2019年12月1日日曜日

弾丸的週末


「さすが。福大はデカいよなあ」なんて思いながらあくびをする。ちょうど入試だったようで、入り口では職員らしき人物が制服を着た学生に挨拶をしていた。外は寒い。飛行機が飛び立つまで、あと2時間。さっきまで友人宅でぐうぐう寝ていたのだ。やはり、疲れ切った夜中にジンのオンザロックを飲みながら「エルム街の悪夢」など鑑賞するべきではなかったか。地下鉄に乗って空港まで行こう(内心焦りながら)。

空港で手続きを済ませ、飛行機の入り口までバスに乗って進む。バスの中は、大きなキャリーバッグを携えた人々でいっぱいだった。

飛行機に乗り込んだはいいものの、離陸までが少し時間がかかる。一番後ろの窓側(30A)の席に座る。隣には、赤ちゃんを抱えた若い男の人が座っている。若い。俺よりも若い。きっとお兄ちゃんだな。「ばあばあ」と言いながら、赤ちゃんはこちらを見つめる。手を伸ばしてきた。握手しようかな。試しに微笑みかけてみよう。…………ぐずり始めてしまった。

目が覚めると、俺は巨大なスフレの上にいた。青いジュレをたっぷりと挟んだ、真っ白なスフレ。どんな味がするのだろうか。一掴みして味見してみたいが、そんなことをすれば、俺はものすごい勢いで吹っ飛ばされ、海の藻屑と化すだろう。そんな空想をしながら、赤ん坊を見やると、汗をかきながらぐっすりと眠っていた。

だんだんと海が濃い青色を帯びてきた。

飛行機が着陸し、高速バスで目的地まで向かう。あの赤ん坊は眠ったまま、お兄ちゃんに連れられていった。高速バスに乗ったと同時に、きぞくと合流もできた。そして俺は、昼ご飯を買うのを忘れたことに気付く。朝は友人に叩き起こされ、寝ぼけまなこで空港に向かったため、食べていない。昼も食べないとなると、ガス欠寸前のボロ車のようになってしまう。夜中でも終わらない議事堂前のデモのように、胃は絶えず俺に訴えかけてくる。この喧噪をどう鎮めてくれようか。俺は、寝ることにした。

ハッとして、運転席の方をみる。料金が倍近くに跳ね上がっていた。まだ着かないのか。次の次で目的地のようだが、近くなればなるほど、早く着いてしまえという思いが強くなってしまうのはなぜだろう。着実に目的地に近づいているのに。そんなことを気にしていると、窓の向こうに、大きな虹がかかっていた。子どもがクレヨンで描いたような、太くてハッキリとした虹だった。

ようやく到着した。「料金分のお札と小銭がきっちりありますように…」と願いながら財布の中を探る。幸いきっちりお金はあった。出るときになって両替するときの、後ろの人を待たせることがイヤなのだ。俺は最後に降りることにしたのだが、前の乗客が少しモタついている。どうやらアジア系の外国人観光客のようだ。料金が分からないようで運転手に聞くも、「自分で表示見て」と、ぱるる顔負けの塩対応である。さらに、その観光客は両替機にお金を入れて、それで料金を払ったと勘違いしてしまったようで「Change Only!!」と怒られている。そんなこんなで、ようやく払うことができたようで、降りていった。少ししょんぼりした顔であった。俺が降りるときは、「両替ですか?」と、最初から決めてかかってきたので「いえ、支払いです」ときっぱり答えて、きっちり料金分の現金を箱に突っ込んで颯爽とバスを降りた。虹はまだ輝いていた。

会場ではシンポジウムが開かれていたが、もう終わる直前で、ほとんど話を聞くことができなかった。そこで、俺は会場内をぐるぐる歩き回って展示を目に焼きつけることにした。一階には、大きなクジラの骨格が展示されていた。ここでしか保存していないという。南の島の人々の刺青の細かい模様を見ることもできた。刺青の痛みに耐えることで、これからの人生の苦難の数々にも耐えられるという。模様もひとりひとり異なる。二階には、船の模型や島の男たちが航海士となるまでの道のりが描かれていた。

一番気になったのは、航海図である。外枠を木で四角く作られていて、自分たちの島を中心の石に位置付けている。海の主な流れを曲げた竹ひごで表現しており、全体がまるで人間の目のように見えるのだ。キュリオス(シルクドソレイユ)の「ビッグ・アイ」とも似ている。古代エジプトの「ホルスの眼」のようでもある。あの航海図は家に飾りたい。  

