先月の12日から14日の3日間のこと。
下関からはじまった景色は、岩国を通過するまでほとんど変わらなかった。中高生の半開きの目がくたびれた問題集を往復している。車両はしんとしている。雨がゆっくりと車窓をノックしはじめた。しまった。折り畳み傘だけでもカバンに入れておくべきだった。とっさにカバンを開くも、さっき買ったばかりのサンドイッチが窮屈そうにしているだけだった。
噂には聞いていたが、こんなに蓮だらけとは思わなかった。おまけに列車の内装がとても綺麗だ。岩国には、そんな印象を受けた。蓮を目で追うことに一生懸命で、米軍がどこにいるかなんて頭からすっぽり抜け落ちていた。スマホの画面には「岩国おるん!」「岩徳線風情あるよねー」とメッセージがあったが、その岩徳線がどれかは分からない。そんなことどうでもいい。
もう学校から帰る様子の中高生がいた。先ほどと異なり、二人もしくは三人一組で椅子に座る。さっき配られたような真新しいプリントを片手に、「ア」とか「イ」とか言い合っている。街なかの駅で、中高生らは明日に備えて塾に駆け下りていった。それからしばらくのあいだ、車の音も、人の話し声も聞こえない。景色も佐伯から延岡までの見た目とほとんど変わらない。少し退屈だ。
「修学旅行は電車で行ったんだよ」男は、昔話をはじめた。
「席に座りきらないから、床に新聞紙をひいて、そのうえにザコ寝してたんだ」
「先生がこんな大きなヤカンにお茶をいれて、みんなについで回ってた」
「ひとりずつ米を持ち寄って炊いて、食べた。うちの母親は『うちの米はいい米なのに、他のと混ぜるなんて』て文句言ってたよ」
ここで一度降車して休憩。場所は白市駅。広島空港行きのバスの停留所が目の前にある。タクシーが複数停まっているが、乗る人間は一人もいない。傷ひとつない無人の改札を通り抜けると、空っぽのタクシーはどこかに走り去っていった。
「酒屋でもないかなと思ったんだけど」
トイレから戻ってきた男はつぶやいた。酒屋どころかコンビニもない。駅を出て右に少し歩いた場所に古い自転車屋があるのみだった。左には見慣れない機械があった。新聞の自動販売機だった。こんなところで誰が新聞を買うのだろう。七つ、八つの新聞社の朝刊が丁寧に横たわっている。待合室に腰掛けると、飛行機ダイヤ専用のモニターだけが、何も知らされず、変わらない顔をして普段通り働いていた。国内線、国際線。国内線、国際線。
白市駅から次の乗り換えまでは、30分ほどかかった。北九州の若松と似た雰囲気の町、糸崎。ここから少し辛抱すれば、今回の目的地である岡山にようやくたどり着く。
「この町はどういう産業で成り立ってるんだろうね」と男は言う。
この駅は分岐点らしい。乗客は全員降りて、岡山方面への電車を待つ。後ろには、広島方面行きの電車の中で発車を待つ者が数人いた。ひしゃげたサンドイッチを、手を汚さないようにして食べるのは難しい。そうこうしているうちに、黄色い電車が近づいてきた。私はゴミ袋を右ポケットに突っ込んで立ち上がった。
日差しが当たると、眩しいし暑い。でも、日陰に座ると肌寒い。ちょうどいい座席を探しながら二本目のペットボトルの蓋を開けた。流れる道路と海を眺めていると、暇そうなクレーンが手ぶらで立ちつくしている。尾道だ。白市駅のモニターが見たらきっと怒るだろう。
まどろみが隣に座った。なんだっけ、写真を介してワープする話。写っている場所だけじゃなくて、その写真を撮った日時までにもワープできる話。いやそんな話なかったかもしれない。なんでこんなこと思い出したんだろう。水平線に向かって高速で走っているような感覚が、一瞬で移動している感覚のようだからかな。もう何の音も聞こえない。
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目覚めると、私は見慣れない街にいた。そして自分は電車ではなくタクシーに乗っている。「高梁川」と書かれた看板が遠くに見える。
「どちらまで」と鏡越しに運転手は尋ねる。
「円通寺ってあるでしょ。そこの下のほうに高運寺っていうお寺があって、そこのお墓まで行きたいんですけど」
「ああ、あの右手のほうのね」
運転手は一瞬、間を置いて理解したようで、声が少し高くなった。
「そう。で、その前にどこかで花を買いたくて。すぐ近くの商店街の花屋ってまだやってますか」
「う~ん、商店街の花屋…いや、今はもうないですね。少し回り道になりますが、別の花屋ならあります」
「じゃあ、まずそこに寄ってください。」
「わかりました」運転手はシートベルトを締め、滑らかに車を走らせた。
