2019年1月20日日曜日

酒蔵コンサート 1/19

今日はいつもより暖かい。こんな日は、チョコレートを少しかじりながら、レモンティーで体を温めたい。そう思った俺は、この酒蔵に足を運んだ。たぶん、そう思わなくてもフラフラぁ~っとここに来ているだろう。
時計の針の背すじがピンとする頃、ぼくは酒蔵の火鉢の近くに腰掛けていた。先週は女子学生が一人来たらしい。人関かな?人関だといいな。今週は誰が来てくれるんだろうな。俺はここでしか人関の人と話さないから誰か来てほしいな。
まだかな。
まだかな。
あ、誰だろ…なんだ犬の散歩かい。
時計の針が深々と礼をする。
まだかな。
だれも来ないな。
…おいっ!ジンカン!この際ヒブンでもいいから誰か来いよ!俺の知る限り今まで人関で来た人片手で数えられる程度だわ!男子は全く来ない!ちくしょう寂しいなおい。
もんもんとした俺は一番小さいチョコレートを1つ残し、他は全て食べた。岩田さんと自転車の今後について話した。お金貯めて修理代にするんでもうちょっとだけ置いておいてください。
結局、首をながあくして待てど暮らせど客は他に誰一人来なかった。ツイッターとかインスタで宣伝すれば学生はタダだってのになあ…

コンサートは少し遅れて始まった。何度もこのコンサートに来ていると、「お前、優しい芸術。…」とか「切るなら刺します。…」とか、曲の前に朗読される詩をちょっとずつ、覚える。へへへへ。こういう言い回しをレポートでいつか使えたらいいなあ。今日はいつもとは数曲違う曲だった気がする。「盲目の少年」とか初めて聞いたもんなあ。ほかにも、やけに愛情を唄う詩だなあと思っていたら、「これ、ストーカーの詩だからね。」だそうだ。皆さん、ショパンやシューベルトにかかればストーカーだって芸術になってしまいます。おそるべし。
曲の途中で、クラシュラ・スサーナという女性の話をした。日本語が話せるわけではないらしいが、CDでその歌声を聞いてみると、日本人だと思ってしまうほど日本語が上手い。少し低く、しっとりとしたその声は艶っぽく、優しい。誰に近いかな。「少女A」を歌う中森明菜…う~ん違うな。「喝采」を歌うちあきなおみ?…いややっぱり違うな。…そうだ!「時には母のない子のように」を歌うカルメンマキという感じかな。これがいちばんしっくりくる。CDを貸してくれるというので、家に帰ったら寝ながら聴こうかな。

コンサートが終わると、いつもの皿うどんのお店へ。このお店の主人は年末、体調を崩してしまったそうだから、会うのは久しぶりだ。少し重い扉を開けると、以前のにこにこした主人だった。安心した。大きい皿うどんをかきこむ俺の横で、岩田さんと皿うどんの主人は談笑する。
皿)「○○を最近見ないね」
岩)「忙しいんやろか」
皿)「いやこれじゃないかな(小指をたてる)」
皿&岩)「あ~~はっは!!(大爆笑)」
皿うどんの主人はすっかり出来上がっていた。8時頃から一人で飲んでいたらしい。なるほど。岩田さんもビールとウォッカを飲んで負けないぐらい上機嫌になっている。二人からは、かつての門司港駅の様子を聞いた。「博多駅より立派だった」とか、「バスが何十台も並んでいた」とか。今の駅を見て「すげえなあ」と思っていたけど、これよりすごいかったのか。すげえなあ。

岩田さんは何度も「もうちょっとだけ」といいながらウォッカを飲んでいたが、俺が皿うどんを平らげ、5分ぐらいしたら「そろそろ帰ろうかい」と言った。店の主人にごちそうさまでしたというと、俺たちは店を出た。ぽつりぽつりと雨がふっていた。今日、岩田さんからはCDと、あと本も借りた。「音楽の光と翳」という本。著者は97歳ぐらいまでずっと音楽への批評を行っていたらしいが、岩田さん曰く「音楽に詳しくない人にも簡単に理解できるぐらい、これほど分かりやすく批評をする人は後にも先にもいない」らしい。「批評が文学になっている」とも言っていた。いい本を借りた。帰りの電車の中でよもうかな。赤紫色のジャンパーが、その濃さを増していた。

0 件のコメント: