2022年6月28日火曜日

ここ一週間の出来事

 

「遠くの親戚より近くの他人」とはよく言ったもので、先人の言うこともあんまりバカにできないなと感じるこの数年。

 

月曜日:新保さんライブ「MERODY

 1枚のシャッターだけを半分ほど開けた大學堂の中で、はじめてこの曲を聞いた。ちくわと新保さんが互いにペースを合わせながら練習していた。新保さんの隣にいた小籠包は何かのメモか楽譜かを眺めていた。ライブをより楽しめるように歌を覚えようと、家に帰ってこの曲を繰り返し聞いた。しばらく聞いていると、この曲はアルバムに収録されるたびに歌詞がところどころ変化していることに気づく。

 

ライブの後に新保さんに歌詞のことを尋ねてみると、「何回か変わってる。でも自分は今日歌った歌詞が一番、心にくる」と笑っていた。頼まれていた写真と動画を撮ったスマホを渡すと、「ありがとう、明日見るけ。恥ずかしいけ」と照れながらポケットにスマホを滑り込ませると、ダダのほうに歩いていった。



ポールたちが作ったカレーを皆で食べながら、軽く打ち上げをした。ドロンチョと小籠包のネギ味噌の試作品や、スモモも食べた。

 

火曜日:ダッチと過ごす火曜

お客さんがいない時間帯、大學堂ではやることがない。本やパソコンでも持って来いよと言われそうだが、人が行き交う音が聞こえる環境で本なんか読めない。まして畳の上に何時間も座ってパソコンで何か書くことなんてとてもできない。家でできることは家でやりゃいいや、と思ってしまう。カバンが重くなるのもイヤ。

そんなんだから、最近は新保さんや庭田さん、ダッチさん(三天堂の伊達さん)とばかり喋っている。新保さんはいつも笑顔で話してくれるし、庭田さんはときおり、「これとっといたんよ」と厚めに切ったお刺身を値段はそのままで売ってくれる。

この日はタワシが買ってきたバジルギョーザ(皮が緑色!)を食べた後、またやることがなくなったので、ダッチさんと話す日になった。ダッチさんは子供の頃は門司港に住んでいたらしい。バジルの香りがまだ鼻腔に居座っているのを感じながら、岩田さんから聞いたかつての門司港の様子を確認するような気持ちでダッチさんの話を聞いていた。

「キャバレー、ありました。よく知ってますね。映画館もあって、老松公園も人がいっぱいいてね」

「外国船が港に着くでしょ?そこから荷物をおろすときに、どんな荷物が何個運ばれているか、検数をしてたんですよ。ターリーマンていうんですけどね。人が1000円もらっているようなときに4、5000円ぐらいもらってましたね。だから1週間も働けば、それなりですよね。良いバイトでした」

「釣りもようけ行ってました。夜になったら、古城の山の頂上で友達とラジオとか聞いてました。」

「小倉も賑わっててね、旦過の魚屋さんとか、仕事着のままキャバレーとか行くんですよ。長靴のままで。向こう(旦過の駐車場側)には韓国料理屋が2軒あってね。青年部でよく食べに行ってました。今でも残ってたら、あなたたちも行ってますよ。その頃のことを覚えているのは、あそこのくじら屋さんとかですかね」

「この年になっておもうのは、日々の小さな勇気ですね。ほんのちょっとした勇気ですよ」

 

水曜日:ミッドサマーパーティ

 ポールと小籠包が好きだという映画になぞらえて、中庭で夏至を祝った。白い服を持っていなかったので薄いピンク色の服を着ていくも、「真っ先に死ぬやつ」の服だと言われてしまった。不服である。

 今回は揚げ物メインというのに油がないときたもんだから、ゼミの前に買い出しに出かけた。道中で小籠包から聞いた三浦綾子という名前。塩狩峠を書いた人であることを後で思い出した。後日、著作の「ひかりと愛といのち」をパラパラと読んでみると、「罪」についてのたとえ話が目についた。

 

ABという二人の人物がいる。Aには大きい石を、BにはAの石と同じ重さになるぐらいの量の小石を持ってくるように言った。二人が石を持ってくると、今度は持ってきた石を元の場所に戻すように言った。Aはすぐに戻すことができたが、Bはどの小石をどこに戻せばいいのかさっぱりわからなかった。」

 



 小籠包の「Skål!」の掛け声とともに宴が始まった。各地から贈られた美味に舌を鳴らし、ミッドサマーに負けず劣らずの妙チキリンな映画を見た。一本目は「ファンタスティック・プラネット」。これは確かユカワが推していた映画だ。ハナアルキや平行植物が登場してもおかしくない雰囲気で、伊藤潤二が温かい作品を描いたらこんなふうになるのではと考えた。

少し寝不足だったためか、二本目の映画の途中で離脱してしまった。つかの間の晴れの日の夜。いつもより人が多い気がして楽しかった。また映画を見る機会があれば、「マタンゴ」や「ゼイラム」「海底軍艦」を見たい。まだ本編をきっちり見ていない、「美女と液体人間」や「宇宙大怪獣ギララ」なんかも。

木曜日:和菓子屋に行こう

 来たる日のイベントの相談のために、若園の中村屋へ足を運んだ。今回はスシオとアマゾンも一緒にいる。

イベントや二人のことは告げずに「相談があるんですけど」とだけ電話をして店に行ったのは、中村さんを少し驚かせたい気持ちがあったからだ。相談といっても深刻なものでは全くない。ひとりで行ったって良かったし、わざわざ店に行かずとも電話で済ませられる内容だ。しかし……。

 

メールに「行く」という返信があったときは嬉しかった。学校以外ではなかなか会えないから尚更だ。

「お茶と一緒に出すお菓子だったら、こういうのがあって…」と商品の説明をする中村さん。その商品を飾り窓越しに見つめながら、

14周年らしさ、という感じを出したくて…」「このお菓子のデザインをこういう風に…」

と自分の言葉で要望を伝えるスシオ。スマホを取り出してデザインの参考にしていたお菓子の画像を見せる。初対面でたどたどしかったのはほんの少しの間で、会話の応酬がしだいに息づいてくる。

 お菓子の話が一通り落ち着くと、中村さんから「北九州高校の生徒がパレードに興味を示している」という話を聞いた。かつて若園の中で探していたような、若ワク会でもエイト会でもない人たちだと考えると、少しワクワクした。ついでに、ひですけ餅をひとつもらった。

 

中村さんとの用事を終えると、向かいにある雑貨店「NONNA」に行ってみた。久しぶりに会う畑さんは、ふたりの友人とお茶を飲みながら話に花を咲かせていた。

ときおりひばりが丘に住む近所の人たちとバーベキューをしていることや、孫と一緒に暮らし始めた頃に戸惑っていたことを聞いて、友人の方からはパレードの感想や、WinCへの期待の声を聞いた。

「正月とかに会うぐらいだった孫がいきなり家にやってくるわけだから、最初はどう接したらいいのか正直ね、分からなかった。ご飯をたくさん食べるから、これぐらいかな?と用意すると、『そんなに食べれん』って言われたりね」

若ワク会で食べた南蛮漬けを話題にすると、「おいしいかどうかは分からんけどね」と言いつつも嬉しそうにしていた。

 前回来たときと比べると、商品のラインナップが少し変わっていた。

「ちょこっとずつ買ってもらえるときがあるからね。普段はこうして井戸端会議みたいだけど」

前回見て気に入っていた胸飾りはまだ残っていた。白地に青い羽の蝶が展翅されているようなデザインだ。その隣の金色の胸飾りを手に取った畑さんは、照明が発する光をそっと受け止めるように、手のひらのうえで胸飾りをひねったり、裏返してみせた。

「これは淵の黒が少し強いの。全体的に黒みがかった金色だけどね。淵だけじゃなくて、中も少し違う金色を組み合わせているから、光の当たり方次第でちょっと見え方が変わるの」

スシオやアマゾンは革細工の小銭入れや、オリジナルデザインのTシャツの話を聞いていた。畑さんが雑貨をつくるようになったきっかけはTシャツらしい。アマゾンはお皿にも心惹かれたらしく、ふたつほど購入していた。そして、野菜までもらっていた。

 お茶とロールケーキをいただきながら話していると、時計の針は5時を指そうとしていた。挨拶をして店を出ると、大勢の人を乗せたバスが目の前に停まった。スシオがコンクリの壁に腰掛け、靴を履きなおしている。西日と蒸し暑さの強い1日だった。

 

金曜日:KASHIRANIGHT

 竹を収納するためのラックをダダとオカワリと回収しようとしたときに、スマホの画面に着信の通知が見えた。カシラからだった。翌日のラグビーの試合のために前乗りしてきたようで、良かったら大學堂でご飯を食べようというものだった。カシラの電話の前に、別の人から「一緒にパフェを作ろう」という全く気乗りしない誘いがあったのでこれを断り、大學堂へ向かった。カエルとテイクアウトの料理を取りに行き、その後背中に旗を刺したカシラとお酒を買いに行った。赤壁で買い物をしたのは初めてだった。メットとオカワリも加わって、カシラナイトが始まった。しばらくしてから、ドロンチョとキゾクもやってきた。



 馬のたてがみを食べながら、高田町の大蛇の話やミチコの話を聞いた。ガジロウの名付け親の話も。かつてレオ君や谷本さんがライブをしたときの写真も見せてもらった。いつからかドロンチョの写真の話になり、僕が写真を撮ると上手く取れずに変な写真になってしまうことを話した。

終盤で、ベイリーズミルクという普段なら飲まないようなお酒に手を出してしまった。これが間違いだった。身悶えするような甘さとアルコールのうねりにやられてしまった。

 

土曜日:田植え交流会

 4号館の前で、「吐くまではないけど、ちょっと気持ち悪い」というオカワリのセリフにウンウン頷いていた。雲行きも怪しかったせいか、少し頭も痛かった。この日は若宮でよしこさんたちと田植えをした。



田んぼでは横一列に並び、左からチクワ、小籠包、僕、地元の人、キゾク、オカワリ、地元の人…という並びだった。合馬での田植えでは苗の列がぐじゃぐじゃに乱れてしまい、今回も合馬のように統率のとれない苗の列が生まれた。見上げると、さっきまで前方に見えていた山がすっかり姿を消し、果ての見えない真っ白な景色が広がっていた。雨音だけが迫ってきていた。あっという間に大雨に打たれはじめた。雨粒の矢は泥に突き刺さり、僕たちの足元で瞬時に融合していったのだろう。

雨で手植えはほとんどできなかった。雨宿りをしているとき、すぐ横で昼食の準備が進められていた。結局、そのまま皆でコンロを囲むことになった。焼き肉のタレを少しつけたおにぎりを食べながら、鹿肉が焼けるのを待つ。その間、参加者と話して過ごした。小籠包は自身の名前の由来を説明していた。紙コップを金網の上に置いていたせいで、ホット・オレンジジュースを飲む羽目になった男の子とチクワが喋っていた。


濡れたケツを温める

バーベキューの最中、くじ引きの番号が書かれた紙が配布された。皿を小籠包に預けて紙を受け取りに行ったとき、日本共産党の田村孝昭議員の秘書の方から名刺をもらった。その方からは、食料自給率の問題や肥料の輸入問題などを聞いた。話の中で、家族に一番影響があるのはなんだろうと考えたとき、僕の答えは食糧自給率ではなく、インボイス制度だった。どうしても暗い気持ちになってしまうから、未来のことは考えたくないと思ってしまう。刹那的な、短絡的な心地よさに向かいがちになる。それではダメなのだけど。

周りから「おいしい!」という声が聞こえはじめた。はじめはなかなかコンロに近づくことができなかったが、しばらくするとカレーが来たり、おばあさんたちが「働いた人たちから、どうぞ」と場所を譲ってくれたので食べ損ねることはなかった。

鹿肉だけではなくて、キャベツやナス、ソーセージ、ホルモン、手羽先も焼いた。子供たちは「ソーセージまだ?ねえまだ?」と何度も親に尋ねていた。ホルモンは焼かれて、焼かれて、ギュッと縮むまで油を落として味が磨かれたものを二つか三つ食べた。鹿肉は大きなものを取ってもらったが、大きい故に嚙み切るのに苦労した。しかし苦労した分歯ごたえがあって満足できた。



食事の後は、農家の方がそれぞれ育てている野菜の直売会と抽選会が開かれた。僕はオクラを買った後、番号が書かれた紙を片手にどんどん当選していく人たちを眺めていた。チクワには野菜の詰め合わせ、小籠包には百花蜜、そしてオカワリには米が当たった。僕とキゾクにはカルピス・ザ・リッチが当たった。帰りの車の中で飲み干した。





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