2017年1月29日日曜日

ピンダの島



 先日、機会があって多良間島に行ってきました。多良間島は石垣島と宮古島のちょうど中間に位置する離島です。行政区分では宮古島だけど、宮古島市には入らず、れっきとした「多良間村」として独立しています(たとえば、池間島は宮古島市なのです)。



アイランダーで宮古空港から15分。そこは多良間島。バヌアツの国内移動を思い出します。
これはちなみに宮古島と橋でつながっている来間島です。


 多良間島もサンゴ礁に囲まれた平らな静かな島です。


 現在島の基幹産業は製糖。沖縄でもトップクラスの品質と生産量を誇るとのこと。現在1月は製糖最盛期。宮古島からだけでなく、東北からも出稼ぎで島に滞在する人がいます。島全体が黒糖の甘い匂いで満ちており、おなかいっぱいな気持ちになります。


 山や川がなく、極めて透明度の高いサンゴ礁の海に囲まれているという点で多良間島は他の宮古諸島の島々と景観はよく似ているのですが、ひとつ多いに違う点があります。それは数百年にわたって人が管理してきた海垣(防潮林)を現在でも保持しているという点です。


 畑の周り、集落の周り、海からの風を防ぐためのグリーンベルト・・と、各所に樹齢200~300年のフクギやヤラブが見られます。


 沖縄島の備瀬集落に似た雰囲気です。島の人は樹木をして海からの風と潮を防ぐ堅牢な要塞を築いていたんですね。

ちなみに、海洋民族の池間島では、ヤー(家)より木が高くなったらその家は出世できない、といって、木をすぐ伐ります!だから、巨木がほとんど存在しません。それに比べると、多良間島の人は樹木には神さまが宿るといい、どんなに必要に迫られても大きな木を伐り倒すことをためらうといいます。



それから、沖縄でヤギといえば多良間とわれるほど、多良間島はおいしいヤギで有名な島です。いたるところにヤギが飼われていました。多良間ではヤギはピンダといいます。ちなみに、やはりというべきですが海洋民族の池間島ではヤギ愛(?)はほとんどないです。


「島外からの出場ピンダ、募集!!」全体的にピンダ愛を伝えてくるピンダアース大会のお知らせ。
「鳴き声大会の部」は、ヒトのピンダの鳴き声を競うのか!?


ピンダ愛の反映か・・集落にある理容室の名前は毛刈館。
現在人口約1200人の多良間島。多良間島の北に位置する小さな離島水納島は現在人口5人。
人よりピンダが多い島。
短い滞在では知り得ない秘密がまだまだたくさんあります。
はんぞー、自分のピンダを相棒に多良間を訪ねてみては。

旧正月があけました



1月28日は、旧暦1月1日ということで、新しい年がまた明けました。
港では朝からにぎにぎしく“海と男のド演歌”が鳴り響いていました。
各家ではマミスイマイ(黒あずきの赤飯)とワー(豚)とクージュー(昆布)を炊いたものやかまぼこ、餅などがお供えされていました。

ところで、FENICS(元フィールド・ネット)の今月のメルマガにエッセイを寄稿しました。
フィールドワーカーのおすすめ、自分のフィールドにかかわる本or音楽or映画・・というテーマで、何にするか悩みましたが、今いるのが南西諸島ということで、池上永一『風車祭』を紹介しました。

http://www.fenics.jpn.org/

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フィールドワーカーのおすすめ
木下 靖子(文化人類学)

私のフィールドは、南太平洋と日本の南西諸島に位置する離島だ。大学院生のとき、南太平洋の離島に数度通ってから、ある年の夏、宮古諸島の伊良部島に行った。訪ねた伊良部島の佐良浜地区は、かつて南方カツオ漁で栄えた集落だった。当時40代以上の男性のほとんどが、南太平洋に行きカツオ漁に従事した経験を持っていた。その南方行きを証明するように、どの家の床の間にも、パプアニューギニアやソロモンの木彫りのお面、大きな亀の剥製など南洋みやげが、ところせましと並べてあった。私の調査はもっぱらこの南方行きの“旅回り”の話を聞くことだった。「私も最近南方行きしてきた」というと、にわかに座は盛り上がった。

彼らが語る南方話は、主にはカツオ漁に関することだが、そこに住む島の人のようす、生活のようすなどの話も少なくない。特に語りの定型として人物を評するという分野がある。「情け深い人の話」や「すぐれたリーダーの話」や「機転が利いた話」などは、人物と行動を称えるもので、逆に「口ばかりでダメだった人の話」や「ズルをする人の話」や「ケチな人の話」などもある。いずれにせよ「そういうことも、あったということだな」で話は締めくくられる。生まれ島から海続きにつながっている遠いほかの島々、漁場での魚との知恵比べ、違う言葉を話す現地の人たちとの出会い、いろいろな人物が登場し活躍したり失敗したりする、島のおじぃっち(おじぃたち)の話はおもしろい。