シンポジウムが終わり、バヌアツの人たちの実演も終わり、民宿「岬」という宿へ。ここで一泊して、俺は明日、福岡に帰る。弾丸ツアーのようである。宿に着いて、数時間前に睡眠という実力を行使して鎮圧した空腹デモが再燃してきた。恐らく、新たなリーダーが擁立されたのだろう。他の人が帰ってくるまで、俺は自販機で水を買って胃に投入した。

全員集合し、ついに夕飯。この日初めての食事だ。何を食べようか。味噌汁定食が美味いと聞いていたが、「さしみ定食」の文字にこころを奪われてしまった。エビフライやトンカツなどの文字が霞んで見えた。魚が食べたい。新鮮な魚が食べたい。気がつくと、「さしみ定食ひとつ。」と右手を強くあげて言っていた。味噌汁やトンカツのことなど、きれいさっぱり頭の中から消えていた。しばらくして、きらきらと光る定食が運ばれてきた。少なくとも俺にはそう見えた。さしみだけでなく、味噌汁と豚の角煮もついてきた。どれから食べようか。漬け物からいこう。燻ぶっていた空腹デモが爆発した。バックドラフトが起きたのである。その勢いで白ご飯をかきこむ。漬け物の濃い甘辛さを白ご飯が和らげ、心地よい甘辛さを作り出す。ゆっくり飲み込み、次はサラダを食べよう。ドレッシングが少しだけかかったシンプルなサラダ。さっぱりしている。今度は角煮だ。大きくて、ゴロっとしていて、分厚い角煮だ。一つの角煮を箸で二つに割り、口に含む。肉は、毛糸のようにほろりとほどけ、脂は、かすかに歯ごたえを残しながらも、一瞬で肉と混ざり合う。この小さな幸せが目の前の小さな皿の上にいくつも転がっているのだ。たまらん。残りの白ご飯は、全て角煮と運命を共にしよう。角煮が退場した後は、いよいよお目当てのさしみである。

さしみのそばでカボスがちょこんと座っていたので、右手の指先でつまみ上げ、搾る。どくどくと流れる果汁がさしみからさらに艶を出す。ツンとした香りがさしみを包む。わさびも忘れずにそっと乗せて、ぱくり。わさびがしっかりと効きつつ、カボスのかおりも消えず、魚の味はハッキリと舌の上で認識できる。濃い味でもなく、薄い味でもない。中道を行く、最後にふさわしい料理だった。さしみの後ろに隠れていた大根にちょろりと醤油をかけ、一口で食べる。定食が心を満たしてくれた時間だった。

夕食のあと、ベランダでオリオンビールやオレンジジュースを飲みながらみんなと談笑した。それぞれシャワーを浴び、ビールも尽きて、後片付けをし、各々の部屋に戻っていった。最後になった俺は、カバンから次の日に着る服などを用意し、シャワールームに行こうとしたら、さきほどみんなで喋っていたベランダでベーヤンが座って歯磨きをしていた。せっかくなので、ベーヤンが学生だった頃のことや今の仕事のことを聞いたり、俺の今思っていることなどを話したりした。ベーヤンは、「仕事は仕事で、面白い部分がある。」と言っていた。

夜は寝袋に入らなくてもいいぐらい暖かかった。朝目が覚めると、少し汗ばんでいた。顔を洗って歯を磨いて時計を見る。7時になるかならないかぐらいだった。ベーヤンは先に起きており、何かの本を読んでいた。少し眠いが、8時ぐらいに出発と聞いていたので二度寝するわけにもいかなかった。することがないので、近所をぶらぶらすることにした。歩き始めてすぐに、「備瀬ビーチ コチラ 50m先→→」という看板が目に入ったので、そこに行くことにした。すぐに海が見え、砂浜まで歩こうとしたら突然、「おはようございます」と声をかけられた。人がいる気配がなかったので、驚いて辺りを見回す。すると、後ろの歩道の溝を掃除している一人の男がいた。落ち葉を熊手でかき集めながら、「どこから来たの?」と聞いてきた。

「北九州です」

「明太子のところか!」

「まあ~その辺ですね」

「うちは明太子じゃないけど、海ぶどうつくってる。後であげるよ」

まさか初対面の見知らぬ人物から海ぶどうがもらえるとは微塵も考えていなかったので、「え!いいんですか!」と大きな声を出してしまった。少し裏返った声だった。「ちょっとついてきて。いいもの見せてあげるよ」と男はいうので、なんだろうと思いながらホイホイとついていった。すると、船着き場で男の足が止まった。

