らが客引きを手伝てくれた。


とても元気よく大きな声で大學堂だけにぎやかだった。
ちくわ君がいたのは14時30分ごろまで。それまでぼちぼちお客さんが入っていた。
最終的にはどうだったかは、わからない。ただ、流すのも食べるのも楽しいイヴェントであった。

ミョウガと、竹取の翁

ひよこが走る。
またの名をおゆみカーというその車は、おゆみばしとちくわ君を乗せて力強くブンブンうなりを上げる。若松区のある社長さんのところに行くのだ。

そして到着したのは、山。蚊が飛び交う中、一人のおじちゃんが歩いてきた。社長さんだ。彼は、山のさらに奥へ僕らを案内してくれた。細くガタガタな道を進むと、大きな小屋があった。なかには大量の巣箱。
車を降りるなり、蜜蜂トークで盛り上がる。が、早々に切り上げる。今日はミョウガと竹を採りに来たのだ。この山ではミョウガが大量にとれるらしい。
 

思った以上だった。もう十分とったと、そのばを離れようとすると、社長さんが、「全部取っていき。」という。結局その一帯のミョウガを採りつくした。買い物かごいっぱいの量が取れた。

時間はもう昼。


テントゾーンで昼食。もちろん蜜蜂トークが盛り上がる。が、早々に切り上げる。今日はもう一つ目的がある。竹だ。翌日のソーメンナガッシに使うのだ。


チェーンソーを手に取る社長さん。これが現代の竹取の翁だ。かぐや姫は出てきてくれるだろうか。


スパスパ竹を切っていく。竹取の翁。運ぶのが大変だった。

おゆみカーにいっぱい竹を詰めたら、少し休憩。借りたものを返して、その場を後にする。来年も元気で会えますように。

大學堂に戻り、翌日の準備に取り掛かるちくわとおゆみであった。

2018年9月16日日曜日

ミツバチと赤米の秘密を探る旅@対馬

野研で一番最初に参加した旅は、わかめの卒論お礼参りの旅だった。何もわからないまま軽バンをだし、枕崎まで運転した。6時間も運転し続けたのはそれが初めてだったかもしれない。そして、よくわからないまま、塩を作るスバル、漁師のありさん、ビワ農家のみよじさんなど枕崎の面白い人たちにたて続けに会った。「わかめの卒論お礼参り」という目的はともかく、ありさんとはその後も関係が続いたし、枕崎は何度も訪れた。四国の学会ツアーの時は、前半きのこと相談しながら回った。そして、大島の村上さんに出会い(つかまり)、それはそのあと鵜島の調査につながった。
こうして、わかめやきのこやダダが次々と面白い人に出会って、それを次の何かに繋げていくのを間近で体験して、旅の「ツボ」みたいなのが自然と身についてきたのだと思う。
僕にとっての旅の醍醐味は、事前に得ていた情報が後になって次々と回収されていくときや、それがまた次の何かにつながっていく瞬間だ。今回の対馬調査は、一週間の間にどんどんそれが起こった。それだけに、参加したのが2名だけだったのは本当に残念だ。その「瞬間」が味わえるのは行った人だけで、そして絶対に二度同じことは起こらないのに。
2年前の九州縦断ミツバチ調査も、そもそもはその前年に行ってできていた大分、宮崎
、鹿児島で出会った人とのつながりがあってのことだった。そして、この調査以降で、蜂嫌いだったテラスも、新人だったいぼりも、分蜂群を自分たちで捕まえにいくまでになった。つるこに至っては、この調査がきっかけで卒論を書いた。だから今回の調査は、二人で味わうには本当にもったいなかったと思う。これからも、野研でいろいろなとこに行く機会は次々出てくるだろうから、まだ野研に入って日が浅い人も、ゼミに入ろうとしている2年生も、卒論のテーマが定まらない3、4年生も、ここで何か面白いことをやろうと思っている人は、一度一緒に旅をしたらどうだろう。
