2019年3月10日日曜日

酒蔵コンサート

 つまらない仕事から解放されて都市高で小倉の街をすり抜け、門司港へ。
 重い木造の引き戸を2つくぐってレンガ造りの蔵に入ると、古くてきれいに保存されたお雛様が迎えてくれる。お雛様の十二単は唐衣に凝った刺繍が施されているのは当然としても、正面からは見えない薄物の裳にも丁寧に刺繍が施されている。
 蔵の中ではダイスケとガジロウがロイズのオレンジピールチョコレートをボリボリ食べながらおしゃべりしている。それを入れるためにあつらえたような瀟洒なガラスケースは、もとは小さな石のついたネックレスなどをしまうために使われていたのだろう。アールヌーボー調のボンボニエールは、最近では九州でも手に入りやすくなったロイズのチョコレートにウィーンのサロンの空気を纏わせていた。二人の声がいつもより穏やかなのは、甘酸っぱいオレンジピールとビターなチョコレートがそうさせているのか、それとも、レンガの壁を照らす柔らかなオレンジ色の間接照明のせいだろうか。
 「これも美味しいから食べて」とフェスティバロの和菓子ラインのスイートポテトを岩田さんが差し出す。口に入れるとしっとりとなめらかに芋の風味が広がるが、ラブリーより小振りで口当たりが軽く食べやすい。
「片付けしてたらこんな物がでてきたんだよ」とダイスケの前に岩田さんが紙を広げる。ウィーンの国立劇場のポスターだった。毎日の演目が定型のデザインで掲示される。1980年代のそれには、3大テノールの筆頭パヴァロッティの名前がある。
「このとき、パヴァロッティ調子良くってさ、ワーッて拍手したら同じ曲をもう一回歌ってくれたんだよね」
一瞬、ウィーンの劇場の空気が岩田さんの周りに立ちのぼって、また消える。
「あと何枚かあるから、ネットで売ろうかと思って」
このところ岩田さんは、ずっと家の片付けをしている。その手伝いをしているガジロウは、岩田さんが持っている物の価値がさっぱりわからない。けれど、説明を聞くと素直に「へーっ」と感心する。その頃合いが片付けの手伝いにちょうどいいのだろう。

 時間になって、照明を暗くし、ピアノだけが柔らかな光に包まれると、コンサートが始まる。いつものように、私たちはドイツの仄暗い森の中に誘われるのだけど、今日は前に来たときよりも明るい曲が多いようだ。弾むような太陽の曲はダイスケも初めて聴いたと言っていた。
 たっぷり休憩なしで2時間。私たち3人のためのコンサート。

私の心は王様よりも楽しんでいます

0 件のコメント: