野研の活動
九州フィールドワーク研究会(野研)の記録です
2025年1月17日金曜日
「かずゑ的」
2024年9月28日土曜日
能登へ
深い山や海のそばに立っていた家々は、地震と津波で何度もゆすられて、なぎ倒されて、へしゃげて、もとの形を失っていた。住人のいなくなった村や町で、積まれた瓦礫がしずかに片付けられてゆく。何年もかけて作り上げ守られてきたはずのものが、最初から何もなかったかのように更地へと帰ってゆく。
隆起で白くなった岩に激しく波がぶつかる。
海は変わらずどぎつい光を繰り返す。
ざあ、ざあ、ざあ、ざあ―
人間がこんなに哀しいのに、あんなに海は青いのか。
帰り道、塩田に立つひとりの人夫を見た。燃えるような西日のなかで、ひたむきに四肢を動かして海水を撒いていた。
ああ、哀しくはなかったのか。
たくさんのものが壊れて失われても、人間は生きていて、美しかった。
小籠包
2024年4月21日日曜日
エチオピア学会なるもの
私は学会員ではないけれど、金子さんの口利きで、エチオピアに関心を寄せる非常に熱心な学部生として心安く受け入れてもらったのでした。エチオピア学会の会費はさらに値上がりするかもとのこと。50人もいないくらいの学会だったから、続けていくのも大変なのでしょう。学生特権をありがたく享受しました。
4/19(金)
飛行機で成田へ飛び立つ。中目黒のエチオピア料理店「クイーン・シーバ(シバの女王)」で、東京の友人と待ち合わせる。地下のこじんまりとした店内には怪しい仮面や絵画が並び、天井からはシマウマの毛皮が垂れ下がっている。案内された席には、動物の皮が飾ってあった。捕えられた女性を助ける英雄が描かれているようだ。四者四様の意味ありげな視線がポイント。
フムス(ひよこ豆のぺースト)を揚げたもの、羊と鶏の串焼きのあと、ついにインジェラが運ばれてきた! インジェラはエチオピアの主食で、テフという穀物を発酵させ、薄いパンケーキ状に焼いたものだ。オペ看の友人は、その色と表面の穴ぼこを見てひとこと「肺みたい」と言った。
インジェラの上にはのっているのは、牛肉のカレー、煮込んだ羊肉、スクランブルエッグなど。素手でインジェラを少しちぎって、具材と一緒に食べる。口に入れた瞬間、緊張する匂いと味がひろがる。発酵による酸味と、湿度の高い生地、スパイスたっぷりの具材がなんともいえないマリアージュを繰り広げてくれる。
"Are you a minister of education?"
"No!"
"Oh!(めちゃ恥ずかしいやん) Really?!"
"No!"
"Why did you find it? Did you check?"
"(やっぱりそうなんかい)Yes, I checked it!"
"Oh you're a very brave girl."
"Yeah, I'm a student of Kitakyusyu university."
"Where is it?"
"Kyusyu. South of Japan. "
"What do you study?"
"Anthropology. I came here to participate the Conference of Ethiopia in Toyo university tomorrow."
"Oh good."
"Actually, I hope to study abroad in Ethiopia, Adis Abeba university. "
"Nice."
"Very nice to talking with you."
店を出ると、エチオピア大使館の車が停まっていた。路駐していいんだ。
4/20(土)
上野の弥生美術館へ。勉強のために夢二の絵を見に行く。夢二の動物はなんとも言えないゆるさだ。
印象的なのはミュージアムグッズ。大量のポストカードにはじまり、一筆箋、メモ帳、ブックカバー、トートバッグ、アクリルスタンド。あらゆるグッズが、小さな美術館の一角を占領している。小さな美術館だからこそ、なにかおみやげを買って帰りたくなるのだろう。デザインもすてきだ。
MoGAのチラシも置かせてもらった。
「大学院にはいくの?」
「うーん。いろいろ考えるのですが、どうかなと」
「考えない。(周囲のエチオピア研究者を見渡して)ほら...何も考えてない。こんなことやってる人たちだからね。研究の道に進むってだけでも何も考えてないのに、アフリカ研究だからね。まあ、マイナスとマイナスをかけてプラスかな」
アムハラ語の集中講義をする若狭さんが相づちを打つ。
「そうですね。私なんて、オモロ語の受動態の接尾助詞は従来高いと考えられていたけど本当は低いこともあったんだって言って喜んでるんですから。アフリカ言語なんてやってるやつは更にマイナスかかりますよ」
4/21(日)
発表の日。寝ないように朝からコーヒーをしこむ。
開始時間の5分前に会場に入ると、北九大のC教室みたいな場所に40人くらいしかいない。開始時間を過ぎたあともちらほらと人が入ってくる。5分くらい過ぎてからゆるく始まった。
エチオピアはショア地方のパン文化に始まり、農業や建築、開発などさまざまな分野の発表があった。参与観察とか半構造インタビューとかよくわからない言葉がたくさんあったけど、ベルが鳴ったあと話し続けても怒られないとか、さり気ない冗談の言い方や笑い方を学んだ。発表もわからないなりに面白かった。質疑応答があまり出ないのが意外だった。
