2020年12月27日日曜日

多重露光

 

足を踏み外しダムの底に沈まぬように、山の斜面を這うように。そうして歩くと見えてくる小さな丘の上に、学校がある。手入れの行き届いていない、真っ黒な森を抜けると見えてくる巨大なイチョウの木が目印だ。学校も森も、そしてイチョウも、その役目を終えようとしている。

 

校舎のなかには木(おそらく杉)でつくられた、世に出ることなく非業の死を遂げた歌人の歌碑がずらりと立ち並んでいる。ここで過ごす子どもたちは、毎朝校門の前で、係が選んだ歌を詠む。毎朝だけでは飽き足らず、とうとう歌を群読に変えて、群読のみをおこなう時間割まで作った。

群読は「い」「ろ」「は」の三つの組に分かれておこなう。「い」組が主旋律となり、「ろ」組はその後を追うように歌う。「は」組は擬音を表現する。「は」組は歌う箇所が少ないながらもインパクトが強いので、印象に残りやすい。

群読のなかで、子どもたちがこぞってやりたがるのが、指揮者だった。さも自分が皆をまとめているように錯覚して悦に浸れるのだろう。伴奏はピアノが弾ける人がやらされるので、本人の意思はあまり考慮されない。

皆なかなかやりたがらないが、最も注目を集め、その人の声色だけを全ての聞き手に感じとってもらえるのが「独唱」だった。ひとつの歌を独唱者が歌い終えると、「いろは」の三組が同じ歌を群読する。独唱者の表現力でその歌の印象が決まる。

百人ほどの少ない人数で、小さな無名の学校だった。図工と劇と合奏をしている時間ぐらいしか楽しかった記憶がない。そんななか、群読をしている時間だけは、町の外からやってくる大人にはさっぱりわからない味を感じることができる気がした。この気持ちを誰かに渡してたまるものかと強く思っていた。

 

イチョウの木はとても太く大きい。貼りつくことに精いっぱいで、登ることはできないほどだった。天高く伸びた枝を見上げると、乾いた青空と重なる。その様子は異次元と常世の隔たりをむりやりこじ開けてくるヤプールによる、次元の壁のひび割れのように見えるのが楽しかった。

地面に落ちたイチョウの葉を集めて投げ合うこともあった。木から落ちてもいいように、葉でクッションを作ったこともあった。一番記憶に残っているのが、木の周りにたくさんの「自動シャボン玉製造機」なるものを配置して円をつくり、合図とともに一斉にシャボン玉を解き放ったことだ。校庭いっぱいにシャボン玉が舞い、そのなかで子どもたちがイチョウの葉を空に向かって投げる。目が覚めるような黄色い扇の舞と淡い虹色の玉の泳ぎが混ざる様には皆が気圧されていた。

 

ナニモノにも役目を終える日がいつかくる。


大人たちを横目に、歌ったり遊んだりする子どもたち。

子どもたちの声を聞きながら、音楽家が新たな曲を作っている世界が垣間見える。

2020年12月11日金曜日

あらまあ青ヶ島

 ヤッホーみんな!最近びっくりしちゃう寒さでもう、お外出たくないわ。

寒いなら、暖かい場所にいけばいいじゃない。

そんな声が聞こえたの。だから、青ヶ島へ島流れにいったの。


やだーごめんなさいね。ノープランでセンスのない写真しかなかったわ。

この、破片が青ヶ島よ。まあ海が綺麗だこと。



こんなヘリで到着したわ。このヘリに乗れるのは9人。八一ヶ月前から何人もで電話をかけまくってその枠を戦い抜いて、見事勝ち取ったの。うふふ。丈島からやってくる駐在さんでさえ、予約方法は同じらしいの。大変ね。



