体に新聞紙を巻きつけてガムテープで形を整えるという用事が終わり、お礼として小さなおもちゃをもらい、さらに車で門司港まで連れていってもらった。電車代が浮いたのでラッキーだった。
この日は岩田さんが久しぶりに歌う日だった。数日前、店の1階の部屋を掃除するように言われたのはこの日のためだったかもしれない。マジメに掃除だけをするのであれば1時間もかからない。しかしどうしても集中できなくて、毎回ダラダラしてしまう。
店の中のモノに誘惑されてしまうのだ。掃除機をかけようとして動かした椅子に積まれたホコリをかぶった雑誌や、手書きで訳が書かれた付箋が貼ってある楽譜、店の空気に順応したピアノや2階の寂しそうな顔したオルガン、そして眼鏡とともに置いてある岩田さんの読みかけの本。中には仏像の写真集やヨーロッパの画家の画集もある。
ピアノやオルガンは鍵盤を弾くだけで楽しくなるし、雑誌を開けば「ああ、ここのうなぎ屋めちゃくちゃ美味そう」とか、「よく分からないけど、この絵の感じ、イイなあ」とか思って、また別の雑誌を探しはじめている。小林秀雄や開高健を知ったきっかけにもなった。高橋睦夫という詩人の本を読んでいたら、この人は岩田さんの高校の頃からの知り合いだという。
誘惑は止まらない。太陽を浴びたくなって庭に出ると、にくったらしいツユクサが伸びているのが見える。いくらとってもどこからかしぶとく伸びてくる。そんなツユクサを追っていくと、もう何年も動かしていないだろうという植木鉢がある。こういうものはひっくり返してみるに限る。案の定、虫が地中から溢れ出てくる。幼い頃、日当たりのわるい場所にあったトイレへと続く石畳を友達とひっくり返して虫を探していた頃と重なって、楽しくなってくる。ふと見上げると、青々としたレモンがいくつも実っている。目を凝らすと、まれに親指ぐらいの太さの青虫がよじ登っている様子が見える。もきゅもきゅという足音まで聞こえてくる。
ときおり、この庭は猫の遊び場になる。虫はいるし水も常にあるので、腹を空かした野良猫たちのオアシスなのだろう。猫を追いかけまわすと、俺にとってちょうどいい腹ごなしになることを最近知った。
誘惑は消えない。次から次へと、モグラたたきのように出現する。腹が減ると、もっと減らせば、いざ食事だというときのおいしさが増すだろうと考え、掃除も終わっていないまま店に鍵をかけて、門司中央市場へと足を運ぶ。「青鮮魚店」という魚屋が最近マイブームだ。ここはふぐ専門店だが、店主の奥さんが作るちょっとしたおかずが好きだ。
なかでも「鯛の南蛮漬け」が肉厚で、少し甘めで美味いのだ。これを1つ買い、先ほどの庭に戻り、レモンをもぎ取る。そして店の中で皿に盛り、レモン1個まるまる使って汁をかけて、食べる。これが美味い。毎回のように食べている。全く掃除が終わっていないのに、もう今日はやり切ったような満足感が得られる。
音楽を聞くにしても、虫や猫を相手に遊ぶにしても、魚を食べて喜びを得るにしても、これらは吸血鬼に噛まれることに似ていて、いったんその魔力に感染してしまったら、もう以前の健康を取り戻すことは不可能に近い。
0 件のコメント:
コメントを投稿