2019年11月11日月曜日

竪琴と魂と週末と


最近、映画「ジョーカー」が話題である。バットマンの宿敵、ジョーカーの誕生を描いた映画だ。実は本編が見たく見たくてたまらないのであるが、なかなか身に行けないので、仕方がないので、予告編ばかりを見ている。他にも、「マチネの終わりに」とかも見たいのだ。予告編で流れる音楽がたまらなく好きである。映画の予告編の音楽とはよくできたものだなあとつくづく感じる。それの影響か、I氏からもらっているCDを少しずつ聞いている。ピアノソナタ、バイオリンソナタ…一日中流しっぱなしできるほど、大量にある。

電子音の技術も見上げたものだが、生きた声の良さは、生きた声で聴いてこそ、生きた声のものとして聞こえるのだと思う。そんなわけで、通いつめているのである。この日は、J氏とその友人も来ていた。くわえて、Y氏も来ていた。Y氏はI氏の長い友人であり、クリスチャンであり、声楽好きである。聞く側として、歌にも曲にも詳しいので、歌う側のI氏とは違った意見が聞けるのだ。

歌も終盤にさしかかり、一度休憩を挟んだ。ミカンとお茶を嗜んでいると、Y氏から、「上田君はどの曲が好き?」と聞かれた。少し考えて、「オルフェオ…竪琴弾きの歌が好きです」と答えた。すると少し驚いたような顔をして、「渋いわね。10代であの歌が好きっていう人、なかなかいないわよ」と言って、嬉しそうであった。俺はその曲の音が好きなのは確かであるが、曲の物語がなにより好きなのだ。



主人公のオルフェオは、竪琴弾きである。愛する女性を娶り、幸せに暮らしていた。しかしある時、妻は命を落としてしまう。悲しみに暮れるオルフェオは、冥界まで出向き、冥界の番人に妻の魂を返してくれと嘆願する。もちろん、そのような魂の流れを乱すような行為は許されない。そこでオルフェオは番人に向かって竪琴を弾いた。オルフェオの才能溢れる演奏に心うたれた番人は、特別に、一つ条件をつけて妻の魂を返すことにした。

その条件とは、「現世に帰るまでの道中、決して妻の方を振り向かぬこと」であった。オルフェオは決して振り向かぬと誓い、妻の手をとり、現世まで帰ることにした。帰りながら、妻から「あなたの顔が見たい。こっちを向いて」「どうして私を見つめてくれないの。本当は私を愛していないの」と、いわば誘惑の言葉を投げかけられる。それでも決してオルフェオは振り向かない。本当は振り向いて強く抱きしめたいだろうに、その気持ちを必死に我慢して押し殺して、妻の手を引いていく…

最後のゆったりとした音が描くのは、水がやわらかく流れる川の中に、竪琴だけがゆうらりと浮かんでいる様子だ。

短いが、たまらなく好きな物語である。



Y氏は「リターナイ:万霊節」という曲が好きなようだ(英語表記:Litany)。「連祷(れんとう)」ともいう曲らしい。連祷とは、キリスト今日の祈りの形の一つで、聖歌隊が歌い交わす儀式らしい。聞いてみると、曲に激しい緩急や転調はなく、陽の光を全身に吸収した毛布でくるまれたような心地になる曲だった。詩は「すべての魂よ、憩え」という言葉を繰り返し、病気や貧困、事故、戦争、処刑、友人の裏切り、自殺…様々な理由でこの世から去っていった魂に向けられた曲だった。Y氏は「シューベルトの優しさが詰まってる」と絶賛し、感動していた。



翌日、俺はヤケンメンバーと共に再び門司港に向かい、アートギャラリー作品の作成を手伝っていた。すると、I氏が声をかけてくれて、山吹というお店の天ぷらを差し入れてくれた。朝、バナナしか食べることができなかった俺は、天ぷらの甘みと食感が最高に幸せに感じた。午後を過ぎてから、Y氏も来てくれた。Y氏は、俺たちが竹細工か何かをマルシェで販売しているのかと思っていたようで、ドームと五右衛門風呂の組み合わせをみて驚いていた。他の学校の作品もありますよというと、楽しそうに探しに行った。

I氏のもとに通いつめていなければY氏と会うこともなかったんだろうなあと考えると、出会いとは、不思議なものだなと呆然とした感覚になる。

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