2019年7月7日日曜日

大學堂の11周年はJR小倉駅で



山の果アイスキャンディの発売です



大學堂の11周年はJR小倉駅です

2019年7月4日木曜日

骨董屋

 月曜日にですね、あの、ちょっと用事がありまして、中央区に行ったんです。
何時頃だったかなあ…たぶん十六時ごろだったと思います。
 知人Мに連れられて、坂を上り、上り、こんどは下ったんですね。下って左に曲がり、右に曲がり、そこで手前に細い上り坂がありました。しかしそれは上らず、その横の古ぼけた小さな階段を数段上ります。その階段の入り口には、そうだなあ、給食のお盆ぐらいの大きさで、濃い紺色の木の看板が置いてあるんですけど、その看板が、手入れされてないというか、そのまんま置いてあるだけみたいな。別にきれいな看板じゃないんです。紺色の塗装も剥がれていて、肝心の店の名前も、とても小さく、白い文字で書かれているものですから、最初は鳥のフンか何かと思ってしまいましたよ。階段を上ると、人が一人通れるほどの細い道が続いており、その先には、古い自転車と机が置いてあり、玄関の小さい電気が灯っていました。
 玄関を開け、Ⅿが挨拶をすると、奥から初老の男性が出てきました。薄着に裸足で、頭にはタオルを巻き、髭を生やし、なんというか、私の中の「陶芸家」のようなイメイジに合う方でした。Ⅿとその男性は長い付き合いらしく、挨拶を交わすやいなや、あれやこれやと話しはじめたんです。僕はしばらくお店の畳に座り、店のなかをぐるりと見まわしておりました。決して広くはありません。畳の真ん中に壺が置かれ、壁から生えた小さな腕は手と手を合わせており、部屋の隅でブリキのワニが笑っておりました。奥の部屋を覗くと、レコオド盤を握りしめた骸骨が突っ立っており、椅子の近くにはぐるぐる巻かれた和紙が置かれ、柱のようになっておりました。棚の中には、黒い球を握っている手だけ置かれておりました。
 男性は珈琲を出してくれました。猫が持つのにちょうどよいぐらいの小さなコーヒーカップでした。わたしは珈琲の美味い不味いはさっぱり分からんのですが、Ⅿは絶賛しておりました。その次に、ヨウグルトを出してくれました。これが魔訶不思議なヨウグルトでした。口にすると、液体ではなきようで、口の中で広がりはしませんでした。これは固めのヨウグルトかと思った瞬間、溶けるのです。口に入れて溶けるまで、ほんの一瞬の妙な間があるのです。こんなヨウグルトもあるのか、と感心いたしました。
 Ⅿと男性はずっと何かの展覧会か品評会かの話をしておりますが、僕にはさっぱりです。あまりに暇なので、男性に店の写真を撮っていいか尋ねると、「撮るだけですよ。他に使わないでくださいね」と言われました。ですのでここには貼れません。写真を撮るために、もっと細かく見ていくと、謎の植物の種や、にぶい虹色に輝く箱、細い硝子の棒、分厚く、赤い文字で何か書かれた本など、実に珍妙な品ばかり。天井を見ると、ピンポン玉のような大きさの丸い玉に顔が描かれたものが僕らを見下ろしておりました。
 話が一段落ついたようで、Ⅿは席を立ち、品物を手に取り、これは何だと男性に聞き始めました。男性は丁寧に説明していきます。その中でⅯが気に入ったものが、照明の傘でした。四角く、かすかに模様が描かれたものでした。Ⅿはそれをおよそ二万円で購入し、
次、いつ来るかのだいたいの日を男性に伝え、帰る準備を始めました。僕も靴を履いていると、男性は「こういう面白いものがありますよ」と僕にハガキを渡してきました。それには「アンコール・ワット レリーフ 拓本展」という、とある写真家の拓本のコレクションの販売会のハガキでした。僕が少し興味を抱いたところで、男性は「もう、終わってるんですけどね…ハハハ…」と裏をめくると確かに、現在行われてはいないものでした。男性なりのジョウクでしょうか…
 家に帰ってお店について調べてみましたが、このお店、公式サイトなどもなく、住所や電話番号も分かりませんでした。僕らがお店に行った日も、もともとは店を開けない日だったようです。これを聞いて、このお店に行きたいと思った人、いますかね。いたら自力で探してください。それでは。

2019年7月2日火曜日

Trip to APU during Oceania Week

YAKEN×APU


It was a very exciting experience.
Anyway, please watch the video!

こがね② 踊る童子

先ほどの女性歌手のように、演者ひとりひとりについてこと細かくかきたいところではあるが(こがね① 人間譜面台参照)、それをすると膨大な量になるので、こちらでは印象に残ったことだけについてかこうと思う。
 演奏が一通り終わり、しばしの準備時間となった。固い椅子に座っていた俺の左横を、ピンク色でチェック柄の肩出しワンピースを着た、ショートカットの女の子が行ったり来たりしている。歩くのに疲れた男の子とその父親が俺の右前に座った。
 すると、俺の右横から、若葉色のドレスを身に纏った女性が、首に真っ赤な花の輪をひっかけた子供を数人連れて、舞台に現れた。女性の自己紹介が終わると、まずはじめに、男の子ひとりと女の子ひとりが舞台にが上がった。男の子は白いシャツに半ズボンという、シンプルな服装であったが、女の子のほうはというと、眩しいオレンジのスカートのようなものをはき、頭には鳥の羽のような、細長い花のようなものを挿し、とても派手ないで立ちであった。軽快な音楽が流れ始めると、二人は踊り出した。女の子はとても笑顔なのだが、男の子は少し恥ずかしそうである。二人の踊りが終わると、次は、その男の子と女の子に、あと二人女の子が加わった。皆、両手には薄茶色になった竹のような楽器を持っており、片方のそれは細かく割かれている。これまた軽快な音楽が流れると、四人一斉に両手のそれを打ち付け合い、シャンシャンともカンカンともいえぬ音を出しながら、左右に揺れる。ときどき、それを体に当てながら、ひたすら音を出し続けた。曲が終わると、ようやく、女性が踊る番が来た。
 女性はその踊りの先生らしい。踊り終えた子供たちを褒めながら、その踊りについて軽く解説してくれた。踊るときの手は手話の役割を果たすらしい。後ろで流れている音楽は、その踊り発祥の地の言葉らしいが、練習するにつれて、だんだん分かるようになるとのこと。いよいよ踊りが始まる。
 音楽が流れると同時に、女性の体がわずかに浮いた。腰のあたりから、ふわりと体が浮いたのである。それに続いて女性はしなやかに腕を上に伸ばし、まるで日の光を求めているようであった。何かを懇願しているようにも見える。その両腕はまるで朝日を浴びながら水を飲む白鳥のつがいのようであり、荘厳さを振りまいていた。そのまま両腕を横に伸ばし、肘を曲げ、手の平を胸の前にもってくる。均整のとれた、ズレの無い動きは、スローモーションで見る蝶の羽ばたきのようである。腹の底にぐっと何かをねじ込まれるような感覚にたびたび襲われる。これは何だろう。必死に考え、ようやく答えが出た。筋肉の線。もしくは筋肉の影である。女性が踊る度に血が駆け巡り、膨れる、腕の筋肉の線が、とても美しいと感じた。まっすぐな線ではなく、わずかに丸みを帯びた線。水平線のような筋肉。それが現れる度に、こちらも腕に力が入りそうな勢い生まれるのである。  
 さっきからずっと、女性の体は宙に浮いている。すると女性は右に揺れ、左に揺れた。そこで俺は何者かに頭を殴られた。殴った人間の姿は見ていない。しかしおれは殴られたのだ。殴られでもしなければ、今あそこで踊っている女性が3人も見えるわけがないではないか。小さく揺れたと思うと、大きく揺れる。大きく揺れたと思うと、小さく揺れる。女性が分裂し、一つになり、また分裂し、また一つになる。灯篭の中で揺れる火を見ているような気分になり、しばらくぼうっとしながら踊りを見ていた。音は聞こえる。人の声も聞こえる。しかし意味はわからない。その聞こえているものが何を意味しているのか、さっぱりわからない。そんな経験はないだろうか。自分がここに座っていることすら怪しくなるほど、自分の存在が霧のように消えかけているような状態。そんな状態で、俺は目の前にぼんやり消えたり現れたりする、揺れるなにかを感じていた。
