2024年9月28日土曜日

能登へ

 深い山や海のそばに立っていた家々は、地震と津波で何度もゆすられて、なぎ倒されて、へしゃげて、もとの形を失っていた。住人のいなくなった村や町で、積まれた瓦礫がしずかに片付けられてゆく。何年もかけて作り上げ守られてきたはずのものが、最初から何もなかったかのように更地へと帰ってゆく。



隆起で白くなった岩に激しく波がぶつかる。

海は変わらずどぎつい光を繰り返す。

ざあ、ざあ、ざあ、ざあ―

人間がこんなに哀しいのに、あんなに海は青いのか。



帰り道、塩田に立つひとりの人夫を見た。燃えるような西日のなかで、ひたむきに四肢を動かして海水を撒いていた。
ああ、哀しくはなかったのか。
たくさんのものが壊れて失われても、人間は生きていて、美しかった。


小籠包

2024年4月21日日曜日

エチオピア学会なるもの

みんながさまざまな仕事に尽力している間、ひとり抜けて第33回日本ナイル・エチオピア学会に行ってきました。連日MOGAやタウンパレードでバタバタのさなか、失礼いたしました。

私は学会員ではないけれど、金子さんの口利きで、エチオピアに関心を寄せる非常に熱心な学部生として心安く受け入れてもらったのでした。エチオピア学会の会費はさらに値上がりするかもとのこと。50人もいないくらいの学会だったから、続けていくのも大変なのでしょう。学生特権をありがたく享受しました。


4/19(金)

飛行機で成田へ飛び立つ。中目黒のエチオピア料理店「クイーン・シーバ(シバの女王)」で、東京の友人と待ち合わせる。地下のこじんまりとした店内には怪しい仮面や絵画が並び、天井からはシマウマの毛皮が垂れ下がっている。案内された席には、動物の皮が飾ってあった。捕えられた女性を助ける英雄が描かれているようだ。四者四様の意味ありげな視線がポイント。






フムス(ひよこ豆のぺースト)を揚げたもの、羊と鶏の串焼きのあと、ついにインジェラが運ばれてきた! インジェラはエチオピアの主食で、テフという穀物を発酵させ、薄いパンケーキ状に焼いたものだ。オペ看の友人は、その色と表面の穴ぼこを見てひとこと「肺みたい」と言った。

インジェラの上にはのっているのは、牛肉のカレー、煮込んだ羊肉、スクランブルエッグなど。素手でインジェラを少しちぎって、具材と一緒に食べる。口に入れた瞬間、緊張する匂いと味がひろがる。発酵による酸味と、湿度の高い生地、スパイスたっぷりの具材がなんともいえないマリアージュを繰り広げてくれる。



 静かに食べ進めていると、突然スーツ姿のエチオピア人たちがどやどやと店に入ってきた。ネットで調べると、目の前のエチオピア人が教育大臣として外務省のニュースに掲載されていた。なんというmiracle。アムハラ語の挨拶を調べて、英語で声をかけてみる。


"Are you a minister of education?"

"No!"

"Oh!(めちゃ恥ずかしいやん) Really?!"

"No!"

"Why did you find it? Did you check?"

"(やっぱりそうなんかい)Yes, I checked it!"

"Oh you're a very brave girl."

"Yeah, I'm a student of Kitakyusyu university."

"Where is it?"

"Kyusyu. South of Japan. "

"What do you study?"

"Anthropology. I came here to participate the Conference of Ethiopia in Toyo university tomorrow."

"Oh good."

"Actually, I hope to study abroad in Ethiopia, Adis Abeba university. "

"Nice."

"Very nice to talking with you."


店を出ると、エチオピア大使館の車が停まっていた。路駐していいんだ。





4/20(土)

上野の弥生美術館へ。勉強のために夢二の絵を見に行く。夢二の動物はなんとも言えないゆるさだ。





印象的なのはミュージアムグッズ。大量のポストカードにはじまり、一筆箋、メモ帳、ブックカバー、トートバッグ、アクリルスタンド。あらゆるグッズが、小さな美術館の一角を占領している。小さな美術館だからこそ、なにかおみやげを買って帰りたくなるのだろう。デザインもすてきだ。

MoGAのチラシも置かせてもらった。



 午後からは東洋大学でシンポジウム。月経とサニテーションの課題についての発表。唯一の知り合いの金子さんに、学会の主催をしている東洋大の中村さんを紹介してもらった。はじめての学会で緊張していたけど、30人くらいのちいさなシンポジウムだった。台南のシンポジウムのときは誰にも声をかけられなかったので、ここでリベンジに燃えた。懇親会では会長の田川さんの隣に座らせてもらって、たくさん話をした。大介のことも大學堂のこともご存知でした。

「大学院にはいくの?」

「うーん。いろいろ考えるのですが、どうかなと」

「考えない。(周囲のエチオピア研究者を見渡して)ほら...何も考えてない。こんなことやってる人たちだからね。研究の道に進むってだけでも何も考えてないのに、アフリカ研究だからね。まあ、マイナスとマイナスをかけてプラスかな」

アムハラ語の集中講義をする若狭さんが相づちを打つ。

「そうですね。私なんて、オモロ語の受動態の接尾助詞は従来高いと考えられていたけど本当は低いこともあったんだって言って喜んでるんですから。アフリカ言語なんてやってるやつは更にマイナスかかりますよ」





4/21(日)

発表の日。寝ないように朝からコーヒーをしこむ。

開始時間の5分前に会場に入ると、北九大のC教室みたいな場所に40人くらいしかいない。開始時間を過ぎたあともちらほらと人が入ってくる。5分くらい過ぎてからゆるく始まった。

エチオピアはショア地方のパン文化に始まり、農業や建築、開発などさまざまな分野の発表があった。参与観察とか半構造インタビューとかよくわからない言葉がたくさんあったけど、ベルが鳴ったあと話し続けても怒られないとか、さり気ない冗談の言い方や笑い方を学んだ。発表もわからないなりに面白かった。質疑応答があまり出ないのが意外だった。




昼からはポスターセッション。発表のあと、探検部の藤本さんや曽我さんと話していたら出遅れた。すでに人だかりができていてうろたえる。まごまごしていたら、金子さんが話に入れてくれた。

ぷらぷらブースを回っているうちに、「ポスターより先に発表者に視線を合わせるんだ!」と気づいた。発表者に声をかけると、先に内容を説明してくれるし、流れで自己紹介もできちゃうのか。人見知りでついついポスターに逃げてしまっていた。


面白かったのは、エチオピア正教と重婚についての発表だった。エチオピアでは伝統的に一夫多妻だけど、キリスト教では重婚が認められない。矛盾しているようだが、むしろ重婚を許す存在としてマリア信仰が盛んになった、というような内容だった。発表者の方に「正教に興味があるなら、ゲエズ語の研究会に参加しませんか?」とお誘いをいただいた。全然分からなかったけど『チャンスを逃すな』というはでぴの言葉が頭をよぎり、一も二もなく「ぜひ!」と答えてしまった。これから私はどうなるのだろう。プラスになれるようにがんばりたい。



                小籠包










2024年3月1日金曜日

「リース遠征隊」を見て

 だれかを助けたり応援したりするのは、それほど難しいことではない。
もちろん、車椅子を引いて雪山に登るのは簡単なことでもないけど。

むしろ、クレイジーな物事に熱心かつ忍耐強く取り組むことや、そのために他人に責任を負うことのほうがよほど大変だ。人に迷惑をかけないで生きようとするほうが簡単なんだと思う。多少の迷惑はかけても、それ以上の喜びを与えられる人間になりたい。

