4月20日 木曜 オドルハンゾー、坂巻さんがやってくる
4月21日 金曜 劇団すずめのす、ギョサン、水玉見学、櫨ろう、くもで網、ギョサンデビュー、かしらのみつばち、エビのかき揚げ、宴会
4月22日 土曜 鹿島のかっこいい集落と映画監督、酒蔵、波佐見、タバの棚田、講演と鯨飲鯨食、カナディアンログと鯨飲鯨食本番
4月23日 日曜 朝釣り、撮影会、道の駅、かんころ餅、放牧豚丼、島の館、漁師宿、テント泊
4月24日 月曜 西の果て、崖山の上、川内峠、時速130キロで平戸を抜け若宮へ、BBQ
4月25日 火曜 みつばち分封、オルガン運び、宴会
4月26日 水曜 坂巻さん帰る、ハンデル先生の白熱講義、ちきちきチキンライス
4月27日 木曜 「今日」
いろいろ詰まりすぎ。1日ずつ追っていきます。
4月21日 金曜日
あるぱかーにてまずは柳川を目指します。車中ではまさかの中2男子による劇団「すずめのす」監修・制作ラジオドラマを聞くことに。地球上の水が汚染され、男で一人生き残った主人公、人間の魂をとるはずが誤って天国から地獄まですべての人や閻魔様を殺してしまい、一人になってしまった主人公、老婆ドラキュラが散々人を食べまくった挙句まさかの広島出身の普通の女の子だった話、などなど1シーンで一人は登場人物が死んでいくお話ばかりでした。車に乗ってラジオドラマ聞いていただけなのに、目的地に着いた時は皆なぜかへとへとに。
以前、環境社会学会と合わせて魚部の「エツ食べ」に行った時と同じ場所にいきます。前回は目に止めなかったけど、道端の履物屋の店先にギョサンが売っているのを発見。今時ネットで高くなってしまった便所スリッパみたいなサンダルですが、海や川などの水場では大活躍です。豊富なカラーに心躍らせるも、それはすべて子供用。大人用は「濃い赤茶色」「黄土色」の2色。よりによってこんなトイレカラーかと悩みながらも濃い茶色を購入。今年の夏に履き倒します。
その後かしらや後続きぞくかー、キウイかーに合流。いつもおいしく飲ませてもらっている水玉酒造と、櫨ろうの工場見学。いぼりも言っていた「ねずみの小判」、実家の庭によく落ちていました。これが櫨の種なのか。
近所の子供の中では「バクダン」って言って投げ合っていた。
溶かした櫨ろうを入れて固めるための丼。整然と並ぶ。
よくとれるのはエビやエツ。うなぎやエイもとれる。3日前にもうなぎがとれたらしく、我々はうなぎを狙ってひたすら網を上げ下げ。一度、白魚のような綺麗な小魚がとれたが食いしん坊いぼりにあっという間に飲み込まれる。
水につけてすぐあげてみたり、十分時間をとってあげてみたり。網のすぐそばで魚が跳ねると歓声があがった。
今までエツというものは「幻の魚」だと聞いていたのに、今回は大小含めて結構とれた。
かしたのお母さんがお刺身にしてくださり、夜皆でいただく。エビはひたすらかき揚げにした。この時のエビは、後日テント泊した日の翌朝の朝食まで引っ張っていくことになる。
4月22日 土曜日
お世話になったかしらにお礼を告げ、次の目的地へ。佐賀県南部、鹿島市というところにある古い集落。映画監督だというおじいさんも加わり、大所帯で路地を散策。乗田家住宅という、修繕された大きな茅葺のおうちがとても綺麗で迫力があった。松江にある私の祖母の実家もこのような家で、茅葺ではないものの土間から上を見上げると、太い木のはりが見える。地域の中に残る古い建物の一つとして地元の高校生などが見学しにきたりすると聞いていたが、先日訪れると現当主の意向で玄関が少しリフォームされていた。あの家も、そのままの形でもう少し残されていれば、こういったスポットになったかもしれないなあとぼんやり考えた。
2階の手すりが素敵である。
天皇陛下ご愛用のジョウロを作っている金物屋の方の工房。
こういう家というか工房というか、どこかで見たことあるよね。
集落散策が終わると、通り道でもあったことだし波佐見で昼休憩。数年前のGWの陶器市の際にも訪れた場所だったが、飲食店や雑貨屋がさらに加わり、若い女性やランチを求めるマダムで結構混んでいた。
そんなおしゃれカフェでの昼食。良心的な値段だなぁとか話していたけど、実物みて納得。いぼりに言わせると「あぁ、あの料理がきてみて驚くやつね」
タバにも会えるかと思っていたが、結局会えず。鬼木の棚田を見て鯨飲鯨食へ。
鯨の講演会は、下関鯨類研究所の石川さんという方によるもの。これまでの鯨との付き合いから捕鯨の近代史について、時系列や事後関係を丁寧に解説してくださり、とてもわかりやすかった。鯨について学ぶ際の敷居が一気に低くなった思いがした。
湯かけ鯨の酢物
塩鯨の煮しめ
鯨の竹燻し
塩鯨と切り干し大根、とくじら尽くしの夕食。
