2021年12月25日土曜日

夢のとらだるま

 

目の前に並ぶ、丸められた粘土。そのひとつひとつに、器用に化粧を施すひとりの人間。この光景はどこかでみたことがあるんだ。最近ではなくて、10年、いや15年以上前なんだ。



僕が見たことがあったのは、「孤蝶の夢」という作品だった。とある映像作品の脚本家が、新作の主人公をどう扱おうかと頭を抱えていたときに、夢の中で陶芸家の女性と出会う。そして現実世界でバーに立ちよったとき、その陶芸家とそっくりな女性と出会うという話だった。


脚本家は、主人公と敵「魔デウス」の描き方に悩んでいた。同じころ、物語の主人公は陶芸家の女性と出会っていた。脚本家と主人公が入れ替わったり、ときに一体化する作品だった。物語を描く側でありながら、同時に物語の中で生きている。魔デウスの力は強大だ。巨大で、スベスベで、丸い形をしていて、粘土のような灰色だ。どんな攻撃を受けても傷ひとつつかない。自由自在に自身の体を変化させ、主人公を苦しめる。絶体絶命のピンチである。脚本家はその戦いの様子を目にしながら、瓦礫の間で立ちつくしていた。



ストーリーの終盤で、主人公が自信を描く脚本家と同一であることに気づき、自分が勝利して終わる脚本を書き上げる…という脚本を思いつき、提出すると大好評だった。ホッとした脚本家は監督との打ち合わせで居眠りをしてしまう。すると夢の中で、敵が再び現れた。街をもう一度破壊していく敵を目の前に、揺れる会議室の中で、監督は脚本家を必死で起こそうとするのだった。「おい!こいつに夢を見させちゃヤバいんだ!おきろ、おい!」



「孤蝶の夢」を見終わったあと、心臓がずっとドキドキしていたことを自覚するまで、少し時間がかかった。メタフィクションや第四の壁という言葉を知らない5歳児の心は、「こういう作り方をしてもいいんだ」という言葉で埋まっていた。「孤蝶の夢」以外にも、「恐怖の宇宙線」や「狙われない街」などの好きな作品が、すべて同じ監督の作品であることを知った。実相寺昭雄という人だった。



主人公は敵の名を問う。

陶芸家「名前から発想しますか…天才・金城哲夫的ですね…デウスエクスマキナをもじって、魔デウスにしましょうか」



僕は粘土の球体の名を問う。

カエル「名前?…とらだるま」




無表情だった魔デウスは、「とらだるま」として産み落とされ、年の瀬に大勢の手に渡る。一年に一度の泡のような、一瞬の戯れのような夢の時間へと導いてくれる。瞳を描かれたとらだるまがじっと座っている様子は、さながら京都の三十三間堂のようである。





 

2021年12月19日日曜日

煎るべきか、蒸すべきか


鉄板が十分な温度に達したので、蒸すよりも先に煎ることにした。焼き芋をくれた女性からカゴひとつ分の葉をもらった私たちは、自分たちで摘んだ(押した!)ものに女性からもらった分を加えたうえで半分に分け、片方を煎ることにした。



ドラム缶に乗せた鉄板の中に葉を放り込み、両手で揉みながら全体をかき混ぜる。ときどき鉄板に押しつけるようにして、時間をかけて乾かす。ぐったりしていた葉は少しずつ身を縮め、バラバラという音は次第にカサカサと軽くなる。じわじわと力を奪われていく葉は初めこそ身を寄せ合っていたものの、潤いをなくし乾ききった両の手は、たとえ頬を撫でたとて互いを傷つけるばかりだった。



私とチクワと先ほどの女性の3人で葉を揉んでいたが、女性が途中で葉をふるいにかけるという。一度鉄板から葉を取り出し、布を敷いたザルの上でふるいにかける。ふるいからこぼれた葉のカケラが風で飛ばないように注意しながら、残った葉を再び鉄板に戻す。この作業を何度かくりかえす。すると、丸々としていた葉はさながら即身仏にならんとして絶食をおこなう高僧のように、ありとあらゆるものが削ぎ落されていく。最後に残った一本の茎が「白折」と呼ばれる。

煎る作業では、葉を焦がさないようにする必要がある。なかには焦げた葉で作ったお茶が好きな人もいるらしい。

「じゃあ、ちょっとだけ焦がしてみましょうよ」とは、言えなかった。



さっそく、煎ったばかりの葉でお茶を飲む。緑色の砂金をぱらぱらと急須に落とし、ひしゃくで熱湯をそそぐ。はみ出し者がひしゃくから逃げ出し、つまずいて、錆びたストーブの上に転落した。その悲鳴はだれに聞こえただろう。紙コップを満たしたお茶は、蛍光ペンをそのまま溶かしたような、目の覚めるような鮮やかな菜の花色をしていた。

少し冷ましてから一口。わずかに青臭さを感じられる。新鮮さの証拠だろう。

「味はいまひとつかもしれんけど、なんにも(薬など)つかってないから」

飲み干した瞬間、新たに注がれる。なんにも使ってないからこそ、いくらでも飲める気がした。他の参加者はそれぞれ弁当やお菓子を持ち寄り、談笑していた。

「空いたよー」

「おー、じゃあ、やろかな」

煎る作業の順番待ちをしながら、それぞれ持ち寄った弁当やお菓子を食べて過ごす。

 

「もともと四国の、徳島の町でやりよる方法をそのまま導入したんやけどね。これだと飲むまで数日かかるから、煎る方法も使う。これならすぐ飲めるやろ」

そういうと、男は釜の蓋を開けて、お湯の様子を見た。どうやらいまひとつのようだ。

「蒸すのは30分ぐらいかかる」

私たちはまだなにも手をつけていない葉を用意し、沸騰するのを待った。

「これ少ないけど」

焼き芋の次はおにぎりと卵焼きとキュウリちくわをもらった。梅のふりかけが混ぜられ、巻いていた海苔がもう柔らかくなったおにぎりは、とても懐かしいものだった。

「これぐらいでいいかな。葉っぱもってきて」

そういわれた私たちは、残りの葉を釜の上に置かれた蒸し器のなかに投入した。煎った葉と蒸した葉では、お茶の色が全く違うという。蒸し器の間から漏れ出る湯気が、かすかな葉の香りを連れてくる。紙コップはもう乾ききっていた。

 

 蒸しはじめてから、20分ほど経過していた。

「今日は葉の数が少ないから、もう混ぜて良いかも」

チクワが蒸し器の蓋を開けると、窓の向こうの雲の果てに心惹かれる鳥のように、自由を得た湯気が飛び立ち、たちまち消えていった。混ぜ終えた後もう一度、少しの時間蒸してからカゴに葉を移し、天日干しにする。

「上から網かなにか置いとかんと、風で飛んでいく。まえに、全部飛んでった人がおった」と笑う。





「この方法でつくるお茶は、さっきのとは色が変わるんだよ。ああ、もうどれがだれのか分からんな」

説明しながら、私たちの前に新しい紙コップを置いた。すでにつくっていたといって、蒸した葉のお茶を飲ませてくれた。注がれたお茶は、赤みの強い黄色(金茶色というのだろうか?)だった。痛いと言えるほど熱いのでほんの少しだけ口に含む。煎ったときのお茶と異なり、青臭い匂いを感じなかった。煎ったお茶を中学生とするなら、蒸したお茶は初老ぐらい、かな。草っぽさを感じないぶん、増した苦みが何の邪魔もなく味蕾に到達する。

お茶を飲んで気持ちが少しでも楽になる瞬間は、心地よかった。


 

葉の匂いで満たされたレンタカーに乗って、山を下る。車が揺れる度に、後ろからカサカサと笑い声が聞こえる。

「これのナビも使えるんだけど……下道で帰ろうか」

画面を押しながら目的地を設定する。所要時間は1時間を超えていた。ダメだ。下道で帰ると車を返す時間に間に合わない。しょうがない、また高速に乗って帰ろう。私は車載ナビを消し、スマホを叩き起こした。

陽光が山の向こうであくびする。


摘むよりも押せ!

 


お茶というと、私とともにあったのは麦茶だった。年がら年中、冬でもキンキンに冷やした麦茶ばかり飲んでいた。幼い頃は、緑茶は年寄りの飲み物だと思っていた。祖母が毎朝、テレビの音量を上げながら、きっちり15分かけて飲んでいた。

 

すっきりと乾いた青空の下で、赤い軽自動車に乗った私たちは、まったく対向車がこない道路を走っていた。運転手はチクワで、ナビは私のスマホだった。私自身はやることがないので遠くを見ていると、いやでも山が目に入ってきたのだが、この日の山はふだん考える山とは少し様子が違った。

私の思う山は刑務所の塀のように頑強で、非力な自分にはどうしようもできない存在だ。しかし、ここから見える山に、威圧感は感じなかった。なだらかな山が何層も重なり、奥へ奥へと続いていた。山は奥へゆくほど標高が少しずつ高くなり、まるで舞台から眺める客席のようだった。手前の山から奥の山に向かって大きな手のひらで撫でれば、犬や猫の極性をもつ毛並のように、その触り心地は滑らかだろう。

 

 高速道路を抜け、言うことがしょっちゅう変わるナビをなだめながら、どうにか茶畑に続く一本道に辿り着いた。道に入るとすぐに山へ導かれ、日陰でうすら寒い坂道の上り下りを繰り返した。上り坂で日差しに目を刺されないように車の日除けを下げた途端、下り坂になる。ふたりで日除けをパカパカと開け閉めする様はコントのようだっただろう。日除けは諦め、眩しさと冷たさに振り回されていると、左手に茶葉を扱う工場がいきなり現れ、ナビは消え入るように眠りに落ちた。

 

 私たちは空き地の一番奥に駐車した。長靴や運動靴を履き、カゴや草刈り機をもった人たちが既に出発しようとしていた。挨拶をして話を聞くと、今日は既に切り落としてある木の枝や草、そして石を作業のじゃまにならないように除いた後、茶摘みをするという。