そして、
すべての山にのぼって
すべての川をわたって
すべての道をたどって
いつか情熱を持てるものが見つかればいいな。      

                                  小籠包



2023年12月24日日曜日

胸がいっぱいの一日

 2023年12月23日(土)クリスマスの前日。

今週は雪が降ったりして寒い日が続いていたけど、今日は少しいいかな、というくらいの日和。

19日にグランドオープンした昭和館に映画を観にいく。

「ニュー・シネマ・パラダイス」

とても有名な、評判の良い映画なのだけど、これまで、観たことがなかった。

観たいなと思いながら機会を逃していたと思っていたけれど、観おわってつらつらと考えてみれば、この映画は1989年の作品で、その頃の私は、「ノスタルジックな泣ける映画」を観るような心の在り方ではなかったのかもしれない。恥ずかしながら、同じ年の「バックトゥー・ザ・フューチャー2」は映画館で観ている。

映画のあらすじや評価なんかもいろいろ忘れた状態でノスタルジックで泣ける映画という以外に予備知識がないまま観た。予備知識がなくてよかったと思う。

主人公と共に思い出にひたり、主人公と共に心が揺れた。


お昼ご飯の調達を兼ねて旦過市場を歩いて、そのまま芸劇へ。

ちなみにお昼ご飯は、やすのさんのスコッチエッグ。かまぼこの中にピンクの茹で卵が入っている。かまぼこが美味しいから、一個丸ごと食べても嫌味がなくてさっぱりとしている。


チャンチャン劇団の定期公演。

知的障害のある団員さんがミュージカルとパフォーマンスを披露してくれる。まあ、障害者の宝塚のようなものだと思ったらいいかもしれない。内容はコメディーだけど。

2014年の講演からだいたい観ている。観ているうちに団員さんたちを個別に見分けられるようになったし、密かに推している団員さんもいる。つまり、ただのファン。

今年もベテランさんの安定のギャグが冴える。

これまであまりセリフを言わなかった団員さんに今年はセリフがあって、嬉しくなったり。

団員さんたちは、案外と会いに行けるアイドルで、作業所のカフェなんかで店頭に立っていたりする。街で団員さんに会うと嬉しくなる。

団員さんが頑張っている姿に、支えられた気持ちになって、自分も頑張ろうと思う。

つまり、ただのファン。


2023年12月14日木曜日

嘉徳

嘉徳浜、奄美大島の南東にある入江。KATOKU beachという名で日本よりも海外の方が有名かもしれない。

南種子や西表の西部など、私はこれまでたくさんの美しい海岸に泊まってきたが、それに勝るとも劣らない豊かな浜。海と浜と川と山が見事に調和した小宇宙。

この浜にコンクリートブロックを並べるという計画が進行している。

どんな立派な文化遺産よりも、歴史ある遺跡よりも、人智を超える自然が作り上げた見事な景観や生態系の価値は、計り知ることができない。

しかし、なぜこの国では自然や環境の保全に税金が使われないのだろうか。なぜ生態系が私たちに与えてくれる、たくさんの恩恵に対する資源価値や経済効果を、そのほんの一部でも正当に評価できないのだろうか。

この国では離島振興は土木工事でしか実現しないと信じられている。離島だけではない、建築会社と政治家が結託して税金を投入する構造は、日本各地で今も行われている。工事によって生まれた新しい問題を、さらに工事によって解決する。そうやって無限にお金がおりるのだという。しかし、そんな永久機関など一時の幻覚である。ネズミ講のような詐欺である。破壊と建設を繰り返しながら、国土を荒廃させていくだけの、三途の川の石積みは、結果としてむしろ経済を疲弊させ死への道行である。自分の世代さえ潤えばそれでいいのだろうか?

文化遺産を守るためには多大な税金が投入され、その守り人たちは誇りを持って、祖先から代々引き継がれてきた財産を次の世代に伝えようとしている。しかし、なぜか自然遺産に対しては、そうした仕組みが十分にできていない。


よく誤解されているが、こうした遺産を守ることは決して観光のためではない。文化遺産を守る目的が観光のためではないのと同様に、自然遺産を守る目的も観光のためではない。遺産の価値利用や経済化のために観光があるのではなく、観光は遺産を利用し利益化している寄生虫のようなもので、時には遺産の価値を矮小化してしまう必要悪でもある。だから私は観光に期待をしていない。

そうではなく人として生きるために、こうした豊かな自然が必要なのだ。海に抱かれながら、歴史や文化や人間の暮らしを感じること。時は厳しく時には優しい自然に圧倒され、自分がここにいる奇跡を感じながら、その恩恵をいただいて生きていく、自然遺産とはそういう資源なのだ。

2年前に嘉徳を訪ね、ぜひここでアダンサミットを行いたいと考えた時に、すでに工事の話は動き出していた。東日本震災のあとダムや道路に変わる新しい公共事業の口実である国土強化の名の下で認可基準が変わり、日本中の海岸への護岸工事が一気に進められていた。

新型コロナの流行の中、この海岸が壊されてしまう前に、アダンサミットを開催したいと考えていた。しかし、工事を差し止めるための活動やそれに対する嫌がらせ、複数の裁判の進展に、現地の人たちはまったく余裕がなく、なかなか開催の目処が立てられなかった。

本当であればもうすでに着工されていたかもしれない、しかし現地の人たちの根強い運動と、工事用の道が対岸の崖崩れで使えなくなるなどの、いくつかの奇跡が重なり、まだ浜は手付かずのまま残っている。


今が最後のチャンスかもしれないと思った。

たくさんの人にこの浜をみてもらい、この浜がここにあることの意味を感じてほしいと思った。護岸に賛成する人も行政も、ここで一度たちどまり、考えてほしいと思った。

かつて奄美大島では、自然の権利訴訟として有名なアマミノクロウサギ裁判があった、嘉徳村もごみ処理施設の建設を撤回させている。そうした取り組みの結果が、世界自然遺産への登録につながったことを思い出そう。クロウサギの次はアダンである。

しかし近年になり、ここにミサイル基地が作られ、護岸工事が具体化した。私はそこに、自然を壊し尽くし汲々と生きている都会の怨念を感じる。国や鹿児島県は、奄美大島の片隅に、自分たちが失った豊かな自然が残っていることを、許せないのではなかろうか。世界に誇る財産を持つこの村を、価値のないただの不便な僻地にしたいらしい。


今回のアダンサミットを通じて、ここに住む人に出会い、雄大な浜の自然に出会えた人は幸いである。もしかすると来年には、自然の営みはコンクリートに遮られ、何百年と続いたこの景観が、もうなくなっているかもしれないのだから。だから、参加出来た人は、参加出来なかった人のためにも、自分が見て感じた事を多くの人に伝えてほしい。これからもここが残っていくことを願いながら。


私たちは、海に抱かれ、嵐の激しさに怯え、満天の星を見ながら、焚き火にあたり、波の音を子守唄に、浜に眠った。きっと人はみな古来からこの同じ風景を見てきたはずだ。せっかくこんな美しい世界が、すぐ近くにあるのに、どうしてわざわざコンクリートの建物に泊まる必要があるだろうか。ここには人生のもっとも贅沢な時間がある。

ことに夜明けの美しさは格別である。どんなに暗い夜でも、その終わりには鮮やかな朝がやってくる。紫の雲、赤く染まる空。キラキラと光る水面。誰かに告げるでもなく、ひとつの言葉がぽろりと漏れた。「ありがとう」。

私たちは何も残さず、来た時のままの海に別れを告げ、静かに浜を立ち去ることにしよう。 6



2023年10月9日月曜日

大地の息吹

 10月8日(日)