 動きが止まり、その体を二つに折ったことで、踊りが終わったことに気付いた。次が最後の踊りである。この踊りの中に、二つの幸せを見出すことができた観客はどれほどいただろうか。
 女性の解説によると、最後の踊りは、有名なアニメ映画の踊りらしい。「この中で〇〇〇(アニメ映画の題名)、見た人いますか?」と女性がたずねると、さっきから俺の左横ろうろしていた女の子は忙しそうな足をぴたりと止め、ぐるりとこちらを振り返った。その表情は、さっきまでの興味なさそうな顔とは全く違う、生気に満ちあふれ、喜びで爆発しそうな様子であった。最後の最後で、この女の子と舞台がつながった瞬間である。その瞬間を祝うかのように、それまで前方に座っていた観客たちが一斉に退き、女の子の前に誰もいないという奇跡が起きた。すると、同じ服を着た二つ結びの女の子が、後ろからその女の子に向かって走ってきた。体の大きさから見て、その子の妹だろう。笑顔で飛び跳ねる姉妹を見た女性は、一番前に座ることを勧めた。姉妹は少し照れながら、二人でぴったりとくっついて座った。その小さな背中から、幸せの波が立っていた。
 最後の踊りが始まる。先ほどまでの踊りと異なり、激しく腕を振り、揺れも小刻みになるような踊りであった。最後は踊り手全員で踊っていたが、ふと気がついた。右後ろの女の子の視線が皆と少しズレている。なぜだろう。集中力が切れたのだろうか。たしかに、いくつも踊りをした後で締めの踊りがこれならば、体は悲鳴をあげているのかもしれない。しかしそんな様子ではない。何かを探している。すると突然、女の子の視線が一点に定まった。そして女の子はわずかに口を動かした。思わず、つい、という表情であった。もちろん聞こえはしなかったが、なるほど。「ママ」と言ったのか。すっかり笑顔になったその女の子の視線の先で、右手に小さなカバンを二つ持って、小さく左手を振る母親の姿があった。すると、俺の右前に座っていた男の子がそのカバンを取りに行った。この子は弟か。隣の父親も嬉しそうである。
 踊りも終わりライブの全てが終了したあと、踊り手の子供たちが着替え、俺たちの後ろを走り去っていった。ワンピースの姉妹は踊り手の子供たちとは反対方向に手をつないで歩いていった。踊りの子供たちと姉妹が次に出会うことがあるかどうかは分からない。今日のことなど次の日には忘れてしまっているかもしれない。忘れてしまっていてもいいから、また彼らが黄金市場のあの大通りを歩いてほしいと思う。そこで、気付かぬうちにすれ違っていてほしいとも、思う。

2019年7月1日月曜日

I was enjoyed Oceania・week!!

 


I went to APU on June 21st and 22nd.
 
She name is Amituke.
As you see, she and we were all looking forward to coming to APU!!
 
 
 
 
                                                I saw halal meat and food for the first time.
I was surprised that I was selling meat at university.
 
 
 
 
She is called Intelli by everyone.
She bought fried chicken at the store and I bought karaage  at the same store.
 
 
 
 
I watched the Oceania Week Grand Show at night.
I was moved by quality dance and theatre.
 
