2022年6月19日日曜日

鎌倉道

 先日、この山之村の地形はカルデラかもしれないと思っていたが、むしろこのあたりの地層は中生代のものであり、プレートの活動で押し上げられた大地のようだ。カミオカンデを設置するくらいなのである程度安定した地質なのかもしれない。閑人堂さんから指摘を受けこのサイトを紹介された。
https://gbank.gsj.jp/seamless/



さらにこのあたりの地形や街道について、服部英雄さんに、著書の「峠の歴史学 古道をたずねて」を紹介してもらい、読了した。失われた古道。集落の成り立ち。谷道と尾根道の論考。歴史学と地理学と民俗学が混淆した、とてもエキサイティングな本だった。こういう歩く歴史学は大好きである。
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=8359

この本によると双六川から山吹峠を経て山之村に抜けるルートは、かつて北陸と鎌倉を結んでいた鎌倉道であるという。道は山之村の高原を横切り唐尾峠をぬけ有峰道から富山に抜ける。

交易のための表街道が神通川の本流のルートだとすれば、鎌倉道は、単なる街道ではなく軍事的な意味合いもある、いわば裏街道である。

こうした道は谷筋ではなく尾根筋を走ってることが多いという。なぜ尾根道かというと、輸送のために使われた牛は、谷(橋)を怖がるためだという説明されている。なるほどなと思う。

たしかに谷道は高低差はないけれど、難所が多い。尾根を上手につなぐことで時間がかかっても安全なルートができる。正確な地図もなく、土木技術も十分でない時代に、その土地を歩いている人が経験を重ねて道を作ってきた。古人が何を考え、どこに道を作った、その思いに触れる優れた探求である。

実はこの本には、旦過のことも書いてあり(別の本では読んでいたがこの本は知らなかった)、そちらもとても興味深い。服部さんには、ずっと以前からお会いしたいと思っており、かつて学生を送り込んだこともあるが、まだ私自身は直接の面識はない。熊本図書館に行けば、いつでも会えると思っていたら退官され、この頃はまたいろいろと飛び歩いているご様子。近いうちにお会いしたいと願っている。

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