2023年2月2日木曜日

もうすぐ春

春の日のうららにさしてゆく船は棹のしづくも花ぞ散りける

数年前に源氏物語を読んだときから、春のうつくしさが一層心にしみるようになった。
「カンヒザクラをみにいこうか」
ヒガンザクラのことかと思ったけれど、寒緋桜と彼岸桜はどうも別の花らしい。

久しぶりの太陽が眩しい。外はずいぶん暖かいので、手袋を脱いでバッグにしまった。
競馬場の横を紫川に向かって歩く。
去年の10月にリヤカーを引いて歩いた道だ。あのときは黄色い落ち葉で覆われていたけれど、今はトゲトゲの小さな黒い実がそこら中に落ちている。
「鈴懸の木だよ。鈴がかかってるみたいだから」
スズカケ、なんてかわいい名前!
「この川沿いにずらっと桜が咲くの」
「この川は木の橋が架かってたらしい」
ときどき渡るそよ風に春のにおいがする。
歩道がないので、通りかかる車を避けるのがおっくうだ。真っ直ぐ並んだり広がったり、3人で歩くのはなんだか難しい。というか人と歩くのは難しい。人と話すのも難しい。
できるだけ誠実に喋ろうとしているのに、言うべきことや言わないでおくべきことが分からなくなって、口がうまく回らなくなる。人に言われた小さなことに、いたく傷ついて動けなくなる。わたしは一生こんな具合なのかな。

ぴぴぴぴぴ、鳥の声が遠くから聞こえる。
「カノープスって知ってる?2番目に明るい星。あんまり有名じゃない、南半球の星なんだよね。毎年この時期に見に行こうとして、まだ見れてない」
田んぼをつぶしてつくった閑静な住宅街を眺めながら歩く
陽光がジリジリと膚を焼くのがわかる。たまらなくなって厚いコートを脱いだ。4月のエルサレム、十字架を負って歩いたキリストもこんなふうに太陽を浴びたのだろうか。
南方に入る。
隠れキリシタンの処刑場を過ぎて、縦列駐車の列。そのうしろにカンヒザクラの木々。
花はまだ咲いていなかった。
「ひとこと転ぶと言えばよいのだ」


川端に腰を下ろしてお弁当を食べる。
「夏前には、行くと思う」
ぼんやり、門司港のはなし。あしたはまべをさまよえばカボチャラダムスに会えるかも。
「カワセミだ」
視力の良くないふたりのために、鮮やかなお腹を見せて飛んできてくれる。
「つがいかな?」
「かもね」
がじはクラムボンを知らなかった。

「怪しいアンティークショップにいこっか」
吉野家の前を左に、大きな道路を渡ると「アンティークショップ ビスケット」の色あせた看板が目に入る。深緑に塗られたシャッターは閉まっているけれど、2階には電気が灯っている。
「いらっしゃいませ」
ガラスを模したドアノブをひねると、赤いエプロンの店長さんが迎えてくれた。マントルピースの造花、立派な鏡に重なった松ぼっくりのリース、あちこちに下げられたオーナメントボール、窓に掛けられた小さなヴァイオリン、花飾りのついたシャンデリア、壁を埋めつくす絵画や展示のポスター。ピアノの前の席に着いて、そのひとつひとつをじっくり眺める。なんてかわいいんだ!
「ジブリの猫のなになにみたいだね」
「あの猫の名前、なんだっけ」
ひっそりとした雰囲気に、自然とささやくような声になる。ばらの香りの紅茶を飲んでいる間に、店長さんが薪ストーブに木を焚べてくれた。あたたかい。
お庭もすてき



早く春にならないかな。寂しい秋よりも明るい春が好き。「はる」っていう言葉のひびきが既にかわいい。梅、桜、藤、山吹、ミモザ、ネモフィラ。目白、燕、鵯、雲雀。蓬や土筆や苺を摘みたい。筍も掘ってみたい。あたたかい春の山に登りたい。つめたい春の海に浸かりたい。芝生にねころがって眠りたい。春、たのしみ。

小籠包

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