2024年9月28日土曜日

能登へ

 深い山や海のそばに立っていた家々は、地震と津波で何度もゆすられて、なぎ倒されて、へしゃげて、もとの形を失っていた。住人のいなくなった村や町で、積まれた瓦礫がしずかに片付けられてゆく。何年もかけて作り上げ守られてきたはずのものが、最初から何もなかったかのように更地へと帰ってゆく。



隆起で白くなった岩に激しく波がぶつかる。

海は変わらずどぎつい光を繰り返す。

ざあ、ざあ、ざあ、ざあ―

人間がこんなに哀しいのに、あんなに海は青いのか。



帰り道、塩田に立つひとりの人夫を見た。燃えるような西日のなかで、ひたむきに四肢を動かして海水を撒いていた。
ああ、哀しくはなかったのか。
たくさんのものが壊れて失われても、人間は生きていて、美しかった。


小籠包

2024年4月21日日曜日

エチオピア学会なるもの

みんながさまざまな仕事に尽力している間、ひとり抜けて第33回日本ナイル・エチオピア学会に行ってきました。連日MOGAやタウンパレードでバタバタのさなか、失礼いたしました。

私は学会員ではないけれど、金子さんの口利きで、エチオピアに関心を寄せる非常に熱心な学部生として心安く受け入れてもらったのでした。エチオピア学会の会費はさらに値上がりするかもとのこと。50人もいないくらいの学会だったから、続けていくのも大変なのでしょう。学生特権をありがたく享受しました。


4/19(金)

飛行機で成田へ飛び立つ。中目黒のエチオピア料理店「クイーン・シーバ(シバの女王)」で、東京の友人と待ち合わせる。地下のこじんまりとした店内には怪しい仮面や絵画が並び、天井からはシマウマの毛皮が垂れ下がっている。案内された席には、動物の皮が飾ってあった。捕えられた女性を助ける英雄が描かれているようだ。四者四様の意味ありげな視線がポイント。






フムス(ひよこ豆のぺースト)を揚げたもの、羊と鶏の串焼きのあと、ついにインジェラが運ばれてきた! インジェラはエチオピアの主食で、テフという穀物を発酵させ、薄いパンケーキ状に焼いたものだ。オペ看の友人は、その色と表面の穴ぼこを見てひとこと「肺みたい」と言った。

インジェラの上にはのっているのは、牛肉のカレー、煮込んだ羊肉、スクランブルエッグなど。素手でインジェラを少しちぎって、具材と一緒に食べる。口に入れた瞬間、緊張する匂いと味がひろがる。発酵による酸味と、湿度の高い生地、スパイスたっぷりの具材がなんともいえないマリアージュを繰り広げてくれる。



 静かに食べ進めていると、突然スーツ姿のエチオピア人たちがどやどやと店に入ってきた。ネットで調べると、目の前のエチオピア人が教育大臣として外務省のニュースに掲載されていた。なんというmiracle。アムハラ語の挨拶を調べて、英語で声をかけてみる。


"Are you a minister of education?"

"No!"

"Oh!(めちゃ恥ずかしいやん) Really?!"

"No!"

"Why did you find it? Did you check?"

"(やっぱりそうなんかい)Yes, I checked it!"

"Oh you're a very brave girl."

"Yeah, I'm a student of Kitakyusyu university."

"Where is it?"

"Kyusyu. South of Japan. "

"What do you study?"

"Anthropology. I came here to participate the Conference of Ethiopia in Toyo university tomorrow."

"Oh good."

"Actually, I hope to study abroad in Ethiopia, Adis Abeba university. "

"Nice."

"Very nice to talking with you."