この語りのおもしろさのエッセンスを手早く味わってもらえそうな小説に池上永一の『風車祭(カジマヤー)』がある。石垣島を舞台にした壮大な“ファンタジー”と紹介されているが、ファンタジー=うそごと、というだけではなく、私がフィールドで出会うひとびとやできごとを生々しく思い出させるような人物たちが登場してくる。たとえば妖怪ブタやマジナイや怒ったカミサマが登場するところがファンタジーと呼ばれる所以であるが、南西諸島はもとより南太平洋のフィールドでも「そういうことあるある、そういうひといるいる」という妙なリアリティーを感じさせる。

現在、私は宮古諸島の池間島に来て8カ月になる。一見とても静かな過疎の島だが、大なり小なり事件は毎日起きている。なにせ『風車祭』の登場人物に勝るとも劣らない多種多様な個性豊かなひとびとが暮らしているからだ。

海の向こうからやってきたカミサマが船を舫う大事な石というのが島にはあるが、これが現在はみんなが駐車場にしている草むらの中にひっそりとある。もちろん車で踏んではいけないらしいのだが、草に埋もれているため、知らない人が踏むこともある。みんなそんなカミサマの怒りにドッキリしながら、生と死の不思議さと理不尽さに折り合いをつけ、喜びと悲しみのバランスをとって今日を生きている。大事な石に囲いはつけないのである。


■池上永一 2009『風車祭(上)(下)』角川書店
■海洋文化館 http://oki-park.jp/kaiyohaku/inst/35/37
竹川大介(人類学)が映像でおさめた石垣島と伊良部島の漁業者「おじぃの話」を聞くことができる。

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2017年1月15日日曜日

「人生を生きる」ということ

昨日は大學堂でモザイクスのインプロ(improvisation)即興劇をみた。みながらいろいろ考えた。

たとえばこういう時、あなたならどうする?

それはひとことで言えば、「人生を生きる」とはなにかということである。さらに乱暴にいえば、世の中には「人生を生きている状況」と「人生を生きていない状況」のふたつがあるということである。

しかしながら、そんな大それたことをひとことでいきなり書いても、全く意味がわからないだろう。まずは「発し手」「受け手」「聞き手」という切り口から出発して、即興劇をみながら私が考えたことを説明してみたい。

発し手、受け手、聞き手。3者。今回のインプロの場合、発し手と受け手は役者で、両者は発話ごとに役割交代する。聞き手は観客である。

発し手はなにかの意図(思惑)を持って聞き手に対して言葉を投げる。ときにはまったく偶発的な場合もあるが、一定の会話が続くためには、偶発性ばかりでは不十分で、なんらかの文脈の意識し、物語をつなげていかなければなならない。

受け手は、発し手の意図を適切に回収し、ひとつの文脈にのせようとする。

聞き手である聴衆もまた、この瞬間にそれぞれの頭の中で自分なりに返す言葉を考えて、その先を予想しながら、返答を待つ。そして受け手の返答が、自分が期待していたイメージに重なると、聴衆は役者のやりとりにのめり込んでいく。つまり状況への共感がおきるのである。

しかし、たとえば受け手が発し手の意図をうまく理解できないなど、意図の回収に失敗したり、受け手が意図は理解できてもそれをうまく文脈にのせきれなかったりすると、聴衆ははげしく落胆する。このあたりには、シナリオが先にある予定調和的な劇にはない、インプロならではの臨場感と緊張感がある。

むろん意図や予測はすぐには回収されなくてもよい。むしろ伏線として記憶され、思わぬところで再登場し、全く異なるふたつの文脈がひとつにつなげられると、聴衆はほっとすると同時に、なにか素敵な物語を手に入れた気持ちになれるのだ。

もし受け手の返答が、聞き手自身のイメージしたものよりも上を行けば、聞き手はそこに「すごさ」を感じる。実のところ、発し手の意図や聞き手の予想は、つねに受け手によって裏切られることが期待されている。さすが役者、そうきたか、やられたあ。インプロの面白さはそこにある。


などと、あまり理屈を重ねてもうまく伝わらないないかもしれないので、今回のお芝居の中で、もっとも印象的だったシーンに即して今の話を説明してみよう。

状況は男女の葛藤である。突然現れた占い師によって、「今年は子供を産まないほうがいい」こと、「南側の台所が悪い」ことなどの預言が発せられる。

さらにここで、事前に聴衆に書いてもらった用紙の中からランダムに「カタツムリの家出」というが選ばれた。さてさて、これらの素材を役者たちはどのように文脈化するのだろう。

「カタツムリの家出」最初の時点で、たぶん多くの観客は「ナメクジ」を想像している。ナメクジがどこかに出てくるはずだと期待する。しかしナメクジはなかなかでてこない。

それにたいして受け手はマイマイカブリの話を語りはじめる。カタツムリはマイマイカブリが怖くて家出するのだという。

やがてそれは、男性によって地域の治安が不安だから引っ越そう、つまり「北向きの台所がある家に住もう」という文脈に巧みにおとしこまれようとする。だが動き始めた会話は、それだけでは終われない。「今年は子供を産まないほうがいい」という占い師の重たい言葉は、女性側にとってはそんなハッピーエンドではとても回収できない話なのだ。このあたりで観客は物語の先行きにちょっと不安を感じる。