松尾容子プロデュースによる「Earth and Breath」

大學堂岩田講堂を会場に、蔵の中から世界をのぞくというテーマで、門司港に大陸の風を吹かせるイベントでした。


オープニングは、ホーメイの演奏と黒田征太郎さんのライブペイント。

虹の色に絵の始まりを感じ、風の音に音楽の始まりをみるという黒田さんが、ホーメイから感じるものをクレヨンやマッキーを使って次々に絵にしていきます。

完成した絵は会場のお客さんへのお土産にいただきました。



私がもらった絵は、ちょうど松尾さんが歌っているときに黒田さんが描いたものでした。松尾さんの声に呼応するように、赤い点々がうたれて、ぐいぐいと黄色い線がひかれてて、なんだかすごいな、と思った絵でした。


ホーメイユニットのチャスチャイに尺八の山崎こう山さんが参加していたり


ウィーンから2.5次元のガジが講演したり

匈奴と漢族の歴史に翻弄される宦官の物語の朗読でベテラン女優の存在感に飲み込まれたり

ウイグル族の民族衣装を着てステージに上がったり

次々と何かが起こるので、なんとなく、懐石料理を思い出しました。美味しいものが次々と運ばれてくるので、最初は調子よく食べているのですが、だんだんとお腹がいっぱいに。でも、まだお品書きはつづいています。最後まで食べたい・・・


いつもは1時間かけるセッティングを10分ですませて、谷本仰さんのソロダイアログスがはじまったり

エンディングはホーメイと尺八にあわせてシャボン玉も舞っていたり


ふー、最後までたどり着けました。

盛りだくさんで充実した半日でした・・・って半日でこれをやったのか!!

2023年9月14日木曜日

なつのにっき

 8月7日(月) くもり
1週間まえに京都に向かったみんなに遅れて、たわしと北九州を離れる。乗り換えの時間に遊んでいたら、さっそく1時間に1本の電車を逃してしまった。ベストな旅になるようにあれほど綿密に立てた計画がもろくも崩れてゆく。しかたなし。下関の海底都市で時間をつぶす。


お昼前にようやく下関を出発。曇っていた天気も晴れ間が見えてきて、車窓から見える田んぼや海がかがやく。こんな場所に、盆と正月に遊びにゆけるおばあちゃん家があったらいいのになあ。先月の豪雨の影響で電車が止まってしまい、バスに乗り換えて長門市駅に向かった。長門市駅から次の電車は3時間後だ。


暇つぶしに金子みすゞ記念館へ。「私と小鳥と鈴と」くらいしか彼女の作品は知らなかったけれど、記念館に展示してあった詩のひとつひとつに惹きこまれた。色白で顔のまるい彼女の、輝くようなやさしさがゆたかに匂っていた。



8月8日(火) 晴れ
鳥取から京都に向かう。朝のひかりのもとでは草も木も人々もすべてが祝福されている。


母はそんなことはできないだろうと言っていたけれど、みすゞさんが詠ったように、できることならわたしもすべてを好きでいたいとおもう。歯医者も虫もにんじんも。すべて神様がつくって、いつくしんでいるものだから。
太陽がまぶしいけれど、景色を見たいからカーテンはおろさない。たわしは光の奔流のなかで眠っている。


8月9日(水) 晴れ
昨夜は22時過ぎには横になったのに、うとうとしたまま日付が変わるころはっきりと目ざめてしまった。夜風が心地よいけれど暗闇は恐ろしい。起き上がると下弦のやわらかな月が見えた。しおしが隣でまた何かしゃべっている。

おだやかな朝を迎えて、はじめて作業に参加する。るー棟梁の指示のもとで壁と天井を貼ってゆく。すごく楽しい。



8月10日(木) 晴れ
壁と天井と床が完成した。作業を終えて夕食のあと、南禅寺のほうまで散歩をする。昼間は頭がおかしくなるくらい暑いけれど、夜の川端は涼しくて気持ちがよい。あるいてあるいてあるいて荘厳な南禅寺の門にたどりついた。砂利に寝ころがると、何層にも重なった屋根瓦の黒い影のうえに星々がしずかに光っているのが見えた。疲労が心地よい。



