【京都駅2番ホーム】
乗客の列の一番前にいるのだが、この目の前に張られた数本のワイヤーはどう動くのだろう?まるで分からない。確かにこれなら転倒して線路に落ちる人は少なくなるだろう。ワイヤーそのものも少し緩めに張られているから、強くぶつかったとしても跳ね返って倒れることもないだろう。しかし乗り降りの際に、これはどう動いて道を開けてくれるのか?―――答えは簡単、ワイヤーの両端が繋がれている機械が上に伸びーるだけである。この機械に私は気がつかなかった。ハンバーガーを食べる際、レタスや魚のフライが、図らずもバンズの間からにゅっと飛び出ることがある。あんな感じで、乗客が乗り降りしない時間帯は、ワイヤーが繋がれた機械が戸袋に収納されている。はたから見れば、戸袋どうしがワイヤーで繋がれているように見えるっちゅうわけよ……この機械が稼働する瞬間だけ見られる広告、なんてものがあればいいのに。毎日のようにポストに投函される、水道屋やデリバリーなんちゃらの広告を思い出しながら考えた。
私を乗せた満員電車は滋賀県・近江八幡駅へ向かう。あの鳥籠のような特徴的な駅を窓から見やると、巨大な亀の怪物と触手を振り回す怪物が殴り合いをしていた。雨はしょうしょうと降っており、亀の腕から流れる血と混ざる。鳥籠は瓦礫の山と化し、ひとりの少女が「ころして」と叫んだ。走り出した電車は止まらない。
【近江八幡駅】
近江八幡市は、琵琶湖の東側の地域である。私とともに近江八幡駅で降りた客は、ほとんどが中高生だった。上は真っ青なジャージで、下は学生服の中学生。重い教材が入っているのだろうか。たいした量は入っていないようだが、カバンがやたら下に垂れ下がり、紐が肩にくいこんでいる。勝手が悪いのか、何度も肩を回し、腕を上げ下げしている。私は暖を取ろうと、改札を出て左手にあるコンビニに入った。高校生らしき人物がパンのコーナーを見つめていた。着用していたウインドブレーカーには、「OSAKA TOIN」の刺繡が刻まれている。野球で有名な大阪桐蔭か。電車やバスがあれば、県境をまたいでも学校に通うことができる。とても良いことだ。制服の集団に混じってコンビニを出て、北出口に向かう階段を降りると、白い箱がコインロッカーの横に置いてあることに気がついた。
箱には、赤字で「有害図書追放」と書かれている。赤字が書かれた面の反対側には、「環境浄化」と書かれている。これが世に言う白ポストか。健全な青少年に触れさせたくないポルノビデオや下衆雑誌の掃き溜めである。大勢の人の目につく駅前に設置して誰が持ちこもうか。知人や家族と出くわしたらどうする。試しに少し揺らしてみたが、とても軽かった。これについて面白かったのは、「これはゴミ箱ではありま 」と、ポストに書かれた文章の最後の文字が消されていたことだ。何者かのささやかな抵抗か、ただのイタズラか。あれやこれやアホらしいことを考えている最中、背後をひとりの人物が横切ったことに、私はまだ気づいていない。
【篠原さん】
朝9時に集合と聞いていたが、野研メンバーはレンタカーでやってくるという。車なら、30分ぐらい遅れてもしょうがないだろうな。コンビニのイートインで何か読もうか。そう考えていると、スマホに「ちょっと遅れる。篠原さんはもう来ているはず」というメッセージが届いた。遅れるのはいいけど、篠原さんがどんな人かわからない。しばらくうろうろして、青いリュックを背負った人物に目星をつけた。
「すみません、篠原さん、ですか?」
「!はい、そうです」
ビンゴ。当たりだ。篠原さんは朗々とした声の持ち主だ。
「ああ、よかった。北九州から来ました。上田といいます。今日はよろしくお願いします」
「どうも、よろしく。君は車ではないの?」
「僕は今日から合流なんで」
「そうなのか。ええと、9時10分ぐらいに着くと連絡があったんだけどね」
と、篠原さんは腕時計を確認した。
「まだ、来てないみたいですね……」
「う~ん。ところで君は、出身はどちら?」
「宮崎です」
「宮崎か!宮崎だと…黒木さんが多いんだっけ?」
「黒木と日高が同じくらいで、次にカワノ、ですかね」
相手によっては、話をしているとゾワゾワ、チクチクしてくる。目が眩みそうになるときもある。ねじ切れた心根がウズウズしており、その攻撃的で嫌な揺らぎが陽炎のように身体から漏れ出たものの集合体が、その人の声色なのだと感じる。同じ場所に留まると、自分にもその揺らぎが寄生する。こうした危険を感じると私はもう、その人の話は何も耳に入らない。存在すら感じたくない。この感情には私の偏狭さも作用している。
「カワノというと、サンズイの『河』?」
「そう。サンズイの河です。コウノさんと読む人もいます」
「ははあ、僕の知ってる人はサンズイの河でコウノさんだ」
甲斐とか興梠とかも多いですよ、と言いかけたところで車がやってきた。ワイパーがあがると、車内に皆がそろっているのが見えた。琵琶湖ツアーの始まりである。
【流れゆく近江】
車が発進するやいなや、篠原さんによる近江商人や滋賀のお城の解説がはじまった。
「あそこには山城があった。今は石垣だけが残ってるけどね」
あの山には、あそこの向こう側には、と方々を指さす篠原さんの解説は止まらない。あれですか、あの山ですか?と確認するので精いっぱいだ。