ここから新しいフェーズが出てくる。「カタツムリの家出」という言葉は、母体ぬけだした胎児、つまり堕胎というグロテスクなイメージに重ねられ再登場する。そこでようやくナメクジが出てくる。ナメクジとは堕胎された胎児なのだ。おおこわい。素材がすべて回収されプロット(物語の流れ)が完成した。やがて恋人同士のふたりのやりとりは、悲劇的な言葉の応酬に変わっていく。


「所与の言葉」から「説明の言葉」が生み出されていく、その流れが実にみごとだった。それはまるで、道徳心理学のいう「象と乗り手のたとえ」の種明かしを見せられているかのようだ。しかも、ここではまさしく、感情(所与の言葉)が理性(説明の言葉)を支配していく世界が演じられている。

うまく整理できていないが、会話のながれをつくるためには、いくつかの要素があるように思う。たとえば、おきまりのパターン、連想、はぐらかし、すりかえ、誇張などである。これらの要素を「機転=頭の回転」と言い換えておこう。即興劇では、発し手、受け手、聞き手の、3者の「機転」が試されている。役者だけではなく聴衆にも「機転」が要求されるのだ。聴衆の頭の回転に応じて、同じ会話が面白く感じたり、つまらなく感じたりする。


実は「面接でもこういうところがよくあるな」と、劇を見ながら思っていた。志願者の頭の機転がきかないと、せっかくの面接官の質問を生かし切れない。いや逆のケースのほうがより深刻だ。面接官の機転がきかず、せっかくの志願者の言葉を拾い切れていない。面接がマニュアルだと思っている人はたぶん、ふだんから他者の意図がよくわかっていないか機転を意識していない人にちがいない。

研究発表の質疑応答もそうだし、もっとえいえばふだんの日常会話だって同じことだ。会話の最中にすぐネットを検索する人がふえている。頭の良さを「知識」だと勘違いしているのだろう。知識とはここでいう「所与の言葉」にすぎない。だからいくらマニュアルやウィキペディアに頼っても、「文脈」を生み出すことはできない。

大喜利や音楽のセッションが面白いのは、磨かれた知識や技術の上に、みごとな文脈が組み立てられているからなのだ。つまり頭の良さは知識ではなく機転である。だから、ぜひ教育の中でも、相手の意図を読み取り、会話の流れをつくるいくつかの要素を上手に組み合わせる訓練をしておいた方がいい。人生の中でもっと真面目に即興のことを考えた方がいい。

所与の言葉や感情が「人生」だとすれば、説明の言葉や理性は「どう生きるか」ということになる。与えられた人生をどう生きるかを決めているのが、その場かぎり、一回かぎりの、即興というわけだ。演じられた即興劇を見ながら、つくづく「人生を生きるということは、そこに『ある』という状況ではなく、そこで『する』という状況、つまりは即興なのだなあ」と、そう思ったのである。

 

2017年1月9日月曜日

北九州の成人式 女王の登場

今年は女王様がお出ましになりました。

 



「女王の蜜をおなめ」と新成人たちに和蜂蜜をお与えになりました。

 

 

来年から北九州の成人式は、御輿のイベントになるはずです。


2017年1月5日木曜日

新年のエビとり

 あけましておめでとう。
池間島にいるきのこです。

元旦は映画館に「この世界の片隅に」を観に行きました。いろいろ思うところはまた書きたいと思います。まだ観ていない人は、観ることをつよくおすすめします!

午後は西平安名崎で夕陽をみました。
元旦の一日が終わり、午前0時をまわったころ、池間島を出発。エビとりに出かけました。

ヘッドライトをつけて潮が引いた浜を照らしながら歩き、エビを探します。ライトが反射すると、エビの目がオレンジ色に光るのです。エビのからだは透明。
 道具は虫取り網みたいなものなのですが、手元にレバーが付いていて、引くと蓋が閉まるというもの。 これで泳いでいるもの、砂地を歩いているもの、どちらも捕れます。潜って目だけ出ているものは、手で抑えるといい。

4人で2時間強、網袋にそこそことれました。アーサの養殖網と網の間が多かったように思います。

みんな「エビガマ」とだけ呼んでいるけど、なんという名前のエビでしょう?魚部わかるかな。
素揚げして塩をふるだけで、とても甘味が感じられておいしいエビです。

池間島は避難港(漁港)を作ときに入り江を埋め立ててしまった(そのため、現在のイーヌブー(池間湿原)が淡水化している)のですが、それ以前は、この入り江はこういうエビ、カニ(ガザミ)、ウナギがたくさんいて、おかずとりには困らなかったそうです。「は~、漁港をつくって、池間島はビンボウになったよー」とおばぁたちは言います。

エビとりはとっても楽しく、やっているときはアドレナリン全開でぜんぜん眠くならないのですが、翌日の昼間が眠いというのが問題・・。