今年の初海。
小籠包ははじめての海。
そして、はじめての獲物。
この前の週末に飛騨市神岡町で西野嘉憲さんの「熊を撃つ」の写真展とトークショーがあった。あるぱかが東京で写真展をやっていた時にいった、って言っていたし、だだの部屋にあった西野さんの本がかっこよかったし、きのこもいくって言ってたし、岐阜県行ってみたいって思ったから行くことにした。
きのこに富山でピックアップしてもらって現地でだだたちと合流した。
初めての岐阜県。山がモコモコしている。川がでーんと流れる。空の青いと山・田んぼの緑がたくさん目の中に入ってくる。
神岡のまちなみはなぜか見覚えがあった。
旦過市場のようだったのだ。(なのに充電切れてて写真撮り忘れた。ごめんTT)
トークショーは写真集の中にも出てくる、猟師の清水さんと中嶋さんと西野さんの3人で写真についての裏話や紹介がされた。そこで一番びっくりしたのは、ハンターの表情だ。彼らは自分より大きな獲物を獲っている。なんなら死んでしまうかもしれない。そんな瞬間と、無事捕らえた時の表情の落差がすごかった。(本見てみてね。)別人?と思ってしまうほど眼差しが違う。これは猟師だけではなく、くじら漁師にも共通することらしい。
自分のいのちを熊や鯨と同じように山や海に差し出して、獲物のいのちをいただく行為はかっこいいと思った。それを「いただきます」っていっつも言ってるけど、そこまで思えてるかなって考えてみて、いや、マテ貝と小さいカワハギにしか獲ったことないから、ハンターほど思えたことはそのくらいしかないやん、って思った。
そして、そんなかっこいい人たちのかっこよさを高純度で伝えている西野さんもかっこいいと思った。海も山も石垣島も山之村も生きこなすバイリンガル西野さん、凄すぎる。
トークショーの次の日、山之村に行った。
中嶋さんは、黙々と蕎麦を打っていた。だったんそばは色が黄緑で味がしっかりしてつるつるで美味しかった。こんなおじいちゃんが山に入ればあんなにかっこいいハンターなんて。。。ギャップ萌えってこういうことか。
私も、ハンターになれるように今年の海でいっぱい泳ぐぞ。耳抜き大丈夫かな。。。でも、大丈夫。今、「海獣の子供」読んで、海レクもして、気持ち作ってるから、大丈夫大丈夫。ゼミ室まで階段で息止めて練習してるし大丈夫。。
トークショーの合間に、’カミオカンデ’に行ってみた。
よくわからなかった。ちょっと怖かった。陽子を崩壊させたいらしい。
山之村に行く途中、枯れたダムのような大きな何か工事現場のようなところがあった。カミオカンデ関連の、穴を掘り進めている最中の様子だった。めっちゃ怖くなった。
怒涛のイベントづくしだった今年のゴールデンウィーク。
本当にきんいろみたいなキラキラだった〜
4/29
ギラヴァンツの観戦!!
何年も北九州に住んでるけど、はじめて入ったミクニワールドスタジアム。
芝生を何人もの選手がコロコロしてて楽しそうだった。でもルールはわかんないまま。
5/1
海レク→フリスビー
新メンバーたちとみっちり海レク!早く海に行きたくなった。
5/2
大學堂
はじめて、花火屋さんとお話しした。火事のことを知ってきてくれたらしい。
大學堂に間借りしている新保さんのトークも大炸裂。ワンオペの日も、最近はシンポ組がいるから楽しかったりする。
5/3
マテ貝堀り!
