2020年12月6日日曜日

青ヶ島記(大介06)



拝所を思わせる祠や、不思議な石の構造物が、青ヶ島のいたる所にあった。聞けば古いお墓や信仰の場とのこと。


詳細が知りたくて「青ヶ島の神々」を読み始める。一度気になるととことん知りたくなってしまうサガ。青ヶ島の本を買いあさって読み始めてしまう。年末のほかの仕事も溜まってるのに。


著者が「でいらほん流」と呼ぶ沖縄や対馬と同じような明治以前の古来の神道の形が、この島には残っているようだ。


南無妙法蓮華経と刻んだ石の前に鳥居が置かれている、これも神仏習合の名残であろうか。とても興味深い。







青ヶ島記(大介05)


鶏をさばいて、山の「ひんぎゃ」に入れて月桃のハーブ蒸しをした。



青ヶ島の地熱は、別府の地獄蒸しよりも温度が低いようで、3時間ではちょっと加熱時間が足りなかった。



たぶん低温調理の感じで、一晩くらい入れておいた方が良いかもしれない。


つぎはぜひ成功させたい。



そして今年の潜り納め。青ヶ島の海は荒い。さらにこの時期はすぐに波や風の状況が変わってしまうのでとても怖い。


それでもイシダイとイシガキダイをつき、さらに釣り部隊はビギナーズラックのイシガキダイ。



短時間で十分な食料を手に入れて、またしても地熱穴の「ひんぎゃ」に投入する。火を起こす手間がいらないので、これは便利。



さらにこの辺りは地面も熱いので、そのまま寝転がって冷えた体を地熱であたためる。

青ヶ島記(大介04)

 絶壁と火口と森は、バヌアツの島々を思い起こさせる。



青ヶ島の標高を地図に落とすと、中心の丸山から時計回りに流れた溶岩の様子を見て取ることができる。



丸山は天明5(1785)年に起こった大噴火で誕生しているので、この時に溶岩も流れたのだろうか。記録では島全体が噴火によって焼けたとあるが、赤いマークの場所に大杉が一本だけ残っている。この杉は噴火以前のものだといわれている。


かろうじて溶岩流を避けることができたのだろうか。大杉までの道は樹海のような溶岩の割れ目やアップダウンが続く。







大杉の位置を正確に測り直すと、溶岩流の中にあることがわかる。どうやって生き残れたのだろうか。ちなみにgoogle map に載っている場所は間違っている。これを当てにすると迷子になってしまう。数回計測した正確な緯度と経度を書いておく。

32° 26' 55.77" N
139° 46' 17.952" E

32° 26' 55.578" N
139° 46' 18" E

32° 26' 55.2" N
139° 46' 18.168" E

32° 26' 55.65" N
139° 46' 17.622" E

32° 26' 55.662" N
139° 46' 17.73" E

32° 26' 55.65" N
139° 46' 17.622" E


そしてもう一つ、この地形図からわかること。金太浦と呼ばれる外輪山の一番低くなっている南側の場所は、もしかしたらこの溶岩流がぶつかることで崩れたのかもしれない。もう少し激しく流れていたら外輪山に穴が開き、溶岩が海までぬけてしまったにちがいない。

青ヶ島記(大介03)

 幻のお酒として知られる青ヶ島の青酎の造りを見せてもらう。造りのプロセスもその多様性も、私がこれまでみてきた、さまざまな蔵の酒造りとはかなりちがっており、見ること聞くこと驚くことばかりだった。麹づくりも醪づくりも仕込みも独特の技術がこの島には残されている

種麹は用いず、オオタニワタリに付着させた麹カビを使いまわす。蔵付きの自然の麹なので様々な色の麹カビが生えている。ベースは黒麹と黄麹というが、この麹は緑がかった色をしてすでに胞子が出ている。酵母も蔵付きの自然の酵母を用いている。

元来、青ヶ島での酒造りは女性の仕事であり、女性の名が杜氏として記されているのも興味深かった。

戦前戦後の酒税法によって全国でお酒の自醸文化が消されていくなかで、この青ヶ島だけが税務署の目がとどかず、古来の酒造りのスタイルが残ったのだと思う。

村で酒造会社を設立し、そうした各家の酒の造りを今に残している島の人たちの努力も特筆すべきことだとおもう。青ヶ島の青酎は、日本の貴重な文化財である。



2020年12月4日金曜日

Ed searan




 やっほーみんな!

