【死と再生 その1】「死と再生の宴」が終わった。もともとこの企画は、火災直後の大學堂の存続が危ぶまれていたときに、生前葬のような気持ちで立ち上げたものだ。大學堂の生前葬なのか、私自身の生前葬なのなのか、わからないけど。昨日はずっと、自分の葬式も、こんなにぎやかで楽しければいいなと考えながら、その場に立ち会っていた。「ありがとうみんな」と空の上にいる気持ちで。
【死と再生 その2】野研というのは、私自身が学生時代に京都に育てられた学びの環境を、九州でも実現したくて20年以上前に始めた自主ゼミだ。よく誤解されるが、野研も大學堂も私のための事業ではなく、次の世代の人たちのための事業である。私もメンバーの一人に過ぎない。
【死と再生 その3】大學堂の場が、古い市場に求められたのも、決してなにかのノスタルジーではなく、野研の新しい学生たちが、なにか次のことを始めるための最初の足がかりとして、市場が持つあの熱量がふさわしかったからだ。そしてこれまで旦過市場と大學堂には、たくさんの野研メンバーが育てられてきた。
【死と再生 その4】もちろん私自身も大學堂でたくさんのやりたいことを、させてもらった。でも、そんなときでも、どこか、「面白いことってこんな風にやるのだよ」と、新しい人たちに自分の背中を見せるような気持ちだった。学ぶ立場と教える立場の気持ちが交錯した。
【死と再生 その6】そんな思いの一方で、この再生した大學堂を、次の人たちが必要とするかどうかはわからない。野研という学びの場も、それが重荷になるくらいならば、捨ててしまえばいいと思う。求められれば与えるが、求めるものがいなければ、もう与える必要はない。
【死と再生 その7】今日は、過去の野研や大學堂のメンバーが集合する同窓会である。もともと同窓会のようなノスタルジーが嫌いな私は、すでにはじめから後ろ向きの気持ちである。過去の人たちと昔を懐かしむよりも、未来の人たちと新しいことを始めて遊びたい。でも2022年に、ひとつの時代が終わってしまったことも、受け入れなければならないだろう。この同窓会も、大学退官の最終講義みたいなものだと思えば、受け入れられるのかもしれない。つまり、これもまた、ひとつの生前葬なのである。