昼からはポスターセッション。発表のあと、探検部の藤本さんや曽我さんと話していたら出遅れた。すでに人だかりができていてうろたえる。まごまごしていたら、金子さんが話に入れてくれた。
ぷらぷらブースを回っているうちに、「ポスターより先に発表者に視線を合わせるんだ!」と気づいた。発表者に声をかけると、先に内容を説明してくれるし、流れで自己紹介もできちゃうのか。人見知りでついついポスターに逃げてしまっていた。
面白かったのは、エチオピア正教と重婚についての発表だった。エチオピアでは伝統的に一夫多妻だけど、キリスト教では重婚が認められない。矛盾しているようだが、むしろ重婚を許す存在としてマリア信仰が盛んになった、というような内容だった。発表者の方に「正教に興味があるなら、ゲエズ語の研究会に参加しませんか?」とお誘いをいただいた。全然分からなかったけど『チャンスを逃すな』というはでぴの言葉が頭をよぎり、一も二もなく「ぜひ!」と答えてしまった。これから私はどうなるのだろう。プラスになれるようにがんばりたい。
小籠包
2024年3月1日金曜日
「リース遠征隊」を見て
だれかを助けたり応援したりするのは、それほど難しいことではない。
もちろん、車椅子を引いて雪山に登るのは簡単なことでもないけど。
むしろ、クレイジーな物事に熱心かつ忍耐強く取り組むことや、そのために他人に責任を負うことのほうがよほど大変だ。人に迷惑をかけないで生きようとするほうが簡単なんだと思う。多少の迷惑はかけても、それ以上の喜びを与えられる人間になりたい。
そして、
すべての山にのぼって
すべての川をわたって
すべての道をたどって
いつか情熱を持てるものが見つかればいいな。
小籠包
2023年12月24日日曜日
胸がいっぱいの一日
2023年12月23日(土)クリスマスの前日。
今週は雪が降ったりして寒い日が続いていたけど、今日は少しいいかな、というくらいの日和。
19日にグランドオープンした昭和館に映画を観にいく。
「ニュー・シネマ・パラダイス」
とても有名な、評判の良い映画なのだけど、これまで、観たことがなかった。
観たいなと思いながら機会を逃していたと思っていたけれど、観おわってつらつらと考えてみれば、この映画は1989年の作品で、その頃の私は、「ノスタルジックな泣ける映画」を観るような心の在り方ではなかったのかもしれない。恥ずかしながら、同じ年の「バックトゥー・ザ・フューチャー2」は映画館で観ている。
映画のあらすじや評価なんかもいろいろ忘れた状態でノスタルジックで泣ける映画という以外に予備知識がないまま観た。予備知識がなくてよかったと思う。
主人公と共に思い出にひたり、主人公と共に心が揺れた。
お昼ご飯の調達を兼ねて旦過市場を歩いて、そのまま芸劇へ。
ちなみにお昼ご飯は、やすのさんのスコッチエッグ。かまぼこの中にピンクの茹で卵が入っている。かまぼこが美味しいから、一個丸ごと食べても嫌味がなくてさっぱりとしている。
チャンチャン劇団の定期公演。
知的障害のある団員さんがミュージカルとパフォーマンスを披露してくれる。まあ、障害者の宝塚のようなものだと思ったらいいかもしれない。内容はコメディーだけど。
2014年の講演からだいたい観ている。観ているうちに団員さんたちを個別に見分けられるようになったし、密かに推している団員さんもいる。つまり、ただのファン。
今年もベテランさんの安定のギャグが冴える。
これまであまりセリフを言わなかった団員さんに今年はセリフがあって、嬉しくなったり。
団員さんたちは、案外と会いに行けるアイドルで、作業所のカフェなんかで店頭に立っていたりする。街で団員さんに会うと嬉しくなる。
団員さんが頑張っている姿に、支えられた気持ちになって、自分も頑張ろうと思う。
つまり、ただのファン。
2023年12月14日木曜日
嘉徳
嘉徳浜、奄美大島の南東にある入江。KATOKU beachという名で日本よりも海外の方が有名かもしれない。
南種子や西表の西部など、私はこれまでたくさんの美しい海岸に泊まってきたが、それに勝るとも劣らない豊かな浜。海と浜と川と山が見事に調和した小宇宙。
この浜にコンクリートブロックを並べるという計画が進行している。
どんな立派な文化遺産よりも、歴史ある遺跡よりも、人智を超える自然が作り上げた見事な景観や生態系の価値は、計り知ることができない。
しかし、なぜこの国では自然や環境の保全に税金が使われないのだろうか。なぜ生態系が私たちに与えてくれる、たくさんの恩恵に対する資源価値や経済効果を、そのほんの一部でも正当に評価できないのだろうか。
この国では離島振興は土木工事でしか実現しないと信じられている。離島だけではない、建築会社と政治家が結託して税金を投入する構造は、日本各地で今も行われている。工事によって生まれた新しい問題を、さらに工事によって解決する。そうやって無限にお金がおりるのだという。しかし、そんな永久機関など一時の幻覚である。ネズミ講のような詐欺である。破壊と建設を繰り返しながら、国土を荒廃させていくだけの、三途の川の石積みは、結果としてむしろ経済を疲弊させ死への道行である。自分の世代さえ潤えばそれでいいのだろうか?
