嘉徳浜、奄美大島の南東にある入江。KATOKU beachという名で日本よりも海外の方が有名かもしれない。
南種子や西表の西部など、私はこれまでたくさんの美しい海岸に泊まってきたが、それに勝るとも劣らない豊かな浜。海と浜と川と山が見事に調和した小宇宙。
この浜にコンクリートブロックを並べるという計画が進行している。
どんな立派な文化遺産よりも、歴史ある遺跡よりも、人智を超える自然が作り上げた見事な景観や生態系の価値は、計り知ることができない。
しかし、なぜこの国では自然や環境の保全に税金が使われないのだろうか。なぜ生態系が私たちに与えてくれる、たくさんの恩恵に対する資源価値や経済効果を、そのほんの一部でも正当に評価できないのだろうか。
この国では離島振興は土木工事でしか実現しないと信じられている。離島だけではない、建築会社と政治家が結託して税金を投入する構造は、日本各地で今も行われている。工事によって生まれた新しい問題を、さらに工事によって解決する。そうやって無限にお金がおりるのだという。しかし、そんな永久機関など一時の幻覚である。ネズミ講のような詐欺である。破壊と建設を繰り返しながら、国土を荒廃させていくだけの、三途の川の石積みは、結果としてむしろ経済を疲弊させ死への道行である。自分の世代さえ潤えばそれでいいのだろうか?
文化遺産を守るためには多大な税金が投入され、その守り人たちは誇りを持って、祖先から代々引き継がれてきた財産を次の世代に伝えようとしている。しかし、なぜか自然遺産に対しては、そうした仕組みが十分にできていない。
よく誤解されているが、こうした遺産を守ることは決して観光のためではない。文化遺産を守る目的が観光のためではないのと同様に、自然遺産を守る目的も観光のためではない。遺産の価値利用や経済化のために観光があるのではなく、観光は遺産を利用し利益化している寄生虫のようなもので、時には遺産の価値を矮小化してしまう必要悪でもある。だから私は観光に期待をしていない。
そうではなく人として生きるために、こうした豊かな自然が必要なのだ。海に抱かれながら、歴史や文化や人間の暮らしを感じること。時は厳しく時には優しい自然に圧倒され、自分がここにいる奇跡を感じながら、その恩恵をいただいて生きていく、自然遺産とはそういう資源なのだ。
2年前に嘉徳を訪ね、ぜひここでアダンサミットを行いたいと考えた時に、すでに工事の話は動き出していた。東日本震災のあとダムや道路に変わる新しい公共事業の口実である国土強化の名の下で認可基準が変わり、日本中の海岸への護岸工事が一気に進められていた。
新型コロナの流行の中、この海岸が壊されてしまう前に、アダンサミットを開催したいと考えていた。しかし、工事を差し止めるための活動やそれに対する嫌がらせ、複数の裁判の進展に、現地の人たちはまったく余裕がなく、なかなか開催の目処が立てられなかった。
本当であればもうすでに着工されていたかもしれない、しかし現地の人たちの根強い運動と、工事用の道が対岸の崖崩れで使えなくなるなどの、いくつかの奇跡が重なり、まだ浜は手付かずのまま残っている。
今が最後のチャンスかもしれないと思った。
たくさんの人にこの浜をみてもらい、この浜がここにあることの意味を感じてほしいと思った。護岸に賛成する人も行政も、ここで一度たちどまり、考えてほしいと思った。
かつて奄美大島では、自然の権利訴訟として有名なアマミノクロウサギ裁判があった、嘉徳村もごみ処理施設の建設を撤回させている。そうした取り組みの結果が、世界自然遺産への登録につながったことを思い出そう。クロウサギの次はアダンである。
しかし近年になり、ここにミサイル基地が作られ、護岸工事が具体化した。私はそこに、自然を壊し尽くし汲々と生きている都会の怨念を感じる。国や鹿児島県は、奄美大島の片隅に、自分たちが失った豊かな自然が残っていることを、許せないのではなかろうか。世界に誇る財産を持つこの村を、価値のないただの不便な僻地にしたいらしい。
今回のアダンサミットを通じて、ここに住む人に出会い、雄大な浜の自然に出会えた人は幸いである。もしかすると来年には、自然の営みはコンクリートに遮られ、何百年と続いたこの景観が、もうなくなっているかもしれないのだから。だから、参加出来た人は、参加出来なかった人のためにも、自分が見て感じた事を多くの人に伝えてほしい。これからもここが残っていくことを願いながら。
私たちは、海に抱かれ、嵐の激しさに怯え、満天の星を見ながら、焚き火にあたり、波の音を子守唄に、浜に眠った。きっと人はみな古来からこの同じ風景を見てきたはずだ。せっかくこんな美しい世界が、すぐ近くにあるのに、どうしてわざわざコンクリートの建物に泊まる必要があるだろうか。ここには人生のもっとも贅沢な時間がある。
ことに夜明けの美しさは格別である。どんなに暗い夜でも、その終わりには鮮やかな朝がやってくる。紫の雲、赤く染まる空。キラキラと光る水面。誰かに告げるでもなく、ひとつの言葉がぽろりと漏れた。「ありがとう」。
私たちは何も残さず、来た時のままの海に別れを告げ、静かに浜を立ち去ることにしよう。 6