鯨飲鯨食の後はテント泊だと思っていたのに、まさかのおよばれをいただき両者整形外科をされているご夫婦の家に泊まらせていただくことに。「辺鄙なところすぎて住所がない」という言葉に、灯りのない山道をぐねぐね進み不安になるも、着いてみればなんとバラのアーチとエゾシカの剥製が玄関でお迎えをする、立派なログハウス。木材はカナダから輸入したものらしい。
ご夫婦のうち、奥さんは長い間カヌーをしておられ、また釣りが好きなご主人とあって家族で週末キャンプをするのも好きだったそう。家の車もカヌーが上に積めるものをわざわざ購入し、いろいろなところへ行かれていたらしい。しかしそのうちに、5メートル近くのカヌーを毎度毎度家から車、車から海まで運ぶのがおっくうになり、「カヌーをおいておく場所」としてこの地を購入。始めはこの地にログハウスなどはなく、長崎にある家からここにやってきて、週末キャンプをしていた。そこから夢は膨らみ、現在のログハウスができることとなった。
おうちが素敵すぎて楽しくなってきたもこ。
鯨飲鯨食から帰ったばかりであったが、ひとまずウェルカムシャンパンをいただく。キッチンの一角にグラスが何十個もおいてあるのを見て、なんとなくこの家の過ごし方を悟るわたしたち。それからあれよあれよという間にボトルワインが4本あき、12時近いことだしそろそろお開きかと思いきや。「本当は、私のイチバンはこれなの」と奥さんがどーんと取り出したのは「元老院」一升ボトル。「ああっ、これ鹿児島で見た!」という声とともに始まる2次会か3次会か…。日本酒に、最近食べた中で一番美味しかったというとっておきのえび入りキムチ、朝ごはんにと買ってきたおにぎりに手作りマヨネーズ、スイスのチョコレート…。どんどん予想もしてなかった方向に話が転がっていき、面白くて仕方がなかった。何時に寝たのか定かではないが、ご主人は毎朝4時半には目の前の海で朝釣りをするという。それを絶対に見ようと心に誓い、眠りについた。
4月23日 日曜日
翌朝。皆が眠る中ひとりこそこそ起き出し、外へ向かう。
ちょうど朝日が登ってくる中、ご主人は釣りをされていた。「フグばかり釣れる」とぼやきながらも、小ぶりのキスが何匹か釣れていた。夫婦二人しかいないので、毎朝少しとれれば十分だという。
こんなおうち。「別荘」ではなく「基地」と呼んで欲しいらしい。
ご夫婦とわかれてからは鯨ツアー再開。
花屋が隣接する石屋さんの中はカフェスペースになっており、放牧で育てられている豚肉を使った料理を出している。
梅干しとか柑橘漬けに、枚数あるフリーペーパー。
大學堂と同じものがおいてあるはずなのに、このすっきりおしゃれ感はなんだろう。
どこが違うのだろうか。
放牧豚丼。肉の赤身部分が、少し魚の赤身のような味がして「ん?」と思ったけど、どうなのだろう。ほうれん草と春菊のとろとろスープは柔らかいくちどけでおなかにしみた。実は、まだこの時前夜のお酒が抜けきっていなくてあまり味を覚えていない。
間違いかと思ったが、調べてみるとクモガニの一種でハリセンボンというものがいた。
4月24日 月曜日
テント泊をした翌日。夕方の若宮に帰るギリギリまで、いろいろなところを回る。「ここまで来たのだから」と日本の最西端だという港、宮之浦を見に行く。クリアな水に穏やかな波。アルパカは「あーなんでシュノーケル持ってこなかったんだろう」と猛烈に後悔。夏はもうすぐそこ。
坂巻さんに教えてもらった、ムクロジの実。中の黒い種は羽子板のハネにつかわれる。
果実の部分は、乾燥させてひき、粉にすると石鹸になるという。
ユウレイクサ。ギンリョウソウという、菌で繁殖する花。
志々伎山(357メートルくらい)という霊山にも登った。見る方向により違った形に見え、海から交易のためにやってきた人々の目印になっていたという。登山口の駐車場で、彫刻家の坂本さんに再会。今朝、別れ際に「山に登る」と言われていたが、我々が日本最西端に行っている間にすでに登ってきたらしい。「片道45分」という言葉と、登山にわくわくして「行こうよ」を繰り返す坂巻さんに押され、せっかくだからと山登り。しかし、これがまた険しい山で、ロープを掴みながら岩肌を登るような登山だった。頂上に近くにつれ、海の青と空の青、ひたすら青に囲まれる。とても綺麗だった。
ビンビンも、綺麗な写真をとるために意地でも上がる。
坂巻さんが座っているところが崖すぎる。
サラワクの森、山は緑鮮やか、原色の動植物が多く生き生きとしているが、こうして見ると日本の山にだって色がある。森林組合の赤松さんに会って、日本中にはびこる竹の話を聞いてから山を見るたび竹チェックをしてしまうようになったのだが、ここには竹はなかった。何種類もの木が異なった色づきを見せており、日本の山だって綺麗じゃん、と思ったのであった。
高山地帯に生息するというアルパカを発見。
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