野研の活動
九州フィールドワーク研究会(野研)の記録です
2026年1月24日土曜日
MoGA庭ワークショップ
2025年8月31日日曜日
2025上黒丸
2025年8月17日から26日まで能登の上黒丸に行ってきました。
といっても、17日と26日は移動日なので、実際の滞在は、18日から25日まで8日間。
いつもよりすごく短い。
| 旅のはじまりは京都での禊ぎから |
今回やることは、五右衛門風呂作りと水源探しと上黒丸の方言を記録することの3つ。
もともと上黒丸でつくっていた五右衛門風呂は、2021年の芸術祭の片付けにいったときに、北九州に引き上げてきたので、今回は、どこかに落ちている五右衛門風呂探しから。
2017年の芸術祭から交流のある宝湯さんへ。
大宴会をした本館も、近隣の建物もすっかりなくなっていて、開けた空間にゲストハウスと貸し切り風呂を運営されている現在の宝湯さんが建っています。
| 現在の宝湯 |
| 2021年のに訪ねた宝湯の大広間 |
2021年の芸術祭では、野研の作品が展示されていた上黒丸小学校の校庭には、住宅が建っていて、被災した人たちが住んでいます。中瀬さんの作品が展示されていた体育館は、被災者用住宅に住んでいる人たちの集会所になっていて、毎朝9時からラジオ体操がおこなわれます。
| 体育館の黒板にはいろんな予定が書き込まれている |
ラジオ体操の第1と第2をやると、けっこうな運動になって、汗をかいてしまうので、終わったら冷たいお茶とおしゃべりなど。
| 体育館におかれたキリコ |
手すさびに刺し子が始まります。
「この地域の伝統的な手仕事なんですか?」
「いや、ぜんぜん、こんなのしたことないわぁ」
「こんなの、わたしならぁ、ミシンでジャーッと縫いたくなるなぁ」
なんていうおしゃべりをしながら、刺し子をしているうちに、11時半で、それぞれお昼ごはんを食べに帰ります。
おばあちゃんたちは、しばらく黙って刺し子をしながら、ふとおしゃべりを始めます。なんの話しかな?と思いながら聞いていると、なんとなくこんな話しだろうな、というのはわかります。特別な方言があるかどうか、わかるほどにヒアリングするには、私の耳は育っていません。
| この日は、きのこが送ってくれたパイナップルをみんなで食べた |
上黒丸は、もともと湧き水が豊富な地域で、それぞれの集落が複数の水源を管理していたそうです。それが、地震で地形と地下水の流れが変わり、水が確保できない集落があるとか。地元の人たちは、地図上で、水源の場所に見当をつけていたのですが、道が壊れたり藪に阻止されたりしています。野研の水源探検隊は、果敢に藪の中に突っ込んでいきます。
| 地図で水源の候補地を確認 |
| 藪に分け入る野研 |
宝湯さんでの露天五右衛門風呂。スター☆ドームで目隠ししてるから、安心して入浴できます。
| 五右衛門風呂からみえる風景 |
| 風呂を焚く男 |
| 湯加減をみる女 |
2025年3月31日月曜日
ベトナム逍遥 -濃霧のバス-
2025年2月23日
しとしと降る雨と鶏の鬨の声で目が覚めた。そうだ、ここはベトナムだ。考え事をしているうちにいつの間にかぐっすり眠っていたみたいだ。窓がないので外の様子は分からないが、どうも雨が降っているらしい。服を着替えて階下に降りてみる。
今朝はおばあちゃんとその孫とおばちゃんだけしかいない。息子はすでに仕事に行ったらしい。扉のない出入り口、のれんの隙間から雨合羽を着たバイクの群れが見える。雨やみを待つ間しばらく居間で過ごさせてもらった。箒で床を掃くおばちゃん。おばあちゃんは長椅子に座って孫を抱いている。孫はそんなおばあちゃんにも外国人の私にも無関心で、相変わらずYoutubeに夢中だ。幼いながらアジア人らしい硬めの髪質の孫は、下半分を刈り込んだコボちゃん的髪型をしている。中国人がよくこの手のツーブロックをしているのを見かけるが、ベトナムでも同様で、街で見かけるベトナム人男性の9割は同じ髪型だ。おばあちゃんはスマホが苦手なようで、翻訳機を向けてもあまり口を開いてはくれない。うっすら微笑みを浮かべながらおばあちゃんがコボちゃんを可愛がる様子を眺める。おばちゃんが掃除を終えて長椅子に座ったので話しかけてみた。どうもおばちゃんはここの家族ではなく、お手伝いさんらしい。息子は離婚したため、コボちゃん家族の世話をしているとのこと。おばちゃんが私のパーカーのフードを指す。どうもこれを被っていけと言っているようだ。確かに、雨はぽつぽつ降り続いていてまだ止みそうにない。8時頃宿を出発した。
