2019年11月5日火曜日

2019年和歌山県太地町、研究会と視察


太地町視察報告 大津留香織(社会システム研究科研究員)

30日、新門司港を出発する。
31日、朝6時に泉大津に到着、5時間半かけて和歌山県の太地町へ向かう。11時半にJR太地駅に到着し、研究協力者ジェイ・アラバスター氏と合流する。スケジュールの確認や打ち合わせをする。

1日、朝4時半から漁協周辺を視察。鯨漁・イルカ漁をおこなう「いさな組合」の集まりには、アラバスター氏のみ参加をゆるされている。その間、視察組は伊勢海老漁の水揚げ現場を視察。いさな組合が漁へ出たのち、船の動きを見るために燈明崎へ向かう。燈明崎はかつて、鯨を発見したり、船の動きに指示を出したりするために活用された、断崖絶壁の切っ先にある場所であり、太地周辺の海を見渡すことができる。現在各船はトランシーバーを搭載しており、この場所から指示を必要とすることはない。イルカ漁の船は、水平線の向こう側まで広がり、イルカの群れを発見次第、音を鳴らして連携を取りつつ岸へ追い込む追い込み漁の形をとる。

この場所は、現在では反捕鯨団体に関連する映画にも出てくる有名な場所となった。今回の視察中には、イギリスロンドン出身の、ふたりの反捕鯨団体の活動家と会うことができた。彼らは毎朝やってきて、カメラを構えて船の動きを追い、イルカ漁の現状をSNSで発信する。彼らはデイブとモリーという名の若い男女で、ドルフィン・プロジェクトという団体から交代で派遣されたらしい。自らをビーガンだといい、工場ような場所で育てられた動物を食べたくないという。動物が奴隷のように扱われるのもよくないという。

彼らは海を見ながら、遠くの船に高級一眼カメラの望遠レンズを向ける。カメラは団体からの支給で、交代の度に引き継がれる。彼らの様子を遠巻きに見守るのが、和歌山県警から派遣された警察官たちである。警察官たちは2、3人で行動し、24時間で監視の勤務を交代するという。警察官たちは、活動家たちと会話せず、活動を直接的に邪魔するわけではないが、常に一定の距離をとって張り付いている。この他にも、太地町には少なくとも2箇所、覆面パトカーが常駐している場所があり、さらに太地町の鯨博物館に正式に所属しているアラバスター氏にも、私服警官がついている。

アラバスター氏によると、活動家らはどうやら恋人同士であるという。私も、活動家たちがペアの保温カップを用い、身体間距離も近いことから、そうでないかと思えた。また、彼らはこれまでの活動家たち、つまり反捕鯨でない人々を説得しようとしたり、聞いてもないのに反捕鯨の正当性を主張してくるような活動家たちとは違い、態度が柔軟であることに注目している。視察組も、当初は緊張したものの、活動家のふたりとはにこやかに話すことができたし、次の日からは笑顔で挨拶するようになった。このような私たちの態度と、会話もせず24時間で交代してしまう警察官たちがもたらす関係性の違いを考慮せずにはいられなかった。

10時から太地町くじら博物館へ向かう。くじら博物館は、鯨のショーを伴う珍しい博物館であり、太地町にとって学術的にも一般向けにも利用価値の高い施設である。学芸員の桜井さんから、太地町と鯨漁・イルカ漁の概要についてレクチャーを受けた。個人的には、これまでの太地町の動き、移民政策や古くて新しいイルカ漁の事情などが興味深く感じた。同時に、ひとつひとつの学術的情報が、たとえば、イルカ漁が古いのか、新しいのかなど、簡単には公表できないセンシティブな問題をはらむことについての、桜井さんの配慮の深さも感じ取りながら聞いていた。

また、町長秘書の和田さんから、太地町を学術都市にする構想を中心にお話を聞くことができた。現在の太地町長は、太地全体を鯨類の学術都市とする30年構想を掲げており、その一環としていくつかのまちづくりに着手している。いわば、桜井さんからは太地町の過去を、和田さんからは太地町の未来について話を聞いたと考えることができる。この両輪の作用が、太地町民にどのように影響していくのか、そして太地町民たち自身が、どのように実践していくのかを、考えずにはいられない。

