1月28日は、旧暦1月1日ということで、新しい年がまた明けました。
港では朝からにぎにぎしく“海と男のド演歌”が鳴り響いていました。
各家ではマミスイマイ(黒あずきの赤飯)とワー(豚)とクージュー(昆布)を炊いたものやかまぼこ、餅などがお供えされていました。
ところで、FENICS(元フィールド・ネット)の今月のメルマガにエッセイを寄稿しました。
フィールドワーカーのおすすめ、自分のフィールドにかかわる本or音楽or映画・・というテーマで、何にするか悩みましたが、今いるのが南西諸島ということで、池上永一『風車祭』を紹介しました。
http://www.fenics.jpn.org/
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フィールドワーカーのおすすめ
木下 靖子(文化人類学)
私のフィールドは、南太平洋と日本の南西諸島に位置する離島だ。大学院生のとき、南太平洋の離島に数度通ってから、ある年の夏、宮古諸島の伊良部島に行った。訪ねた伊良部島の佐良浜地区は、かつて南方カツオ漁で栄えた集落だった。当時40代以上の男性のほとんどが、南太平洋に行きカツオ漁に従事した経験を持っていた。その南方行きを証明するように、どの家の床の間にも、パプアニューギニアやソロモンの木彫りのお面、大きな亀の剥製など南洋みやげが、ところせましと並べてあった。私の調査はもっぱらこの南方行きの“旅回り”の話を聞くことだった。「私も最近南方行きしてきた」というと、にわかに座は盛り上がった。
彼らが語る南方話は、主にはカツオ漁に関することだが、そこに住む島の人のようす、生活のようすなどの話も少なくない。特に語りの定型として人物を評するという分野がある。「情け深い人の話」や「すぐれたリーダーの話」や「機転が利いた話」などは、人物と行動を称えるもので、逆に「口ばかりでダメだった人の話」や「ズルをする人の話」や「ケチな人の話」などもある。いずれにせよ「そういうことも、あったということだな」で話は締めくくられる。生まれ島から海続きにつながっている遠いほかの島々、漁場での魚との知恵比べ、違う言葉を話す現地の人たちとの出会い、いろいろな人物が登場し活躍したり失敗したりする、島のおじぃっち(おじぃたち)の話はおもしろい。
この語りのおもしろさのエッセンスを手早く味わってもらえそうな小説に池上永一の『風車祭(カジマヤー)』がある。石垣島を舞台にした壮大な“ファンタジー”と紹介されているが、ファンタジー=うそごと、というだけではなく、私がフィールドで出会うひとびとやできごとを生々しく思い出させるような人物たちが登場してくる。たとえば妖怪ブタやマジナイや怒ったカミサマが登場するところがファンタジーと呼ばれる所以であるが、南西諸島はもとより南太平洋のフィールドでも「そういうことあるある、そういうひといるいる」という妙なリアリティーを感じさせる。
現在、私は宮古諸島の池間島に来て8カ月になる。一見とても静かな過疎の島だが、大なり小なり事件は毎日起きている。なにせ『風車祭』の登場人物に勝るとも劣らない多種多様な個性豊かなひとびとが暮らしているからだ。
海の向こうからやってきたカミサマが船を舫う大事な石というのが島にはあるが、これが現在はみんなが駐車場にしている草むらの中にひっそりとある。もちろん車で踏んではいけないらしいのだが、草に埋もれているため、知らない人が踏むこともある。みんなそんなカミサマの怒りにドッキリしながら、生と死の不思議さと理不尽さに折り合いをつけ、喜びと悲しみのバランスをとって今日を生きている。大事な石に囲いはつけないのである。
■池上永一 2009『風車祭(上)(下)』角川書店
■海洋文化館 http://oki-park.jp/kaiyohaku/inst/35/37
竹川大介(人類学)が映像でおさめた石垣島と伊良部島の漁業者「おじぃの話」を聞くことができる。
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