2021年12月19日日曜日

摘むよりも押せ!

 


お茶というと、私とともにあったのは麦茶だった。年がら年中、冬でもキンキンに冷やした麦茶ばかり飲んでいた。幼い頃は、緑茶は年寄りの飲み物だと思っていた。祖母が毎朝、テレビの音量を上げながら、きっちり15分かけて飲んでいた。

 

すっきりと乾いた青空の下で、赤い軽自動車に乗った私たちは、まったく対向車がこない道路を走っていた。運転手はチクワで、ナビは私のスマホだった。私自身はやることがないので遠くを見ていると、いやでも山が目に入ってきたのだが、この日の山はふだん考える山とは少し様子が違った。

私の思う山は刑務所の塀のように頑強で、非力な自分にはどうしようもできない存在だ。しかし、ここから見える山に、威圧感は感じなかった。なだらかな山が何層も重なり、奥へ奥へと続いていた。山は奥へゆくほど標高が少しずつ高くなり、まるで舞台から眺める客席のようだった。手前の山から奥の山に向かって大きな手のひらで撫でれば、犬や猫の極性をもつ毛並のように、その触り心地は滑らかだろう。

 

 高速道路を抜け、言うことがしょっちゅう変わるナビをなだめながら、どうにか茶畑に続く一本道に辿り着いた。道に入るとすぐに山へ導かれ、日陰でうすら寒い坂道の上り下りを繰り返した。上り坂で日差しに目を刺されないように車の日除けを下げた途端、下り坂になる。ふたりで日除けをパカパカと開け閉めする様はコントのようだっただろう。日除けは諦め、眩しさと冷たさに振り回されていると、左手に茶葉を扱う工場がいきなり現れ、ナビは消え入るように眠りに落ちた。

 

 私たちは空き地の一番奥に駐車した。長靴や運動靴を履き、カゴや草刈り機をもった人たちが既に出発しようとしていた。挨拶をして話を聞くと、今日は既に切り落としてある木の枝や草、そして石を作業のじゃまにならないように除いた後、茶摘みをするという。

ずんずん歩いていく皆についていくと、茶畑は思った以上に斜面で、転べば大なり小なりケガをするのは確実だろう。すでに運ばれていた大量の枝は、畑の端に沿って置かれているので巨大な鳥の巣のようにみえた。道が開けてくると、次は地面の石をどかす。石を探すためにかがむと、動物のフンのかたまりがあちこちに見つかった。野ウサギか鹿か分からなかったので後で調べてみると、野ウサギのそれは「饅頭型」で鹿のは「俵型」らしい。おそらくここで見たものはシカのものだろう。


そろそろ茶摘みかなと思っていると

「袋ある?なかったらアレ使い~」と、白い土嚢袋を貸してもらった。

その人はズボンとベルトの間を指さして

「ここに少し挟むと作業しやすい」と教えてくれた。

言われたように袋を取り付けると、前掛けをつけている気分になる。

「下のほうを探すといい。大きいのがある。三分の一ぐらいたまったら、いいかな」と笑った。

 

さあ探すぞと意気込んだはいいものの、なかなか大きい葉が見つからない。どれもほとんど変わらないじゃないか。どこにそんなに大きいのがあるんだ。しゃがんだり、立ったり繰り返しながらしらみつぶしに探すこととなった。

突然、何の前触れもなく葉っぱが動いた。風が吹いたわけでも、朝露が落っこちたのでもない。「ぽろん」と鍵盤の上を踊る軽やかな中指のように、ひとりでに葉が動いたのだ。これは虫の仕業だろうと勘づいた私は、茶葉を探すのもそこそこに、その虫を探すことにした。

動いた葉をそっと裏返すと、バッタがうごうごと何かを食んでいた。昆虫は果糖を認識できるとどこかで聞いたが、それは「おいしさ」として感じているのだろうか。単なる「栄養」であるなら、すこし寂しい気もする。



バッタを捕まえて弄るのも、しばらくすると飽きてくる。バッタもいつまでもじっとしていられないようで、私の親指と人差し指の間で自転車を漕ぐように脚を動かしはじめた。もういいや、と思い指を離すと片足だけポロっと落としてへこへこ逃げていった。

 

葉を探すことに専念することにした。バッタを捕まえる道中、奥にそれなりに大きい葉があったのでそこを中心に葉を摘んでいった。葉を摘むときに気づいたことがひとつある。それは、葉を摘むときに必要な「力」のことだ。力といっても、相手は葉っぱ一枚なので、たいした工夫はいらないが、引っ張る・つまむ・ちぎる……といった普段の指先の動きのなかで、今回最も効果的だったのは「押す」ことだった。葉を奥に向けて押す。こうすると、それ以外の動きよりも力を入れる必要がなかったのだ。「押す」という表現も似合わないほど、「葉にあてた親指を奥へ動かす」。ただそれだけで、思わず笑ってしまうほどポロポロと葉が落ちていくのだ。これでは茶摘みというより茶押しである。

 

ひたすら楽しく葉を押していると、「どない?」と頭上からチクワの声が聞こえた。かがんでいた体を起こすと、周りの人の気配はすっかり消えていた。チクワの袋には十分な量の葉が溜まっていた。かたや私のほうは途中でバッタと遊んでいたこともあってわずかに足りなかった。「もうちょい」と言って急いで葉を集め、駐車場からのぼる煙の方へ向かった。

 

煙は、ドラム缶の中から立ち上っていた。そのドラム缶の上に巨大なコンタクトレンズのような鉄板が置かれ、十分に熱せられるのを皆で待っていた。その時間、私とチクワはひとりの女性から焼き芋をもらった。私は朝食を食べていなかったので、それを腹の中につぎつぎに押し込んだ。

 

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