8月7日(月) くもり
1週間まえに京都に向かったみんなに遅れて、たわしと北九州を離れる。乗り換えの時間に遊んでいたら、さっそく1時間に1本の電車を逃してしまった。ベストな旅になるようにあれほど綿密に立てた計画がもろくも崩れてゆく。しかたなし。下関の海底都市で時間をつぶす。
お昼前にようやく下関を出発。曇っていた天気も晴れ間が見えてきて、車窓から見える田んぼや海がかがやく。こんな場所に、盆と正月に遊びにゆけるおばあちゃん家があったらいいのになあ。先月の豪雨の影響で電車が止まってしまい、バスに乗り換えて長門市駅に向かった。長門市駅から次の電車は3時間後だ。
暇つぶしに金子みすゞ記念館へ。「私と小鳥と鈴と」くらいしか彼女の作品は知らなかったけれど、記念館に展示してあった詩のひとつひとつに惹きこまれた。色白で顔のまるい彼女の、輝くようなやさしさがゆたかに匂っていた。
8月8日(火) 晴れ
鳥取から京都に向かう。朝のひかりのもとでは草も木も人々もすべてが祝福されている。
母はそんなことはできないだろうと言っていたけれど、みすゞさんが詠ったように、できることならわたしもすべてを好きでいたいとおもう。歯医者も虫もにんじんも。すべて神様がつくって、いつくしんでいるものだから。
太陽がまぶしいけれど、景色を見たいからカーテンはおろさない。たわしは光の奔流のなかで眠っている。
8月9日(水) 晴れ
昨夜は22時過ぎには横になったのに、うとうとしたまま日付が変わるころはっきりと目ざめてしまった。夜風が心地よいけれど暗闇は恐ろしい。起き上がると下弦のやわらかな月が見えた。しおしが隣でまた何かしゃべっている。
おだやかな朝を迎えて、はじめて作業に参加する。るー棟梁の指示のもとで壁と天井を貼ってゆく。すごく楽しい。
8月10日(木) 晴れ
壁と天井と床が完成した。作業を終えて夕食のあと、南禅寺のほうまで散歩をする。昼間は頭がおかしくなるくらい暑いけれど、夜の川端は涼しくて気持ちがよい。あるいてあるいてあるいて荘厳な南禅寺の門にたどりついた。砂利に寝ころがると、何層にも重なった屋根瓦の黒い影のうえに星々がしずかに光っているのが見えた。疲労が心地よい。
8月11日(金) 晴れ
早めに作業を終えて恵文社へいったあと大文字山に登る。疲れ切った足で、日が暮れる前に山頂にたどり着かなければならない。「全然いけるけど。軽い散歩だよね」。軽口をたたきあいながら急ぎ足でのぼる。落ちかけた日の光のなかにヒグラシの声が溶けていった。豚熱注意の看板を過ぎて、最後の階段を走り切ると、夕日がむこうの山の端に引っかかっている。ぎりぎりで間に合った。
日が沈んで街のあかりが灯っていくようすを眺めながら夕食をたべる。遠くのほうでちいさく花火があがった。「亀岡やね。亀岡の花火なんかすぐ終わるよ」。
コップがないので総菜のパックでアルパカワインを飲む。久しぶりのアルコールが勢いよく体を巡った。ああもうなんかたのしくてしかたない。老いていくのもわるくない。初めてのことはたくさんあるし不思議なこともたくさんあるし。胸がいっぱいだ。
花火はまだあがっている。
8月12日(土) 晴れ
壁の塗料を塗る。
昔から手先が不器用だ。あなぼこアートを生み出してしまう。はんざきの壁を笑っていられない。
仕事が終わったあとは八瀬へ涼みにゆく。2回も滑って全身を濡らした。せっかく焚火でお尻をあたためたのに。こういうまぬけさも昔から進歩しない。
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妖怪あらわる |
8月13日(日) 晴れ
あつくてあつくてとても外を歩いていられない。古本市へ遊びに出たはいいものの、耐えられずに昼にはうちに帰った。
はんざきが水族館から連れて帰ったペンギンを、大文字山の思い出にちなんで「豚熱」と名付ける。
8月14日(月) くもり
青い塗料を塗り終える。みんなのご指導のおかげで少し上達した。
同時にウォーカーのおかげで、京都弁が臨界期を迎えた。夏やなあ。
8月16日(水) 晴れ
台風一過。朝早くはんざきと賀茂川にオオサンショウウオを捕まえにゆく。
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いない |
下水の詰まりが発覚しトイレ使用禁止令が発令される。わたしはフローリング隊から一時離脱し、ひとり下水に向き合う。下水工事も人生で初めてだ。願わくは最後であってほしい。
最後の板材が床に貼られ、宴会の準備に奔走する。食べ物も飲み物もどんどん上にあげられてゆく。山に火がついた。