文化遺産を守るためには多大な税金が投入され、その守り人たちは誇りを持って、祖先から代々引き継がれてきた財産を次の世代に伝えようとしている。しかし、なぜか自然遺産に対しては、そうした仕組みが十分にできていない。
よく誤解されているが、こうした遺産を守ることは決して観光のためではない。文化遺産を守る目的が観光のためではないのと同様に、自然遺産を守る目的も観光のためではない。遺産の価値利用や経済化のために観光があるのではなく、観光は遺産を利用し利益化している寄生虫のようなもので、時には遺産の価値を矮小化してしまう必要悪でもある。だから私は観光に期待をしていない。
そうではなく人として生きるために、こうした豊かな自然が必要なのだ。海に抱かれながら、歴史や文化や人間の暮らしを感じること。時は厳しく時には優しい自然に圧倒され、自分がここにいる奇跡を感じながら、その恩恵をいただいて生きていく、自然遺産とはそういう資源なのだ。
2年前に嘉徳を訪ね、ぜひここでアダンサミットを行いたいと考えた時に、すでに工事の話は動き出していた。東日本震災のあとダムや道路に変わる新しい公共事業の口実である国土強化の名の下で認可基準が変わり、日本中の海岸への護岸工事が一気に進められていた。
新型コロナの流行の中、この海岸が壊されてしまう前に、アダンサミットを開催したいと考えていた。しかし、工事を差し止めるための活動やそれに対する嫌がらせ、複数の裁判の進展に、現地の人たちはまったく余裕がなく、なかなか開催の目処が立てられなかった。
本当であればもうすでに着工されていたかもしれない、しかし現地の人たちの根強い運動と、工事用の道が対岸の崖崩れで使えなくなるなどの、いくつかの奇跡が重なり、まだ浜は手付かずのまま残っている。
今が最後のチャンスかもしれないと思った。
たくさんの人にこの浜をみてもらい、この浜がここにあることの意味を感じてほしいと思った。護岸に賛成する人も行政も、ここで一度たちどまり、考えてほしいと思った。
かつて奄美大島では、自然の権利訴訟として有名なアマミノクロウサギ裁判があった、嘉徳村もごみ処理施設の建設を撤回させている。そうした取り組みの結果が、世界自然遺産への登録につながったことを思い出そう。クロウサギの次はアダンである。
しかし近年になり、ここにミサイル基地が作られ、護岸工事が具体化した。私はそこに、自然を壊し尽くし汲々と生きている都会の怨念を感じる。国や鹿児島県は、奄美大島の片隅に、自分たちが失った豊かな自然が残っていることを、許せないのではなかろうか。世界に誇る財産を持つこの村を、価値のないただの不便な僻地にしたいらしい。
今回のアダンサミットを通じて、ここに住む人に出会い、雄大な浜の自然に出会えた人は幸いである。もしかすると来年には、自然の営みはコンクリートに遮られ、何百年と続いたこの景観が、もうなくなっているかもしれないのだから。だから、参加出来た人は、参加出来なかった人のためにも、自分が見て感じた事を多くの人に伝えてほしい。これからもここが残っていくことを願いながら。
私たちは、海に抱かれ、嵐の激しさに怯え、満天の星を見ながら、焚き火にあたり、波の音を子守唄に、浜に眠った。きっと人はみな古来からこの同じ風景を見てきたはずだ。せっかくこんな美しい世界が、すぐ近くにあるのに、どうしてわざわざコンクリートの建物に泊まる必要があるだろうか。ここには人生のもっとも贅沢な時間がある。
ことに夜明けの美しさは格別である。どんなに暗い夜でも、その終わりには鮮やかな朝がやってくる。紫の雲、赤く染まる空。キラキラと光る水面。誰かに告げるでもなく、ひとつの言葉がぽろりと漏れた。「ありがとう」。
私たちは何も残さず、来た時のままの海に別れを告げ、静かに浜を立ち去ることにしよう。 6
2023年10月9日月曜日
大地の息吹
10月8日(日)
松尾容子プロデュースによる「Earth and Breath」
大學堂岩田講堂を会場に、蔵の中から世界をのぞくというテーマで、門司港に大陸の風を吹かせるイベントでした。
オープニングは、ホーメイの演奏と黒田征太郎さんのライブペイント。
虹の色に絵の始まりを感じ、風の音に音楽の始まりをみるという黒田さんが、ホーメイから感じるものをクレヨンやマッキーを使って次々に絵にしていきます。
完成した絵は会場のお客さんへのお土産にいただきました。
私がもらった絵は、ちょうど松尾さんが歌っているときに黒田さんが描いたものでした。松尾さんの声に呼応するように、赤い点々がうたれて、ぐいぐいと黄色い線がひかれてて、なんだかすごいな、と思った絵でした。