少しのことにも先達はあらまほしきことなりと申しますが、食事のマナーなんていうのも難しいものでして、行きつけない店へ食事に行くときなんかは、のれんのくぐり方から箸の上げ下げ、亭主との会話まで、どう振る舞ったらいいのかわからないことだらけですから、キョロキョロしながら慣れていそうな人の振る舞いをじっと見たりなんかして、それをまねして乗り切ろうなんてことを考えたりするもんですね。
村の庄屋の結婚式で、一の膳から三の膳まである本膳を振る舞ってもらえることになった村人たちが、さあ困った、礼儀作法がわからないということで村はずれの手習いの師匠のところへ行き、付け焼き刃で作法を教えてもらおうとしますが、宴席は明日、とても一晩でまにあわないということで、当日はみんなでそろって、師匠のまねをすることにいたします。村人は、見たこともないような本塗りのお膳を前に緊張して息を詰めて師匠を見つめておりますと、師匠も日頃と勝手が違ったのか不覚にも箸から芋を取りこぼし、膳の上にコロリとやります。あれを真似るんだなと村人たちも次々と芋を皿から膳に落としてコロコロ転がしてから口に運んで、なるほど礼法とはややこしいもんだと感心するなんて馬鹿な話もございます。
最近では少なくなりましたが、まだまだ頑固親父がカウンターの中にいる寿司屋なんていう絶滅危惧の保護地区もございまして、そんなところに、行くときなんかもまわりをキョロキョロしながら案内してくれる人の動きを真似たりするもんでございます。
先だっても、普段は行きつけないような一行で頑固親父の寿司屋に行くことがありました。案内人は、前々日に頑固親父に叱られたばかりですが、叱られたおかげで身についた礼法をしたり顔で教示するにわか師匠でございます。
「いいかい、のれんの向こうは聖域だからね、外套はその手前で脱ぐんだよ」
「外で脱ぐんかいな?こんなに寒いのに」
みんなでいそいそと外套を脱いでのれんをくぐりますってと、大将が待ち構えております。
カウンターのイスに並んで座ったはいいが、カウンターの上には下駄と呼ばれる分厚い板とその隣におしぼり、手前に四角いお盆、お盆の上にちょこんと箸が置いてあります。メニューは全てお任せというやつで、大将が客の頃合いをみながら料理を差し出します。
大将がお盆の外にチョンとお椀を置きますので、どうしたものかとにわか師匠を見つめていますと、お椀を両手で押し頂いて、お盆の上に置き直しましたら、蓋をスッとあけまして、箸をパチーンと割ってお椀の中のジャガイモを口に運んでパクリとやります。
「さすが師匠、散々怒られただけはあるね。堂に入ってるや」
なんて余計な関心をしながら、それをまねして、お椀を両手で押し頂いて、お盆の上に置き直しましたら、蓋をスッとあけまして、箸をパチーンと割って、お椀の中のジャガイモをパクリとやります。
料理の準備で、ときどき大将が店の奥に引っ込みますので、フーッと大きく息をつきまして、お互いに目を合わせてホッとしておりますと、また大将が料理を持って出てきますので、ピッと背筋を伸ばしてチラチラと師匠の動きを見て真似るのくり返しでございます。
料理はどれもきれいに盛り付けられて香りも味も絶品でございますし、酒もたしなんではおりますが、酒を注ぐ手もぎこちなく、どうもいつものようには進みません。
また大将が奥に引っ込みましたので、フーッと息をつきましたら、弾みで手でもあたったのか、一等年かさの客人の箸が一本コロリと床に転がります。慌てて、ひろった年かさの客は、箸先をシュシュシュッと3回手で拭きますと、サッともとの場所に戻したところで、大将が戻って参りますので、何食わぬ顔で食事を続けます。
客はみんな背筋を伸ばして箸を進めますので、滞りなく料理が運ばれ皿が片付けられていきます。馬鹿話や料理の生半可な知識は大将に叱られるということで、にわか師匠が選んだ話題を恐る恐る進めていきますので、自ずと穏やかな語り口になります。
いよいよ握りが出てきます。大将が一つのネタを一人一貫ずつ下駄の上におきますので、にわか師匠は手でつまんでそのまま口の中に放り込みます。「ああ、これならいつものやり方だ」ということで、一等年若の客人がホッと気を抜きますと、大将が下駄の上においた寿司の隣にもう一つ寿司をおきます。大慌てであたりを見回しても、他の客の下駄には一貫ずつおかれていきます。客がそろって息を詰めてみておりますと、最後の客の番になったところで、寿司が一貫足りなくなった大将は、落ち着いたもので年若の客の下駄から何食わぬ顔で寿司を一貫取り上げますと最後の客の下駄にサッとおきまして、何はともかく一同ホーッと息を吐きます。
こんな風にして、2時間の食事が済みまして、払いなれない額の勘定を済ませてのれんをくぐって外へ出ますと、フーッと大きく息をついた客が一斉にしゃべり出します。
「どの料理もうまかったなぁ」
「真ん中あたりに出てきた握りが一番美味しかった。口の中で溶けたね」
「いやそれよりも最初の椀ものが美味しかった」
なんて口々に言い合っておりますと、年若の客がポツリと「この話、どうやって終わるの?」
すると年かさの客が「落ちないフリをしたからね」
0 件のコメント:
コメントを投稿