こちら私たちが大変お世話になったアリサさん。「ひんぎゃの塩」を作っている職人さんよ。

島の色々も案内してくれたわ。


青ヶ島は噴火でできた島。周りは崖だらけ。内側には建設会社やサウナ、畑などがあるわ。

アリサさんが指差している先は噴火口。ヒョエエえ


まあ、なんてこと。可愛らしいゼリー島があるわ。椿が植わってるんですって。

アリサさんのお父様が植えたんですって。綺麗だけど、、斜面になっているものの収穫が大変なことは、みかんもぎのお仕事で学んだわ。。。と家来が言っていたわ。



こちら塩職人になりかけのちくわさんよ。頑張ってらっしゃったわ。きっと私の一生分の何倍も彼は働いていたわ。写真を撮るのを忘れてしまった家来のせいで「ひんぎゃの塩」の特徴の’ひとつである、ゴミを取り除く作業の写真がないの。ごめんなさいね。それを体験した家来曰く、チベットの高原で落としたかもしれない何本かのペンを探すようだった、と言っていたわ。よくわからないけど、大変だったようね。



こちらは毎日使っていたトンネルよ。島には2本のトンネルがあって、移動がすごく便利になったらしいの。土?砂?だからトンネルを掘るのはとても大変だったそうよ。

ただね、すごく狭いの。このトンネル。でも、すっごく大きなトラックがバンバン通るの。だから、もし対面してしまったら、小さい車の方が後ろに下がり続けなきゃいけないらしいわ。。。



こちらほぼ毎日食べた明日葉こんにゃく。刺身こんにゃくみたいで美味しいのよ。


麹作りのために麦を蒸していた青酎の杜氏さんと、村役場のみなさん。

今年から?ステンレス?に変えたんですって。


その日から仲良くなった清さんは、早速次の日からアリサさんの家のすぐ外に基地を作り出したの。ほとんどの晩餐を共にしたわ。


ちくわは、私たちをこの大杉まで案内してくれたの。とっても入り組んだ道のりだったけど、彼は一回で道を覚えたんですって!うちの家来になってほしいわ。


清さんは、どんなにお酒を飲んでいても、自分のお酒のお世話を忘れないの。他の人のお酒もお世話してあげていたわ。合資会社?合同会社?うーん。青酎を作る人みんなで作った会社だから、全然違うお酒の出来栄えだけど、同じ場所で作ってるの。不思議よねえ。


帰りはヘリの部品が壊れたらしく、船で八丈島まで帰ったわ。青くて綺麗な船だったわ。


とってもポポロぽろな感じだけど許してね。


2020年12月8日火曜日

11月29日平尾台ワークショップ

報告が遅れました、ごめんなさい

最初に、ワークショップ前日にドーム建ての練習に付き合ってくださった貴族さん、J君、ビンビン、るーさん、あみつけさん、ありがとうございました。

この日は初平尾台&初ワークショップで朝からわくわく

はでぴさんやビンビンも一緒に来てくれて、ドームを建てるお手伝いをしてくれました。

一本竹を切り出すところからスタートし、午前中は竹の連結までして一旦お昼休憩

お昼ごはんは焼きそば、ジビエとお野菜のバーベキュー、ニンジンのポタージュ

特にニンジンのポタージュがとっても美味しかったです。

午後からはドームを組み立てて、最後に記念撮影を行いました。


参加者の皆さんはとても積極的で、中には子ども用に建てたいとおっしゃっていた方もいました。

また、にいなの大将も差し入れをもってきてくださいました。

スタードームのワークショップの後は、ファイヤースターター(?)で火をつけるワークショップ

ファイヤースターターは簡単に火をおこすことができるので、チベットに持っていきたい!とビンビンが喜んでいました。

とっても楽しかった一方で、今回私はどのように動いていいかわからず、練習の必要性を感じました。棟梁の説明していた内容をきちんとメモに残しておこうと思います。

平尾台から帰るとき、山肌一面のススキが秋陽に照らされていて、綺麗でした。

今度平尾台まで歩いて行ってみたいです…でもちょっと遠い?

2020年12月6日日曜日

青ヶ島記(大介08)

 さて、一連の青ヶ島の報告もいよいよ本命、ひんぎゃの塩の話をしたい。あまりにいろいろなことがありすぎて、忘れてしまいそうだが、この青ヶ島村製塩事業所の訪問こそが、今回この島に渡ったもっとも重要なミッションなのだ。


ひんぎゃというのは火の際(きわ)、あるいは火の矢を意味する青ヶ島の方言である。火山の火口あるいは噴気口をさす。江戸期の噴火によって外輪山の内側にできた丸山周辺の噴気口とその地熱だけを利用して、時間をかけてゆっくりと海水を蒸発させ、製塩するというのが、世界にほかにない、このひんぎゃの塩の製法である。

食塩の主成分はいうまでもなく塩化ナトリウムであるが、それ以外のカルシウム・マグネシウム・カリウムイオンのバランスが食塩の味を決定する。濃度を上げ温度を調整し、ゆっくりと結晶を作りながら、ミネラル分の、なにを捨て、どこまで使うかによって味を調整することになる。ひんぎゃの塩のおいしさの秘密はどこにあるのだろうか。


当初、私は単純に水が蒸発して濃度が濃くなり、飽和した順に析出してくるだろうから、分離する時間(タイミング)さえ管理すればミネラルの割合は調整できると考えていたが、よくよく考えてみるとそんなに簡単な話ではない。

析出する割合は、飽和度(イオン濃度)のパラメーター以外に温度のパラメータがある。高温で煮出すか、低温でゆっくり結晶化させるかで、析出のパターンは変わってくる。単純にタイミングだけでは管理できないのだ。

付け焼き刃ながら、海水の濃縮温度と析出のタイミングを示した資料をネットで検索した。例えばこんなグラフがある。

http://www.shio-ya.com/general_salt/temp.html

塩に含まれるミネラル分の割合は、濃縮する温度によって、変わってくる。しかし実際のその調整は簡単ではない。 これはちょっと勉強しないといけないぞ。本気でするなら「海水利用ハンドブック」や一連の「ハンドブック」も必要だ。

https://www.shiojigyo.com/study/publication/

ひんぎゃの塩は、釜などをつかって煮出すことなく、すべて地熱を利用し低温で時間をかけて析出させる。すべて天日でおこなう製塩法に近いが、天日に比べると地熱蒸気のバルブで温度をコントロールできカルシウムやマグネシウムの調整をおこないやすい。どのタイミングでどう温度をかえたら理想的な食塩ができるだろうか。ひんぎゃの塩のおいしさの秘密は、このあたりの微妙な調整にあるはずだ。



さらにいえば、そもそもこの塩は、陸に近い場所にある一般の製塩所とは海水の質が違う。青ヶ島は黒潮が洗う孤島である。周辺に川などは全くない。太平洋を赤道近くから黒々と流れてきた、透明度が高い世界有数の暖流から汲まれた海水が原料である。原料の海水成分から違うのだ。


塩は単体でなめた時と、料理で使ったときで、おいしさが変わってくる。塩化ナトリウム以外のミネラルが多い塩は甘いが、料理に使うと味が立ちにくく扱いにくい。にがりは一定量までは味のバランスを整えおいしさを刺激するが、それをこえるとえぐみや苦みに変わる。


こんど東京に行ったときに、たばこと塩の博物館に通っていちから勉強しないといけないな。味の官能テストだったら、ちょっと自信はあるのだけど、成分分析の結果をもとに、製造のメカニズムが説明できないと説得力がないからね。



さて実は、そんなひんぎゃの塩をつくる青ヶ島村製塩事業所で11月から野研の「ちくわくん」が働いている。とりあえず来年の3月までここにいる。サウナのような部屋での長時間の作業や、神経を使う繊細な選別は大変な仕事だと思うが、とても、うらやましい。ぜひ、滞在中に島の人たちと仲良くなってたくさんのことを学んで欲しい。