「ボート乗る?ぐるっとそのあたり周ってみよう」

「乗ります!」

「ボートおろすの手伝って。このロープ引っ張りながら、少しずつ海に入れていくから。」

俺はボートが勢いよく海の中に入らないように引っ張る役目を担うことになった。男は靴を脱ぎ、海に向かってボートを押していく。ボートは車がついた板の上に置かれているので、板ごと海に突っ込む。それがずるずると俺を引っ張るので、おれも負けまいと引っ張る。ゆっくりと、海に入れていく。

俺を乗せたボートは勢いよく発進し、さっきまで歩いていた砂浜がどんどん遠く離れていく。暖かい風が顔の横を通り過ぎ、ボートは大きく弧を描いていく。話を聞くと、男は世界遺産を巡りながら行く先々でボランティアをしているらしい。一昨日まで、パタゴニアに行っていたらしい。沖縄生まれではなく、横浜出身だと言っていた。向こうに見える島の更に向こうに、昇り始めた太陽が雲の中から顔をのぞかせていた。

5分ほどボートに乗ったあと、男の家についていった。離れの中にある小型のプールの中で、海ぶどうが育てられていた。男は水の中に手を突っ込み、引き上げると海ぶどうをわしづかみしていた。それをタッパーに入れ、ふたが閉まらないのではと思うほど大量に入れ、俺にくれた。なぜここまでしてくれるのかを尋ねると、「朝一番に出会ったから」と答えた。海ぶどう片手に民宿に戻ると、皆が朝ごはんを食べていたので、海ぶどうも一緒に食べることにした。

サミット2日目の準備のために、これから民宿を出る。俺は今日福岡に帰るので、荷物を全て持っていく。キャリーバッグをコロコロと引きずりながら、海ぶどうのお礼を言いにいこうとさっきの男の家に向かうと、貝殻を加工した箸置きを二つくれた。「一つは学校で、もう一つは家で使うといいよ。」そう言って、優しく送り出してくれた。

歩いて会場に向かう。さっきボートに乗った海を右手に、会場にたどり着いた。「おきなわ郷土村」という場所が会場で、沖縄各地の島の家が、各時代どのような様相だったのかが再現されている。「あれかっこいい」とか、「この形いいな」と口々に言いながら、設営を始める。

俺は昨日もらった名札を最初から首にぶら下げていたので、「机運んで、受付のところに持っていってください!」と現地の職員から急かされる。結局、それよりも、俺たちの販売ブースの設営を優先しなければならなかったようで、机を運ぶこと以外、その職員から声をかけられることはなかった。

スタートは午前10時であったが、そんなことはお構いなしに、お客さんはやってくる。アダンバスケットをどう置こうか、とか絵ハガキはどれをどのあたりに配置しようか、とか考えている間でも、興味があるものはひょいととりあげられ、まじまじと見つめられる。それほどお客さんがアダンの活用に興味津々だということの表れでもある。ああ、もうちょっと待ってて…

販売と、バヌアツの人たちの実演がスタートし、他のブースでも、アダン筆をつかってその場で絵を描く人がいたり、箸から弁当箱、もちろんご飯・おかず全てをアダンで作った「アダン尽くし弁当」を販売したりする人がいた。俺はしばらく中にいたのだが、他も見てみたくなり、外に出た。すると、全身アダンの葉でできたドレスを着た令嬢たちがいるではないか。お客さんたちもその姿を絶賛していた。その令嬢のひとりに、「いま、暇?」と聞かれた。今の俺は暇と言われれば確かに暇なのかもしれないので、「暇だ」と答えると、令嬢は紙を渡してきた。どうやらアンケートのようで、これをお客さんに渡してほしいとのこと。「アンケートの協力を呼び掛けて、答えてくれる人が何人いるのだろうか…」と疑問に思いながらも、「あ、あの、よろし、ければアンケ―、トにご協力くださぃ」と自分でも情けなくなるような声掛けを繰り返しながら、数十分頑張ってみたものの、「昨日書いたよ」と突っぱねられる。何か言ってくれるならまだよいほうである。やはり、このアンケートはサミットの最初に渡される資料か何かに挟んでおくべきだ。

時計に目を落とすと、11時になろうとしていた。1115分の高速バスに乗って、俺は変える。弾丸的週末が終わろうとしていた。

バスの運転手はガタイのいいおじさんで、ニコニコした顔だったので、来た時の運転手より感じが良いなと思っていた矢先、俺の前に並んでいた観光客がキャリーバックを車内に持ち込もうとすると、顔をしかめて「トランク!!!」と運転手が声を張り上げた。そこまで強く言わなくても伝わるだろうよ…

