2021年12月25日土曜日

夢のとらだるま

 

目の前に並ぶ、丸められた粘土。そのひとつひとつに、器用に化粧を施すひとりの人間。この光景はどこかでみたことがあるんだ。最近ではなくて、10年、いや15年以上前なんだ。



僕が見たことがあったのは、「孤蝶の夢」という作品だった。とある映像作品の脚本家が、新作の主人公をどう扱おうかと頭を抱えていたときに、夢の中で陶芸家の女性と出会う。そして現実世界でバーに立ちよったとき、その陶芸家とそっくりな女性と出会うという話だった。


脚本家は、主人公と敵「魔デウス」の描き方に悩んでいた。同じころ、物語の主人公は陶芸家の女性と出会っていた。脚本家と主人公が入れ替わったり、ときに一体化する作品だった。物語を描く側でありながら、同時に物語の中で生きている。魔デウスの力は強大だ。巨大で、スベスベで、丸い形をしていて、粘土のような灰色だ。どんな攻撃を受けても傷ひとつつかない。自由自在に自身の体を変化させ、主人公を苦しめる。絶体絶命のピンチである。脚本家はその戦いの様子を目にしながら、瓦礫の間で立ちつくしていた。



ストーリーの終盤で、主人公が自信を描く脚本家と同一であることに気づき、自分が勝利して終わる脚本を書き上げる…という脚本を思いつき、提出すると大好評だった。ホッとした脚本家は監督との打ち合わせで居眠りをしてしまう。すると夢の中で、敵が再び現れた。街をもう一度破壊していく敵を目の前に、揺れる会議室の中で、監督は脚本家を必死で起こそうとするのだった。「おい!こいつに夢を見させちゃヤバいんだ!おきろ、おい!」



「孤蝶の夢」を見終わったあと、心臓がずっとドキドキしていたことを自覚するまで、少し時間がかかった。メタフィクションや第四の壁という言葉を知らない5歳児の心は、「こういう作り方をしてもいいんだ」という言葉で埋まっていた。「孤蝶の夢」以外にも、「恐怖の宇宙線」や「狙われない街」などの好きな作品が、すべて同じ監督の作品であることを知った。実相寺昭雄という人だった。



主人公は敵の名を問う。

陶芸家「名前から発想しますか…天才・金城哲夫的ですね…デウスエクスマキナをもじって、魔デウスにしましょうか」



僕は粘土の球体の名を問う。

カエル「名前?…とらだるま」




無表情だった魔デウスは、「とらだるま」として産み落とされ、年の瀬に大勢の手に渡る。一年に一度の泡のような、一瞬の戯れのような夢の時間へと導いてくれる。瞳を描かれたとらだるまがじっと座っている様子は、さながら京都の三十三間堂のようである。





 

2021年12月19日日曜日

煎るべきか、蒸すべきか


鉄板が十分な温度に達したので、蒸すよりも先に煎ることにした。焼き芋をくれた女性からカゴひとつ分の葉をもらった私たちは、自分たちで摘んだ(押した!)ものに女性からもらった分を加えたうえで半分に分け、片方を煎ることにした。



ドラム缶に乗せた鉄板の中に葉を放り込み、両手で揉みながら全体をかき混ぜる。ときどき鉄板に押しつけるようにして、時間をかけて乾かす。ぐったりしていた葉は少しずつ身を縮め、バラバラという音は次第にカサカサと軽くなる。じわじわと力を奪われていく葉は初めこそ身を寄せ合っていたものの、潤いをなくし乾ききった両の手は、たとえ頬を撫でたとて互いを傷つけるばかりだった。



私とチクワと先ほどの女性の3人で葉を揉んでいたが、女性が途中で葉をふるいにかけるという。一度鉄板から葉を取り出し、布を敷いたザルの上でふるいにかける。ふるいからこぼれた葉のカケラが風で飛ばないように注意しながら、残った葉を再び鉄板に戻す。この作業を何度かくりかえす。すると、丸々としていた葉はさながら即身仏にならんとして絶食をおこなう高僧のように、ありとあらゆるものが削ぎ落されていく。最後に残った一本の茎が「白折」と呼ばれる。

煎る作業では、葉を焦がさないようにする必要がある。なかには焦げた葉で作ったお茶が好きな人もいるらしい。

「じゃあ、ちょっとだけ焦がしてみましょうよ」とは、言えなかった。



さっそく、煎ったばかりの葉でお茶を飲む。緑色の砂金をぱらぱらと急須に落とし、ひしゃくで熱湯をそそぐ。はみ出し者がひしゃくから逃げ出し、つまずいて、錆びたストーブの上に転落した。その悲鳴はだれに聞こえただろう。紙コップを満たしたお茶は、蛍光ペンをそのまま溶かしたような、目の覚めるような鮮やかな菜の花色をしていた。

少し冷ましてから一口。わずかに青臭さを感じられる。新鮮さの証拠だろう。

「味はいまひとつかもしれんけど、なんにも(薬など)つかってないから」

飲み干した瞬間、新たに注がれる。なんにも使ってないからこそ、いくらでも飲める気がした。他の参加者はそれぞれ弁当やお菓子を持ち寄り、談笑していた。

「空いたよー」

「おー、じゃあ、やろかな」

煎る作業の順番待ちをしながら、それぞれ持ち寄った弁当やお菓子を食べて過ごす。

 

「もともと四国の、徳島の町でやりよる方法をそのまま導入したんやけどね。これだと飲むまで数日かかるから、煎る方法も使う。これならすぐ飲めるやろ」

そういうと、男は釜の蓋を開けて、お湯の様子を見た。どうやらいまひとつのようだ。

「蒸すのは30分ぐらいかかる」

私たちはまだなにも手をつけていない葉を用意し、沸騰するのを待った。

「これ少ないけど」

焼き芋の次はおにぎりと卵焼きとキュウリちくわをもらった。梅のふりかけが混ぜられ、巻いていた海苔がもう柔らかくなったおにぎりは、とても懐かしいものだった。

「これぐらいでいいかな。葉っぱもってきて」

そういわれた私たちは、残りの葉を釜の上に置かれた蒸し器のなかに投入した。煎った葉と蒸した葉では、お茶の色が全く違うという。蒸し器の間から漏れ出る湯気が、かすかな葉の香りを連れてくる。紙コップはもう乾ききっていた。

 

 蒸しはじめてから、20分ほど経過していた。

「今日は葉の数が少ないから、もう混ぜて良いかも」

チクワが蒸し器の蓋を開けると、窓の向こうの雲の果てに心惹かれる鳥のように、自由を得た湯気が飛び立ち、たちまち消えていった。混ぜ終えた後もう一度、少しの時間蒸してからカゴに葉を移し、天日干しにする。

「上から網かなにか置いとかんと、風で飛んでいく。まえに、全部飛んでった人がおった」と笑う。





「この方法でつくるお茶は、さっきのとは色が変わるんだよ。ああ、もうどれがだれのか分からんな」

説明しながら、私たちの前に新しい紙コップを置いた。すでにつくっていたといって、蒸した葉のお茶を飲ませてくれた。注がれたお茶は、赤みの強い黄色(金茶色というのだろうか?)だった。痛いと言えるほど熱いのでほんの少しだけ口に含む。煎ったときのお茶と異なり、青臭い匂いを感じなかった。煎ったお茶を中学生とするなら、蒸したお茶は初老ぐらい、かな。草っぽさを感じないぶん、増した苦みが何の邪魔もなく味蕾に到達する。

お茶を飲んで気持ちが少しでも楽になる瞬間は、心地よかった。


 

葉の匂いで満たされたレンタカーに乗って、山を下る。車が揺れる度に、後ろからカサカサと笑い声が聞こえる。

「これのナビも使えるんだけど……下道で帰ろうか」

画面を押しながら目的地を設定する。所要時間は1時間を超えていた。ダメだ。下道で帰ると車を返す時間に間に合わない。しょうがない、また高速に乗って帰ろう。私は車載ナビを消し、スマホを叩き起こした。

陽光が山の向こうであくびする。


摘むよりも押せ!

 


お茶というと、私とともにあったのは麦茶だった。年がら年中、冬でもキンキンに冷やした麦茶ばかり飲んでいた。幼い頃は、緑茶は年寄りの飲み物だと思っていた。祖母が毎朝、テレビの音量を上げながら、きっちり15分かけて飲んでいた。

 

すっきりと乾いた青空の下で、赤い軽自動車に乗った私たちは、まったく対向車がこない道路を走っていた。運転手はチクワで、ナビは私のスマホだった。私自身はやることがないので遠くを見ていると、いやでも山が目に入ってきたのだが、この日の山はふだん考える山とは少し様子が違った。

私の思う山は刑務所の塀のように頑強で、非力な自分にはどうしようもできない存在だ。しかし、ここから見える山に、威圧感は感じなかった。なだらかな山が何層も重なり、奥へ奥へと続いていた。山は奥へゆくほど標高が少しずつ高くなり、まるで舞台から眺める客席のようだった。手前の山から奥の山に向かって大きな手のひらで撫でれば、犬や猫の極性をもつ毛並のように、その触り心地は滑らかだろう。

 

 高速道路を抜け、言うことがしょっちゅう変わるナビをなだめながら、どうにか茶畑に続く一本道に辿り着いた。道に入るとすぐに山へ導かれ、日陰でうすら寒い坂道の上り下りを繰り返した。上り坂で日差しに目を刺されないように車の日除けを下げた途端、下り坂になる。ふたりで日除けをパカパカと開け閉めする様はコントのようだっただろう。日除けは諦め、眩しさと冷たさに振り回されていると、左手に茶葉を扱う工場がいきなり現れ、ナビは消え入るように眠りに落ちた。

 

 私たちは空き地の一番奥に駐車した。長靴や運動靴を履き、カゴや草刈り機をもった人たちが既に出発しようとしていた。挨拶をして話を聞くと、今日は既に切り落としてある木の枝や草、そして石を作業のじゃまにならないように除いた後、茶摘みをするという。

ずんずん歩いていく皆についていくと、茶畑は思った以上に斜面で、転べば大なり小なりケガをするのは確実だろう。すでに運ばれていた大量の枝は、畑の端に沿って置かれているので巨大な鳥の巣のようにみえた。道が開けてくると、次は地面の石をどかす。石を探すためにかがむと、動物のフンのかたまりがあちこちに見つかった。野ウサギか鹿か分からなかったので後で調べてみると、野ウサギのそれは「饅頭型」で鹿のは「俵型」らしい。おそらくここで見たものはシカのものだろう。


そろそろ茶摘みかなと思っていると

「袋ある?なかったらアレ使い~」と、白い土嚢袋を貸してもらった。

その人はズボンとベルトの間を指さして

「ここに少し挟むと作業しやすい」と教えてくれた。

言われたように袋を取り付けると、前掛けをつけている気分になる。

「下のほうを探すといい。大きいのがある。三分の一ぐらいたまったら、いいかな」と笑った。

 

さあ探すぞと意気込んだはいいものの、なかなか大きい葉が見つからない。どれもほとんど変わらないじゃないか。どこにそんなに大きいのがあるんだ。しゃがんだり、立ったり繰り返しながらしらみつぶしに探すこととなった。

突然、何の前触れもなく葉っぱが動いた。風が吹いたわけでも、朝露が落っこちたのでもない。「ぽろん」と鍵盤の上を踊る軽やかな中指のように、ひとりでに葉が動いたのだ。これは虫の仕業だろうと勘づいた私は、茶葉を探すのもそこそこに、その虫を探すことにした。

動いた葉をそっと裏返すと、バッタがうごうごと何かを食んでいた。昆虫は果糖を認識できるとどこかで聞いたが、それは「おいしさ」として感じているのだろうか。単なる「栄養」であるなら、すこし寂しい気もする。