誰も行かない気配だったけど、誘ったらいっぱいきてくれた。
きぞくの華麗な段取り力。彫り師ハデピの美しいマテハウス入口採掘。ちくわの野蛮堀が進化して、綺麗で大きいマテ貝を10個以上も取っていた。おかわりと、おかわり妹子(初対面)も後から参戦した。
5/4
最後のカボチャドキヤ国立美術館へ。
カボチャラダムスは私が載っていた新聞記事を見ていたらしく、覚えてくれていた。前にちょろっと言っていたカバの可愛い椅子もくれた。
カボチャラダムスの作品集を買ったんだけど、そこに乗ってる、初期の作品が特にお気に入りになった。私もあんなかっこいい絵を描けるようになりたい。
5/5
タンガでタンゴにタンゴ
ネーミングセンスが最高だよね。すごーい
初めてタンゴをプロに教わった。楽しい。。。そして大學堂の斜め向かいのくじらやさんの店主さんがかつてバキバキに踊っていたのも初めて知った。もう年やけん、、、と言いながら一緒に踊ってくれた!!!もちろんプロのマギーさんもケンジさんも、あといろんな人が一緒に踊ってくれた。一人じゃできないダンスはコンタクトみたいだなって思って、苦手だなあと思っていたけど、めっちゃ楽しかった!!!あと、あんなに人がぎゅうぎゅうわちゃわちゃしている大學堂のイベントを初めて見た気がする。市場の人も、お客さんも、ただの通りすがりの人も。来年のタンゴも楽しみ。
5/7
だだの研究室の片付けをきぞくとした。
片付けで大事なのは、ものを減らすことと、物に住所を与えることだ。
3人で頑張って、なんかいい感じになってた!前の感じを知っている人が見たらびっくりするかも!行ってみてね〜
初めてがいっぱいでドキドキだったー
はじめての舞踏のワークショップ。ひどく汗をかいた。
舞踏と聞いても、土方巽ぐらいしか知らない。
両手の指に、ネバネバした液体意識がまとわりついている。
粘液に包まれたなら、徐々に小さく丸まって、海底にひっそりと寝そべる。
突然噴き上がったマグマが、海底からの旅立ちを強いる。
上へ、上へ。焼けた身体もろとも、宇宙の塵へ。
塵は宇宙を泳ぐ光を惑わす。拡散していく意識を遠くから眺めれば、それは宇宙を漂う雲。雲はついに宇宙全体を覆う膜にならんとしている。
膨張を続ける意識の気をひくかのように、地上で鮮血を散らしながら、続々と花が咲いた。開花と時を同じくして、宇宙を覆う膜は弾け、再び塵となった。
塵は花の匂いに導かれ、花めがけて飛来する。
衝突しあう塵は融合し、何千頭もの蝶へと姿を変えた。
蜜を吸いながら、地底から聞こえる心音に合わせるように、
蝶は一定のリズムで羽を開閉する。
隣の蝶と羽が重なり、そのまた隣も同じように羽が重なる。
全ての蝶の羽が重なった瞬間、蝶の肉体は透き通った氷へと変化し、
溶けて巨大な水流を作り出した。
水に包まれた花園は、地下深くに眠る原初の記憶。
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ワークショップを受けて、みんな(の意識)はマリモになり、宇宙の塵になり、果ては母親の胎内に還った。小さいけれどはっきりした存在になり、大きいけれど、いるのかいないのかよく分からないフワフワした存在になった。
胎内回帰の部分は、腑に落ちない。産まれる前に居座る場所など自分で選ぶことはできないのだから、そこに意識を戻して懐かしさや温かさを感じたいとは思わない。胎内回帰よりも抱擁の方がいい。でも少し考えてみる。記憶の奥底で化石になっているだけで、もしかしたら自分も安らぎを得ていたかもしれない。「感じたくない」という願望など意識にとっては知らん話だろう。記憶や感情なんて小さな枠を意識は軽々と飛び越える。その飛び越えていく軌跡を追いかけるのは、とても難しく、疲れる。全く追いつけない。体が熱くなって、汗をかいた。あれから二晩ほど経過した今、自分なりに意識の道筋を考えてみた。
マリモ状態の意識から考えてみる。マリモの表面から剥がれた意識が、細い繊維となって海面に浮上する。海面を脱出するとそのまま空中をのぼりつづけ、宇宙へと進んでいく。ここで忘れてはならないのが、マリモの足元で滞留する意識の存在。外へ、上へと強く意識を拡大させようとすればするほど、その拡がりに懐疑的な意識が地面の下で網目状になる。内向的でどうしようもないこの下方指向意識が行きつく先に、いつか、明るい兆しは見えてくるだろうか。
上へ伸びる意識も、目的地に到達するのは簡単ではない。意識どうしは衝突し、競い合う。ひとつの意識を別の意識が追いかける。一人の人間の中で「追いつけ、追い越せ」と複数の意識の争いが生まれる。おや、力が拮抗したあのふたつの意識は、両方とも意識の列から外れてしまった。はじき出されてしまった意識はふたたび海へ潜ってマリモに還るか、潮風に乗って別の人間の意識の列に入りこむ。しかし空中で霧散してしまう意識や、海水の流れに負けて漂流するしかない意識も多くいた。
疲弊しながらも宇宙を目前にした意識たちは、胸の高鳴りを実感し、回転をはじめる。雑念や迷いを振り払うように、回転の勢いを増してゆく。抑えられない気持ちは次第に列そのものも回転させた。意識の道筋は熱を帯び、炎をまとう。もうそこに他者の意識が入り込む余地はない。意識たちは互いを焼き尽くしながら、ようやく宇宙空間へ到達する…
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大學堂の2階という空間に20人ほどの人間が入れば、伸び伸びとは動けない。意識は際限なく宇宙や海底を行き来したと思うが、肉体はそうはいかない。イメージされる意識に秩序は必要なくても、肉体はどうしても秩序を伴う。あの空間で自由な意識に身を任せてしまえば、どこかケガをしただろう。歩幅や歩く速さ、方向はバラバラでも、明言されずとも「ぶつからないように」という意識は共有されていた。制限を受ける肉体と自由な意識のギャップがおもしろい。
自分は意識の所在や起源、身体への作用などに興味はなかったので、「意識とか無意識とか、どっちでもいーよ」と考えている。そんな自分が、真面目に身体を動かしながら意識について思いを馳せた今回は貴重な日だった。意識について、誰しもに当てはまる定理や法則のようなものの有無に興味はない。興味があるのは、他の人が意識を題材にして思い描くものだ。
まるで黄泉の国までイザナミをおとなうイザナギのように、死の悲しみと生の歓びに、ふるえる。
電車に乗っているのは、自分とピンポン、きぞく、ダダ。もうちょい多いと思ってた。
カボチャドキヤに行く前に少し寄り道していこう。
商店街でパンを買い、中央市場でアナキズムを感じたあとは、どこに行こうかな。
建築家に会いに行こう。急だけど、怒りゃせんだろうと踏んで電話をかけた。
老松公園の慰霊塔に下る坂道を逆に上ってゆくと、右手におでん屋「なんしよん」が現れる。
そのままなんしよんの横を通り過ぎると、大雄寺という寺の駐車場が左手に現れる。
その駐車場の後ろを通る石段を歩いた先に、建築家は住んでいる。
手のひらほどの大きさの角材に油性ペンで「神崎」と書いてある簡素な作りの表札。
木目のわずかな凹凸が字を震わせている。
ひとりで改装している小屋の中で、建築家は近所の人と鍋を食べたりしている。去年の秋ぐらいから、月に一度の催しを開いている。私たちがタウンパレードをおこなった日には、ここで桜の写真の展示会が開かれていた。
小屋を出て、裏道を通ろう。
裏道を抜けたら、山道を歩こう。
スチャラカ世界への入り口がまたひとつ閉じた。ナマケモノたちは享楽を求め旅に出る。風に乗った笛の音は、雲と混じり、陽の光を浴びて虹色のハンミョウへと変身する。入り口は閉じたのではなく、遠ざかり、散らばっていったのだ。
過去にハンミョウに導かれた人々に芽生えた感情は星となった。大きさも色彩も等級も異なる星々が、三輪車を夢中で漕ぎ、カボチャ王国の萃天を突き抜け、宇宙へ向かって飛び出していた。さらに、星は星であるだけに留まらなかった。星は船となり、16の船から成る船団が生まれた。船団が運ぶのは人々ではない。人々の心に湧きあがった感動が、各々の手で具現化されつつある状態の原始星を運ぶのだ。現在の船団は魚座とアンドロメダ座を繋いでいるが、近いうちに、新たな航路が開拓されようとしている。
【4月30日】