俺は怒られないように、いち早くトランクの中にキャリーバッグを突っ込み、素早く座る。ここで失態を犯してしまう。100食限定と謳っていた「アダン尽くし弁当」を1つ買い、バスの中で食べようと思っていたのに、キャリーバッグの中に入れてしまったのだ。時すでに遅し。トランクという闇の中である。空港まで空腹を辛抱しなければならない。またあのデモが起こるかもしれない。暴動にならなければよいが。

5分ぐらい寝たかなと思って目を開けると、目の前には、那覇市役所がそびえ立っていた。未来の要塞のようでもあるが、古代の遺跡のようでもある。科学特捜隊やナイトレイダー、A.I.M.SZECTが本当にいるのではないかと思わせる造りである。変形して、デカベースロボのように超巨大ロボットになってくれないだろうか。見ていてとてもワクワクする。

あっという間に空港についた。手続き開始まで、まだまだ時間がある。お土産でも買っていこう。やはり、お土産となるとお菓子ばかりだ。あの人と、この人と…と考えると、きりがない。友人と、お世話になっているあの人と…

手続き開始まで、あと1時間。おれはアダン尽くし弁当のことを思い出し、ごそごそと取り出す。袋から取り出すと、弁当箱が青々とした分厚い葉で覆われていた。その大きな葉を丁寧に取り外すと、おにぎり2つと、揚げ物2つ、そして赤い実のようなものが1つ入っていた。腹も思い出したかのように急に声をあげはじめた。はやる気持ちを抑えながら、最初はおにぎりを食べる。もちろん冷めてはいるのだが、中に混ぜられた黄色いアダンの実の甘さが際立つ。とうもろこしご飯と似た、おいしさだ。つぎに、小さい方の揚げ物を食べる。レンコンほど固くはないが、芋ほど柔らかくはない。少しの油が食欲を掻き立てる。それを追い風に、大きいほうの揚げ物にかぶりつく。⁈これは、タケノコだろうか…⁈と一瞬、脳がバグを起こした。タケノコのように何層からもなり、みずみずしさと噛み応えの良さを兼ね備えた食べ物だった。揚げ物とおにぎりは最高の組み合わせだ。お茶を飲むことも忘れてしまうほど、箸が進み、気付けば赤い実のみとなった。この赤い実は、昔のおやつのようなものだという。噛むと、甘酸っぱい液体が溢れる。噛み切れるものではないようだが、これを噛んでいるだけでも、割とお腹がいっぱいになる気がする。空になって弁当箱、箸入れなどは捨てるにはなんだかもったいない気がしたので、持って帰ることにする。捨てる部分がない食材だ。

出発時刻まで1時間。ようやく搭乗手続きが始まった。荷物をあずけ、早めに検査場を通る。外は飛行場のライトの点滅がはっきり分かるぐらい、暗くなっていた。待合室は中高生だらけだった。修学旅行か何かだろう。

機内は少し寒かった。沖縄に行くときの飛行機と同じように、一番奥の窓際(30A)の席に座る。隣には女の人が2人座った。親子ほど年齢が離れているようには見えなかったので、おそらく姉妹だろう。せっかくなので話しかけてみると、なんと飛行機から降りたら新幹線で鹿児島まで帰るという。僕は高速バスに乗って帰るんですよと言うと、女性たちは「お互い遠くて大変ですね」といって少し笑った。

分かっていたが、窓際の席は夜寒い。真っ暗で、自分が今どこにいるかわからないと、だんだんと眠くなる。飛行機がじわじわと下降するときの轟音と揺れで目が覚めた。左手がじんわりと痺れている。隣を見ると女性たちも眠っていたが、機内アナウンスで目を覚ました。

荷物を受け取る場所まで女性たちと喋った。話を聞くと、どうやら女性たちはアイドルの追っかけのようだ。機械に運ばれてきたキャリーバッグを受け取り、女性たちにお元気でと別れを告げた。とりあえず、福岡には着いた。あとは高速バスで北九州に行くだけだ。自動ドアの向こうは、小倉行きのバス待ちの人の列ができていた。白線を越した、長い列だった。

2 件のコメント:

初メット さんのコメント...

要約バージョンものせて欲しいな

匿名 さんのコメント...

ごめん
写真が貼れないんだ