野研の報告への投稿がMLに流れなくなってしまった件について。いろいろ調べて、試してみます。MLの方に登録するかというメールが流れますが。こちらで作業するので放置お願いします。大學堂も同様です。
2022年6月9日木曜日
ミッドサマー・パーティ
すまない!映画については酷評である。
久しぶりにB級ホラー映画を見た。もっとも本当のB級ファンにとっては、「これでB級は、ない」と言われるかもしれない(写真と映画は関係ありません)。
2022年6月8日水曜日
2022年6月3日金曜日
2022年6月1日水曜日
山の村で熊を撃つ
この前の週末に飛騨市神岡町で西野嘉憲さんの「熊を撃つ」の写真展とトークショーがあった。あるぱかが東京で写真展をやっていた時にいった、って言っていたし、だだの部屋にあった西野さんの本がかっこよかったし、きのこもいくって言ってたし、岐阜県行ってみたいって思ったから行くことにした。
きのこに富山でピックアップしてもらって現地でだだたちと合流した。
初めての岐阜県。山がモコモコしている。川がでーんと流れる。空の青いと山・田んぼの緑がたくさん目の中に入ってくる。
神岡のまちなみはなぜか見覚えがあった。
旦過市場のようだったのだ。(なのに充電切れてて写真撮り忘れた。ごめんTT)
トークショーは写真集の中にも出てくる、猟師の清水さんと中嶋さんと西野さんの3人で写真についての裏話や紹介がされた。そこで一番びっくりしたのは、ハンターの表情だ。彼らは自分より大きな獲物を獲っている。なんなら死んでしまうかもしれない。そんな瞬間と、無事捕らえた時の表情の落差がすごかった。(本見てみてね。)別人?と思ってしまうほど眼差しが違う。これは猟師だけではなく、くじら漁師にも共通することらしい。
自分のいのちを熊や鯨と同じように山や海に差し出して、獲物のいのちをいただく行為はかっこいいと思った。それを「いただきます」っていっつも言ってるけど、そこまで思えてるかなって考えてみて、いや、マテ貝と小さいカワハギにしか獲ったことないから、ハンターほど思えたことはそのくらいしかないやん、って思った。
そして、そんなかっこいい人たちのかっこよさを高純度で伝えている西野さんもかっこいいと思った。海も山も石垣島も山之村も生きこなすバイリンガル西野さん、凄すぎる。
トークショーの次の日、山之村に行った。
中嶋さんは、黙々と蕎麦を打っていた。だったんそばは色が黄緑で味がしっかりしてつるつるで美味しかった。こんなおじいちゃんが山に入ればあんなにかっこいいハンターなんて。。。ギャップ萌えってこういうことか。
私も、ハンターになれるように今年の海でいっぱい泳ぐぞ。耳抜き大丈夫かな。。。でも、大丈夫。今、「海獣の子供」読んで、海レクもして、気持ち作ってるから、大丈夫大丈夫。ゼミ室まで階段で息止めて練習してるし大丈夫。。
トークショーの合間に、’カミオカンデ’に行ってみた。
よくわからなかった。ちょっと怖かった。陽子を崩壊させたいらしい。
山之村に行く途中、枯れたダムのような大きな何か工事現場のようなところがあった。カミオカンデ関連の、穴を掘り進めている最中の様子だった。めっちゃ怖くなった。
2022年5月31日火曜日
GW2022
怒涛のイベントづくしだった今年のゴールデンウィーク。
本当にきんいろみたいなキラキラだった〜
4/29
ギラヴァンツの観戦!!
何年も北九州に住んでるけど、はじめて入ったミクニワールドスタジアム。
芝生を何人もの選手がコロコロしてて楽しそうだった。でもルールはわかんないまま。
5/1
海レク→フリスビー
新メンバーたちとみっちり海レク!早く海に行きたくなった。
5/2
大學堂
はじめて、花火屋さんとお話しした。火事のことを知ってきてくれたらしい。
大學堂に間借りしている新保さんのトークも大炸裂。ワンオペの日も、最近はシンポ組がいるから楽しかったりする。
5/3
マテ貝堀り!