| お手伝いさんとコボちゃん |
ベトナムの街は雨の中でも活気にあふれている。路上には食べ物売りが露店を広げており、通りにはスーパーマーケットはなく、スマホ、下着、ビニールチューブなどニッチな小売店が並んでいる。昨日通ったベーカリーに寄ってみたが、助けてくれたお兄さんは不在だった。せっかくなので朝食を手に入れることにする。ベーカリーに並ぶのは食パンや丸いパン、ピザパンなど様々だ。商品がテントを張った店の前に並べられ、お客さんは雨の中でもひっきりなしにバイクに乗ってやってくる。湯気のたつ蒸し器で温まっていた肉まんを購入した。昨夜のフォーは250円くらいだったけど、この肉まんは90円だった。ホテルの価格からしてもベトナムの物価は日本の2〜3分の1くらいと見ていいだろう。
| よくわからないものがたくさん |
| 春雨とうずら卵が入った肉まん |
この喧騒の都市を離れて、一刻も早く田舎に行きたい。友人の友人である日本在住のベトナム人に教えてもらった、お茶づくりで有名なモクチャウという街に行ってみることにした。ハノイ最大のミーディンバスターミナルに到着すると、プラスチックの椅子に座っていた係員が近づいてきた。ベトナム語で話しかけられ、英語で返すが、あまり通じてないようだ。地図と翻訳機を使って「モクチャウ」という名前を繰り返す。
「...Moc Chau? Moc Chau, Son La?」
ソンラ省、モクチャウ。なんとか伝わったようでバス会社のカウンターへ連れて行ってくれた。バス会社のカウンターでは全く英語は通じないのだが、係員が片言の英語で通訳をしてくれ、なんとかチケットが買えた。モクチャウまでは約4時間で1500円くらい。チケットを受け取るとおもむろにおじさんが来て、ついてこい的なことを言ってくる。私服のおじさんだが、係員が「Driver」と紹介してくれた。おじさんには「日本人」と説明しているようだ。ドライバーのおじさんが、混み合うバスとバイクの間を縫って大きなバスへ案内してくれる。バスに入ると靴を入れる用のビニール袋を受け取る。バスには30度くらいの傾きのベッドが2段3列にずらりと並んでいる。下の段に潜り込んでカーテンを閉めるとなかなか快適だ。足側にはテレビ画面が設置してあるがあちこち触っても何も映らない。ポツポツ降る雨の中バスが走り出した。
| クラクションで溢れかえるバスターミナル |
| モクチャウ行の大型バス |
| 2段ベッドが3列並ぶ |
バスは対向車への挨拶のようにクラクションを鳴らしながら進んでいく。なんだかあまりにも気分が滅入って、不安な気持ちに押しつぶされそうになる。私はスニフのように小さな生き物なのだ。なんとか気持ちを盛り上げるために関西弁で独りごちてみる。
「いやー雨やなあ。やっぱり声出しとかんと病むからなあ、喋らしてもらうねんけど、今からモクチャウに向かうでえ。ごっつ天気悪いねん。天気悪いとあかんわ。天気悪いと悲しい気持ちになるからな」
天気の話ばっかりやな。あかんわ。順調に飛ばしていたバスが急に停車した。カーテンを開けて様子を伺うと、運転手が外へ出て行く。どうしたんだろうと窓の外を眺めていると、道路の脇に出て立ち止まっている。立ちションかよ!こっちがこんなに深刻に悩んでいるというのに、立ちションかよ!この後も立ちションのためにバスが停車することが何度かあったので、特に緊急事態でなくともよくあることのようだ。立ちションのほかにも、バスは30分に1回程度しばしば止まった。乗客が乗り降りするわけではなく、外にいる人々に段ボールを手渡している。どうも人だけでなく物資を運ぶ郵送の仕事を兼任しているらしい。1時間半ほど走ったところで小屋のような場所にバスが止まった。乗客がそれぞれポツポツ降りていく。サービスエリアのようだ。トイレを済ませて中を覗くと、大きな車庫のような小屋に売店があり、プラスチックの机と椅子が並んでいた。売店にはペットボトルの飲み物類、豆やお菓子などの軽食が売っている。高速道路ではなく普通の道路の脇にあることを除けば、日本のサービスエリアとそれほど変わらない。
| ほな行くでえ |
| スナックが並ぶ売店 |
| 体育館のような構造 |
| 薄暗いトイレ |
バスは棚田や街を抜けて走り続ける。険しい山の中に入ると、深い霧で外が見えなくなった。山では電波も届かなくなる。心地よい揺れに身を任せているといつの間にか眠りについていた。
