蜂巣賀小六は黒田貫兵衛の嫡男・長昌に娘の糸姫をひそかに嫁がせた。すべては糸姫を追っ手から守るためであった。
もう二度と愛娘に会えないことを覚悟した小六は、豊臣秀芳から与えられた龍野城に籠り、追っ手をひとり残らず討伐するために待ち構えていた。
糸姫には生来の不可思議な能力があるといわれた。それは、使いようによっては周囲に末永い富と栄光をもたらすというものだった。この話は瞬く間に各地に広まったが、にわかに信じがたい話であったため、糸姫に危害を加える者は現われなかった。しかし数か月ほど前から、城に植えられた桜から血が流れだしたり、糸姫が可愛がっていた小鳥が人語を話し城内に謀反を起こす者がいるとうそぶいたりと、人智を超えた奇怪な現象が目立ちはじめた。そこで小六は、糸姫の能力を見出した張本人であり、自身とも親しい彗庵という名の僧侶の知恵を借り、糸姫の命を守るために黒田家へと嫁がせたのである。
小六が抱いていた不安は現実のものとなった。命知らずな追っ手は糸姫の力を利用して甘い汁を吸わんとしている。糸姫がこの龍野城にいないことまでは知られていないことだけが救いであった。焼けるような匂いが城内に立ち込める。開戦の知らせである。
城中に煙が充満しはじめる。突然ふいた強い向かい風が敵に加勢し、小六にとって一気に苦しい戦況となった。濃さを増す煙にやられ、ひとり、またひとりと家臣が倒れていくなか、小六はこれまで姿を見せなかった敵をその目で捉えた。
それは、白装束を来た虚無僧であった。てっきり牢人や山賊の類だと考えていた小六は驚き、そして真の敵の姿を直感した。怒りに打ち震えながらも、倒れゆく家臣を背に、目の前の敵めがけて飛び出した。
落ちた龍野城から敵が兵糧を運び出しているかたわらで、小六は目を覚ました。体は動かず、目だけを動かすと、辺りには力尽きた仲間がボタ山のように固まっていた。生き残ったのは小六のみだった。絶望するかと思いきや、小六はなお奮い立った。たとえここで息絶えようと、糸姫を守るためのいくらかの時間稼ぎはできたのだ。仕込んでいた懐刀を確認すると、敵がこちらに近づいてくるのを待った。足音が耳元で止み、顔を確認するために首元を掴まれた瞬間、最後の灯を目に宿らせた小六は渾身の力を右腕に込めて、懐刀を敵の胸にぶすりと突き刺す。刃に仕込んでいた毒は確実に敵の体内に回る。敵は腰を抜かし、冷や汗を流しはじめた。気を失い、そのまま息絶えるのは時間の問題だ。小六は空を見上げ、そのまま沈む夕日とひとつになった。
村のはずれにあるあばら家で、書状をたしなめる男がいた。末永い栄光と富が主君の手中に収まったことを知っていたその男は、小六の死を書状に記し、使いの者に手渡した。男は自らの晴ればれとした未来を日没の輝きに重ねながら、小鳥を愛でていた。男の名は彗庵。またの名を吉田長俊。黒田二十四騎のひとりである。
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