さて、前置きが長くなったけど、そしてずいぶん遅くなったけど、今回の対馬調査の報告をしようと思う。九州縦断ミツバチ調査以降ずっと懸案だった、念願の対馬である。海に蜂に米にと否応なく期待が高まる。
厳原港についたのは朝4時。7時まで船内で休憩し、朝の厳原をみて回る。ちらほらと散歩している人がいたが、みんな韓国人だった。対馬は今、韓国からの観光客で大変なことになっている。ともかく、唯一あいていたパン屋で適当に朝ごはんをみつくろい、北を目指す。
途中、上見坂展望台によって堡塁跡をみた。対馬のリアスを見下ろす場所にあり、天空の城を彷彿させる。
国道沿いに車を走らせているとき、道端で巣箱を見つけた。車を停めて見に行くと、すでにツマアカスズメバチが数匹よってきている。周辺で聞き込みをして、すぐに巣箱の持ち主を特定できた。この巣箱の持ち主は対馬の商工会の会長さんで、現在は福岡に出張に行っているとのこと。奥さんがいろいろと説明してくれた。奥さんにツマアカのことを聞くと、「今朝も退治したのにまたきているのね」とすぐに網を持って巣箱の方へ戻る。どうやら夫が留守の間、奥さんは毎日ミツバチをみて回っているようだ。
この奥さんから、ミツバチの話を聞いたあと、「内院には上手な人がいる」という情報をもらう。この内院の人、漁協の会長さんらしい。潜る場所も確保できるかも、と期待が高まる。帰りもこの国道以外に通る道がないため、「カミ(対馬の北側)の方を回ったらまた来ます。」と約束して北へと進路を進める。
会長さんの家を出発して10分も立たないうちに、今度は巨大な巣箱が道路脇に見えてきた。この巣箱の持ち主は塗装屋さんで、仕事の途中のようだったが、気さくに話をしてくれた。この巣箱は余った木材をもらってきて作ったようだ。塗装屋さんらしく、ミツロウをとる道具も工夫して作っている。「他の人がどうしとるかは知らんけどね。うちはこれでやっとる」開始早々、二人も面白げな蜂飼いに出会うとはさすが対馬。そしてここまでの二人に話を聞いた時点で、蜂胴の使い方が対馬と九州で全く違うことを確信した。詳しくは割愛するが、見た目以上に箱の中も採蜜の方法も、分蜂群の捕り方も違う。
塗装屋さんでさらにまた人を紹介してもらう。次に目指すは、「田」という地域にいるという養蜂家の電気屋さん。途中信号待ちをしていたところ、目の前の家の奥に巣箱が見える。この家でも養蜂の聞き取りをしたのだが、ここの巣箱は、行こうとしていた「田の電気屋」が持ってきたのだという。昔から蜂を飼っていたが、子出しが始まってしまった。それをみた電気屋さんが、「子だし群は殺処分する。その代わり、うちの蜂を一群やる」と言ってバーナーで子だし群を全部焼いたのだという。電気屋おそるべし。

これはぜひともこの電気屋さんにあってみなければ、ということで、田地区へと急ぐ。田に入ると、謎の障害者の方がタクシーでもとめるように私たちの車をとめた。なんでも、用事があるので車に乗せて連れて行って欲しいという。ああ、これはお話でよくある、王様か何かに会う前に親切さを試されるやつでは!?と、狭い車内をさらにぎゅうぎゅう詰めにして障害者の方を送る。すると、この謎の障害者の方が、電気屋の家を教えてくれ、無事到着することができた。

いよいよ田の電気屋、Oさんと対面する。このOさんは捕まえた蜂を家で重箱式巣箱で増やしている。この人、対馬の蜂飼いの中では超有名人で、玉川大学の故吉田忠晴先生もここに通っていたのだという。