「安土城、長濱城、坂本城、大溝城の四つを線で結ぶと、平行四辺形になるんだ」
この解説を聞いたときは、なんだか「太陽の道」や「近畿の五芒星」などのレイラインのようではないかと感じた。
「ちょっと珍しいものがあるから、見に行こう。」
案内された場所は、まっすぐ伸びた道沿いに広がる畑地だった。遠くまで畑が広がるなか、墓地が見える。
「君が今立っているその場所を、信長が歩いたかもしれない!」
車から降りたカエルの足元の地面について一言述べ、墓地まで歩く。
【両墓制】
案内された墓地は、普段目にする墓地とは全く様相が異なるものだった。木の柱が刺さっているだけのようだ。これは両墓制と呼ばれ、遺体(遺骨)を埋葬する墓と、遺族が参拝する墓の二つ存在するらしい。この木の柱が立っている場所に故人を埋葬し、遺族は別の場所に、あの見慣れた四角い墓石を建てて参拝する。
よく見ると、屋根の形や反りが異なっているのが分かる。バッキリ折れているものもあり、傾いているものもある。卒塔婆を刺したものもある。立てたばかりの墓は新築の建材のようにも見えたが、「い8」とか「に4」などの座標は、もちろん書かれていない。
【琵琶湖を辿る】
墓を後にして、しばらくのあいだ琵琶湖のそばを車で走る。
「もっと天気が良かったら、きれい見えるんだけどね~」
琵琶湖ツアー中、篠原さんは悔しそうに何度も「天気が良かったら」と口にした。よほどきれいなのだろう。
「琵琶湖のまわりには、ほら、あれ(車が走る方向を指さして)!松が生えてるんだよ。松は塩に強いから海のまわりに植えられることはあるけど、琵琶湖は海じゃない。大昔の人たちが勘違いして植えたのか?うーん、わからないんだなあ」
篠原さんがいうように、琵琶湖のまわりには松の木が列をなしている。
「このあたりは、今は普通に道路が走っているけど、昔は内湖だらけだった。埋め立てて、今にいたる」
見渡す限り田畑のこの地域は、埋め立てでできた土地だった。莫大な費用がかかっただろうし、埋め立てるための土はどこから引っ張ってこれたのか?―――それはまわりの山だった。さらに、内湖の下の土を掘り返して使用したという(ここは記憶が曖昧。要確認)。
ここまで「そうなんですか」だの「へぇーえ」だの「ふんふん」だの、あいづちしか打てなかったが、土の話を聞いてふと浮かんだ質問をしてみた。
「弓道の的を置く土壁を安土っていうんですけど、安土城の安土と何か関係があるんですかね」
「ほう。安土っていうの?それは知らなかった。うーん、どうだろう。分からないな」
確かな答えは得られなかった。
【果ての菅浦】
ずいぶん長いこと車に乗っている。菅浦は遠い。隣に座る篠原さんは、来ているジャケットをときおり引っ張って整えようとする。理由は簡単、私の右尻が篠原さんのジャケットの前裾を踏んづけていたからである。わざとではない。
今日のメインの場所と言ってもよい、琵琶湖の果ての地・菅浦。この地域に至る道中、大浦という地域を通る。中世の頃、この大浦の民と菅浦の民は自治組織「惣」を結成し、土地の領有権を争っていた。そこで菅浦の人々は四足門と呼ばれる門を設置し、番人を常駐させたという。現在は西と東の門が残っている。
「歴史をかじってる人に『菅浦を見てきた』と言うと、ちょっと自慢になるよ」
【雨森の高月】
菅浦から戻る途中、高月という地域を通った。ここは儒学者・雨森芳洲が生まれた場所である。朝鮮外交にもかかわり、いわゆる善隣外交に尽力した人物だ―――という解説を受け、私は口を滑らせた。
「韓国の人たちの間では有名な人なんですか?」
「日本でも有名だよ!無教養やな、君!」
まったくその通りである。
【賑わう草津】
日が沈む頃、私たちは草津にいた。帰宅ラッシュの草津は人も車も多く、駅前の車はみな徐行していた。草津は現在、人口増加を迎えているという。もしやこの人だかりの中に、私と一緒に朝の京都の満員電車の一部となった人がいるかもしれない。人だかりの中を歩くと、ワクワクしてくる。強さを増す雨粒の間をかいくぐり、ビルの入り口を奥へ進んだ先に「創作おでん割烹 酔蓮」があった。
料理が届くまでのあいだ、琵琶湖の魚の話や、これまで手掛けた書籍の話を聞いた。料理の前にお酒が届いた。お酒を出す速さはとてつもなく大事である、と誰かが繰り返し言っていたのを思い出した。鼻がいまひとつ効かないので、いつも以上にはじめの一口を味わっていると、小鉢に入った料理が運ばれた。小海老が美味かった覚えがある。
篠原さんの話を聞いていると、和歌にも造詣が深い人だと感じた。私はここでも「ふんふん」と相槌を打つばかりだ。お猪口は、底がギターのピックのような丸みを帯びた三角形で、口縁は丸い。底から口縁に向かって指を滑らす。三つの角がしだいに溶けていくあたたかさが、菅浦から眺めた乳白色の湖と重なる。
やはり相槌ばかりもいけないと思い、何か言えないだろうかと、たゆたう思考のなかを泳いでいた。すると、「あそび」についての話が始まった。ここだ。ここしかない。一杯飲んで
「たわむれせんとやうまれけん、と言いますもんね」
と振り絞る。
「梁塵秘抄、だね?」
ささやかではあるが、言葉の応酬をひとつ果たすことができた。
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