2022年6月22日水曜日

大學堂のこれから

 まもなく旦過市場の大學堂が14周年を迎える。なんだかんだいって小倉に住み始めてからの時間の半分近くを、大學堂とともに過ごしていることになる。


久しぶりに京都を歩いて考えた。もし京都に大學堂や旦過市場があったら、きっととてもマニアックな観光スポットとしてもっと話題になっていただろうな。旦過市場の雰囲気も、大學堂でのイベントも、もし同じことが京都だったら、ずいぶんと状況が違っていたはずだ。




京都には、町家や古い店舗を利用した、カフェや小物店や本屋、ギャラリーやイベントスポットがたくさんある。立派な古民家の再生だけではない。リヤカーに乗せたテーブルだけの路上のカフェ。廃墟のような建物を改装した屋台。路地の奥のこだわりの古本屋。どれもそれなりににぎわっており、人が集まり、注目されている。


これはなにも観光客が多いというだけの理由からではない。住んでいる人たち自身に、そういうものを面白がり、自分もやりたいと思う風土があるのだと思う。



私も、雑誌を作ったりイベントを企画したり、学生時代はそんな京都の文化にどっぷりつかって暮らしていた。大学に赴任するときに、すべてと別れて、北九州に来た。




しかし、しらずしらずのうちに、アングラ劇のお手伝いや、アートイベントの企画、大學堂の運営など、いつのまにか、また大学時代と同じことを始めている。ここでの生活も20数年が過ぎた。この間、それなりに北九州のカルチャー・シーンに貢献してきたつもりである。



でも、あらためて京都を歩いてみて、やっぱり底力が違うなと思った。たぶん東京にも名古屋にも大阪にもない、京都の対抗文化の層の厚さ。



北九州だって、人口や街を歩く人の数だけをみれば決して不足はない。旦過市場や大學堂の知名度だってすでに十分すぎるくらいだ。でも、こういう雰囲気を楽しんだり好んだりする風土が、この街には欠けている。地元の人も、学生などの若い人も、全国のどこにでもあるようなショッピングモールや東京発のイベントにはせっせと足を運ぶが、自分たちで外に発信できるようなムーブメントを作ろうという気持ちが薄い。



そもそも自分たちの文化を自分たちで楽しむという発想がないので、たとえ、とてもよいものがここにあっても、あまり大切にされない。しかもマーケットが小さいので、何かをしている人たちは、すぐにつながってしまい、そこで閉じてしまう。



さて、数年のうちに旦過市場が再開発されるようだ。また一つ大切な物が失われる。今の旦過の町並みと大學堂は一体のものだから、そうなれば大學堂はなくなる。大學堂がこれまでの蓄えてきた、いろいろな物や、人とのつながりを、このあとどうやって残していくのか。あるいは捨ててしまうのか。このごろは、ずっとそんなことを考えている。



さらに、いずれ大学をやめれば、私の研究室や家にある本や、南の島の民具たちも居場所を失う。いったんすべてを、すっぱり捨ててしまうのも、潔くていいかもしれない。でも若い頃とは違い、これからゼロに戻って新しい物を作るのは、ちょっとしんどいかもしれない。残りの人生をどう過ごすかということを考えると、蓄えた物を捨てたくない気持ちが強い。まあ、どんな選択をするにせよ、どこかで次のモードに移らないといけないとは思っている。



京都の町家や古民家の出物があるから見ないかと誘われ、何件もの物件を紹介された。私としては、南の島か瀬戸内のどこかの温暖な島に、本や民具を運びこみ、宿代無料で食事持参のゲストハウスでもやろうと考えていたのだが、京都でも悪くないなと感じた。よく知っている街である。



いまの大學堂を京都に移して、野研の卒業生や友人がいつでも自由に遊びに来れるような場所を作る。もし私の蔵書や民具をほしい人がいれば、売ってもよい、それでどれだけ生活費がまかなえるかはわからならいけど、私が死なない程度に、皆が食料を持って、泊まりに来てくれればいい。



あとは、本を読んで、映画を見て、ときどき友人宅に旅をして。残りの30年くらいは、もう、それでいいかなと思う。

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