2019年7月1日月曜日

こがね① 人間譜面台

 空飛ぶ電車の中は、気持ちまで空高く飛んでいきそうな男女でいっぱいだった。彼ら彼女らを見て、今日が日曜であることを思い出す。阿呆面でそうだそうだ今日は日曜かと言っていると、これまた阿呆面で三萩野で降りないといけないことを思い出し、降りる。改札を抜けると、歩道橋に出る。高校数学の漸近線かと思うような妙な歩道橋である。思わずクラスメイトKを思い出す。己と数字をこよなく愛し、校内一の才女に向かって下手に格好つけて告白し、ものの見事に散った男である。Kは元気だろうか。まあ今回においてはどうでもよい。
 額を拭いながら歩を進め、横断歩道を前に止まる。隣には紫色の帽子をかぶった老婆が立っていた。気付くと、俺は蒸し暑さで眉間に少ししわをよせていた。喉が渇く。早くどこかで涼みたい。しばらく歩くと、やけに暗い場所に着いた。シャッターが沈黙し、見通しも悪かった。なんだここはと思っていると、さっき追い越した紫の帽子をかぶった老婆がその暗闇の中をずんずんと進んでいく。暗闇が深くなるように、その帽子は濃さを増していく。とりあえず、老婆の後に続くと、しんと静まりかえった通りにの中に、一人、白髪にカーキ色の帽子をかぶった八百屋が店を開いていた。地べたに座り、野菜を籠に入れ、紫帽子の老婆と会話を弾ませる。会釈をしながら老婆の後ろをそろりと通り抜け、もっと先へ進むと、大通りらしき場所に出る。明るく、道が広い。人もたくさん行き交っている。左を向くと、細長い箱が5、6個並んでおり、それらの前にもう少し大きい箱が設置されていた。なるほど。どうやらここが黄金市場らしい。
 目的のイベントまで、あと15分ほど時間があるので、賑やかなフリーマーケットの波に、ゆらゆらと、揉まれることにした。何を買うでもなく、何を見るでもないのではあるが、店も客も楽しそうであることだけは伝わる。15分という時間は少ないもので、気付けば時計の二つの針は互いの体を重ね合わせていた。かがやきミニライブの始まりである。
 最初は立ち見であったが、二番目の演者から座って見ることにした。というのも、その二番目の演者が、もっと近くで見たいと思わせる、なんとも言い難い、例え難い魅力を煌々と背中から、いや、足元から、いや、マイクを握る右手の細い指の間から、いや、揺れる髪と首元の隙間から、解き放っていたからである。その光で俺の眼は感光してしまいそうであった。誰よりも前に、誰よりも近くであの人の歌を聞きたい聞きたいと、そんな気持ちで、もう譜面台になりたい気持ちであった。
一瞬、一瞬聞こえる呼吸の音が、俺の両耳から脳を貫通する度に。
わずかに上を向いたときに、その黒曜石のような瞳に反射する白い光が俺の眼を突き刺す度に。
引き込まれそうなほど、どこまでも果てしなくい濡羽色の髪が揺れ、刀のように優しい、柔らかい風が俺の肩にそっと触れる度に。
俺は、その奇跡ひとつひとつを写真に押し込もうとしたが、できなかった。してはならぬと、天啓の鎖を心臓に巻きつけられていた。この、俺が座っている、ここから見えるあの姿は。ここから聞こえる女神の子守歌は、今ここにいる俺だけが享受できると、俺にしか享受できない神話なのだと、確信したのである。
歌だけではない。歌と歌との間に挟む、司会とのちょっとした会話の声ですら、俺にはさんざん雨乞いをした後に、ようやくぽつりぽつりと降ってきた雨粒のように貴重なものに感じた。歌っているときに見える笑顔とは違う、ほっとしているような笑顔で話すのである。固く結ばれた靴紐がするりとほどけるように。あまり喋りは得意ではないようだが、そこがとても良いのである。わずかに戸惑っているような緊張しているような表情。俺が画家ならば、今すぐカンバスにそれをおさめ、しかし描き切れず苦悩して、全く出来上がっていないそのカンバスを胸に抱きながら日向灘に身を投げ出したいぐらいである。もう少しだけ、もう少しだけ話していてくれないだろうか。そんな願いはかなわず、次の曲、次の曲・・・・・・・・時は無情に過ぎていくのである。クロノスだかカイロスだか知らないけれど、時を生み出した神に問いたい。この地上に舞い降りた奇跡の集合神を
一人の人間と見なすのか。たった20分前後という、あまりにも短い、時の牢獄に幽閉するのではあんまりではなかろうか。そんなに時の運行が大事なのか。反逆者とでも大罪人とでも何とでも呼べばいい。だから、永遠にあの声を聞かせてはくれないだろうか。永遠が不可能なら、巻き戻してはくれないだろうか。その分、記憶も巻き戻されるかもしれないが、それでもかまわない。何度でも、あの全身の細胞という細胞が沸騰するような刺激を味わえるのだから。

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