魚は天を仰いでいた。かつて人々を魅了したその鱗は、ある日を境に宙を舞いはじめた。こちらが手を繋いでおかなければ外を歩けなかった幼子が、何の前触れもなくひとりでずんずんと歩きはじめるように、鱗はひとりでに魚から離れていった。かわいらしく、生命にあふれていた鱗の代わりに、青い鱗がとげとげしく生えてきた。人々は手のひらを返し、そこに美しい魚がいたことなどとうに忘れてしまった。
しかし鱗は弱かった。主の装飾品という身分から解放されたものの、行く当てはなく、風に乗ることもできず、主のもとへ戻ることもできなかった。地に向かって落ちるのみであった。身動きが取れない鱗は、こう考えることにした。「皆が青空へ手を伸ばし、宇宙の果てを目指すのならば、せめて自分だけは泥の冷たさを噛みしめよう。」鱗は泥とともに雨や埃にまみれ、ときに異臭を放ち、虫たちに食い破られた。
かつて鱗だったそれは、はじめこそ孤独であったが、もう一枚、さらにもう一枚と堕落した仲間たちが増えていった。人々が忌み嫌う暗い地面には、泥と一体となった彼らによってまだら模様の世界が広がっていた。
…葉桜の下で空想しながら、庭や店のまわりの掃除からこの日は始まった。数か月に一度の岩田酒店のガレージセールだ。今回は前回よりも岩田さんの気合が入っているようで、昨日はガラス製品の清拭をふたりでおこない、ディスプレイ用の台も一新した。軽く朝食をとり、岩田さんの友人である公事さんと松田さんとともに商品を表に運び、11時を迎えた。
人が全然やってこない。前回はスタートと同時に5~6人は来ていたが、今回は人が来る気配すらない。もうゴールデンウィークが始まった人が来ることを期待していたが、レトロ地区や栄町銀天街の人通りも普段と変わらない様子だった。今回は売れないかな、と早々にやる気がしぼみかけていると、ぽつりぽつりと、ようやく人がやってきた。もう時計の針の逢瀬が迫っていた。
「あまり店の中に人は入れたくないんだけどね」
ガレージセールを開くとき、岩田さんは必ず言う。人が店の中を行き来して、収拾がつかなくなるのを恐れているのだろうか。表に出さない、売り物ではないものを盗まれる可能性もある。商品や店そのものに全く興味がない人に、休憩所のように使われるのもイヤなのだろう。その気持ちは私もよく感じる。座るなら何か買ってほしいし、グラスが空になれば新しい飲み物を注文してほしい。買う気がないならせめて楽しい話や前向きになれるような話、興味深い話をしてほしい。ほしいほしいと求め過ぎているかもしれないが、ここも大學堂も場末の居酒屋ではないのだ。
いろいろ思っていたが、店に入るハードルはさほど高くはなかった。見ていると、確実に何か買うだろうという人だけ店の中に案内され、涼しい空間で商品をじっくりと吟味していた。
「これはいくらですか?」「んー、1000円。いや2つで1000円ですね」
「これは?」「それは1つ2000円」
「ここのお皿は?」「あっごめんなさい。これは売り物じゃないです」
お客さんと岩田さんの掛け合いを聞きながら、私は皿やグラスを布で拭いていた。
岩田さんたちが蔵で昼食をとると言うので、店番をすることになった。相変わらず大型トラックとバイクばかり通る国道2号線を尻目に、私は乱雑に置かれた商品を並べ直していた。ここからは、午後からやってきた3人のお客さんについて話そう。
【1人目】
「お兄さん、いつも庭の掃除をされている方ですよね?」
「ああ、はい。へへ。見られてるもんですね~~~」
「お店の中を見せてもらえませんか?」
中に入れてよいのか少し迷っていると、女性のパートナーらしき人物がやってきた。女性とパートナーは英語で会話し、パートナーは片手に動物用のケージを抱えていた。ペットを病院に預けているのだろうか。ふたりの組み合わせがちょっと面白かったので、案内した。案内を聞きながら、屋号の入った酒瓶を前にして、英語でなにやら話していた。皿や木箱などを買っていった。
ふたりが帰る頃には、岩田さんたちは休憩を終えていた。やけに楽しそうな声が聞こえる方を向くと、公事さんたちがひとりの女性と話をしていた。
【2人目】