8月11日(金) 晴れ
早めに作業を終えて恵文社へいったあと大文字山に登る。疲れ切った足で、日が暮れる前に山頂にたどり着かなければならない。「全然いけるけど。軽い散歩だよね」。軽口をたたきあいながら急ぎ足でのぼる。落ちかけた日の光のなかにヒグラシの声が溶けていった。豚熱注意の看板を過ぎて、最後の階段を走り切ると、夕日がむこうの山の端に引っかかっている。ぎりぎりで間に合った。


日が沈んで街のあかりが灯っていくようすを眺めながら夕食をたべる。遠くのほうでちいさく花火があがった。「亀岡やね。亀岡の花火なんかすぐ終わるよ」。
コップがないので総菜のパックでアルパカワインを飲む。久しぶりのアルコールが勢いよく体を巡った。ああもうなんかたのしくてしかたない。老いていくのもわるくない。初めてのことはたくさんあるし不思議なこともたくさんあるし。胸がいっぱいだ。
花火はまだあがっている。



8月12日(土) 晴れ
壁の塗料を塗る。
昔から手先が不器用だ。あなぼこアートを生み出してしまう。はんざきの壁を笑っていられない。
仕事が終わったあとは八瀬へ涼みにゆく。2回も滑って全身を濡らした。せっかく焚火でお尻をあたためたのに。こういうまぬけさも昔から進歩しない。

妖怪あらわる

8月13日(日) 晴れ
あつくてあつくてとても外を歩いていられない。古本市へ遊びに出たはいいものの、耐えられずに昼にはうちに帰った。


はんざきが水族館から連れて帰ったペンギンを、大文字山の思い出にちなんで「豚熱」と名付ける。



8月14日(月) くもり
青い塗料を塗り終える。みんなのご指導のおかげで少し上達した。
同時にウォーカーのおかげで、京都弁が臨界期を迎えた。夏やなあ。


8月16日(水) 晴れ
台風一過。朝早くはんざきと賀茂川にオオサンショウウオを捕まえにゆく。

いない

下水の詰まりが発覚しトイレ使用禁止令が発令される。わたしはフローリング隊から一時離脱し、ひとり下水に向き合う。下水工事も人生で初めてだ。願わくは最後であってほしい。


最後の板材が床に貼られ、宴会の準備に奔走する。食べ物も飲み物もどんどん上にあげられてゆく。山に火がついた。


8月17日(木) くもり
昨夜の大宴会が尾を引いて、なんだかだらだらした雰囲気。王子が来てみんな少し活気づく。みんなで踊ったり歌ったりしながら能登かぼちゃでコロッケをつくった。

夜はらくくまを連れてあやしげなカラオケ屋にゆく。


8月18日(金) くもり
朝3時までのカラオケが尾を引いて作業中に気づいたら床で寝ていた。けだるい体を起こして、たわしとくまと階段のペンキを塗る。

夜は高台寺の百鬼夜行展にいった。展示よりも、狭くて暗い京都の街のほうが怖かった。



8月19日(土) くもり
広州音頭はあいにくの雨で見られなかった。
アロアロでの夕食のあと江頭さんの思い出の店にゆく。アイリッシュな喫茶店のなかで粘菌と山岳修行のはなしをする。むし暑い夜だった。


8月20日(日) 晴れ
工具の片づけと部屋の掃除、冷蔵庫の整理をして、九州に帰る準備をすすめてゆく。みんなが帰ってしまったあとはきっと寂しくなるだろう。水かけ祭りの合間にも、夏の終わりのかなしさが沁みてくる。

