平家の塚を見て満足した我々は、ナビゲーションシステムと師匠さんの記憶に案内してもらいながら、パゴダに到着。
↑人がいる気配のない事務所。寂れてる…?
↑大きい
↑階段のわきには日本式の灯篭が。日本とミャンマーのコラボ。
↑入口。両脇に狛犬みたいなのがいる。これもコラボ?
↑中。日本とミャンマーがごちゃ混ぜだ。
↑たくさんの墓標。手を合わせてきた。
私が、うへへうへへと散策し写真を撮りまくっている間、師匠さんは掃除していたおじさんと喋っていた。関西弁のそのおじさんは、ここの管理人らしかった。少し前、鳥取からお参りに来た人たちがいたそうで、私が鳥取出身だと聞いて、何か思うことがあったのだろうか、案内してくれた。
↑この人。(うわぁブレッブレだ)
↑ここで修行したり、一般の人も講話を聴いたりできる。
定期的に開講してるそうだ。
↑僧の食堂
↑寮みたいなとこ。たくさん部屋があるけど、今はクモの巣だらけ。
↑僧院の中にある礼拝所。雨漏りしてる。
↑托鉢用の器。最近は托鉢する僧はいないとのこと。
と、各施設を案内していただいた。師匠さんはひたすら雨漏りの改善方法を語っていた。時間は三時ごろ。とても暑い。気を配っていただき、少しお茶をよばれることに。食堂に案内してもらった。師匠さんは、渋っていた。が、私はごり押した。なぜなら、本物のビルマ僧に会えると聞いたからだ。
↑左がビルマ僧。右が私。
ここのビルマ僧は、三年で交代らしく、写真の彼は、二年目。日本語ほとんどしゃべれない。スマホ越しの通訳を介して喋ったが、なかなか伝わらない。紅茶がおいしかった。ミャンマーから、送られてきたモノホンの紅茶らしい。(おそらくインスタントだが)
↑師匠さんは高評価。
師匠さんが、雨漏り改善話の無限ループに入ってしまったので、帰り時かと思い、グイっと紅茶を飲み干し、パシャパシャッと記念撮影して、そそくさとドロン。車に戻り、小倉へ。このまま帰る感じかと思いきや、、、。
知った道だと師匠さんの案内だけで小倉に戻る。案内のままローソンに車を停める。なぜだろうか。実はそのローソンの隣に小さな小さな横穴式石室があるそう。寄ってみた。
↑これがそれ。めちゃくちゃ街中にある。おどろき。
だいぶん西日が強くなってきた。暑い。そうだアイスを食べよう。ということで、ローソンで爽をおごってもらい。クーラーのきいた車内で食べる。頭キンキン、体ブルブル。師匠さんは暑がりなのだろうか。そんなことを考えていると、隣から「もっと大きい古墳は見たくないか」と聞こえる。ここから一時間くらいのとこにあるのだという。時間は17時手前。朝8時30分から運転しっぱなしで疲れてるし、小倉に20時までに返さなければならない。体力時間ともにギリギリだ。断ろうかと思ったが、ニコニコしながら話す師匠さんを見ると、申し訳なくなり行くことに。
師匠さんの案内で、田川市まで行く。北九州市とは雰囲気が違う。道中故郷が恋しくなった。本当に1時間弱運転すると、着いた。小学校に。古墳が小学校の横にあるなんて考えもしなかった。近くに車を停めフェンスを抜けると。
↑これが入り口。とてもでかい。
↑国指定の遺跡だ。
↑橘塚古墳というそうだ。
↑古墳内から見る師匠さん。おそらくどや顔でこちらを見ている。
こんな大きな岩をどうやって運んで積んだのだろう。小学校の教科書でイースター島のモアイ像についての話を読んだ時を超える感動と震え。大きなものを見ると、畏怖の念を覚え体がぶるぶる震える。でかいのすっげ―、かっけー。
時間も遅くなり、見たいものは見れたので、帰ることに。その途中、スーパーでお寿司をおごってもらう。晩御飯だ。ありがたや。師匠さんを北九大に送り、私はレンタカー屋さんに19時30分ごろ車を返却。そして、そのままアルバイトとしてレンタカー業務を手伝うちくわ君なのであった。(ちゃんとタイムカードは切りました)
以上が、私の夏の思い出でした。今度は行橋の廃寺群を見に行こうと誘われてます。しかし、それは二人ではなく、三人となる予定です。おそらくまた私の運転ですので、話し相手が、分散するのはありがたい。(運転に集中できるという意味で)
では、また。
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