バッタを捕まえて弄るのも、しばらくすると飽きてくる。バッタもいつまでもじっとしていられないようで、私の親指と人差し指の間で自転車を漕ぐように脚を動かしはじめた。もういいや、と思い指を離すと片足だけポロっと落としてへこへこ逃げていった。

 

葉を探すことに専念することにした。バッタを捕まえる道中、奥にそれなりに大きい葉があったのでそこを中心に葉を摘んでいった。葉を摘むときに気づいたことがひとつある。それは、葉を摘むときに必要な「力」のことだ。力といっても、相手は葉っぱ一枚なので、たいした工夫はいらないが、引っ張る・つまむ・ちぎる……といった普段の指先の動きのなかで、今回最も効果的だったのは「押す」ことだった。葉を奥に向けて押す。こうすると、それ以外の動きよりも力を入れる必要がなかったのだ。「押す」という表現も似合わないほど、「葉にあてた親指を奥へ動かす」。ただそれだけで、思わず笑ってしまうほどポロポロと葉が落ちていくのだ。これでは茶摘みというより茶押しである。

 

ひたすら楽しく葉を押していると、「どない?」と頭上からチクワの声が聞こえた。かがんでいた体を起こすと、周りの人の気配はすっかり消えていた。チクワの袋には十分な量の葉が溜まっていた。かたや私のほうは途中でバッタと遊んでいたこともあってわずかに足りなかった。「もうちょい」と言って急いで葉を集め、駐車場からのぼる煙の方へ向かった。

 

煙は、ドラム缶の中から立ち上っていた。そのドラム缶の上に巨大なコンタクトレンズのような鉄板が置かれ、十分に熱せられるのを皆で待っていた。その時間、私とチクワはひとりの女性から焼き芋をもらった。私は朝食を食べていなかったので、それを腹の中につぎつぎに押し込んだ。

 

2021年12月2日木曜日

星先こずえさんの展覧会

 今日は、大野城まで星先こずえさんの展覧会を見に行き、そのあとずっと取材をさせてもらった。


図録でいくつかの絵は見ていたが、実際の現物の絵はとても大きくて、布や紙を貼り合わせた独特なテクスチャーで描かれており、迫力のある素晴らしいものだった。緻密な線と独特な色遣いが美しい。力強くおすすめ。

話は苦手と聞いていたので、短時間で切り上げるつもりだったが、話が深まるうちに1日仕事になってしまった。こずえさんも、さぞかし疲れたのではないかとおもう。彼女にとっての「動物の絵」について、なぜ描くのか、なにを描くのか、などなどいろいろ語ってくれた。

「話したくなければすぐに話すのやめるので」といっていた彼女は、人にあわせることのないとても正直な人なので、私とずっと話をしてくれたのは、きっと楽しかったに違いないと思っている。

そして、今日の取材の内容は次回の民博での研究会「『描かれた動物』の人類学――動物×ヒトの生成変化に着目して」(12/12 13:00から)と、アートスペースOperation  TableでのKitaQ BRUT トーク「「ヒトはなぜ動物を描くのか?-アールブリュットからの視線」」(12/18 14:00から)で報告する予定です。

おわかりのとおり、めっちゃめちゃ自転車操業な私の毎日です。

2021年11月16日火曜日

21世紀の阿房列車 1日目

先月の12日から14日の3日間のこと。 

下関からはじまった景色は、岩国を通過するまでほとんど変わらなかった。中高生の半開きの目がくたびれた問題集を往復している。車両はしんとしている。雨がゆっくりと車窓をノックしはじめた。しまった。折り畳み傘だけでもカバンに入れておくべきだった。とっさにカバンを開くも、さっき買ったばかりのサンドイッチが窮屈そうにしているだけだった。

噂には聞いていたが、こんなに蓮だらけとは思わなかった。おまけに列車の内装がとても綺麗だ。岩国には、そんな印象を受けた。蓮を目で追うことに一生懸命で、米軍がどこにいるかなんて頭からすっぽり抜け落ちていた。スマホの画面には「岩国おるん!」「岩徳線風情あるよねー」とメッセージがあったが、その岩徳線がどれかは分からない。そんなことどうでもいい。


もう学校から帰る様子の中高生がいた。先ほどと異なり、二人もしくは三人一組で椅子に座る。さっき配られたような真新しいプリントを片手に、「ア」とか「イ」とか言い合っている。街なかの駅で、中高生らは明日に備えて塾に駆け下りていった。それからしばらくのあいだ、車の音も、人の話し声も聞こえない。景色も佐伯から延岡までの見た目とほとんど変わらない。少し退屈だ。

「修学旅行は電車で行ったんだよ」男は、昔話をはじめた。

「席に座りきらないから、床に新聞紙をひいて、そのうえにザコ寝してたんだ」

「先生がこんな大きなヤカンにお茶をいれて、みんなについで回ってた」

「ひとりずつ米を持ち寄って炊いて、食べた。うちの母親は『うちの米はいい米なのに、他のと混ぜるなんて』て文句言ってたよ」


ここで一度降車して休憩。場所は白市駅。広島空港行きのバスの停留所が目の前にある。タクシーが複数停まっているが、乗る人間は一人もいない。傷ひとつない無人の改札を通り抜けると、空っぽのタクシーはどこかに走り去っていった。

「酒屋でもないかなと思ったんだけど」

トイレから戻ってきた男はつぶやいた。酒屋どころかコンビニもない。駅を出て右に少し歩いた場所に古い自転車屋があるのみだった。左には見慣れない機械があった。新聞の自動販売機だった。こんなところで誰が新聞を買うのだろう。七つ、八つの新聞社の朝刊が丁寧に横たわっている。待合室に腰掛けると、飛行機ダイヤ専用のモニターだけが、何も知らされず、変わらない顔をして普段通り働いていた。国内線、国際線。国内線、国際線。

 

 白市駅から次の乗り換えまでは、30分ほどかかった。北九州の若松と似た雰囲気の町、糸崎。ここから少し辛抱すれば、今回の目的地である岡山にようやくたどり着く。

「この町はどういう産業で成り立ってるんだろうね」と男は言う。

この駅は分岐点らしい。乗客は全員降りて、岡山方面への電車を待つ。後ろには、広島方面行きの電車の中で発車を待つ者が数人いた。ひしゃげたサンドイッチを、手を汚さないようにして食べるのは難しい。そうこうしているうちに、黄色い電車が近づいてきた。私はゴミ袋を右ポケットに突っ込んで立ち上がった。

 

 日差しが当たると、眩しいし暑い。でも、日陰に座ると肌寒い。ちょうどいい座席を探しながら二本目のペットボトルの蓋を開けた。流れる道路と海を眺めていると、暇そうなクレーンが手ぶらで立ちつくしている。尾道だ。白市駅のモニターが見たらきっと怒るだろう。

まどろみが隣に座った。なんだっけ、写真を介してワープする話。写っている場所だけじゃなくて、その写真を撮った日時までにもワープできる話。いやそんな話なかったかもしれない。なんでこんなこと思い出したんだろう。水平線に向かって高速で走っているような感覚が、一瞬で移動している感覚のようだからかな。もう何の音も聞こえない。

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 目覚めると、私は見慣れない街にいた。そして自分は電車ではなくタクシーに乗っている。「高梁川」と書かれた看板が遠くに見える。

 

「どちらまで」と鏡越しに運転手は尋ねる。

「円通寺ってあるでしょ。そこの下のほうに高運寺っていうお寺があって、そこのお墓まで行きたいんですけど」

「ああ、あの右手のほうのね」

運転手は一瞬、間を置いて理解したようで、声が少し高くなった。

「そう。で、その前にどこかで花を買いたくて。すぐ近くの商店街の花屋ってまだやってますか」

「う~ん、商店街の花屋…いや、今はもうないですね。少し回り道になりますが、別の花屋ならあります」

「じゃあ、まずそこに寄ってください。」

「わかりました」運転手はシートベルトを締め、滑らかに車を走らせた。

 

「7、8年前にも来たんですけどね。もう当時と全然違う」

「ああ、そうでしょうね~。このへんの店は全部新しいですから」

「あのバイパスなんてずっと工事中だったのに」

男が指さす方向では、列をなした大型トラックが行き交っていて、電車のようだった。

「ああ、そんな前に。どちらからいらしたんですか」

「九州です」

「九州から!そうですか。それはよいことです。」

それはよいことです、なんてセリフを言う人間が本当にいるのかと少し驚きながら、私は会話を聞いていた。

「そこの花屋に寄りますね」

運転手は慣れた手つきで駐車し、私たちの買い物が終わるのを待っていた。私たちは小さな墓花を二輪購入した。

 

「うちはもともと玉島で酒屋をやってたんです」

「酒屋さんですか。へえ~そうなんですか」

「事情があって九州に移り住んだんですけどね。墓石だけは残ってまして。ずっと玉島でそこの墓守をしてくれてる家の方にも挨拶しとこうと」

 

寂れた商店街をしり目に、タクシーが短い橋を渡ると、道路が急に狭くなった。橋の近くにある水門が印象に残る。

「さっきのが墓守の人の家だよ」

もっと早く言ってくれよと思いながら慌てて後ろを振り返ると、かつてタバコを売っていたことが想起されるような造りがちらりと見えた。

「行けるところまで行きますね」

タクシーは速度を落とした。タイヤがバチバチと音を立てながら小石を踏む音を靴の裏で感じながら、車が一台ようやく通れるほどの急な坂を上った先にあったのは、「本覚寺」という寺だった。違う寺じゃないか、と思ったが、

「ここでいいです」と男は答えた。

 

タクシーが来た道を戻るのを見届けると、男は持ってきていた空のペットボトルを蛇口の水で満たし、本覚寺を抜けて、さらに上に続く坂道を上っていった。

「こどもの頃は、今の墓守のひとのお父さんが水を運びながら『こちらです、こちらです』って言って案内してくれていた」と、幼い頃の記憶を語った。

坂道を右に曲がると、棚田のように墓が並んでいた。

 手前に、他の墓よりも少し広い、例えるならゼミ室ほどの広さの墓地があった。中心に1つあり、それを12の墓が取り囲んでいた。中心の墓の裏には、男の祖父母の名が刻まれていた。

「枯れてる花を全部回収して、脇に置いといて」

男はそういうと、中心の墓周辺の雑草を抜いた。ある程度抜くと、カバンからライターと線香を取り出し、風が当たらないようにしゃがみ、火をつけた。

私は枯れきった花をひとつずつ集めながら、墓に刻まれた文字を追った。風化してほとんど読めないものがほとんどだったが、「文久」や「南分家」という文字は読むことができた。後で調べたが、文久とは18611864年の3年間のことらしい。「南分家」は文字通り南の分家の墓だろう。12の墓のうち、3つほどは地面から私の膝の高さほどしかない、とても小さな墓だった。子どもの墓だろうか。

 

「墓石だけが残ってるだけで、骨は下関に移した。でも骨を移すとき、おじいさんのだけ見つからなかった。どうしようかと思ったけど、『おじいさんは西大寺(岡山市)の人だから、ここから離れたくないのだろう』という話にして、ここの砂を代わりに持って帰った」

そう語りながら、男は花を手向け、線香を1本、そっと寝かせた。男はしばらく手を合わせたまま首を垂れていた。その後、周りの12の墓にも1本ずつ、線香を寝かせながらそれぞれに手を合わせた。私も同様に手を合わせた。

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「このあたりまで、昔のウチの土地だったみたいよ」

「あの真っ黒いのは?」

「あれは、醤油屋。昔からあそこにある」

「この武田酒店も僕が子どもの頃からある」

「ああ、たしかここは昔の商工会議所だ」

墓守の家に向かって帰りの坂道を下りながら、男は町の説明をしてくれた。ゆるやかに曲がった道を歩いているあいだは、とてもワクワクした。清々しいまっすぐな道もすっきりして気持ち良いが、この町のように、曲がりくねってねじれた道も好きだ。住民が談笑している横を通りすぎると、水門があらわれた。

 

「うーん、いないみたいだね」

墓守は留守だった。何度か戸を叩いたが、反応はない。事前に連絡していると思っていたので、残念だった。

「ここは水門の管理をしながら、昔は氷と秤も売ってた。タバコも」

水門の管理という仕事が、全くイメージできなかった。役所の仕事だろうと思っていた。

というか、会えなかったことがとても残念であまり説明が耳に入らなかった。どうにか明日か明後日で会えないだろうか。墓参りと明日の図書館以外に予定は組んでいないし……

2021年11月10日水曜日

【イベントのご案内】東アジア文化麺類學会

 🍜イベントのご案内🍜






東アジア文化麺類學会


・日時・

11/17(水)18:00-20:00 【中国の文化麺類學】

ゲスト:林卣、趙佳楠(盛青 中華料理)


11/23(火) 10:00-12:00【日本の文化麺類學】

ゲスト:田中幹哉(文化麺類學研究所所長)


・会費・各回500円

・定員・20名

・応募方法・下記応募フォームに記入してください。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSd7wMSOcFl5XTiQkSEjDfF44JXhot-iqtpIKpeE7yAat_M_Kw/viewform


ー東アジア文化麺類學会とはー

東アジアの人々の生活と麺食の関連について研究し、麺食文化を通じた異文化理解と文化交流を目的として開かれたものである。学会では、私たちが日頃から親しんでいる麺食について学術的な知見から知識を深めることができる。さらに、東アジアの多様な麺を実際に食べてみることで、異文化理解における実践的な学習の場となる。記念すべき第一回、第二回の開催地は北九州の台所とよばれる「旦過市場」でおこなわれる。歴史的な食の中心地である旦過市場で、麺職人である2人が選りすぐりの食材を見繕う。参加者は特別な一杯を味わうことができるだろう。


ータイムスケジュールー

11/17(水)

18:00 林卣と田中幹哉による対談

           麺発祥の地・中国の麺文化事情について対談する。


19:00 刀削麺の製麺実演と実食

   茹だる鍋の前に特殊な包丁を使って生地を削ぎ入れる

   刀削麺の製麺実演。麺を長く均等に削るには高い技術

   が必要である。

   北九州でこの技術を見られるのはここだけだ。


20:00 終了



11/23(火)

10:00   田中幹哉による調査報告

    2019年度に各地で調査した日本の麺文化事情につい

    ての報告と今後の展望について講演する。


11:00    うどんの製麺実演と実食

    旦過の惣菜(ぬかだき、かまぼこ、天ぷら等々)と相乗

              効果を生み出す「大學うどん」を製麺実演する。


12:00   終了


         


ーゲストプロフィールー


林卣、趙佳楠(Lin You,Shu Kanan)


小倉南区霧ヶ丘にある「盛青 中国料理」を夫婦で営む。

料理長である林卣は湖南省出身。趙佳楠は四川省出身。湖南料理だけでなく、四川料理や広東料理もベースにしている。その香辛料をふんだんに使った作品は知る人ぞ知る逸品で、スパイス好きを魅了している。2020年3月に大學堂でおこなわれた第0回文化麺類学会「旅するトウショウメン」では、

刀削麺を削る正確かつ美しいナイフ捌きで会場を沸かせた。


田中幹哉(Tanaka Mikiya)


文化麺類學研究所所長。北九州市立大学では古典文学を専攻。2018年に「北方うどん」で修行を積み、大學堂で手打ちうどんを不定期販売している。手打ちうどん専用の小麦粉を使用し、何度も折り踏みを重ね、一晩低温で熟成させる。

水回しから切りまで全ての工程で機械を使わない本手打ち麺である。もちっと歯切れの良い中細麺は、だしの絡みも良く食べやすい。旦過中央市場で仕入れた鯖節、ウルメ節、羅臼昆布をふんだんに使用した出汁は、後味さわやかな旨みだ。


2021年11月8日月曜日

奥能登国際芸術祭2020+撤収

 奥能登国際芸術祭の撤収作業

参加したのは、北九州からカエル、ポール、ハツメット、ちくわ、ダダ、きぞく。岐阜からモコ。

11月3日に出発して、11月8日の朝に北九州に帰ってくるスケジュール。5日間あるようで、実質2日間しか奥能登にいない。夕方からフェリーに乗って翌日の午後に到着する。撤収のためのトラックときぞくカーで移動。

でも、荷物の積み込みの時間に、みんな遅刻。おかわりやナカタネやカリーに手伝ってもらって荷物を積む。

ゼントタナン


米原でダダと合流して、上黒丸へ。

できあがらないチラシ。オンラインのゼミ。夜の宴会の時間にはじまるミーティング。いろいろと雑音も多い。

ノイキャンホシイ



おかえりと言ってくれる人がいる。作品との再会。かやを使った雪囲い作りに飛び入り参加。“男結び”ができれば、何でも強く縛ることができる。








他の作品を見に行ったり、ナカセさんやサカマキさんと打ち上げしたり、地元のみなさんが打ち上げしてくれたり、マエダさんとタバタさんが打ち上げしてくれたり。

キノドクナネ




作品との別れ。お久しぶりのモコ。雪つりをして、冬越し。




2021年10月30日土曜日

ブリブリブーリー

 トマトが海に行きたいというから、そろそろ今年の海も最後かなと思いながら時間をとった。折り悪く小笠原あたりにある台風の影響で東風が吹き、予定していた海は無理そうだったので、急遽行き先を変えた。西風が吹き始めるいつものこの時期には使わない海岸だ。風下の沿岸には小魚の大群が集まり、それを追って回遊魚が入り込んでいた。


ブリの群れに囲まれた。水中カメラは持ってきたけど、こんな時に限って陸においてきてしまった。


一撃必殺。


お約束のにいなは味を裏切らない



一匹の魚で14人が満腹というのはさすがにすごい。



2021年10月25日月曜日

夜の虹

 人間はさまざまな光を放っている。ひとつの色ではなく、まるで虹のようにあいまいで連続性のある光だ。フィールドで人に出会う事を仕事にしている人類学者にとって、相手と対面するということは、社会を知るための何よりも大切な手がかりである。社会や共同体は、決してあらかじめ与えられた制度ではなく、そうして出会ったそれぞれの人間の関わりの先にあると人類学者は考えている。だから野に出る。


映像や文字の中で表現されている人は、どこか切り取られ、誇張され、美化されたりすり替えられたりしている。これはもちろん表現する人によるバイアスもあるが、カメラやマイクを向けられた本人がそう演じることもある。

でも実際に出会った人間は、およそそんなものではない。怒ったり、悲しんだり、焦ったり、不安をのぞかせたり。言葉することができないなにげない表情や仕草から、わたしたちはその人のことを生々しく理解していく。

おいしいものを食べてお酒を飲み交わしながら、前回の講演と今回の講演あわせてなにか本を作りたいなと思った、できれば小さな映像作品もつくりたい。

3日間という限られた時間の中で、野研の学生たちも講演者たちも、お互いにいろいろな話をしたし、ふだんは見せない姿をみせあった。それをぜひたくさんの人にも伝えたいと思う。

喜んだり笑ったり歌ったり、映画やニュースや本の中ではなかなか見えてこないそんな今のリアルを記録に残したい。そこから、社会や制度ははじめからそこにあるのではなく、それぞれの人間が動かしているということを多くの人に知ってほしいと思う。


2021年10月4日月曜日

紫川でスタードームを立てました。

 


1

暑さもすっかりおとなしくなった秋のはじめ、クマが水を飲んでいました。背後から、かわいらしい声が聞こえてきます。

「おかあちゃーん、まってよう。まだあそびたいよう」

「もう日も暮れるから、いま水飲んどかないと知らないよ」

「よるでものめるじゃないか」

「夜はだめ。ニンゲンが私たちを殺しにやってくるからね。クジラさん、イルカさん、生きとるかい」

目の前に二つのふくらみがむっくりとあらわれ、弾けると、イルカとクジラが顔を出しました。イルカが高い声で答えます。

「あいよ。まあ、昔ほどビクビクせんでも良いんでねーの?俺らを食うモノ好きはそうたくさんおらんて」

「お前たちはそうかもしれんが、俺たちはまだ追われる身だかんな。かんけーねーみたいなツラせんでほしいわ。」

イルカを睨みながらヒツジが川岸にやってきました。そばで会話を聞いていたヤギとオウシが後に続きます。

「あいつらどこまでも追いかけてくるからな。ドラゴンのジジイがひと暴れしてくれりゃいいけど、あのご隠居、まったく顔を出さんもんだから、ニンゲンはジジイの存在すら忘れちまってるよ」

「こないだも、昔のニンゲンたちがジジイへの謝罪の気持ちで建てた小屋をひ孫あたりのニンゲンが壊してたよ。何がしたいんだろね。」

「ああ、あそこなら今はデッカい鉄の棒が突き刺さってるよ。俺が首をまっすぐ伸ばしてもテッペンまで届かなかった」

キリンが草をハミハミしながら答えます。

「おれはお前たちがそこまでニンゲンを嫌いになる理由がわからんのだが。」

こう切り出すのはツルです。ずっと黙っていたワシも呟きます。

「おれもわからねー。けっこう大切にしてくれるニンゲンもいるし。ホウオウのおじいさんなんて、ニンゲンたちからは敬われてるよ」

ヤギがムッとして答えます。

「ノーミソ小さいやつは楽しかったことしか覚えとらんからな。だいたい、ニンゲンはやたらお前らを神聖視するくせにニワトリは平気で焼き、カラスには汚いと言い、ひどい差別をしとるとは思わんか?」

「うーん。でもまあ、この界隈にニワトリもカラスもいないし…あんま関係なくない?」

「ちょっとまて。脳ミソ小さいって言ったのはお前か?出てこい。その妙な目ん玉ほじくってやるよ」

普段は温厚なハクチョウが珍しく喧嘩腰です。ヤギはせせら笑いながら答えます。

「おまえのくちばしじゃスコップにもならん。ワシなら話は別やけどな。」

ワシは沈黙し、じっとヤギを見つめます。

「…しょーもな。やめようやこんな話。この秋の時期しか俺らこうして美味い水飲めんのやし」

するとそのとき、イルカが大慌てで皆に呼びかけました。

「まずい!!いま、ニンゲンの子どもが上流の方角にいる!サカナからの情報だから間違いない。ニンゲンはいま、トカゲで遊んでる」

「こども?こどもって、ぼくとおんなじってこと?」

コグマが目を輝かせます。

「バカ。ニンゲンは子どものほうがタチが悪いんだよ。逃げるよ!」

オオグマはコグマを急かし、他の動物たちも大急ぎで逃げていきます。このとき、オウシが誤ってコグマの尻尾を踏んづけてしまい、ぷちんと切れてしまいました。

「痛!」

「すまん、坊主。でもいまはとにかく逃げるぞ!」

 

動物たちが大移動をおこなってから数時間後、命からがら脱走してきたトカゲが一息ついています。

「マジに死ぬかと思った。あそこで逃げてなかったら完全に終わってた……皆逃げたか。そりゃそうか。」

さて、どうするか…とトカゲが小石に座り、切れた尻尾の付け根をさすりながら考えていると、コグマの尻尾が転がっているのが目に入りました。

「ヘッヘッヘ。こいつをくっつけて……あほらし。こんなことやっとる場合じゃないっちゅうに……」

トカゲはコグマの尻尾を川に放り投げました。見下ろすと、それは深い紺色で、底にはきれいな小石がいくつも転がっていました。そのなかを、尻尾がゆっくりと沈んでいきます。ゆっくりと……