らくくまとお別れをした。


8月21日(月) くもり
2階の床をつくる。掃除機で木くずを吸いながら板をごりごり切ってゆく。

下水の流れを完璧にするために第2次トイレ使用禁止令を出す。またか。
穴吊りにされた隠れキリシタンをおもいながら、手で下水にモルタルを重ねた。

夜はデルタでごはんを食べた。大宴会のとき尚早に寝入ってしまった反省をふまえ、少しづつきぞくのお酒を味わう。うしろから聞こえてきた外国語の歌に、負けじとこちらも歌う。なつーは来ーぬー。


8月22日(火) 晴れ
キッチンのすき間を埋めて、午後は貴船にあそびに行った。
「この蝉の声、録音したのを流してるのかな?」とはんざきがいうほど、整然と蝉が鳴いている。ひと夏も鳴いていたから蝉の方もうまくなったんじゃないかとおもう。
川床で魚をとる。つめたい水が心地よい。


8月23日(水) 晴れ
はじめてのコーキングでキッチンのすき間を埋める。コーキング道は険しい。
漬物屋さんでぶらさがり、夜はおむら屋ではじめての十四代をいただく。おどろくほどおいしい。生きていてよかった。


8月24日(木) くもり
朝食にはんざきがにんじんを出してくれた。そいつとはできればあるていど距離を置いて、互いにおもい合える関係でいたかった。近くにいすぎると、傷つけることもあるから。
むし暑いので川に遊びにゆくが、なんとなく天気がすっきりしない。午後は大雨のなか水族館へ。豚熱がたくさんいた。

裏のお店で飲んだあと、家で飲んで、さらにあやしげなスナックをたずねる。虫の声がきれいな夜だった。


8月25日(金) 晴れ
北野天満宮の骨董市へゆく。まだまだ暑い夏の青空の下、とりどりの食べものや着物や古い品物がところ狭しと並べられている。暑さに頭がふらついてきたので、日陰に展示してある子どもたちの絵をゆっくり眺めた。

小雨のあとで蒸す夕暮れに水鶏がかなしく鳴いている。


8月26日(土) 晴れ
朝は散歩がてら出町のおにぎり屋へ。鋭い角度で握られたおにぎりが並んでいる。
バッジュ・シャームの講演会へいったあと、下鴨神社の盆踊りに参加。
「ここ入ってもいいですか?」と息巻いて輪に加わると、聞こえてきたのはきよしのズンドコ節。しかも踊りは炭坑節。京都弁はしばし封印して、おかわりに代わって筑豊のたましいを見せつけた。



8月27日(日) 晴れ
上賀茂神社の手づくり市へゆく。京都は毎日なにかがあって毎日たのしい。

つめたい川に足をひたしながら昼食を取ったあとは、バッジュ・シャームの展示を見に東寺へ。会場ではバッジュさんが絵を描いている映像が流れていた。なるほど、絵具で塗ったあとにペンで細かく線をいれているのか。黒いペンの軌跡がうつくしい。
東寺の庭には蓮の花がちらほら咲いている。きぞくが葉陰におしどりを見つけた。


8月28日(月) 晴れ
大阪にすむ祖母へのおみやげに出町の和菓子屋さんへ。行列ができるほど人気とめっとに教わり、開店直後に向かう。「出町ふたば」の看板の前にはすでに人だかりができていた。豆大福をふたつ腕に下げて散歩しながら家に帰る。

過ぎ去った出来事はすべて覚めた夢のようだ。あざやかだったのも一瞬のことで、過去はあまりにもはやく去ってしまい、思い出はどんどん薄らいでゆく。だからもう一度、あちこちに残された私たちの跡をひろうようにゆっくり道を歩く。叡山へゆく電車。雨のコインランドリー。よくトイレを借りたファミマ。農学部の虫の声。神社のラジオ体操。デルタの夜。あそこやここで聞いた、冗談や本心やまなざしや声のひとつひとつを忘れたくない。

                                 小籠包