そして、ちくわくんが管理する大學堂のECサイトでも、まもなく「ひんぎゃの塩」のあつかいが開始される予定である。すでにネット上の各所でプレミアをつけて売られているが、うちでは製造所からの直売で、定価で販売できるように準備している。とても楽しみである。

青ヶ島記(大介07)


人と自然の過酷な戦いがこの島には刻まれている


この鉄塔は船を吊るして陸からおろすためのもの。


海に出るたびに毎日吊るしあげている。


環境がとても厳しいので、公共事業がたくさん入るのはある程度仕方ないのだが、東京都だけに、予算の規模も他の県の離島と桁違いなのかもしれない。


青ヶ島記(大介06)



拝所を思わせる祠や、不思議な石の構造物が、青ヶ島のいたる所にあった。聞けば古いお墓や信仰の場とのこと。


詳細が知りたくて「青ヶ島の神々」を読み始める。一度気になるととことん知りたくなってしまうサガ。青ヶ島の本を買いあさって読み始めてしまう。年末のほかの仕事も溜まってるのに。


著者が「でいらほん流」と呼ぶ沖縄や対馬と同じような明治以前の古来の神道の形が、この島には残っているようだ。


南無妙法蓮華経と刻んだ石の前に鳥居が置かれている、これも神仏習合の名残であろうか。とても興味深い。







青ヶ島記(大介05)


鶏をさばいて、山の「ひんぎゃ」に入れて月桃のハーブ蒸しをした。



青ヶ島の地熱は、別府の地獄蒸しよりも温度が低いようで、3時間ではちょっと加熱時間が足りなかった。



たぶん低温調理の感じで、一晩くらい入れておいた方が良いかもしれない。


つぎはぜひ成功させたい。



そして今年の潜り納め。青ヶ島の海は荒い。さらにこの時期はすぐに波や風の状況が変わってしまうのでとても怖い。


それでもイシダイとイシガキダイをつき、さらに釣り部隊はビギナーズラックのイシガキダイ。



短時間で十分な食料を手に入れて、またしても地熱穴の「ひんぎゃ」に投入する。火を起こす手間がいらないので、これは便利。



さらにこの辺りは地面も熱いので、そのまま寝転がって冷えた体を地熱であたためる。

青ヶ島記(大介04)

 絶壁と火口と森は、バヌアツの島々を思い起こさせる。



青ヶ島の標高を地図に落とすと、中心の丸山から時計回りに流れた溶岩の様子を見て取ることができる。



丸山は天明5(1785)年に起こった大噴火で誕生しているので、この時に溶岩も流れたのだろうか。記録では島全体が噴火によって焼けたとあるが、赤いマークの場所に大杉が一本だけ残っている。この杉は噴火以前のものだといわれている。


かろうじて溶岩流を避けることができたのだろうか。大杉までの道は樹海のような溶岩の割れ目やアップダウンが続く。







大杉の位置を正確に測り直すと、溶岩流の中にあることがわかる。どうやって生き残れたのだろうか。ちなみにgoogle map に載っている場所は間違っている。これを当てにすると迷子になってしまう。数回計測した正確な緯度と経度を書いておく。

32° 26' 55.77" N
139° 46' 17.952" E

32° 26' 55.578" N
139° 46' 18" E

32° 26' 55.2" N
139° 46' 18.168" E

32° 26' 55.65" N
139° 46' 17.622" E

32° 26' 55.662" N
139° 46' 17.73" E

32° 26' 55.65" N
139° 46' 17.622" E


そしてもう一つ、この地形図からわかること。金太浦と呼ばれる外輪山の一番低くなっている南側の場所は、もしかしたらこの溶岩流がぶつかることで崩れたのかもしれない。もう少し激しく流れていたら外輪山に穴が開き、溶岩が海までぬけてしまったにちがいない。