黒髪を長めのおかっぱに切りそろえた女の子が二人、黒い瞳でこちらを見上げていた。私が古代米の説明をするのを聞きながら母親は二人の娘に「どうする?」とたずねる。一人は「いる」と笑顔でこたえておにぎりに手を伸ばし、一人はふてくされたように「いらん」とこたえる。
祭の夜には、彼岸と此岸をつなぐ口が開いてしまう。特にここのように、古の豪族がねむる場所では、ふらふらと遊ぶ子どもの前にいつその口が開くかもわからぬ。この地を治めた豪族が、土塊となっても民を守ろうとあちらから手を伸ばすためにか、ポカリとあいた墓がある。ここは、人がまだ干拓という術を知らぬころに、遠浅で豊かな海とどこまでもつづく稔りの平野を見渡せる丘であった。
こんな夜は、子どもが魔にひかれぬように、大人たちは子どもの顔に魔の化粧をほどこす。よく似た顔立ちの二人は、同じように両の頬に白い線を2本引いてもらっていた。
二人はくるりと向きを変えると走り出し、祭の明かりの中に紛れていく。お金を払った母親は
「ほら、走るとあぶなかろうが」
と追いかける。二人の笑い声は祭の音楽に紛れていくが、母親の「座って食べんね」とおらぶ声がするから、走りながらおにぎりを食べ出しているのだろう。
しばらく、音楽を聴いたり他のお客の対応をしていると、先ほどの女の子が駆け込んできておにぎりをつかんだ。
「お金ばもっていかやこて、ほら、お金。」
母親の声が追いかけてくるが、もう一人が手を取っているのか母親は現れない。おにぎりをつかんだ子は得意顔で店を出て行き、空いた手に100円を持って帰ってくる。
「ありがとう」
と100円を受け取りながら、さっき「いらん」と言うたほうだと気がつく。
おなか空いとったとやろと、たてがってやろうかと思うがその間もなく走り出す。
しばらくすると、また同じ子が走ってくる。次の遊びのためにおにぎりを補給するようにパッと片手でつかむと弾むように母親の元へ戻っていく。
「またぁ、お金が先やろが」
今度は、50円玉を2枚持ってくる。「気に入ったとね?」と声をかけるが返事をする間もなく弾んでゆく。
そのうちに音楽が止み、チーン、チーンと鉦の音がするとあちらこちらに開いた口から異形のものが現れる。角のあるもの、大きな顔のもの、地を這うもの。どれも、ものも言わぬ。もとは豪族とともにこの地を守っていたのであろう魂も人の身を離れて時が経ちすぎれば、人とは思われぬ形を結ぶようになる。
様子を見に店から出ると、逃げ惑う子どもたちの中に、両頬に白い線を引いた姿がある。
「帰ろう、ねえ、はよ帰ろう」
母親に二人の子が取りすがる。魔をよける化粧も異形のものを目の当たりにしては徒然ない。
祭の後に、あの子たちは今夜どんな夢を見るやろうかと、この次第を話したら、
「それは、むぞかね」
と、とっちゃんが笑う。「そう。むぞかったと」と私も笑う。
この地では、「かわいい」も 「かわいそう」もどちらも「むぞか」という。小さいものの愛らしさとそのはかなさに同じように慈しみを感じるから同じ言葉を使うのだろうか。
小さい子らはむぞがられて育つ。親にも見知らぬ大人にも、異形のものにもむぞがられながら大人になり、また子どもをむぞがるようになる。古からのならいであろう。
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