「巣箱は全部同じ形、サイズで作りなさい。そうしないと比較できないでしょうが」というOさん。研究者顔負けに毎年新しい方法を思いついては実験しているようだ。そして、かつて作ったという「ミツバチ部会」なるものを教えてくれた。とにかく、養蜂家が連携してツマアカや子出しの対策をしなければならないと、思ったそうだ。そして対馬の旧6町村の代表者を集め、それぞれの地域でツマアカ対策を普及させた。
Oさんは吉田忠晴が足しげく通うだけあって、蜂の話は全く尽きない。本人も、たとえ2時間の講義などしても、それは養蜂のほんの一部しか伝えられないという。
どうやら、いきなり対馬で一番養蜂に詳しい人に出会ってしまったようだ。Oさんから6町村の代表者の名前をきき、以降、それらの人を目指して回ることにした。気がつくと日が落ち始めており、名残惜しくも田を後にした。キャンプ場などの情報を教えてもらい、なんとか長い対馬の一日目を終えた。

二日目は、ダダが講演で知り合ったという川口さんのいる志多留を目指す。途中、昨日教えてもらった蜂部会の四天王ならぬ六天王の一人を訪問しつつ、ヤクマ塔、藻小屋、泳げそうな浜などをみてから志多留へと向かう。
古い集落と田の形をそのままにとどめているという志多留。アイナメの研究者だった川口さんは、地域おこし協力隊として対馬に来た。対馬の生態系の中に人間の活動ががっちりと組み込まれていることを知り、対馬の中でも古い集落の形が残るこの志多留に移住した。志多留では水路を作らずに田から田へと水を溢れさせることで水田を作る。その水田は冬には湿地となり、この湿地にたくさんの生物が棲みヤマネコを含む生態系の維持に繋がっていた。かつての日本には、こういう湿地がたくさんあったのだ。そして、自然の力を借りながら、人が手を入れ続けて、それによってたくさんの生き物と人間が命をつないできたのだろう。
インターンの大学生と、民泊に来た高校生の世話をしつつ、講義を開いてくれた川口さん。「まだまだ志多留には調べることがたくさんあるのに全然時間が足りない」とおっしゃっていた。そして昔の集落のことを知る老人が減っていくことに危機感を覚えているようだった。実際、川口さんと一緒に昔ながらの田を作っていたおじいさんはもう亡くなってしまったそうだ。志多留にはまだまだたくさんの秘密がありそうだったが、日も暮れてきたし、川口さんも忙しそうなので、出発してテン場を探した。

3〜4日目は浜辺を中心に過ごす。いぼり予報によると、後半は台風で大荒れだというので、「この日しかない」と潜る。適当な場所で潜ったが、透明度はそこそこ。魚もそこそこ。水温はそんなに低くない。小さなクエがそこここで顔を出している。とにかくおかずをゲットしなければと、たくさんいるタカノハをどんどんつく。タカノハは脂が多くて、ただ焼くだけでイージーにおいしく食べられるので重宝した。
潜り終わって、きのこが以前にお世話になったという方に会いにいく。お世話になったおじいさんはもう歳で家からは出られないそうで、ミツバチも今は一群もいないそうだ。それでも、息子さんが案内して蜂胴などをみせてくれた。庭にはかざりの置物のような感じで巣箱が置いてある。「もしかしたら入るかもしれんから」と置いてあるそうだ。対馬にはこんな感じでどの人も家の庭や畑の周りに「入ればラッキー」ぐらいの感じで巣箱が置いてある。おじいさんが作りかけて置いてあるという巣箱もたくさん見せてもらった。「元気になったら完成して外に出す」「元気になったら山の巣箱もみにいく」こうして、どの家の倉庫にも、山の中にも、放置された巣箱が大量にある。
4日目は、前日に目をつけていた岩の周りで泳ぐ。狙い通り、数匹の石鯛がまわっていて、幸運にもその中の一番大きな奴をつくことができた。それが前の投稿のクチグロ。クチグロには以前、イラロで銛先の釣り糸をちぎられた苦い思い出がある。今回は太い釣り糸を使って、がっちり確保することができた。このクチグロ、三昧におろして、身は刺身に、骨はせんべいに、頭はスモークした上でスープになった。クチグロのおかげで、この後最終日まで毎日魚を食べることができた。