8月17日(木) くもり
昨夜の大宴会が尾を引いて、なんだかだらだらした雰囲気。王子が来てみんな少し活気づく。みんなで踊ったり歌ったりしながら能登かぼちゃでコロッケをつくった。
夜はらくくまを連れてあやしげなカラオケ屋にゆく。
8月18日(金) くもり
朝3時までのカラオケが尾を引いて作業中に気づいたら床で寝ていた。けだるい体を起こして、たわしとくまと階段のペンキを塗る。
夜は高台寺の百鬼夜行展にいった。展示よりも、狭くて暗い京都の街のほうが怖かった。
8月19日(土) くもり
広州音頭はあいにくの雨で見られなかった。
アロアロでの夕食のあと江頭さんの思い出の店にゆく。アイリッシュな喫茶店のなかで粘菌と山岳修行のはなしをする。むし暑い夜だった。
8月20日(日) 晴れ
工具の片づけと部屋の掃除、冷蔵庫の整理をして、九州に帰る準備をすすめてゆく。みんなが帰ってしまったあとはきっと寂しくなるだろう。水かけ祭りの合間にも、夏の終わりのかなしさが沁みてくる。
らくくまとお別れをした。
8月21日(月) くもり
2階の床をつくる。掃除機で木くずを吸いながら板をごりごり切ってゆく。
下水の流れを完璧にするために第2次トイレ使用禁止令を出す。またか。
穴吊りにされた隠れキリシタンをおもいながら、手で下水にモルタルを重ねた。
夜はデルタでごはんを食べた。大宴会のとき尚早に寝入ってしまった反省をふまえ、少しづつきぞくのお酒を味わう。うしろから聞こえてきた外国語の歌に、負けじとこちらも歌う。なつーは来ーぬー。
8月22日(火) 晴れ
キッチンのすき間を埋めて、午後は貴船にあそびに行った。
「この蝉の声、録音したのを流してるのかな?」とはんざきがいうほど、整然と蝉が鳴いている。ひと夏も鳴いていたから蝉の方もうまくなったんじゃないかとおもう。
川床で魚をとる。つめたい水が心地よい。
8月23日(水) 晴れ
はじめてのコーキングでキッチンのすき間を埋める。コーキング道は険しい。
漬物屋さんでぶらさがり、夜はおむら屋ではじめての十四代をいただく。おどろくほどおいしい。生きていてよかった。
8月24日(木) くもり
朝食にはんざきがにんじんを出してくれた。そいつとはできればあるていど距離を置いて、互いにおもい合える関係でいたかった。近くにいすぎると、傷つけることもあるから。
むし暑いので川に遊びにゆくが、なんとなく天気がすっきりしない。午後は大雨のなか水族館へ。豚熱がたくさんいた。
裏のお店で飲んだあと、家で飲んで、さらにあやしげなスナックをたずねる。虫の声がきれいな夜だった。
8月25日(金) 晴れ
北野天満宮の骨董市へゆく。まだまだ暑い夏の青空の下、とりどりの食べものや着物や古い品物がところ狭しと並べられている。暑さに頭がふらついてきたので、日陰に展示してある子どもたちの絵をゆっくり眺めた。
小雨のあとで蒸す夕暮れに水鶏がかなしく鳴いている。
8月26日(土) 晴れ
朝は散歩がてら出町のおにぎり屋へ。鋭い角度で握られたおにぎりが並んでいる。
バッジュ・シャームの講演会へいったあと、下鴨神社の盆踊りに参加。
「ここ入ってもいいですか?」と息巻いて輪に加わると、聞こえてきたのはきよしのズンドコ節。しかも踊りは炭坑節。京都弁はしばし封印して、おかわりに代わって筑豊のたましいを見せつけた。
8月27日(日) 晴れ
上賀茂神社の手づくり市へゆく。京都は毎日なにかがあって毎日たのしい。
つめたい川に足をひたしながら昼食を取ったあとは、バッジュ・シャームの展示を見に東寺へ。会場ではバッジュさんが絵を描いている映像が流れていた。なるほど、絵具で塗ったあとにペンで細かく線をいれているのか。黒いペンの軌跡がうつくしい。
東寺の庭には蓮の花がちらほら咲いている。きぞくが葉陰におしどりを見つけた。
8月28日(月) 晴れ
大阪にすむ祖母へのおみやげに出町の和菓子屋さんへ。行列ができるほど人気とめっとに教わり、開店直後に向かう。「出町ふたば」の看板の前にはすでに人だかりができていた。豆大福をふたつ腕に下げて散歩しながら家に帰る。
過ぎ去った出来事はすべて覚めた夢のようだ。あざやかだったのも一瞬のことで、過去はあまりにもはやく去ってしまい、思い出はどんどん薄らいでゆく。だからもう一度、あちこちに残された私たちの跡をひろうようにゆっくり道を歩く。叡山へゆく電車。雨のコインランドリー。よくトイレを借りたファミマ。農学部の虫の声。神社のラジオ体操。デルタの夜。あそこやここで聞いた、冗談や本心やまなざしや声のひとつひとつを忘れたくない。
小籠包