「7、8年前にも来たんですけどね。もう当時と全然違う」
「ああ、そうでしょうね~。このへんの店は全部新しいですから」
「あのバイパスなんてずっと工事中だったのに」
男が指さす方向では、列をなした大型トラックが行き交っていて、電車のようだった。
「ああ、そんな前に。どちらからいらしたんですか」
「九州です」
「九州から!そうですか。それはよいことです。」
それはよいことです、なんてセリフを言う人間が本当にいるのかと少し驚きながら、私は会話を聞いていた。
「そこの花屋に寄りますね」
運転手は慣れた手つきで駐車し、私たちの買い物が終わるのを待っていた。私たちは小さな墓花を二輪購入した。
「うちはもともと玉島で酒屋をやってたんです」
「酒屋さんですか。へえ~そうなんですか」
「事情があって九州に移り住んだんですけどね。墓石だけは残ってまして。ずっと玉島でそこの墓守をしてくれてる家の方にも挨拶しとこうと」
寂れた商店街をしり目に、タクシーが短い橋を渡ると、道路が急に狭くなった。橋の近くにある水門が印象に残る。
「さっきのが墓守の人の家だよ」
もっと早く言ってくれよと思いながら慌てて後ろを振り返ると、かつてタバコを売っていたことが想起されるような造りがちらりと見えた。
「行けるところまで行きますね」
タクシーは速度を落とした。タイヤがバチバチと音を立てながら小石を踏む音を靴の裏で感じながら、車が一台ようやく通れるほどの急な坂を上った先にあったのは、「本覚寺」という寺だった。違う寺じゃないか、と思ったが、
「ここでいいです」と男は答えた。
タクシーが来た道を戻るのを見届けると、男は持ってきていた空のペットボトルを蛇口の水で満たし、本覚寺を抜けて、さらに上に続く坂道を上っていった。
「こどもの頃は、今の墓守のひとのお父さんが水を運びながら『こちらです、こちらです』って言って案内してくれていた」と、幼い頃の記憶を語った。
坂道を右に曲がると、棚田のように墓が並んでいた。
手前に、他の墓よりも少し広い、例えるならゼミ室ほどの広さの墓地があった。中心に1つあり、それを12の墓が取り囲んでいた。中心の墓の裏には、男の祖父母の名が刻まれていた。
「枯れてる花を全部回収して、脇に置いといて」
男はそういうと、中心の墓周辺の雑草を抜いた。ある程度抜くと、カバンからライターと線香を取り出し、風が当たらないようにしゃがみ、火をつけた。
私は枯れきった花をひとつずつ集めながら、墓に刻まれた文字を追った。風化してほとんど読めないものがほとんどだったが、「文久」や「南分家」という文字は読むことができた。後で調べたが、文久とは1861~1864年の3年間のことらしい。「南分家」は文字通り南の分家の墓だろう。12の墓のうち、3つほどは地面から私の膝の高さほどしかない、とても小さな墓だった。子どもの墓だろうか。
「墓石だけが残ってるだけで、骨は下関に移した。でも骨を移すとき、おじいさんのだけ見つからなかった。どうしようかと思ったけど、『おじいさんは西大寺(岡山市)の人だから、ここから離れたくないのだろう』という話にして、ここの砂を代わりに持って帰った」
そう語りながら、男は花を手向け、線香を1本、そっと寝かせた。男はしばらく手を合わせたまま首を垂れていた。その後、周りの12の墓にも1本ずつ、線香を寝かせながらそれぞれに手を合わせた。私も同様に手を合わせた。
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「このあたりまで、昔のウチの土地だったみたいよ」
「あの真っ黒いのは?」
「あれは、醤油屋。昔からあそこにある」
「この武田酒店も僕が子どもの頃からある」
「ああ、たしかここは昔の商工会議所だ」
墓守の家に向かって帰りの坂道を下りながら、男は町の説明をしてくれた。ゆるやかに曲がった道を歩いているあいだは、とてもワクワクした。清々しいまっすぐな道もすっきりして気持ち良いが、この町のように、曲がりくねってねじれた道も好きだ。住民が談笑している横を通りすぎると、水門があらわれた。
「うーん、いないみたいだね」
墓守は留守だった。何度か戸を叩いたが、反応はない。事前に連絡していると思っていたので、残念だった。
「ここは水門の管理をしながら、昔は氷と秤も売ってた。タバコも」
水門の管理という仕事が、全くイメージできなかった。役所の仕事だろうと思っていた。
というか、会えなかったことがとても残念であまり説明が耳に入らなかった。どうにか明日か明後日で会えないだろうか。墓参りと明日の図書館以外に予定は組んでいないし……