5日目、海から切り上げ、蜂部会の六天王がいる地区を目指し、東側の県道を南に下る。小鹿地区にいるという、蜂部会の現在の会長?は、どうやらいぼり達がミツバチサミットで会った方のようだ。会うのを楽しみにしていたのだが、残念ながら仕事中で家にはいなかった。
郵便局で働く奥さんに挨拶だけして、仕方なく先に進む。途中、足りないものの調達に寄ったダイレックス横のお土産屋のようなところで、巣箱の置物を見つけた。普通の巣箱の二分の一サイズで、きれいにニスが塗ってある。店の人にこの巣箱を作った人の名前をきき、家を訪ねる。
家で応対してくれたのは身重のお孫さんで、「〜さんいますか?」と尋ねると、「じいちゃーん、お客さんばい」と、呼びに行ったくれた。中では「じいちゃんにお客さんはおらん」という声が聞こえる。出てきたのは、ももひきで寝ていた80歳後半くらいのおじいさん。腰が曲がり、耳も少し遠くなっている。ミツバチのことが知りたくて来たのだというと、「わしの巣箱をみるかね」と倉庫に案内してくれた。倉庫には、所狭しとじいちゃんの木工作品が置いてある。将棋盤、碁盤、置物、巣箱・・・どれも見事なものばかり。この方、往時には60本くらいの蜂群を飼っていて、長崎や広島にも蜂を送っていそうだ。しかし、現在この集落ではツマアカやスムシでめっきり蜂がへってしまったという。ミツバチや木工の話を始めると、おじいさんはどんどん喋り出し、その後1時間以上ミツバチ談義で盛り上がってしまった。途中、じいちゃんの体調を心配してお孫さんや息子さんがみに来たほどだった。最後には、置いてあった小さな巣箱の置物をもらい、お礼をいって次の場所へ向かった。
初日に電気屋のOさんから、「実は私もこの歳で初めてみたのだけど」といって見せてもらった写真がある。そこには、しめ縄と紙垂をつけて祀ってある立派な蜂胴が写っていた。これは是非ともチェックせねばならないと、機会をうかがっていたのだが、ちょうどそのとき、この「蜂胴神様」があるという峯地区までやって来ていた。木工じいちゃんや他何人かにも聞いたのだが、蜂胴神様のことを知っている人がいない。そこで、峰地区にある民俗資料館できいてみることに。すると、民俗資料館の方も知らないという。「この辺の神社にあるはずなのだけど・・・」というと、地元の方に連絡を取ってくれた。するとやはりあるという。その名も「小牧宿禰神社」に。「おひらすくね」と読むこの神社は、国道から少しそれたところにある、あまり使われていない道路を奥まで行くとひっそりとあらわれる。そして、やっと見つけた!蜂胴神様!写真で見た通り、立派な蜂胴である。
一体この蜂胴神様の由来はなんなのか。神社の近くで聞き込みを始める。しかし、どの人も、昔からあって他の神社と一緒にお祀りしているのは知っているが、由来は知らないという。何人かに聞き込みをしたのち、ようやくこの人が詳しいのではないか、と案内されたのが、この写真のAさんだ。
例によって突然訪問したのだが、にこにこして家にあがりなさいといって、ジュースやお菓子まで出してお座敷でお話ししてくれた。蜂胴神様について聞くと、驚いたことに、あの蜂胴を作ったのは自分だという。頼まれて作ったのだそうだ。どうやら、蜂胴の由来を知るのはこの方の父や祖父の世代のようで、由来を知る彼らはもう亡くなってしまったのだという。しかし、何かそれなりの理由があったはずだとおっしゃっていた。蜂胴神様の由来がわからなかったのは残念だったが、Aさん、他にもたくさん巣箱を作っていて、蜜蜂もたくさん飼っていたそうだ。しかし、ここ3〜4年は蜂がおらず、自分のところも入っていないという。
親がもともと林業をしており、高校生くらいの頃までいつも父と一緒に山に入っていたというAさん、山の中にいるミツバチを見つけて、蜜をとったりもしていたそうだ。そして、昔から分蜂群を取るために使っていたという道具「のうぼし」を見せてくれた。この「のうぼし」他の地域で聞いても知っている人がいなかった。もしかしたら、のうぼしを現役で使っているのはこのAさんただ一人かもしれない。
ここまできいて、Aさんはこの村でずっと暮らしてきた方なのかと思ったのだが、よく福岡にも行くという。昨日も行っていて、今日はたまたま帰ってきていたそうだ。よくよく聞くと実はこの方、もともと会社の社長さんだった。学校を出た後、三菱の下請け会社を立ち上げたのだそうだ。驚きである。北九州にきた時は大學堂に寄るように言い置き、国道を戻る。この日、もう一人二人話をきき、ようやく厳原の隣の「鶏知」まで戻ることができた。

5日目はミツバチ関連の収穫が多く、濃い一日だった。6日目はいよいよ今回の旅の目的地、現在も赤米神事を続けているという豆酘地区へと向かう。カミの方と違い、シモは山のアップダウンが激しい。各集落に行くには、尾根を通る道路県道からいちいち降りるような感じだ。豆酘に入って、まずは多久頭魂神社をチェック。たくさんの社殿がたち、何やら由緒正しげなことが書いてある。社殿の軒下や鳥居にたくさんの石が積んであるのが印象的だった。
神社を後にし、いよいよ豆酘の集落へ入る。集落の中にはやはりポツポツと巣箱があるので、手始めに巣箱のある家で聞き込みをする。聞くと、赤米神事の田んぼを作っている人はSさん一人だけになってしまったという。Sさんは夫婦で山へ行ってしばらく帰らないということだったので、まずはミツバチの聞き取りをすることに。ミツバチを飼っていた商店のおじさんに話を聞くと、より詳しく、専門的にミツバチを飼っているKさんという人が「豆酘瀬」にいるという。そこで、あとで豆酘瀬(豆酘から車で20分ほど離れた集落)の方に行くことにし、初日に電気屋のOさんに教えてもらっていた、民泊を営む蜂飼いのGさんを訪ねてみる。
電気屋のOさんに紹介された、Gさんの家を訪れる。やはり、突然の訪問にも関わらず家にあげてくれ丁寧に話をしてくれた。話を聞いていると、なんと、偶然にも、この人は志多留で出会った川口さんを対馬で最初に受け入れた方だった。どうやら、対馬観光ガイドの会や、グリーンツーリズムの会をこの方が中心になって立ち上げたそうで、TV局など島外からの取材もよく受けているようだった。ミツバチは民泊のために最近になって飼いだし、それがNHKの「日本の里山」という番組で紹介されたそうで、DVDも貸してくれた。Gさんは川口さんと同じく、対馬をどう島外にアピールしていくか、ということを考え、こうした活動をしているているようだ。「漁協で働いてた頃は全国に色々なものを出荷していた。イカを呼子にカツオを高知に送った。対馬の人は商売下手。干し椎茸だって、対馬が作って大分に出していた」という言葉が印象的だった。
さらにさらに、この方、民泊は退職してから始めたようで、それまでは漁協で働いていたという。もちろん、現在の漁協の会長さんとも知り合いだった。この内院に住んでる会長さんに会いに行こうと思っていると伝えると、昼間は事務所のある厳原にいるだろうとのこと。そこで予定を変更し、会長とは翌日に厳原で会えるようアポを取ることにした。