誰も行かない気配だったけど、誘ったらいっぱいきてくれた。
きぞくの華麗な段取り力。彫り師ハデピの美しいマテハウス入口採掘。ちくわの野蛮堀が進化して、綺麗で大きいマテ貝を10個以上も取っていた。おかわりと、おかわり妹子(初対面)も後から参戦した。
5/4
最後のカボチャドキヤ国立美術館へ。
カボチャラダムスは私が載っていた新聞記事を見ていたらしく、覚えてくれていた。前にちょろっと言っていたカバの可愛い椅子もくれた。
カボチャラダムスの作品集を買ったんだけど、そこに乗ってる、初期の作品が特にお気に入りになった。私もあんなかっこいい絵を描けるようになりたい。
5/5
タンガでタンゴにタンゴ
ネーミングセンスが最高だよね。すごーい
初めてタンゴをプロに教わった。楽しい。。。そして大學堂の斜め向かいのくじらやさんの店主さんがかつてバキバキに踊っていたのも初めて知った。もう年やけん、、、と言いながら一緒に踊ってくれた!!!もちろんプロのマギーさんもケンジさんも、あといろんな人が一緒に踊ってくれた。一人じゃできないダンスはコンタクトみたいだなって思って、苦手だなあと思っていたけど、めっちゃ楽しかった!!!あと、あんなに人がぎゅうぎゅうわちゃわちゃしている大學堂のイベントを初めて見た気がする。市場の人も、お客さんも、ただの通りすがりの人も。来年のタンゴも楽しみ。
5/7
だだの研究室の片付けをきぞくとした。
片付けで大事なのは、ものを減らすことと、物に住所を与えることだ。
3人で頑張って、なんかいい感じになってた!前の感じを知っている人が見たらびっくりするかも!行ってみてね〜
初めてがいっぱいでドキドキだったー
2022年5月28日土曜日
むしまるワークショップ
はじめての舞踏のワークショップ。ひどく汗をかいた。
舞踏と聞いても、土方巽ぐらいしか知らない。
両手の指に、ネバネバした液体意識がまとわりついている。
粘液に包まれたなら、徐々に小さく丸まって、海底にひっそりと寝そべる。
突然噴き上がったマグマが、海底からの旅立ちを強いる。
上へ、上へ。焼けた身体もろとも、宇宙の塵へ。
塵は宇宙を泳ぐ光を惑わす。拡散していく意識を遠くから眺めれば、それは宇宙を漂う雲。雲はついに宇宙全体を覆う膜にならんとしている。
膨張を続ける意識の気をひくかのように、地上で鮮血を散らしながら、続々と花が咲いた。開花と時を同じくして、宇宙を覆う膜は弾け、再び塵となった。
塵は花の匂いに導かれ、花めがけて飛来する。
衝突しあう塵は融合し、何千頭もの蝶へと姿を変えた。
蜜を吸いながら、地底から聞こえる心音に合わせるように、
蝶は一定のリズムで羽を開閉する。
隣の蝶と羽が重なり、そのまた隣も同じように羽が重なる。
全ての蝶の羽が重なった瞬間、蝶の肉体は透き通った氷へと変化し、
溶けて巨大な水流を作り出した。
水に包まれた花園は、地下深くに眠る原初の記憶。
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ワークショップを受けて、みんな(の意識)はマリモになり、宇宙の塵になり、果ては母親の胎内に還った。小さいけれどはっきりした存在になり、大きいけれど、いるのかいないのかよく分からないフワフワした存在になった。
胎内回帰の部分は、腑に落ちない。産まれる前に居座る場所など自分で選ぶことはできないのだから、そこに意識を戻して懐かしさや温かさを感じたいとは思わない。胎内回帰よりも抱擁の方がいい。でも少し考えてみる。記憶の奥底で化石になっているだけで、もしかしたら自分も安らぎを得ていたかもしれない。「感じたくない」という願望など意識にとっては知らん話だろう。記憶や感情なんて小さな枠を意識は軽々と飛び越える。その飛び越えていく軌跡を追いかけるのは、とても難しく、疲れる。全く追いつけない。体が熱くなって、汗をかいた。あれから二晩ほど経過した今、自分なりに意識の道筋を考えてみた。
マリモ状態の意識から考えてみる。マリモの表面から剥がれた意識が、細い繊維となって海面に浮上する。海面を脱出するとそのまま空中をのぼりつづけ、宇宙へと進んでいく。ここで忘れてはならないのが、マリモの足元で滞留する意識の存在。外へ、上へと強く意識を拡大させようとすればするほど、その拡がりに懐疑的な意識が地面の下で網目状になる。内向的でどうしようもないこの下方指向意識が行きつく先に、いつか、明るい兆しは見えてくるだろうか。
上へ伸びる意識も、目的地に到達するのは簡単ではない。意識どうしは衝突し、競い合う。ひとつの意識を別の意識が追いかける。一人の人間の中で「追いつけ、追い越せ」と複数の意識の争いが生まれる。おや、力が拮抗したあのふたつの意識は、両方とも意識の列から外れてしまった。はじき出されてしまった意識はふたたび海へ潜ってマリモに還るか、潮風に乗って別の人間の意識の列に入りこむ。しかし空中で霧散してしまう意識や、海水の流れに負けて漂流するしかない意識も多くいた。
疲弊しながらも宇宙を目前にした意識たちは、胸の高鳴りを実感し、回転をはじめる。雑念や迷いを振り払うように、回転の勢いを増してゆく。抑えられない気持ちは次第に列そのものも回転させた。意識の道筋は熱を帯び、炎をまとう。もうそこに他者の意識が入り込む余地はない。意識たちは互いを焼き尽くしながら、ようやく宇宙空間へ到達する…
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大學堂の2階という空間に20人ほどの人間が入れば、伸び伸びとは動けない。意識は際限なく宇宙や海底を行き来したと思うが、肉体はそうはいかない。イメージされる意識に秩序は必要なくても、肉体はどうしても秩序を伴う。あの空間で自由な意識に身を任せてしまえば、どこかケガをしただろう。歩幅や歩く速さ、方向はバラバラでも、明言されずとも「ぶつからないように」という意識は共有されていた。制限を受ける肉体と自由な意識のギャップがおもしろい。
自分は意識の所在や起源、身体への作用などに興味はなかったので、「意識とか無意識とか、どっちでもいーよ」と考えている。そんな自分が、真面目に身体を動かしながら意識について思いを馳せた今回は貴重な日だった。意識について、誰しもに当てはまる定理や法則のようなものの有無に興味はない。興味があるのは、他の人が意識を題材にして思い描くものだ。








