2019年3月3日日曜日

師匠さん国宝デート①待合せ~龍岩寺編

 朝、私は白い息を吐きながら小走りに大学へ向かった。約束の赤茶けた四号館入口付近に目を向けると、見覚えのある灰色のバケットハットと銀縁眼鏡が、きょろきょろ、うろうろと何かを探しているようであった。いつからそこで待っていたのだろうか、手を振ると、にこぉ、と返してきた。その傍らには三つの白いビニール袋が置いてある。私が「おはようございます」と声をかけ近寄ると、師匠さん――うどんの師匠と区別するためこちらを「さん」付けで呼んでいる――は、「おはよう」と返しその袋の一つをくれた。袋の中には、瓶詰めされた蜂蜜、太ももほど太い大根、そして、ペットボトル詰めされた巣蜜のゆで汁が入っていた。巣蜜のゆで汁は蜂蜜いちばん栄養のある部分で、天然の栄養ドリンクなのだという。大変甘酸っぱく、なるほどコンビニエンスストアで売ってあるあの栄養ドリンクのような味わいである。

 手土産をありがたく頂戴し、残りの二人を待つ。師匠さんと話をしていたところに、ニット帽に緑のリュックサックを背負った大介が自転車に乗ってやってきた。私たちをみつけると、目の前に停まった。眠たそうな顔で何をしているのかと尋ねられると、師匠さんはこんどはニヤリと笑い、「国東半島にある国宝を見て回るんですよ、特に一番見たいのは奈良時代の梯子でね」といった。大介は「四人で?へえ、いいなぁ」とだけ残し、また自転車に乗りどこかへ行ってしまった。師匠さんは今日の旅が楽しみなのだろう、「彼、だいぶ羨ましそうにしてたな」とうれしげだった。そうこうしているうちに、あみつけ、るー全員集まり、車に乗り込んだ。

 高速道路に乗り一時間かからなかっただろうか、最初の目的地「龍岩寺」についた。

ダイエットにいいねと、あみつけは語る

中腹にある受付

 宇佐市院内町大門にあるお寺で、平安末期の草創になるものと推察される。元天台宗であったが、享保年間、曹洞宗となった。受付となっている管理者の家から石段をさらに上る。
かなり茂っている

 草の茂る山道をぜえぜえと歩いていると、隧道が現れた。仏のへそくぐりも然り、奥の院までの長い山道も然り、この隧道も仙界と下界をつなぐ人工のインターフェースとして機能している。偶然か故意か、つくった者の本意は知らねど、神気がひしひしと感ぜられる。

仙界への入り口

 仙界に入ると、お堂がさらによく見える――じつは隧道をぬけずともお堂は見える。
画面中央にあるのがお堂、かなり下から見える

樹がなければ、日光が直接お堂に当たるらしい

 よく見ると、お堂の足元に斜めにかかっている長い棒が見える。これが師匠さんの楽しみにしていた「奈良時代から残るという梯子」である。実際はお堂が完成した当時の平安末期であろうが。
 この梯子は「きざはし」という。一本の楠を荒削りにして階段とした原始的なもので伊勢神宮にその形を止めるだけで、国内唯一の遺構である。

幅は3~40センチはあるだろうか、かなりでかい

 山奥の岩窟の中に建てられたお堂の中には三体の仏像が安置されている。

頭部

全体

 向かって右から、薬師如来座像、阿弥陀如来座像、不動明王座像である。高さは三体ともに約一丈である。楠を手彫りで削りだされた大変大きな座像は、湾曲豊かな眉、長い瞼、柔らかに閉じた唇、肩から同へかけてのおだやかな肉取り、細かい技巧の見られない雄大な姿である。

お堂は補修されているのかとても綺麗

お堂内には、大小二つの鈴、木魚、護摩木がある

 しっかりお布施をして、護摩木で心身健康の祈願をした。後で、師匠さんがあみつけ、るー、私の名前をノートに書いてくれた。

 第一部はここまで。これはまだ12時ころ、旅は19時ごろまで続いたのである。次回は、日出城址と北台でのエピソードを書きましょう。乞うご期待。

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