赤米神事の資料などもいただいてGさんに別れを告げたのち、先ほど教えてもらっていた豆酘瀬の蜂飼いKさんを探しにいく。民泊のGさんの「あの人は詳しいよ。頑固爺さんやけどね」という紹介にも期待が高まる。集落ですぐにKさんの家を見つけ、訪ねると、丁度山から戻ってきて休憩しているところだった。そしてまたしても80代くらいのおじいさんで、お願いすると、「あんたら運がええなあ!今から山まで案内しちゃる」と巣箱を置いてあるところに案内してくれた。その場所は、自宅から車で5分程度山を登ったところにあるのだが・・・行った途端に圧倒される。山に切開いた場所があり、そこに所狭しと巣箱巣箱巣箱・・・。ニュータウンさながらに整然とした巣箱がずらっと並ぶ。同じ場所でこんなにもたくさんの巣箱を置いてあるのは初めて見た。どの巣箱も山の中にあるだけあって、勢いが強い。聞くと巣箱は120ほどこの場所に並べてあり、今年は45群くらい入居していたとのこと。それが、今年は調子が悪く30群に減ったそうだ。そして、Kさんのすごいのは、分蜂群を全て捕獲するために移動式捕獲機を開発したことだ。この捕獲機、竹竿の先に浮きのカエル君を半分にしてつけただけのもの。分蜂が始まると、その場で分蜂群が集まる場所を判断し、そこにこのカエル君を設置する。いつ分蜂するか、どこにとまるかは経験でだいたいわかるから、あとはそこに設置するだけで分蜂群が捕獲できる、という仕組みだそうだ。
一通り見て回って、Kさんの家に戻り、帰り際に古代米を渡す。蜂蜜の味にもこだわりがあるようで、私たちの蜂蜜への意見もいただいた。まだまだ聞きたいことや見たいものがたくさんあったが、日が暮れてきてしまったので、Kさんに別れを告げ、急いで豆酘に戻り主藤さんのお宅を訪ねた。主藤さんは思ったよりも若い方で、赤米を作る苦労などを話してくれた。これについてはいぼりから詳しく報告があると思う。しきりに「キューチューケンコクで〜」と言っていて、意味がわからないいぼりとアルパカだったが、後に「宮中献穀」のことだとわかった。スカイツリーを見たことを淡々と、しかし嬉しそうに話していたのが印象的だった。主藤さんにたくさんお話をきき、しかも赤米まで(!)もらうことができた。
豆酘崎で一泊し、翌日は内院を目指す。台風のためにフェリーが欠航したため、この日はゆっくりと話を聞いてまわることができた。内院では、蘭の専門家のSさんに出会うことができた。キンリョウヘンの栽培に力を入れているらしく、大量に増やしたキンリョウヘンでいかに楽に分蜂群を捕まえるかということを話していた。ちなみに、ヤフオクでキンリョウヘンを売っているらしい。
内院で話を聞いていると、どこからともなく若いヒッピーみたいな人や外人みたいな人が現れては消えていく。こんな田舎でいったい何事かと聞いてみると、何やら廃校の校舎で芸術祭だという・・・。どこかで聞いたような話。これは訪ねてみなければということで、行ってみると、小学校は「対馬アートファンタジア」の展示会場になっていた。
http://artfantasia.asia/
木造のかっこいい校舎に入ると、各教室ではピリピリした空気で黙々と作品制作が続けられていた。どうやら、会期は明日からだったようだ。余裕がありそうな人に少しだけ話をきき、奥能登やスタードームの話をしてパンフを渡してその場を後にした。

