石段を上ったさきに、身を縮めながらむこうを見つめる人がいた。
軽く会釈をしながらその人の前に座り、同じように、自分もむこうを見つめる。
自分が身を置くこの世界は暗いのに、むこうはまるで昼間の春。
暇を持て余した天人がほろ酔いで楽器を弾いているのだろうか。
妹を抱く母親を気づかい、もっと見やすい場所を探す、一人の女の子。
小声で「あっちのほうが見えるよ」と、母親に耳打ちする。
「そうだね」と答え、ぎゅっと服をつかんでいる幼い次女を抱きかかえ、そろりと席を移動する母。
すると、女の子は新しい二つの椅子(つまり母親と妹が座る椅子)の座面を丁寧に手で払ったのである。
私はそこで、うらやましいと思った。姉か、母親か、妹か、それとも椅子かは知れぬが、心の底から何故だかうらやましいと思った。
我に返った瞬間、どうしようもないほどの寒さを全身に感じた。どうしようもないほど悲しいので、カバンの中から、スーパーで買った串焼きを取り出し、頬張った。串焼きは、冷たかった。
気分を良くした天人は、猩々緋の衣装を全身に身に纏い、頭には、仮面とも王冠ともつかぬ、金色の仰々しい飾りを付けていた。
体は大猿で頭は龍のような、奇妙ではあるが威厳のある、いで立ちであった。そのおかしな格好をした天人が、ゆっくりと踊りだす。
かつて神楽の師からは、神楽は踊るものではなく、舞うものなのだと叱られたことがある。おそらく、この目の前の踊りも「踊り」ではなく、「舞い」なのであろう。いや、もしかすると、「酔い」なのかもしれない。最後は両手を上下に動かし、空を飛び始めた。やはり、「酔い」だ。
石段を下ったさきに、道から外れた小さな鳥居があった。
その鳥居は両手に提灯を抱え、自身の股下を通るかどうかも分からない人々を待っていた。鳥居の頭上には、夜に染みだした月がふわりと浮かんでいた。
そこでようやく理解した。きっとここは人間が通る場所ではないのだ。
月を頂点とした、光の二等辺三角形が形成されていたのだ。この鳥居はおそらく先ほどの天人たちが、こっそりとこちらに降りてくるための一種の抜け道のような場所なのである。その抜け道の扉が、今開かれようとしている。できるなら、私もそちらにひょっこりと顔を出してみたいものである。
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