鍵は「回転」だ。回転のエネルギーだ。
私はアルパカの車に乗り、膝の上で昼に食べる鍋を抱えて田んぼに向かった。数分で目的地に到着できる。この数分を得られたのは、タイヤが高速で回転し、物体(私・車体)を運んだからだ(摩擦の力も借りながら)。二足歩行ではなし得ない。このとき、およそ午前9時30分頃であった。
すでに、ある程度の稲が刈られていた。横たわっていた稲は、きらりと輝く刃を覗かせる脱穀器に有無を言わさず押し当てられる。回転する刃に身を委ね、一瞬でその黒髪を奪われる。これの繰り返しである。
脱穀器の足元に積みあがった黒米は唐箕へと運ばれる。黒米の中に混ざっている草やゴミを徹底的に排除するのだ。グリップを回すと、中の板が回転し、風を起こす。その風に耐えられない軟弱な余所者を排除するのである。
お昼時になり、ご飯を食べる。朝ゼミ室から運んだ鍋やみかん、おにぎり。体を動かした後にのむお茶が最高である。
午後から作業再開。いつの間にか、脱穀器は二つになっている。作業スピードが少しずつ上がる。人の動きも活発になる。次から次へ、人が動く。機械も動く。このとき、午後3時頃であった。日も傾いている。
回転が生む力。人間が手足で行おうとすると、とてつもない時間と労力がかかることを、ほんの一瞬で終わらせることができる力。全身を駆け巡る血液の回転(循環の方がふさわしいだろうか)から、太陽を軸とした惑星の回転(実際にその様子を俯瞰したことはないが)まで、我々の内側と外側から目に見えない力を放ち続けている。
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