 

2

俺が依頼を受け、この地に赴いたのは1週間前。日が暮れると海中から発生する謎の光の原因を調査してほしいというものだった。

調査の対象となる水域一帯は、200年前までは陸地だった。人々は現在とは全くことなる生活を送っていたことは事実のようだが、海に沈んだ原因が宇宙人の来襲というのは信じ難い。200年前といってもぎりぎり2000年代だ。科学的なデータが残されているはずだ。ボスにこのことを報告すると、「うちはオカルト研究所じゃないんだ。さっさと潜って調べてこい」と小型の潜水艦を支給された。ボスはこれを「海底軍艦・弐式」と呼んでその性能にたいそう自信があるようだが、軍艦なんてとても呼べたシロモノではない。型落ちでつぎはぎだらけのオンボロである。これに乗るときはいつもヒヤヒヤする。

さらに、今回の調査は妻のカナ・娘のアヤコも一緒だ。「家族みんなで海底ツアー」なんてちっとも楽しくない。家族みんなで行くなら山だ。山しかない。そもそも危険なこの仕事に妻と娘を連れていく気など皆無だが、アヤコがどうしても行きたいと言うので断ることができなかった。その理由は、アヤコの日々の生活にある。

アヤコは生まれてから今日までの5年、全く髪の毛が生えてこない。もちろん病院に連れて行ったが、原因ははっきりしないままだ。医者から「ストレスでは?」と言われたときはショックだった。仕事柄ほとんど家に帰らないので、アヤコに寂しい思いをさせているのは本当だ。心のどこかで娘のわがままを聞きたい気持ちがあった。

 

潜水艦の動作確認をおこない、緊急時のための脱出ポッドも整えた。日没と同時に海に潜り、光の線をまっすぐ追いかける。機械の駆動音が響くたびにアヤコはカナの膝の上で大はしゃぎだ。

光の起点は意外にも早く見つかった。それはまるで古墳のような塊だった。半球の黒い塊が4つ隣り合わせで並び、1つは少し離れた場所にある。これらの塊の中心から強い光が放たれている。潜水艦に備え付けてあるカメラで撮影をしながら作業用アームで慎重に塊を崩す。見た目に反して、塊は簡単に崩れた。間近で見るために大きなカケラを1つ取り寄せると、驚いた。それは竹であった。いくつも重なった竹にゴミや泥、砂などが固まり、硬いドームを形成していたのだ。そして、肝心の光源はさらに驚くべきものであった。

 

それは観音像であった。苦しい、今すぐここから出してくれといわんばかりに輝いている。思わず操作する手を止めた。まさか観音様が海の底で竹のドームの中で光っているとはだれも考えないだろう。ふと我にかえり、急いで他の塊を崩し、中の観音像を全て回収した。いったいなぜ……?

アームを収納し、上昇をしようとしたそのとき、潜水艦の天井が大きくへこんだ。まさか。水圧に負けるようなものではない。では何だ。あらゆる原因を考える間もなく、その原因は姿を現した。巨大ウツボである。ここの番人だろうか。観音像を取り返そうとでもいうのか。ウツボは潜水艦に巻きつき、押しつぶさんとしている。俺はカナとアヤコをポッドに押し込み、体の小さなアヤコのポッドには5体の観音像も一緒に入れた。脱出スイッチを押し、ポッドが射出される。救難信号が発信され、ここから少し離れた海面に浮上するだろう。アヤコと観音像を乗せたポッドから漏れる光が次第に小さくなっていく。

艦内に警告音がこだまする。頼りない武器だが、これで勝つしかない。最低限搭載されている海中ミサイルや爆弾の射出スイッチに手をかけ、正面モニターを睨む。奴が大きな口を開けてまっすぐこちらに向かってくる……

 

3

「あーちゃんさ」「髪キレイだよね」

「笑笑」「なんもしてないけどね笑」

他愛無いラインのやりとりが毎日の楽しみ。とくに親友のヒナとはほぼ毎日、ずっとラインをしている。自慢ではないが、私はよく人から髪を褒められる。とくに気を配っているわけではないのだが、ヒナいわく、「すごくツヤツヤしてて、ぶっちゃけエロい」そうだ。毎晩部屋の窓から望遠鏡で夜空をのぞきながら返信を待つのが、私の夜のルーティーンだ。

去年高校に入学した私とヒナは一緒に天文部に入った。けど、アクティブなヒナは1か月もしないうちに退部し、いまはバスケ部にいる。なかなかレギュラーになれないらしい。私はというと、天文部に入部してすぐ、部長が「北極星(ベガ)が消えた!」と大騒ぎして「まさか」と思っていたら本当で、一時期世界中にそのニュースが流れたことがきっかけですっかり星を眺めることや宇宙のことを考えることが楽しくなっていた。髪を褒められるようになったのは、このニュースが落ち着き始めた頃のある日の夜、ある夢を見てからのことだ。

あれはたぶん秋のはじめだったと思う。しんと静まりかえった夜中、私はベッドの中で眠る私自身を見ていた。その状況に何も違和感も抱かずしばらく見ていると、横たわる私の上に、ぽうっと光が浮かんだ。やがて光は輪となり、その中心に観音像が現れた。

 

「お久しぶりですね。おぼえていますか」と観音像は尋ねる。

「どこかでお会いしましたっけ。覚えてないです」と平然と眠ったまま答える私。

「それもそうでしょうね。あのとき、あなたは泣き疲れて眠っていましたから」

「あのとき?」

「あなたが5歳のときのことです。あなたは私とともに小さく、狭い船に乗っていました」

「船?」

「わたしも、あなたも、そしてあなたのお母さまも、命の危機に瀕していました。それをあなたのお父様が身を挺して救ってくださったのです。本来なら恩人であるあなたのお父様もお守りするはずが、私どもの力が弱まっていたことで海の獣を抑えることができず、そのまま……」

