2017年6月21日水曜日

先祖に思いを馳せる

ムビラは、一時期大學堂の1階に置いてあったので手にしたことがある楽器だ。カヌーで日本1周をしていた海旅一座の鈴木カツさんが、「また来た時に持ち帰るから」と大學堂に預けて行ったものだ。それは両手で持てるほどの大きさで、銀色の細い鍵盤が表面についていた。秘密儀礼で目にしたのは、ふとももにのせて胸の高さほどもある大きなものだった。しかも、楽器の背面や側面に小さなシンバルのようなものがついており、演奏するとそれがシャラシャラ音をたてる。音の高低も、シンバルのベースもあってか、大學堂で遊んでいたムビラとは違う音が奏でられた。

心地よい音、それはムビラ自体の音もそうだし、時々挟まるシンボッティのつぶやきのようなこえもだ。最初はそれが彼の口から発せられているとは気づかなかったが、聞きなれると時々挟まるその音がまた心地よい。多くは自分の手元を見ていたシンボッティだったが、時々私たちを見回す。私たちをみていたのか、そうではないものをみていたのだろうか。

演奏途中、心地よすぎたのか多くの人が眠りに落ちているように見えた。いや、きっとあれは先祖との交信だ。後方にはガクガク揺れながら何かと静かに対話している人もいたのだし。

一番聴いていて心が盛り上がったのは3曲目のこどもの曲。子供が間違った道へ行かせないように、いい子に育っているか、悪い子に育っているか、を聞く曲。はじめの雨乞いや、2曲目に比べると明るい曲だったように思う。4曲目、狩りの演奏の時は、自然とまぶたが落ちてきて、寝ているわけでもないけど起きていて現実にいるわけでもないような流れの中に身を任せていた。激しい曲に乗せられてトランスするのとはまた別の気持ちよさがあった。

わたしは演奏を聴きながら、先祖との交信というよりはシンボッティさんの自分の国、自分の村での暮らしはどんなものなのかといったことや、なぜだかサラワクの村で今生活をしている最後の世代の人たちのことを思い出していた。まだ伝統的な儀礼が忠実に信じられているところと、信じていた人を見ていながらも、それとは違うものも受け入れたひと、そしてその暮らし。今おじいちゃんに向かっている人達がこれから先祖になっていくことなどに思いを馳せた。

シンちゃんは魚よりも肉が好きで、アルコールはワインでもサケでもなくビールが一番だと言っていた。演奏後、飲み食いする人々には加わらずドームの中の椅子で過ごすシンちゃんを見て、まだ儀礼の心が残っているからだろうかとか考えたが、後半シンちゃんの話を聞く人の輪に加わると、これから冬になるというジンバブエは「So Cold!」だと連発していて面白かった。


私たちが準備した会場は他の会場とはまったく違う演出だっただろうけど、楽しんでくれただろうか。(てらす)

0 件のコメント: