2019年5月27日月曜日

沖縄散歩


沖縄の路地の散歩はたのしい


コザからゴヤにあるいてみる


フナのように大群で泳いでいるのは外来種のテラピア


迷路のように入り組んだ裏道


こんなところに銭湯が、湯船に入る習慣が少ない沖縄で、こんな銭湯は珍しい


お約束のシーサーも個性があって良い


カワラヤの家がならぶ謎の谷間の集落


上にはウタキがあり街を一望できる



室川井戸から湧き出す水。謎の聖地の秘密を発見



こんな聖地にであえるのが町歩きの醍醐味だ。


ゲート前を歩く


島野菜を楽しむ


商店街の中を歩く


ドラゴンボール関係?


異次元の色使い


街中の映画館


音楽が聞こえる


高校生のバトルライブだ


なかなかレベル高い。ここからコザをはなれてマキシヘ。


建て替えをするというマキシの公設市場の最後を見に来た


国際通りのすぐ近くにも謎の聖地がある


主のいない廃屋


野研卒業生のチュラとナカンダと合流し廃墟へ潜入


だんだん、やばいことになっていく霊感系のナカンダ


チュラは平気


出た!にげろ


「こんなところになんで牛がいるの?」と、指さすナカンダ。
だいぶ、とりつかれている。


知らないと、とてもはいれない、つけ麺や。開店中


ここでいったん散歩終了。

2019年5月13日月曜日

お茶を摘んで製茶する2019

若松にある農場、周辺の生け垣に、かつての茶の木がのこっている。


ぜいたいくな若葉だけを使いたかったので、一芯三葉ではなく一芯一葉の方針で摘んだ。


GWごろが理想だったのだが今年は少し遅れたようだ。30分あまり摘んでやっとこれだけ。


数十秒間、蒸した茶葉をひたすらもむ。焙炉のかわりに、フライパンを使う。火をつけたり消したり、高くならないように微妙な温度加減で乾燥させながらもむ。


30分もんでやっとこんな感じ



さらに、もみ、ほぐし、かわかし、またもむ


ひたすらこれをくりかえす


暑くなってきたので、服を脱ぐ


2時間後



3時間後


ようやくお茶らしくなってきた


完成。あれだけの茶葉でたったこれだけだ。
蒸し茶と言うよりは、釜煎り茶の感じ


いただきましょう。

製茶に興味がある人はこちらのサイトを参考に。
https://www.youtube.com/watch?v=LKI7dd3s3fA
https://www.youtube.com/watch?v=Q4CPN3UCziE&t=167s
https://www.youtube.com/user/greenteanewbies/videos



2019年5月7日火曜日

まぼろしの8号館だろうか

長い長い連休が終わって大学に来たら、新しい教室ができてました。



2019年5月6日月曜日

大學堂の椅子

GWの仕事ははかどらず。

これに予想以上に時間がかかってしまった。


集中してやれば1日で終わると思っていたのに・・・。


大學堂の椅子


最小限の素材から最大の強度と使い心地を


量産体制に入り、出荷されていく椅子たち


最後の仕上げに手間取った


気づくと連休最後の日だった

2019年5月3日金曜日

デイ・ドリーム・ビリーバー

近頃、なんだか肩がかゆいと思っていたら、なんと小人が家を建てて住んでいるようである。しかもだいぶ前から住んでいる感じ。これは大問題である。なぜなら家賃を払っていないからである。私自身に家を建設するということは、私という土地を借りているということになる。これは天文学的数字を突き付けても文句は言えまい。
ようしそうと決まればさっそく弁護士と相談といきたいところではあるが、私はとある事情があって、この場所から離れられない。姿勢を変えることすら不可能であり、顔を動かすことだって不可能なのだ。私を生み出したのは小人らしいが、小人に文句を言っても聞こえないようだ。動けないから、しかたがないので、私の腹を使う小人たちの会話を盗み聞きすることしかすることがない。といっても、聞きたくなくても聞こえてしまうのだが。
小人たちの話によると、最近は4年ほど私の腹を踏み荒らしていった者たちが去っていったが、また新たに踏み散らしていく者たちがどっと入ってきたらしい。気が休まらない。しかし、毎年、嬉しいことに、この時期だけは私を踏んづける者たちはほとんどいない。嬉しい。嬉しいとはこんなに幸せな感情なのかと実感できるほど嬉しい。しかも、今年はいつもよりその期間が長いようだ。私の気持ちが輝く!実に黄金の週である。
問題は、肩である。肩だけは、ずうっと何かが居座っている感じがしていたが、まさか家を建てているとは思わなんだ。小人のなかでも、この家の話をする者はごくわずかであることも分かった。彼らは私の左手の甲を利用している。右手の甲を利用している者たちもいるが、こやつらは勝手に右手の甲を24時間使えるなどとのたまっている。そのかわり、右手の甲の安全はこやつらに守ってもらっている。イソギンチャクとクマノミのようである。
話を戻す。この左手の甲の者たちが私の肩に家を建てた事は確定している。これで本当に住んでいたら大問題だ。電気代、ガス代、水道代、家賃、駐車場代、その他もろもろエトセトラ。全て込みで天文学的いや太陽系外縁天体的いや異次元並行世界1Q84光車よ回れ女神異聞録ペルソナ的数字を奴らの額に叩きつけてやらねば。
と、思っていたのだが。どうやら彼らはその家には住んでおらず、住んでいるのは、どうやら、「ハチ」という、ちっこい虫であるそうだ。家というより、箱。巣箱である。彼らは定期的にこの巣箱とやらの様子を確認しにきているらしい。
今日、この暑い日に肩にやってきたのは3人の小人だ。「こっちは勢いがある」とか、「基本刺さない」とか、そのハチのことについて話している。「水が出ない」とか。これはハチのことではないな。
彼らは普段、肩までやってきたら帰るのだが、今日は違う。「もうちょっと上まであがれる」と言って、私の首、あごの先までやってきた。くすぐったい。ゾゾゾっと鳥肌がたちそうだ。「あの向こうの山の黄色いのをハチは好む」と1人が言った。向こう?ああ、あれね。ハチは花の蜜より木の蜜を好むらしい。ということは私が肩につけているツツジのネックレスよりもハチは木を好むということだ。やはり私のセンスは虫には理解できないか・・・・
ツツジの美しさにボーッとしていたら、私と同じように地面に磔にされ、顔すら動かせない者たちを見た。私は彼らより体が大きく、顔の構造も特殊なので、彼らを見ることができる。しかし、彼らは気が遠くなるような青い空を見る事しかできない。彼らも体を小人たちのいいように使われている。若手もいれば、かなりお年を召された方も存在する。あまりに長生きをすると、小人たちからも一目おかれ、小人の世界から「指定」される。指定されたものは、指定されないものたちと比べると目立つ。健康も少しは維持される。ただ長生きすればよいというわけでもないようだ。「レキシテキ」に重要であったり、その者の体の中で、何か小人たちにとって大きな出来事が起こったりすることが必要らしい。なぜ私たちの価値が小人たちに決められなければならんのだ。少々疑問である。レキシテキとはなんだ。
私たちの中には、健康を維持するためにあの手この手で体を小人たちに使わせている者もいる。小人たちは「りふぉーむ」「カイチク」「ゾーチク」とか言っているが、我々からすれば「整形手術」である。「ばりあふりー」といって我々の体の中にできる段をできるだけ減らすこともあるそうだ。「ワヨウセッチュウ」というハーフの存在もある。皆、工夫を凝らしている。奥の方を見やると、すでに何人か同胞が死に、葬式が行われている。小人たちが機械に乗って、せっせとその遺体を細かくして、体の破片をどこかに運んでいる。葬式があるだけマシである。中には、死後、小人たちから見放され、ただ、雨や風が体を崩してくれるのを永遠に待ち続ける者もいるのだから。
ハチたちの巣箱も、我々と似たようなものである。小人たちの手によって生み出され、最期は小人たちの手によって葬られる。私たちの存在が場所になる。では、私たちが全く存在しなかったら、彼らはどうするのだろう。彼らに私たちを生み出す技術がなかったら、どういう生活をおくるのだろう。「家」がない世界。ちょっとおもしろそうである。