ずんずん歩いていく皆についていくと、茶畑は思った以上に斜面で、転べば大なり小なりケガをするのは確実だろう。すでに運ばれていた大量の枝は、畑の端に沿って置かれているので巨大な鳥の巣のようにみえた。道が開けてくると、次は地面の石をどかす。石を探すためにかがむと、動物のフンのかたまりがあちこちに見つかった。野ウサギか鹿か分からなかったので後で調べてみると、野ウサギのそれは「饅頭型」で鹿のは「俵型」らしい。おそらくここで見たものはシカのものだろう。


そろそろ茶摘みかなと思っていると

「袋ある?なかったらアレ使い~」と、白い土嚢袋を貸してもらった。

その人はズボンとベルトの間を指さして

「ここに少し挟むと作業しやすい」と教えてくれた。

言われたように袋を取り付けると、前掛けをつけている気分になる。

「下のほうを探すといい。大きいのがある。三分の一ぐらいたまったら、いいかな」と笑った。

 

さあ探すぞと意気込んだはいいものの、なかなか大きい葉が見つからない。どれもほとんど変わらないじゃないか。どこにそんなに大きいのがあるんだ。しゃがんだり、立ったり繰り返しながらしらみつぶしに探すこととなった。

突然、何の前触れもなく葉っぱが動いた。風が吹いたわけでも、朝露が落っこちたのでもない。「ぽろん」と鍵盤の上を踊る軽やかな中指のように、ひとりでに葉が動いたのだ。これは虫の仕業だろうと勘づいた私は、茶葉を探すのもそこそこに、その虫を探すことにした。

動いた葉をそっと裏返すと、バッタがうごうごと何かを食んでいた。昆虫は果糖を認識できるとどこかで聞いたが、それは「おいしさ」として感じているのだろうか。単なる「栄養」であるなら、すこし寂しい気もする。



バッタを捕まえて弄るのも、しばらくすると飽きてくる。バッタもいつまでもじっとしていられないようで、私の親指と人差し指の間で自転車を漕ぐように脚を動かしはじめた。もういいや、と思い指を離すと片足だけポロっと落としてへこへこ逃げていった。

 

葉を探すことに専念することにした。バッタを捕まえる道中、奥にそれなりに大きい葉があったのでそこを中心に葉を摘んでいった。葉を摘むときに気づいたことがひとつある。それは、葉を摘むときに必要な「力」のことだ。力といっても、相手は葉っぱ一枚なので、たいした工夫はいらないが、引っ張る・つまむ・ちぎる……といった普段の指先の動きのなかで、今回最も効果的だったのは「押す」ことだった。葉を奥に向けて押す。こうすると、それ以外の動きよりも力を入れる必要がなかったのだ。「押す」という表現も似合わないほど、「葉にあてた親指を奥へ動かす」。ただそれだけで、思わず笑ってしまうほどポロポロと葉が落ちていくのだ。これでは茶摘みというより茶押しである。

 

ひたすら楽しく葉を押していると、「どない?」と頭上からチクワの声が聞こえた。かがんでいた体を起こすと、周りの人の気配はすっかり消えていた。チクワの袋には十分な量の葉が溜まっていた。かたや私のほうは途中でバッタと遊んでいたこともあってわずかに足りなかった。「もうちょい」と言って急いで葉を集め、駐車場からのぼる煙の方へ向かった。

 

煙は、ドラム缶の中から立ち上っていた。そのドラム缶の上に巨大なコンタクトレンズのような鉄板が置かれ、十分に熱せられるのを皆で待っていた。その時間、私とチクワはひとりの女性から焼き芋をもらった。私は朝食を食べていなかったので、それを腹の中につぎつぎに押し込んだ。

 

2021年12月2日木曜日

星先こずえさんの展覧会

 今日は、大野城まで星先こずえさんの展覧会を見に行き、そのあとずっと取材をさせてもらった。


図録でいくつかの絵は見ていたが、実際の現物の絵はとても大きくて、布や紙を貼り合わせた独特なテクスチャーで描かれており、迫力のある素晴らしいものだった。緻密な線と独特な色遣いが美しい。力強くおすすめ。

話は苦手と聞いていたので、短時間で切り上げるつもりだったが、話が深まるうちに1日仕事になってしまった。こずえさんも、さぞかし疲れたのではないかとおもう。彼女にとっての「動物の絵」について、なぜ描くのか、なにを描くのか、などなどいろいろ語ってくれた。

「話したくなければすぐに話すのやめるので」といっていた彼女は、人にあわせることのないとても正直な人なので、私とずっと話をしてくれたのは、きっと楽しかったに違いないと思っている。

そして、今日の取材の内容は次回の民博での研究会「『描かれた動物』の人類学――動物×ヒトの生成変化に着目して」(12/12 13:00から)と、アートスペースOperation  TableでのKitaQ BRUT トーク「「ヒトはなぜ動物を描くのか?-アールブリュットからの視線」」(12/18 14:00から)で報告する予定です。

おわかりのとおり、めっちゃめちゃ自転車操業な私の毎日です。