内院を出て、今度こそ漁協の会長に会いにいく。一番最初にこの方の情報を得て、結局最後の最後になってしまった。アポをとると、大丈夫とのことなので、厳原にある漁協の事務所へと向かう。事務所に入ると、職員が会長の部屋に案内してくれた。恐る恐る入ると、会長のNさんが立派なデスクを前にデーンと座っている。想像してほしい。ドラマで大物の組長か会長みたいな人が、椅子に後ろ向き座っていて、入るとくるりとこちらを向く様子を。まさによくあるあの感じで座っていたのだ。喋る前からラスボスの風格をただよわせている。
話を聞くと、さすがラスボスだけあって、面白そうな人である。若い頃は素潜りで有名だったというNさん、33m潜ってアワビをとったりしていたそうだ。魚突きもするということで、話が盛り上がる。ミツバチの話をすると、「ミツバチは入るのが楽しい。後は面倒やね」。なので、山で捕獲して、その年の秋には全採りするという。さすが漁師。他にも鶏にはまっていたこともあるという。とにかく海や山に入るのが好きで、事務所が厳原にあっても必ず毎日内院まで帰ることにしているそうだ。そんな会長の最近の新しい趣味は・・・「野菜を育てること」。えええ〜!!ラスボスが高そうな椅子に座って、「毎朝芽が出るのをみるのが楽しい」というのだ。うーん、これは是非とも一度はお宅にお邪魔して会長の趣味を色々みてみたいところだ。そんなことを話しているうちに、次のお客さんが来て(次の客は海上保安庁の人だった)、お別れとなった。大學堂のパンフを渡し、また再会したいと会長に伝え、漁協を出た。その後、半日空いたので、椎根という地区の石屋根倉庫をみにいき、ここでもミツバチの話を聞いた。ここでは崖を登って巣箱を見せていただいた。
戻って、調査の打ち上げに、居酒屋で夕食をとることにした。廃校でアートファンタジアの人と話をした時、「この店だけは一度行ったほうがいい。名物おばばがいる」という情報を得ていたのでその店へいく。店に入ると、馴染みらしきおじさん数名が笑顔でカウンター席で手招きして客の対応をしている。言われるままにカウンター席に座ると、「どこからきたの?」「何しに来たの?」と聞かれるままに答える。するとおじさんの一人が「面白い!今日はうちで泊まりなさい」と、入店30分で今日の宿が決まってしまった。
このおじさん、おばばの店の常連客で、福岡からUターンで戻って来たそうだ。そして、老後を対馬か五島で釣りをしながら過ごしたいという。色々な話をしたのだが、おじさんも、そしてなぜかおばばもやたらと歴史に詳しい。おばばは物知りで有名で、歴史から生き物まで幅広くお話をしていた。話をしながら、次々と客のグラスに日本酒をついでいた。しばらく飲み食いしていると、今度はおばさんが入ってきた。このおばさんが、またしてもたまたまなのだが、川口さんと一緒に民泊をしている方で、毎年民泊で高校生を受け入れているのだという。古代米の話をすると、うちは「かばしこ米(対馬の香り米)」を育てていると盛り上がり、次の日にかばしこ米をいただけることになった。さらにさらに、この日家に泊めてくれたおじさんは、板付遺跡の調査をしている方と知り合いで、しかも板付遺跡では弥生時代の田んぼを復元しようとしているとのこと。おじさんはその場で板付遺跡の調査員に連絡をとってくれ、思わぬ形で次の古代米調査につながったのだった。
こうして、一週間の調査は終わった。対馬の養蜂は、山での捕獲と家での育成のどちらも盛んで、その力の入れ具合は人によって様々だった。捕獲機や採蜜方法、蜂胴の形はある程度似ているが、それぞれの力を入れている部分によって差異がある。どの人も丸型蜂胴、角型蜂胴、重箱の3種類を持っていてそれぞれに試しているのも印象的だった。そしてどの集落でも養蜂経験のある方がいて、やはり全体として蜂飼いの密度が濃ゆい島だった。
旅の部分については、初日に重要人物に会うことができ、その時に聞いておいた色々な情報が最後まで役にたった。どの人との出会いも偶然のようであるけれど、その偶然は予期された偶然でもある。特に、電気屋のOさん、巣箱でニュータウンを作ったKさん、漁協のラスボスNさん、おばばの店は、それまでの情報から「これは会っておかねば」とほぼ確信して訪問している。
偶然をキャッチする予期のアンテナは多いほうがいい。今回は二人だけだったからミツバチと米関連の人がメインだったけど、他の誰かと一緒だったら、また別の出会いがあるかもしれない。だからみんなも一度は対馬に遊びに行ってみて欲しい。対馬にはまだまだキャッチする偶然がたくさんありそうだから。