 
 
 
We had a dinner at Ms. Mahiti's house.
Ms.Mahiti and the seminar student made us a very good dinner.
 
 
 
 
We cut bamboo to make a star★dome.
 
 
 
 
We join forces together and divide bamboo.

 
 
 
 
Lift the assembled bamboo.
 
 
 
 
Put a curtain on the finished dome.
After that we had a relaxing break.
 
 
 
 
 
I want to go again in APU !
Also,please come to Kitakyushu again! 

若宮の田植え交流会

6月30日(日)
若宮の田植え交流会に参加しました。
メンバーは、いぼり、ちくわ、カリマー、あみつけ、きぞく。
太地行きがキャンセルになったのと行く予定の人がキャンセルしてきぞくカーに乗れる人数になったので、今年も参加することにしました。

若宮の田植えは交流会に力点が置かれています。産直の野菜やお米を定期購入している人達と、生産者である若宮農民組合の人達との交流会です。大學堂は、若宮のお米を定期購入しています。
しかも、この日は大雨予報。田植えは30分で、雨が降り出す前に終わりましょう!ということでスタート。しかも苗は、3,4本ずつに分けたものを束にしてあるという親切さ。

はりきって田んぼに入ると、途中でちびっ子兄弟がお隣に。幼稚園児くらいの兄は、はりきって田んぼに入りますが、2歳くらいの弟はヒザくらいまで泥に浸かってしまうので、歩くのもままなりません。しばらくすると、おねえちゃんもやってきます。3人そろったのもつかの間。弟たちはあっさり飽きて虫取りへ。取り残されたおねえちゃん。ほんとは田んぼに入る気なんかなかったのに。それでもお母さんに見守られながら最後まで田植えをします。この日の最年少早乙女でしょうか。

交流会では、シシ、シカ、牛、豚、鶏の肉、ヘチマサイズのズッキーニなどがどんどん焼かれます。ご飯はもちろん若宮米です。
そして、お楽しみの抽選会。
特賞は、平尾さんの金賞米。
とよとよも景品にしていただけました。
キュウリとトマトセットがあたったちくわは、気前よくトマトを分けてくれました。私は平尾さんの米粉で作ったカステラをいただきました。
残念賞だったカリマーは、立派なオクラを二袋ももらっていて、むしろ残念賞のほうが良かったかもと、虫かごセットのいぼりとあみつけ。

交流会は雨が降る前に終了。
去年の10月から例年より雨が少ないということで、今年の野菜は小ぶりだとか。梅雨入りしたのにこんなに雨が降らないのでは困ったもんだといいながら、今日は雨が降らずにもって欲しいと思っているのだから、勝手なものですね。
「いつもこんなふうにギリギリすり抜けるっちゃんね」という強運ぶりのよし子さん。帰りの車では雨が降り出しました。

