2022年12月28日水曜日

生前葬

 【死と再生 その1】「死と再生の宴」が終わった。もともとこの企画は、火災直後の大學堂の存続が危ぶまれていたときに、生前葬のような気持ちで立ち上げたものだ。大學堂の生前葬なのか、私自身の生前葬なのなのか、わからないけど。昨日はずっと、自分の葬式も、こんなにぎやかで楽しければいいなと考えながら、その場に立ち会っていた。「ありがとうみんな」と空の上にいる気持ちで。



【死と再生 その2】野研というのは、私自身が学生時代に京都に育てられた学びの環境を、九州でも実現したくて20年以上前に始めた自主ゼミだ。よく誤解されるが、野研も大學堂も私のための事業ではなく、次の世代の人たちのための事業である。私もメンバーの一人に過ぎない。





【死と再生 その3】大學堂の場が、古い市場に求められたのも、決してなにかのノスタルジーではなく、野研の新しい学生たちが、なにか次のことを始めるための最初の足がかりとして、市場が持つあの熱量がふさわしかったからだ。そしてこれまで旦過市場と大學堂には、たくさんの野研メンバーが育てられてきた。


【死と再生 その4】もちろん私自身も大學堂でたくさんのやりたいことを、させてもらった。でも、そんなときでも、どこか、「面白いことってこんな風にやるのだよ」と、新しい人たちに自分の背中を見せるような気持ちだった。学ぶ立場と教える立場の気持ちが交錯した。



【死と再生 その5】私にとっての大學堂は、火災の後の解体で完全に終焉した。すでに、その前の旦過市場の再開発の話が出たときから、もう大學堂は終わりだ、という気持ちがあった。だから「再生の宴」は、次の人たちのための宴だったのだ。あのプログラムも、すべて次の人たちのためのプログラムだった。長く野研や大學堂と付き合ってきてくれたベテランたちの中から、次のあたらしい芽が生まれる。先に死んでいくものは、それを空の上からそれを見ていればよい、そういう気持ちだった。


【死と再生 その6】そんな思いの一方で、この再生した大學堂を、次の人たちが必要とするかどうかはわからない。野研という学びの場も、それが重荷になるくらいならば、捨ててしまえばいいと思う。求められれば与えるが、求めるものがいなければ、もう与える必要はない。


【死と再生 その7】今日は、過去の野研や大學堂のメンバーが集合する同窓会である。もともと同窓会のようなノスタルジーが嫌いな私は、すでにはじめから後ろ向きの気持ちである。過去の人たちと昔を懐かしむよりも、未来の人たちと新しいことを始めて遊びたい。でも2022年に、ひとつの時代が終わってしまったことも、受け入れなければならないだろう。この同窓会も、大学退官の最終講義みたいなものだと思えば、受け入れられるのかもしれない。つまり、これもまた、ひとつの生前葬なのである。






2022年12月11日日曜日

とおくをみやる

 


寒いねと話しかければ寒いねと


答える声を殺す銃声



寒いまんまだね

2022年12月1日木曜日

怪しいチラシ

今朝、学校で配られたチラシ。

参加費も、連絡先も、書いて無い。怪しいチラシ。



笑って居るけれど、何処か狂気じみて居る。

そもそも、ドームとは何なのだ。そのスター☆ドームとか言うもので、何をしようと言うのだ。

もし恐ろしい儀式めいたものが、ここで開かれようとして居るなら、何としてでも止めねばなるまい。ここは僕らの街だ。僕らが守らなければ。

チラシに書かれた日に夢広場に向かうと、まだ太陽の監視がある内から、怪しい集団が儀式の準備を始めて居た。

長く割かれた竹を繋いで組んで、巨大な半球が形作られて居る。これは牢屋であろうか。生贄を捉えて逃がさないようにするための。

大人にも子供にも見える怪しげな集団は、着々と儀式の準備を進めて居る。車を乗り上げ、沢山のコードが付いた機械を下ろす。ドームに幕をかけ、その内部を隠す。その不審な前座に、夢広場に居た小さな子供たちが気を取られ始めた。

太陽が沈んだころ、遂に奴らは動き出した。あろうことか、公園で炎を焚いたのだ。



僕らの公園が、紅く染まる。合わせて、僕らを誘うように音楽が鳴り始めた。何も知らない小さな子供たちはハーメルンよろしく吸い込まれていった。

白い幕の張られたドームには巨大な影が蠢き、血のように赤いハートの描かれたドームの隙間には、色鮮やかな大粒の雫が見え隠れして居る。



繭のようなドームもある。その中を覗くと、言いようのない不思議な香りが鼻腔に流れ込んで来た。一体何が孵ろうとして居るのだろうか。



子供たちは奇声を上げ、走り回り、最早夢広場は地獄の体裁を成して居た。いとも簡単に、僕らの日常は奪われたのである。

次第に、或る者は手首が発光し、また或る者は炎を前に踊り始める。とうとう完全に奴らの手中である。この儀式は子供たちを生贄に、奴らの仲間を増やすものだったのだ。



後悔先に立たず。眺めて怪しむだけでは、守ることなどできないのだ。行動しない者に、結果は伴わない。僕の無力さを嘲笑うように、遠くで月が浮かんで居た。

あの月は、見たことがある。あの、全ての始まりのチラシ。奴らは全て計算して居たのだ。





僕は逃げ出した。どうすればよいのかもう分からなかった。悔しさと怒りで胸が詰まる。涙で帰路が見えなくなったが、点々とした明かりが僕を導いてくれて居た。


 

それはこの街の命の灯火のように見えた。まだだ、まだ終わって居ない。僕らの街を取り戻すのだ。

僕はアスファルトを踏み締めて帰った。







翌日、僕はまた夢広場へ向かった。昨日は眠りに就けず、ずいぶん遅い時間になって起きたので、少し焦った。

夢広場に辿り着くと、そこにはいつもの光景が広がって居た。遊具と、自転車と、子供。ドームも、巨大な影も、機械も忽然と消えて居た。

誰も、あの夜のことを覚えて居ない。ただ、怪しいチラシだけが、家のテーブルの上、朝刊の下敷きになって残って居る。

だけど、僕は覚えて居る。あの夜、何があったか。あの集団はあの儀式は、きっと次の場所に行ったに違いない。そして、また子供たちを拐かしているのだ。

君の街が、その標的にされないことを願う。そして、もし狙われたのなら、君は行動を起こして君の街を守って欲しい。