====前編
あれからもう11年になる。2015年の奥能登でのアートプロジェクトで「上黒丸越冬隊予行演習『おこも丸』」を制作した時に初めて珠洲の宝湯を訪ね、銭湯の上にある大きな宴会場と迷路のような不思議な建物に魅了された。何度か通ううちに知り合いになった四代目当主の橋元宗太郎さんとともに、作品完成の打ち上げをこの宴会場でおこなった。舞台を持ち、かつては500人のお客さんも入ったことがるという大広間で、夜を徹した愉快な大演芸大会だった。
このときの経験から、次の奥能登では水とお風呂をつかった作品をつくろうと思った。奥能登で畑の隅などに放置してある五右衛門風呂を探して歩いた。
2017年の奥能登国際芸術祭では「海のこと山のこと在郷まわりと五芒星」と題し、海と山の交流をテーマにインスタレーション作品を制作した。作品展示の現場近くに借りた古民家にはお風呂はなく、作業中も会期中も、作品の一つである五右衛門風呂を実際に使いながら生活した。夕方になると湧き水を引き、薪を焚き、湯を沸かした。日が落ちると、真っ暗な山中に、星空と自分しかいない完全な露天風呂ができあがった。
宗太郎さんもこの現場を訪ねて来てくれ、五右衛門風呂に入り、湯船の中で360度見渡せる星空を満喫し、「いつか珠洲宝湯でもこの五右衛門風呂をやりたい」と熱く語った。このときは、すぐにでも実現できると思っていた。しかし、この約束を果たすために、このあと実に9年もかかってしまった。
芸術祭の作品群のひとつとして宝湯が注目され、宗太郎さんも宿泊のための施設作りにいそがしく、2021年の芸術祭では、コロナのために人の行き来も難しくなってしまった。私たちはほとんど里には下りず、山にこもって制作をしていた。軽トラで風呂桶を運ぶだけなのに、そんなことはまったく許されない雰囲気だった。
そして2022年には、小倉の旦過市場で火災が起こり、大學堂が解体され、大學堂再建のための怒濤の2年間、私たちは能登に行くことすらできなかった。
そして2024年の元旦に忘れられない能登の大震災が起きた。宝湯のある鵜飼の地は沈下し、そこを津波が襲った。もともと干満差が少なく東向きの穏やかな内海に面したこのあたりには、岸辺のギリギリまで家屋がひしめいており、波のみこまれた家々はひとたまりもなかった。
地震から8ヶ月たち、宝湯を訪ねた私たちは、崩れ落ちた本館のがれきを前に、元旦の夜のことをうつろな表情でかたる宗太郎さんに会っていた。宗太郎さんが、財産や建物を失ったことよりも入浴中にひとりの常連客が亡くなったことを悔やんでいたことが、私にはとても強く印象に残った。
それから毎年、能登に通った。2025年には、宝湯のがれきはすべて撤去され、そこは更地になっていた。しかし遅々として進まない復興の中で、宗太郎さんは多額の借金を抱え、信用していた従業員にだまされ、生活のためのオーバーワークが続き、人間不信におちいり身も心も苦しんでいた。
野研もコロナ以降、これまでの能登での活動を知るメンバーも少なくなり、新しい世代はなかなか育たなかった。能登の状況も大きく変わり、私たちを知る人々の何人かは、この地を離れ、多くの人が亡くなっていた。
宝湯の再建と上黒丸の暮らしのために、震災前からこの地を知っている私たちができることは何だろうか。現地を回りながら、ただのボランティアや、お手伝いではなく、なにかこの土地の未来につながることをしたいと、ずっと考えていた。
建物が撤去された宝湯の更地には、こんこんとお湯が沸き出していた。地震後は自噴するほどに湯量が増し、地質学者の調査では地下30キロメートルにある太平洋プレートの沈み込みから生じた水に溶けたマントル起源物質を含む深部流体成分が確認された。地震はたくさんの悲劇を生んだが、温泉は途絶えることなく生きかえっていた。
荒れ地の中に五右衛門風呂をおいてみた。パイプから流れ出す薄水色の温泉は、ほのかに硫黄の匂いがして柔らかかった。震災以降、気持ちがふさぎがちだった宗太郎さんもとても楽しんでくれた。最高の温泉だった、自分たちがこんなに楽しいのだから、みんなもきっと楽しいに違いない。
あらためて宗太郎さんとのあのときの約束を果たしたいと思った。あたらしく湧き出した温泉と一体になった五右衛門風呂を、ひとつの依り代としたシンボリックなアート作品をここにつくり、それをこの地の再出発の起点にしたい。
この作品は現地の人たちのためでもありながら、それよりも金沢や、大阪や東京からここに人が集まること。そしてここに集まった人々が、今の能登の状況を自分の目で見て、湯を通して身体で感じるという願いをこめたものにしたいと考えた。だからこそ自分たちの楽しみだけではなく、たくさんの人を呼べるイベントにしたかった。
傾いた電柱だけがのこる震災の更地に、ぽつんとひとつおかれた五右衛門風呂を取り囲みながら、そこでくつろぐ百人をこす人々。いろいろな場所で自然発生的に歌や踊りが始まり、秋の夜長を朝まで、ゆるりゆるりとたのしむ祭り。
ひとりの野研メンバーが口ずさんだエナジー風呂という曲が、そのイメージに重なった。2019年、坂本龍一、鎮座DOPENESS、環ROY、そしてU-zhaanによって生まれた「エナジー風呂」。すぐに「50年近く生きてきて、今がいちばん風呂好き」とかたるU-zhaanに連絡を取ると、「1年後なら3人で行けるかも」という返事をもらった。「十分な謝礼は出せないけど、温泉の復興支援のためにチャリティの気持ちで来てほしい」と伝えた。なにかが動き始めた。
特別な予算のあてもなく、宗太郎さんも再建事業の先行きが見えない不安を抱える中で、コロナ以降の世代交代に苦しみながらこれまでになく弱体化している野研メンバーで、これだけのイベントができるかどうか不確定な材料はたくさんあった。
でも、やるのであれば今しかないだろうと思った。まだ1年の準備期間がある。その間に、能登の状況はすこしは上をむき、新しい野研のメンバーも育てていけるかもしれない。さまざまな助成を申請すれば、あるていど事業予算を確保できるかもしれない。宝湯の再建事業を前に進めるためにも、もし実現できるのであれば、野研の企画ではなく、ほかの団体との共催か、最悪、事業そのものを譲ってもかまわないと思っていた。
この期を逃したら、2017年からの約束を果たすことはできないかもしれない。
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