2日、再び朝4時半から漁協周辺を視察。アラバスター氏が「いさな組合」の集まりに参加している間、視察組は引き続き伊勢海老漁の水揚げ現場を視察。海老漁は、早朝に定置網にかかった網を巻き取り、漁港に設置しているテントの中で網に絡まったエビを外し、昼ごろには網を修繕し、再び定置網を仕掛けにいくという一連の作業である。視察をしたのは主に回収した網から海老を外す場面である。海老の他にもスズキやタイ、ハリセンボンなどいろいろなものが絡まっている。資源保護や公平性の観点から、網の数は6つと決まっており、他にも幅や長さ、網の穴の大きさなどが決められている。

働いている人々は、ライセンスを持っている漁業者の血縁者もいるが、アルバイトや臨時の人々もたくさんいる。ひとつのテントに4〜6人程度の人々が作業している。ある60〜70代の男性は佐賀出身で現在大阪で暮らしているが、退職してからキャンピングカーで日本中に出かけることがあり、現在はたまたま友達に呼ばれてこの海老漁を手伝っているという。前職はフェリーさんふらわあの船長で、25年間大阪と鹿児島を往復していたという。

桜井さんの移民の話とも重なるが、漁業者たち、ひいては太地町の人々は、外部と接続を絶って閉鎖的に暮らしてきたのではない。鯨漁を伝統的な生業であると戦略的に主張する一方で、歴史的・実際的には県外や海外と継続的に交渉がある。そのことは確実に、この小さな漁師町に影響を与えてきたはずである。


3日、くじらまつりを視察。クジラ祭りは海辺の漁協管理のスペースで行われ、ステージでの出し物と各ブースでの飲食物やグッズの販売がおこなわれる。いさな組合はこの祭りでふたつの重要な役割を果たす。ひとつめは、くじらの加工品の販売と振る舞いのためのブース、もうひとつは漁船パレードの運航である。ひとつめについて、いさな組合のブースでは毎年鯨の加工品の販売とクジラ肉を用いた食品の振る舞いをすることになっており、今年は「クジラ焼肉」、「骨はぎ」、「クジラの干物」の販売、そしてクジラ焼肉の振る舞いであった。いさな組合のブースは毎年大盛況であり、今年も1時間以上前から行列ができていた。クジラ組のブースはここ?と尋ね合ったり、今年は何を売るって?と並びながら確かめたりする人々もいた。間違いなくこの祭りのなかでもっとも人気のあるブースである。

ふたつめについて、漁船パレードは全12隻のイルカ漁船に子供を含めた一般人を乗せ、沖に設置された灯台を回って戻ってくるという20分ほどのイベントである。無料で参加できるが、受け付けブースに並んでチケットを入手しなければならない。今回は突発的に11隻しか出なかったようであるが、2回の運航を組み、混乱することなく終えることができたようであった。イルカ漁船は小回りが利くコンパクトな船で、実際のイルカ漁の現場について想像することができた。イルカ漁特有の道具などが設置されているが、それらについての説明などはなく、参加者たちは船にのって、走行を楽しむのみである。

外国人活動家たちふたりも、この祭りに参加していた。そしてそれに続いて、警察官たちも、私服警官たちもあとをついていく様子が見て取れた。ここで、反捕鯨団体作成の映画『ザ・コーブ』の人々と、捕鯨を守るはずの側の警官たちとの、奇妙な共通点を見て取ることができる。それは、地元の事情を知らないことによって生じる虚偽の情報やでたらめな評価を発信してしまう危険性である。

祭りのブースでは、町民が思い思いに出店し、出し物をし、楽しい雰囲気に包まれている。他方、全体のコンセプトがクジラのお祭りであるということからも、ステージでは、鯨のマスコットキャラクターを前面に押し出し、町長がクジラと関わっていくという演説をする。今年はクジラやイルカを最も愛す太地町で元気になろう、とシンガーソングライターが作ったと思われるオリジナルソングが歌われ、それに合わせた体操が子供達向けに踊られる。
このまつりは、地元の人々が楽しむかたわら、クジラやイルカとどのように関わっていくのかを発信する場でもある。太地町がどのような未来を歩んでいくのか、何らかの形で見守りつづけたい。

0 件のコメント: