2020年12月6日日曜日

青ヶ島記(大介04)

 絶壁と火口と森は、バヌアツの島々を思い起こさせる。



青ヶ島の標高を地図に落とすと、中心の丸山から時計回りに流れた溶岩の様子を見て取ることができる。



丸山は天明5(1785)年に起こった大噴火で誕生しているので、この時に溶岩も流れたのだろうか。記録では島全体が噴火によって焼けたとあるが、赤いマークの場所に大杉が一本だけ残っている。この杉は噴火以前のものだといわれている。


かろうじて溶岩流を避けることができたのだろうか。大杉までの道は樹海のような溶岩の割れ目やアップダウンが続く。







大杉の位置を正確に測り直すと、溶岩流の中にあることがわかる。どうやって生き残れたのだろうか。ちなみにgoogle map に載っている場所は間違っている。これを当てにすると迷子になってしまう。数回計測した正確な緯度と経度を書いておく。

32° 26' 55.77" N
139° 46' 17.952" E

32° 26' 55.578" N
139° 46' 18" E

32° 26' 55.2" N
139° 46' 18.168" E

32° 26' 55.65" N
139° 46' 17.622" E

32° 26' 55.662" N
139° 46' 17.73" E

32° 26' 55.65" N
139° 46' 17.622" E


そしてもう一つ、この地形図からわかること。金太浦と呼ばれる外輪山の一番低くなっている南側の場所は、もしかしたらこの溶岩流がぶつかることで崩れたのかもしれない。もう少し激しく流れていたら外輪山に穴が開き、溶岩が海までぬけてしまったにちがいない。

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