ふと目が覚めて時計と地図を確認する。もうそろそろモクチャウに入るはずだ。外の景色にもだんだん民家が増えてきた。またサービスエリアのような場所でバスが停車した。地図上ではここはモクチャウに入っているが、乗客はのんびりとバスに留まっている。ここがモクチャウの最終地点なのだろうか。バスはモクチャウの次の街まで行くのかもしれない。
「ここはバス停ですか?」と乗務員らしきおじさんに聞いてみると、
「バス停兼サービスエリアだ」ということだった。
もう少し尋ねてもよかったのだが、焦る気持ちのまま荷物を担いで降りてしまうことにした。大きな道路の周りには深く霧が漂っていて、サービスエリアの小屋の他には目につくものはない。地図を見ながら道路に沿って歩き出した。
| 深い霧の中を進む |
| ひとり歩き出す |
2025年3月30日日曜日
ベトナム逍遥 -喧騒のハノイ-
2025年2月22日
ひとりで旅をしてみたい。「コワイヨ」と「フッチャンノ」が口癖だった幼い頃の私は、スニフのように臆病で欲張りな性格だった。しかし、スニフだって彗星を探しに冒険に出たのだ。私も修行を積まなければ立派なフィールドワーカーにはなれまい。そして何より、誰も行ったことのない場所へ出てひとりで冒険をしてみたい。1番安かったベトナム行きのチケットを予約して、ついにひとり日本を発った。
予約したのはベトナムのLCCベトジェット。ホームページはガタガタですでに怪しく、もしかして詐欺なんじゃないかと何度も確認したがどうも福岡空港から毎日飛行機が飛んでいるらしい。LCCの行列を避けるべくオンラインチェックインしたのに、乗る前に紙の搭乗券を印刷された。のちにハノイでも結局列に並ぶことになった。列には帰国するベトナム人のほか、若い日本人グループやカップルが意外に多い。タイやマレーシアのように安価な海外旅行先として人気なのかもしれない。なんとか無事に飛行機に乗れたが、巻き髪のCAはちょっとけばいし、座席に備え付けられた机は左に傾いている。ともかくきちんと飛んできちんと着陸してくれさえすれば良いのだ。カポーティの『夜の樹』を読みながら5時間、ついにノイバイ空港に到着。人々が分厚い上着を脱ぎながら入国ゲートへ向かってゆく。私もダウンと極暖パンツを脱ぎすてて空港を出た。勢いよく
「Sorry, I'm Japanese」
隣りに座っていた青年が代わりに答える。
「〇〇○○○○(行くよ的なことをいってるぽい)」
向かいに座った彼女は突然日本語で話しかけてきた。
「日本人ですか?どこに行きますか?」
「日本語喋れるんですか?!ここへ行きます」
Googleマップを見せると、女性が青年と相談し始めた。
今度は青年が私に話しかける。
「このバスで大丈夫です」
君も日本語しゃべるんかい!
5分ほどの道中で話したところ、女性は日本で仕事をしていたらしい。
国内線ターミナルでバスを乗り換える。
| 緑色のヘルメットがGrab |
市内へ向かうバスに乗って、まずは両替をしに旧市街へ向かった。
| コピー屋が多い。A0ってなんだろう。 |
| ヴァンフックの入り口 |
| シルクの店が並ぶ観光地 |
| 寺院が多い |
| 天気悪し |
| 大きな丼 |
「このあたりで安く泊まれるところを探しています」
「ここはどうかな?」
読めないけど。
電話してあげるよ、と言ってその番号へかけてくれた。
「ちょっと待ってね」
「ありがとう。値段はいくらですか?」
2500.000VD、
「ちょっと高いですね」と言うと、また困った顔で考えてくれる。
ぞろぞろと家から出てくると、
居間で手持ち無沙汰に突っ立っていると、かわいそうに思ったのか
少しだけ勉強したベトナム語で「日本人です」と言ってみるが、
「ベトナムでお茶を作っている場所を知りませんか?」
おばあも息子も首を傾げる。
「どこかおすすめの場所ありませんか?」
「ヴァンフックはどうか?」と困惑しながら息子が答える。
今日行ったんです、と言うもうまく伝わらない。
「ここから歩いてすぐ」とGoogleマップを見せてくれる。
「すぐだね。いいですね」と調子を合わせていると、
「明日来なさい」
「そうですね。ありがとう」
「どこから来たのか?」と聞かれ、Japanと答えるがなかなか伝わらない。何度かJapanと繰り返すと「アー、ザパン!
部屋に戻ると、急激に心細くなった。言葉もわからないし、行くべきところもわからないのに、こんなベトナムくんだりまで来てしまった。あと16日もここで何をしたら良いのだろう。
| サイバー社会主義 |
| 部屋に小さなゴキブリ |
| 宿のおばあと孫 |