私はこの日、カメラを忘れたので、写真は他の人からの報告で。

こがね① 人間譜面台

 空飛ぶ電車の中は、気持ちまで空高く飛んでいきそうな男女でいっぱいだった。彼ら彼女らを見て、今日が日曜であることを思い出す。阿呆面でそうだそうだ今日は日曜かと言っていると、これまた阿呆面で三萩野で降りないといけないことを思い出し、降りる。改札を抜けると、歩道橋に出る。高校数学の漸近線かと思うような妙な歩道橋である。思わずクラスメイトKを思い出す。己と数字をこよなく愛し、校内一の才女に向かって下手に格好つけて告白し、ものの見事に散った男である。Kは元気だろうか。まあ今回においてはどうでもよい。
 額を拭いながら歩を進め、横断歩道を前に止まる。隣には紫色の帽子をかぶった老婆が立っていた。気付くと、俺は蒸し暑さで眉間に少ししわをよせていた。喉が渇く。早くどこかで涼みたい。しばらく歩くと、やけに暗い場所に着いた。シャッターが沈黙し、見通しも悪かった。なんだここはと思っていると、さっき追い越した紫の帽子をかぶった老婆がその暗闇の中をずんずんと進んでいく。暗闇が深くなるように、その帽子は濃さを増していく。とりあえず、老婆の後に続くと、しんと静まりかえった通りにの中に、一人、白髪にカーキ色の帽子をかぶった八百屋が店を開いていた。地べたに座り、野菜を籠に入れ、紫帽子の老婆と会話を弾ませる。会釈をしながら老婆の後ろをそろりと通り抜け、もっと先へ進むと、大通りらしき場所に出る。明るく、道が広い。人もたくさん行き交っている。左を向くと、細長い箱が5、6個並んでおり、それらの前にもう少し大きい箱が設置されていた。なるほど。どうやらここが黄金市場らしい。
 目的のイベントまで、あと15分ほど時間があるので、賑やかなフリーマーケットの波に、ゆらゆらと、揉まれることにした。何を買うでもなく、何を見るでもないのではあるが、店も客も楽しそうであることだけは伝わる。15分という時間は少ないもので、気付けば時計の二つの針は互いの体を重ね合わせていた。かがやきミニライブの始まりである。
 最初は立ち見であったが、二番目の演者から座って見ることにした。というのも、その二番目の演者が、もっと近くで見たいと思わせる、なんとも言い難い、例え難い魅力を煌々と背中から、いや、足元から、いや、マイクを握る右手の細い指の間から、いや、揺れる髪と首元の隙間から、解き放っていたからである。その光で俺の眼は感光してしまいそうであった。誰よりも前に、誰よりも近くであの人の歌を聞きたい聞きたいと、そんな気持ちで、もう譜面台になりたい気持ちであった。
一瞬、一瞬聞こえる呼吸の音が、俺の両耳から脳を貫通する度に。
わずかに上を向いたときに、その黒曜石のような瞳に反射する白い光が俺の眼を突き刺す度に。
引き込まれそうなほど、どこまでも果てしなくい濡羽色の髪が揺れ、刀のように優しい、柔らかい風が俺の肩にそっと触れる度に。
俺は、その奇跡ひとつひとつを写真に押し込もうとしたが、できなかった。してはならぬと、天啓の鎖を心臓に巻きつけられていた。この、俺が座っている、ここから見えるあの姿は。ここから聞こえる女神の子守歌は、今ここにいる俺だけが享受できると、俺にしか享受できない神話なのだと、確信したのである。
歌だけではない。歌と歌との間に挟む、司会とのちょっとした会話の声ですら、俺にはさんざん雨乞いをした後に、ようやくぽつりぽつりと降ってきた雨粒のように貴重なものに感じた。歌っているときに見える笑顔とは違う、ほっとしているような笑顔で話すのである。固く結ばれた靴紐がするりとほどけるように。あまり喋りは得意ではないようだが、そこがとても良いのである。わずかに戸惑っているような緊張しているような表情。俺が画家ならば、今すぐカンバスにそれをおさめ、しかし描き切れず苦悩して、全く出来上がっていないそのカンバスを胸に抱きながら日向灘に身を投げ出したいぐらいである。もう少しだけ、もう少しだけ話していてくれないだろうか。そんな願いはかなわず、次の曲、次の曲・・・・・・・・時は無情に過ぎていくのである。クロノスだかカイロスだか知らないけれど、時を生み出した神に問いたい。この地上に舞い降りた奇跡の集合神を
一人の人間と見なすのか。たった20分前後という、あまりにも短い、時の牢獄に幽閉するのではあんまりではなかろうか。そんなに時の運行が大事なのか。反逆者とでも大罪人とでも何とでも呼べばいい。だから、永遠にあの声を聞かせてはくれないだろうか。永遠が不可能なら、巻き戻してはくれないだろうか。その分、記憶も巻き戻されるかもしれないが、それでもかまわない。何度でも、あの全身の細胞という細胞が沸騰するような刺激を味わえるのだから。