2020年8月2日日曜日

食市祭

 「はりきって朝起きたはいいものの、こうも暑いと、何もかもが煩わしくなってしかたがない。机から本から、何もかも放り出してしまおう。」とさっきからぼやいている。夕飯代はおごってやるからと言うと、「やはり人間たるもの、汗水たらして働かんといかんですよ」と言いだした。現金なやつ。これも太陽のせいである。世間の様子をその目で常々見下ろしているのであれば少しは遠慮してくれればよいものを。全く悪びれる様子もなく普段と変わらない様子で。むしろ普段よりやかましい。つい最近まで顔色の悪い腹痛持ちに居場所をとられていたので余計にやかましい。ただ誰よりも距離をとっている。そんな太陽のせいである。今日は取り巻きの厚化粧もいないようだ。
 
 今日の仕事がはじまって1時間ほど過ぎようとしているが、人がやってこない。目の前の店いわく「最近の平日よりは多いよ」。平日はこれよりも少ないのか。これも太陽のせいだろうか。太陽の無遠慮な歌声に首を絞められそうになりながら、ぼちぼち声掛けをしていると、一人の女性がやってきた。紫の帽子と短めの絹のような髪が爽やかで、涼しげな首元が惹かれる女性だった。川から這い上がってきたような姿で声掛けをしているこちらを見て、がんばってそうだから話しかけたという。

 戦争下で子ども時代を過ごし、勉強どころではなかった。カタカナ語が苦手で、今ありとあらゆるものがカタカナで説明されるため、読んで理解するのに苦労しているという。私の祖母の話をすると、どうやら同じ年齢のようだった。祖母から聞いていた話と女性の話がとても似ていた。当時の学校が田舎も都会も変わらぬ様子であり、また、どこも同じという異様な社会であったのだ。揺るぎない思想と力をもった強者がその剛腕を振るう世界。間違っているとも言い出せず、分かっていた結果に終わったときに「ほれみろ」と非力な者は影でつぶやくことしかできない。力があろうと無かろうと、なかには異邦人にでもなったような気分で高見の見物をしてい者もいる。さらに高い場所で見物されているとも知らずに。自分は今どこにいるのか。こんなことばっかり書いている気がするが、分からんものは分からんのである。手っ取り早く「位置」を決めてしまえばいろいろ楽になるかもしれないけど。8月だからというのもあるのだろうか。
 
 喉を傷めた太陽にもう今日は家に帰って寝たほうがいいと告げると、約束通りに奴に夕飯をおごる。今日は何をねだるのか。今月は出費が多いことを考慮してくれれば良いのだが。今日の稼ぎを財布にねじ込み、汗がしみた眼で空を見上げると、太陽は血を吐いて倒れていた。

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