「なにいってるの。お父さんもお母さんも元気で一緒に暮らしてます。なにかの間違いじゃ」

「そう。こちらの地球では、あなたはご両親とともに暮らしている」

「こちらの?」

「あなたとお母さまが船で海の中を進んでいるとき、わたしは考えました。絶対にこの2人は救わねばと。そこで思いついたのが、地球そのものから抜け出すことだったのです」

「???じゃあ、いま私が生きているこの星は」

「正確に言うと、当時の荒んだ地球から抜け出し、遠い未来の平和な地球に向かったのです。その途中、お父様のかねてからの願いを叶えるために、あなたに美しい髪を授けました」

 

もう、なにがなんだか分からなかった。タイムスリップしたということだろうか。

「そしていま、北極星のベガが輝きを失っています。時がきたのです。私たちは元の地球に戻らなければなりません」

「勝手なこと言わないで。私の今の暮らしはどうなるの。部活とか、ヒナとか、どうなっちゃうの」

「残念ですが、これは変えられないのです。私は主の元に帰り、ポラリスとして光を放つ役目があります」

何をいっても聞き入れてもらえない。そして観音を従える主とは、何者?

「もう幾日か経てば、星たちが孤を描きはじめ、北極星への道が開かれます。元の世界に戻るのは、そのときです」

そういうと、観音像は消えていった。次の日、私は高熱を出して一日学校を休んだ。観音像と言葉を交わしたことで肉体に変化が生じたのか、熱が引くと、私の髪は艶を増していたのである。

 悪夢の日から1年も経たないうちに、観音像が言った「そのとき」はやってきた。風呂上がりに夜風を浴びていると、近所の海面から一筋の光が北極星の方向に伸びるのを見た。それを軸にするように夜空の星がぐるぐると超高速で回転し始めたのである。

「ついにきた」

髪も乾かないうちに、サンダルを履いて自転車にまたがって漕ぎ出した。あの自分勝手な観音像をぶん殴ってやる。

「アヤコどこいくの!」

母の声も聞こえなかった。何重もの円が描かれた夜空は怪物の眼窩のように空虚であった。

 

最終部

「残念でしたね」

惑星間高速鉄道の先頭車両から地球を眺めるポラリスに、イルドゥンが声をかけた。

「やはり、未来に飛ぶのは間違いだったのでしょうか」

「正直、彼女の性格を見ると未来に飛ばずとも、あの地球で生き抜くことはできたと思います」

「私はそもそも彼女を信じていなかったのでしょうね」

「自分を責めないでください。ポラリスは何も悪くありません。しかたのないことだったのです。そもそも我々が主と離れてしまったのは事故なんですから。誰が悪いという話ではありません。言い方を変えれば、みんな悪いのです。」

「それでも私は彼女を連れて行きたかった。私の手で守りたいと思ってしまった。」

「だから、自分と同等のものにしようとした」

「そう。彼女の髪を私たちと同じものにしてしまった。あれは人間には刺激が強い。周囲の人間を惑わせ、彩り豊かな人生の代償として破滅を招くでしょう」

「自分を責めるくらいなら、その後ろめたさを忘れないでいてください。」

「いちど芽生えた罪の意識は消えない。生死の垣根をこえても消えることはない。12000年の時を経ても消えない。人も、人でないものも」

「その罪の意識を皆で分け合いましょう。」

 

 あなぐらで、クマの親子が眠っています。

「おかあちゃん、おきて」

「ん?なんだい、まだ寝る時間だよ」

「おしりみて、おしり」

「おしり?」

「しっぽはえてきた」

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101日からリバーウォークの紫川沿いでスタードームを立てています。夜になれば電気がつきます。ずっと直視するのが辛いと感じるほど強いライトですが、星の部分に布を張っているのでとてもキレイです。特に赤と青のドームは雰囲気あります。作業中、子どもやカップルがドームの中で遊んでくれました。普段はドームで遊ぶ人たちの反応があまり分からないので、今回は僕もけっこう楽しかったです。

作業中、「眩しい」と思ったとき、むかしばなしの「髪長姫」を思い出しました。また、スタードームということなのでどうしても「星」は外せないだろう、と。ジグザグに並んだドームを見て、これは「星座」だろう、と(安直だよなあ)。星座と髪長姫とドームを結びつけたらこうなりました。あと、ウツボの顔は怖い。何考えてるか分からない恐怖。最後に、2回目ワクチンの副反応しんどい。倦怠感。

2021年8月3日火曜日

紅茶のテイスティング


野研ではいま4ヶ所の茶園から茶葉をつみ、自分たちで紅茶をつくっています。先週作ったばかりの犀川帆柱茶を加え夏の紅茶が出そろったので、5種の茶葉のテイスティングをしてみました。基準としたのは、ハードルが高すぎだけど沖縄ティーファクトリーの「月夜のかほり」。まずはすべてブラインドで試飲してみました。



さすがに「月夜のかほり」は、土のような枯れ草のような、沖縄の赤土の特徴あるテロワールが表現された、複雑な味わいです。ブラインドで試飲しても一番の人気でした。しかしわたしたちの紅茶も負けてはいません。

アロマ豊かなおかわり茶園の春摘み茶は、水色も明るくさっぱりとした飲み口です。春に飲んだときには、もっと強烈な香りでした。ビンビン茶はほんのり甘味が残る後味、雑味も少なく飲みやすい。そして最後につんだ犀川帆柱茶は、しっかりとタンニンがでて力強い味わい。これこそ夏のお茶です。ぜひともミルクにあわせたい。同じ茶葉でも、製茶のしかたで味が変わる。そこがまた面白い。


テイスティングの後は、しぼったばかりのニホンミツバチのハチミツを入れてたっぷりいただきました。贅沢な時間です。