はじめての舞踏のワークショップ。ひどく汗をかいた。
舞踏と聞いても、土方巽ぐらいしか知らない。
両手の指に、ネバネバした液体意識がまとわりついている。
粘液に包まれたなら、徐々に小さく丸まって、海底にひっそりと寝そべる。
突然噴き上がったマグマが、海底からの旅立ちを強いる。
上へ、上へ。焼けた身体もろとも、宇宙の塵へ。
塵は宇宙を泳ぐ光を惑わす。拡散していく意識を遠くから眺めれば、それは宇宙を漂う雲。雲はついに宇宙全体を覆う膜にならんとしている。
膨張を続ける意識の気をひくかのように、地上で鮮血を散らしながら、続々と花が咲いた。開花と時を同じくして、宇宙を覆う膜は弾け、再び塵となった。
塵は花の匂いに導かれ、花めがけて飛来する。
衝突しあう塵は融合し、何千頭もの蝶へと姿を変えた。
蜜を吸いながら、地底から聞こえる心音に合わせるように、
蝶は一定のリズムで羽を開閉する。
隣の蝶と羽が重なり、そのまた隣も同じように羽が重なる。
全ての蝶の羽が重なった瞬間、蝶の肉体は透き通った氷へと変化し、
溶けて巨大な水流を作り出した。
水に包まれた花園は、地下深くに眠る原初の記憶。
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ワークショップを受けて、みんな(の意識)はマリモになり、宇宙の塵になり、果ては母親の胎内に還った。小さいけれどはっきりした存在になり、大きいけれど、いるのかいないのかよく分からないフワフワした存在になった。
胎内回帰の部分は、腑に落ちない。産まれる前に居座る場所など自分で選ぶことはできないのだから、そこに意識を戻して懐かしさや温かさを感じたいとは思わない。胎内回帰よりも抱擁の方がいい。でも少し考えてみる。記憶の奥底で化石になっているだけで、もしかしたら自分も安らぎを得ていたかもしれない。「感じたくない」という願望など意識にとっては知らん話だろう。記憶や感情なんて小さな枠を意識は軽々と飛び越える。その飛び越えていく軌跡を追いかけるのは、とても難しく、疲れる。全く追いつけない。体が熱くなって、汗をかいた。あれから二晩ほど経過した今、自分なりに意識の道筋を考えてみた。
マリモ状態の意識から考えてみる。マリモの表面から剥がれた意識が、細い繊維となって海面に浮上する。海面を脱出するとそのまま空中をのぼりつづけ、宇宙へと進んでいく。ここで忘れてはならないのが、マリモの足元で滞留する意識の存在。外へ、上へと強く意識を拡大させようとすればするほど、その拡がりに懐疑的な意識が地面の下で網目状になる。内向的でどうしようもないこの下方指向意識が行きつく先に、いつか、明るい兆しは見えてくるだろうか。
上へ伸びる意識も、目的地に到達するのは簡単ではない。意識どうしは衝突し、競い合う。ひとつの意識を別の意識が追いかける。一人の人間の中で「追いつけ、追い越せ」と複数の意識の争いが生まれる。おや、力が拮抗したあのふたつの意識は、両方とも意識の列から外れてしまった。はじき出されてしまった意識はふたたび海へ潜ってマリモに還るか、潮風に乗って別の人間の意識の列に入りこむ。しかし空中で霧散してしまう意識や、海水の流れに負けて漂流するしかない意識も多くいた。
疲弊しながらも宇宙を目前にした意識たちは、胸の高鳴りを実感し、回転をはじめる。雑念や迷いを振り払うように、回転の勢いを増してゆく。抑えられない気持ちは次第に列そのものも回転させた。意識の道筋は熱を帯び、炎をまとう。もうそこに他者の意識が入り込む余地はない。意識たちは互いを焼き尽くしながら、ようやく宇宙空間へ到達する…
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大學堂の2階という空間に20人ほどの人間が入れば、伸び伸びとは動けない。意識は際限なく宇宙や海底を行き来したと思うが、肉体はそうはいかない。イメージされる意識に秩序は必要なくても、肉体はどうしても秩序を伴う。あの空間で自由な意識に身を任せてしまえば、どこかケガをしただろう。歩幅や歩く速さ、方向はバラバラでも、明言されずとも「ぶつからないように」という意識は共有されていた。制限を受ける肉体と自由な意識のギャップがおもしろい。
自分は意識の所在や起源、身体への作用などに興味はなかったので、「意識とか無意識とか、どっちでもいーよ」と考えている。そんな自分が、真面目に身体を動かしながら意識について思いを馳せた今回は貴重な日だった。意識について、誰しもに当てはまる定理や法則のようなものの有無に興味はない。興味があるのは、他の人が意識を題材にして思い描くものだ。
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