その女性は長門からやってきたという。立派なカメラを抱えたその女性は、以前まで東京で仕事をしていたが、いまは実家でテレワークをしている。以前、店の前を通りがかったときにガレージセールのポスターを目にし、車で1時間ほどかけてガレージセールのためだけに門司港にやってきたというから驚きだ。
「台風が無ければ、ここのレンガはもっともっと高かったんですけどね」
「ここに建ってから、今年でちょうど100年です」
という私の説明を聞きながら、女性は何枚もシャッターを切っていた。
「掘り出し物をがんばって見つけます!」
そう意気込むと、女性は商品の入った箱全てに目を通しながら、切子のグラスや備前焼を手に取り、眺めていた。結局は切子も備前焼も買わなかったが、漆塗りの餅箱と門司ヶ関人形を買った。
「近くでご飯を食べられる場所ってありますか?」
「このまままっすぐ行くと交差点があるので、そこを右に曲がったところに大衆中華があります。駐車場もあります」
右手にカメラを、左手に木箱を抱えて歩いていく女性を見送った頃、私たちの後ろの交差点を別の女性が歩いていた。
【3人目】
日陰がレンガを冷やし始めたころ、店の扉の前に一人の小柄な女性が立っていた。岩田さんが扉を開けると、女性は少し緊張した面持ちで口を開いた。
「私、長野と申します。旧姓は高岸といいます。かなり昔に、私の祖父がここで丁稚奉公していました」
「そうなんですか!高岸さん…うーん、僕はわからないなあ」
「土曜日の酒蔵コンサートのことは以前から知っていたんですけど、なかなか来れなくて。今日お店が開くと知って、ようやく来ることができました」
「そうですか。どうぞ、中へ」
「ありがとうございます」
長野さんは店の中に一歩足を踏み入れると、深呼吸をして呟いた。
「ここで働いていたんですね」
「皆が寝泊まりをしていたのは2階です。毎日、仕事のはじまりはお手伝いさんたちが店の大黒柱を磨くことでした。こちらに、当時2階に通じていた階段がまだ残ってます」
そう言うと、岩田さんは酒蔵の入り口まで案内した。
「いまは塞がってますけど。ここを登ればお手伝いさんたちの部屋でした」
階段を見つめる長野さんの目からは、涙がこぼれていた。
「祖父はここを上り下りしていたんですね…祖父は、ここで一緒に働いていた人と結婚したんです」
「え!」
思わず、声が出てしまった。
「結婚して、のれん分けまでしてもらったんです」
「ええ!じゃあ、別の場所で酒屋を開いていたんですか?」
岩田さんも驚いている。
「はい。庄司町のほうの、今の持ち主はもう誰か分からないんですけど…」
長野さんは、写真を見せてくれた。
「あ!ここは!」
三階建てで、半地下の倉庫が隣接した建物が写っていた。屋上から煙突らしきものが伸びている(伝わるだろうか?ときおり皆で門司港を散策するとき、いつも前を通りがかる建物なんだけれど)。建物の入り口に通じる階段に、一人の男性が座っている。
「写っているのは私の父です。今は足を悪くしてしまいましたが…」
「ここ知ってます。家の中に傘とかぶら下がったままのところですよね」
「今はそうなっているんですか?家主の所在が分からないままずっと残っているそうなので、そのまま残っているんでしょうね」
長野さんはしばらく目頭をつまみ、うつむいていた。
岩田さんは、他のお客さんに対応しながら高岸さんとの会話を続けた。
「真面目な人だったんでしょうね。15、6で奉公に来て、ずっと働いている高岸さんを、僕のおじいさんが信用して。じゃないとのれん分けはせんですよ」
「ありがたい話です。今日は来て良かったです。祖父の足跡をたどることができました」
「和室に昔の写真が残ってます。良かったら見てってください」
「そうなんですか!ぜひ見せてください」
岩田さんは長野さんを和室に案内し、タンスの中から袋をひとつ取り出した。袋の中には三枚の大きいモノクロ写真が入っている。
「これが、祖父が働いていた頃のお店ですか」
「昭和の始め頃ですから、そうでしょうね」
関門トンネルが開通し、道路の拡張工事が行われる前の写真だ。店の看板の前に大八車が鎮座している。長野さんはまた、涙を流して「お世話になりました」と仏壇に手を合わせていた。
「またお店が開くときは、来ていいですか?」
「どうぞどうぞ。次のガレージセールは、秋ぐらいかな」