2022年11月8日火曜日

ガレージセールと再興式典

 『おはようございます。先日はありがとうございました♪

今日は7時に大学からリヤカーで、旧岩田酒店へ向かうと、インスタで知りました。

今どの辺りを歩いているのかな?歩くコースの途中で、差し入れ出来たらと、思いながら。』

 

前回のガレージセールのときのお客さんから、ショートメールが届いていた。リヤカー隊のメンバーから場所を聞き、『赤坂へ向かいます』と返した。

 



店から出す机や売り物を選んでいると、きぞくとカエルとポールが車でやってきた。4人がかりで、店の表にある大きな瓶を動かした。この瓶はいつも水で満杯にしているからとても重い。朝、バケツから瓶に水を移していると道行く人から『こどもの頃は、よくお父さんとお酒買いに来よったんよ』と話しかけられることがある。瓶をずりずりと動かして空いた場所に、大學堂の看板を置く台を設置した。

 

開始時刻の11時を迎えるも、リヤカーはやってくる気配がない。電話すると、大里にいた。『もう少し時間かかりますね~』とお客さんに伝えながら、商品を運び出していた。すると、一組の夫婦が横断歩道を渡ってきた。

『ネットで見てね、びっくりしたんですよ。私たちも以前、5年ぐらいコンサートに通ってたから。そして旦過から学生さんたちがこちらに移ってくるとは!』

『アヴェ・マリアが好きでね~。お家の中も見せてもらったけどね、2階も宝物がいっぱいあって』

ふたりがやってきた頃は、まだ商品を全て出し終えていなかった。それを見かねたのか、いつの間にか作業を手伝ってくれていた。

『この絵は出していいの?じゃあ、こちらに』

『すみません、お願いします』

夫婦は穴井さんといった。穴井さんたちの助けを借りて、ようやく品出しを終えた。

 

今回は午前中が最も忙しかった。

『こんなん、外に置いといてえーの?ほんまに?』と聞き慣れない訛りのお客さんを筆頭に、次々と商品について質問される。岩田さんは、値段を答えたり、どこで買ったのかを答えていた。

 

ふたりの女性がやってきた。聞けば、ゲストハウスポルトの人だった。少し前に開いたガレージセールのとき、同じゲストハウスのサクラさんという人がやってきて、椅子や木製の看板などを購入してくれたことを話すと嬉しそうにしていた。ふたりはリヤカー隊に会いたがっていたが、あまり時間もないようで、すぐに職場に戻っていった。

 

赤い帽子をかぶった人が『あの、これはおいくらぐらいでしょうか』と、お盆にティーカップやグラスを載せて店の中に持ってきた。お盆も込みだと高くなると思ったが、聞くと葛葉でカレー屋を営んでいて、お店で使う皿などの食器をほしがっていた。『火鉢の横に保管しておくので、じっくり選んでください』と言うと、カレー屋の人は外のティーカップをいくつか見比べていた。ちなみにこのお盆は、カボチャドキヤで使われていたものだ。

 


お客さんにお釣りを渡していると、『来た!』と誰かの声が聞こえた。ようやくリヤカーが到着したようだ。看板を台に乗せ、大學堂のガレージセールも始まった。同時に一瞬、見慣れた人影が見えた。近所で魚屋を営む青さんだった。前回はカゴを買って、お店で使ってくれている。建物の中も案内し、『泊まってて、怖いとか感じない?』と聞かれた覚えがある。青さんには1週間ほど前にガレージセールのことを伝えていたが、大學堂のリヤカーが来ることは伝えていなかった。興味を抱くかどうか分からなかったからだ。しかし心配はいらなかったようで、『よかったね。まさか旦過から、こっちに』と驚いていた。

 

すでに昼を過ぎていた。ガレージセール開始からずっと、穴井さんは店の中の看板を眺めたり、岩田さんと一緒に他のお客さんたちと話していた。岩田商店で角打ちをしていたことは知らなかったらしく、昔の酒は質が悪かったと、懐かしそうに話していた。穴井さんの母親はいわゆる「沖仲仕」だったらしい。角打ちをしていた頃のお客さんは仕事を終えた公務員や港湾労働者だったことを聞くと、『こういう場所で飲んでたんだろうね』と呟いた。


ギターを始めたと話す穴井さん

岩田商店に大學堂が移ったことはとても喜ばしいことだと穴井さんは言う。クラウドファウンディングのチラシを片手に握りしめ、旦過の火事を悔やんでいた。古い物や場所を知ることこそが国を愛するということであり、「国のために死ね」というのは愛国心ではないと力説された。

世代で対立するのは悲しいことだ、とも語っていた。仕事をしていると常々考えることだという。聞けば僕の母親と近い職業だったため、似た話を母から聞くと答えると『そうなんです。そうなんです』と何度も頷いた。

思いの丈をひとしきり話し終えて、スッキリしたのだろう。『では、わたしたちはこれで』と穴井さんは帰っていった。穴井さんを見送っていると、机の上の商品を眺めていた人から声をかけられた。

 

『岩田は、おる?同級生です』

ああこの人が、とすぐに気づいた。この日たまたま実家に帰る予定があり、ネットニュースに載っていた毎日新聞の記事を見て連絡してきた人だった。ついさっき、東京から車で到着したという。『奥の蔵にいるので、どうぞ』と案内しようとしたとき、『お!』と岩田さんの声が聞こえた。門司高校の頃のクラスメートで、7月に僕が東京で会った浦田さんのことも覚えていた。

『浦田!彼は転校生だった。長崎からね。たしか雑誌の会社に勤めてるんだっけ?』

『今は退職して、小学校の教員の補助員みたいな仕事をしてるそうです』

『そうなのか』

休憩がてらに蔵のなかで話をして、僕はまた表に戻った。しばらくの間、ふたりは高校の話で盛り上がっていた。

『じつはもうひとり、あとから同級生が来るんですよ』

お客さんはそう言うと、蔵を出て火鉢の横に座って待っていた。

 


あと1時間で終わりかなという頃、『上田さん、こんにちは~』と、入り口から声が聞こえた。朝、ショートメールを送ってきた長野さんだった。前回のガレージセールのときに出会い、長野さんの祖父母は岩田商店の従業員だったことを聞いた。店で出会って結婚し、岩田さんの祖父からのれん分けをしてもらって、庄司町で酒屋を営んでいた。そして最近知ったのが、長野さん自身は大學堂のイベントによく足を運んでいたことだ。そういえば大學堂告別式のときにも声をかけられた。大學堂が門司に移転する話をするまで、僕と長野さんは互いに大學堂にかかわりがあることを知らなかった。不思議というか世間は狭いというか。今日はメールに返信が無かったが、どうやら無事に合流できたようだ。『今年もダルマ作ってほしいわ~来年還暦だから』と、スマホの画面をなぞって見せてくれた写真のなかには、大學堂でトラダルマを掲げるポールや、こたつに入ってダルマ制作にはげむカエルがいた。

 

長野さんはまたどこかに出かけていった。少し寒くなってきた。振り返ると、岩田さんと同級生の人の会話にもうひとり、新しい人が加わっていた。『55年ぶりの再会ですよ!』と話すその人は門司に住んでいるが、岩田さんに会いに行く機会がなかなか見つからなかったようで、楽しそうに話していた。


 同級生たちと再会

15時を迎えると、片付けや再興式典が慌ただしく終わり、一瞬で16時を過ぎた。買い物から戻ってきた長野さんからの差し入れをリヤカーに託し、みなが赤い電話ボックスの方向に向かって歩き出すのを見送った。記者もお客さんも散り散りになって、一瞬でいつもの東本町に戻った。まだ庭のバケツに水を溜める作業が残っている。水を溜めるあいだに、ガレージセールのポスターをはがした。外の作業を終わらせて店に戻ると、火鉢の横に河波さんという人が座っていた。

 

この河波さんも、前回のガレージセールのときに知り合った人だ。東京で仕事をしていたが、コロナでリモートワークができるようになったため、実家のある長門に帰ってきていた。前回はたまたま車で店の前を通りがかり、ガレージセールのためだけにやってきたと話した。今回は15時ギリギリにしか来れず、じっくり商品を見ることはできなかった。その代わり、前回よりも長く話をすることができた。

河波さんは、前のガレージセールでは漆塗りの餅箱を買ってくれた。おまけで文字ヶ関人形を箱の中に入れて渡した覚えがある。あのときの餅箱をとても気に入っていたようで、今回はサイズの違う餅箱を二つも買ってくれた。パソコンなど、仕事で使うものを入れて使うという。

『古いものは丈夫で美しいので、大切に使って、次の世代の人に引き継ぐことができるようにします』と語った。

餅箱を河波さんの車まで運び、交差点に入ってトンネルに向かうところまで見送った。長門から角島までドライブして回ろう、と遊ぶ約束もした。

 

 

今回、僕はほとんど店の中の様子しか見ていない。そのため、リヤカーの様子や大學堂のお客さんたちの様子の詳細は、ほかのメンバーたちに託すことにする。

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