店を出ると、エチオピア大使館の車が停まっていた。路駐していいんだ。





4/20(土)

上野の弥生美術館へ。勉強のために夢二の絵を見に行く。夢二の動物はなんとも言えないゆるさだ。





印象的なのはミュージアムグッズ。大量のポストカードにはじまり、一筆箋、メモ帳、ブックカバー、トートバッグ、アクリルスタンド。あらゆるグッズが、小さな美術館の一角を占領している。小さな美術館だからこそ、なにかおみやげを買って帰りたくなるのだろう。デザインもすてきだ。

MoGAのチラシも置かせてもらった。



 午後からは東洋大学でシンポジウム。月経とサニテーションの課題についての発表。唯一の知り合いの金子さんに、学会の主催をしている東洋大の中村さんを紹介してもらった。はじめての学会で緊張していたけど、30人くらいのちいさなシンポジウムだった。台南のシンポジウムのときは誰にも声をかけられなかったので、ここでリベンジに燃えた。懇親会では会長の田川さんの隣に座らせてもらって、たくさん話をした。大介のことも大學堂のこともご存知でした。

「大学院にはいくの?」

「うーん。いろいろ考えるのですが、どうかなと」

「考えない。(周囲のエチオピア研究者を見渡して)ほら...何も考えてない。こんなことやってる人たちだからね。研究の道に進むってだけでも何も考えてないのに、アフリカ研究だからね。まあ、マイナスとマイナスをかけてプラスかな」

アムハラ語の集中講義をする若狭さんが相づちを打つ。

「そうですね。私なんて、オモロ語の受動態の接尾助詞は従来高いと考えられていたけど本当は低いこともあったんだって言って喜んでるんですから。アフリカ言語なんてやってるやつは更にマイナスかかりますよ」





4/21(日)

発表の日。寝ないように朝からコーヒーをしこむ。

開始時間の5分前に会場に入ると、北九大のC教室みたいな場所に40人くらいしかいない。開始時間を過ぎたあともちらほらと人が入ってくる。5分くらい過ぎてからゆるく始まった。

エチオピアはショア地方のパン文化に始まり、農業や建築、開発などさまざまな分野の発表があった。参与観察とか半構造インタビューとかよくわからない言葉がたくさんあったけど、ベルが鳴ったあと話し続けても怒られないとか、さり気ない冗談の言い方や笑い方を学んだ。発表もわからないなりに面白かった。質疑応答があまり出ないのが意外だった。




昼からはポスターセッション。発表のあと、探検部の藤本さんや曽我さんと話していたら出遅れた。すでに人だかりができていてうろたえる。まごまごしていたら、金子さんが話に入れてくれた。

ぷらぷらブースを回っているうちに、「ポスターより先に発表者に視線を合わせるんだ!」と気づいた。発表者に声をかけると、先に内容を説明してくれるし、流れで自己紹介もできちゃうのか。人見知りでついついポスターに逃げてしまっていた。


面白かったのは、エチオピア正教と重婚についての発表だった。エチオピアでは伝統的に一夫多妻だけど、キリスト教では重婚が認められない。矛盾しているようだが、むしろ重婚を許す存在としてマリア信仰が盛んになった、というような内容だった。発表者の方に「正教に興味があるなら、ゲエズ語の研究会に参加しませんか?」とお誘いをいただいた。全然分からなかったけど『チャンスを逃すな』というはでぴの言葉が頭をよぎり、一も二もなく「ぜひ!」と答えてしまった。これから私はどうなるのだろう。プラスになれるようにがんばりたい。



                小籠包










2024年3月1日金曜日

「リース遠征隊」を見て

 だれかを助けたり応援したりするのは、それほど難しいことではない。
もちろん、車椅子を引いて雪山に登るのは簡単なことでもないけど。

むしろ、クレイジーな物事に熱心かつ忍耐強く取り組むことや、そのために他人に責任を負うことのほうがよほど大変だ。人に迷惑をかけないで生きようとするほうが簡単なんだと思う。多少の迷惑はかけても、それ以上の喜びを与えられる人間になりたい。

そして、
すべての山にのぼって
すべての川をわたって
すべての道をたどって
いつか情熱を持てるものが見つかればいいな。      

                                  小籠包