最近みんなは何してるのー?


私はらぶりーファンタスティックな夏休みの締めくくりをしたよー


まず、シルクスクリーン大会!ふふ。はあ。あんなに苦労苦労だったのに、だだの手にかかれば素敵スクリーンができちゃうなんて、、、修行だ修行だ、、そこに刷り師・IVOry&とめや、おなおしのちくわ株式会社やアイロナーきぞく、乾かし屋のはでぴメットのマリアージュ。

みんなで作った素敵作品は大學堂とおうちで大學堂で発売中!これさえ身につければ、もう貴方はタンガイスト!


そのあとは、海に行ったよ!柵のところとだんどりくんのところ。まだつけない。。。カメラも撮れない。。。ウミシカ目指してがんばるぞ。柵のところでは素敵iphoneたてを見つけたんだー!うれぴ。あと、日本のスフィンクスも見つけたよ。


だんどりくんのところでは、いぼりが人生初の魚突き!伝説をたくさん持っているもんちは、やはりその片鱗を見せてくれる。だんどりくんはもう私には宇宙の概念の段取り力で美味しい魚料理を短時間で振る舞ってくれたよ。ありがとう。


あとは門司港に私たちのイカミソカリーを搬入へ!良きポジに陳列してもらっているので要チェキラ!

勉強会で賢くなったり、美味しい葡萄を耕智ぶどう農園🍇に狩りにいったり、旦過市場の魚たちのセリを見に行ったり、下関に行ってコリアンタウンの空気まとわりに行ったり、えとせとらえとせとら、、、あ、実習おわりのるーと久しぶりにらぶらぶしたり、はでぴが捌いてくれた美味しい鯛の刺身をひんぎゃの塩で食べたり、美味しいお酒をきぞくの宮殿でのんだり、大學堂でジンラミーが流行ったり、えとせとらえとせとら


10月も楽しみだー!

2020年12月2日水曜日

青ヶ島記(大介02)

 江戸期の青ヶ島の噴火と帰島の歴史を描いた、山田常道の小説「火の島のうた」を読みはじめている。まだ途中だが、面白くてとめられない。1981年に出版されたこの本は、湿気の多い島に置かれていたためか、茶色く焼けてしまっているが、江戸期の島の様子だけではなく、これが書かれた40年前の島の生活さえも、物語を通じて伝わってくる。

宮本常一とも交流があり、彼が青ヶ島を訪ねた時に島を案内したのが、当時教員をしていた著者の山田常道である。そしてその後、島で農業をはじめ、島の将来を思い、青ヶ島村の村長にもなった人だ。民族や歴史に対する素養を持つ人ならではの、島の風土や文化に対するこまやかな視点を、物語の随所にみることができ、その詳細な記述が素晴らしい。今は消えようとしている島の言葉も、忠実に再現している。この作品は、小説でありがならひとつの民俗誌となっているのである。



そして、このタイトルは宮沢賢治をオマージュしたにちがいない。伊豆大島に来た時に賢治が書いた詩が残っている。

「火の島」宮沢賢治

海鳴りのとゞろく日は
船もより来ぬを
火の山の燃え熾りて
雲のながるゝ
海鳴り寄せ来る椿の林に
ひねもす百合掘り
今日もはてぬ

「火の島のうた」もっと読まれてよい物語だと思う。古書でも手に入りにくくなっているので、ぜひ再販し、多くの人の手にとってもらいたいと考えた。紙がむつかしければ、電子化をしてでも。

山田常一が残した島の特産品、「ひんぎゃの塩」とセットで売るのも良いアイデアかも。


青ヶ島記(大介01)

 ジャニーズコンサート並みにとるのが難しいといわれた、発売開始後わずか数分で完売するヘリコプターのチケットを、人海戦術で1ヶ月前に何とか押さえたものの、もし経由する八丈島で新型コロナ感染者が出れば入島が制限されるといわれ続け、感染の再拡大が進行する東京の状況にずっとハラハラしながら出発の日迎えた。



当日の羽田空港に着いたものの、天候悪化のため八丈行きの飛行機は最後まで運航が決まらない。もし、これに乗り損ねるとヘリのチケットも無駄になる。そもそも翌日のヘリが飛ぶかどうか。さまざまな予測不能な状況の中で、なんとか実現した青ヶ島行きだった。


そんな青ヶ島で見たこと聞いたこと、そして考えたことを書いていこう。

青ヶ島の風景